前略 函館から・・・管理びとより
そいやっそいやっ・・・ぢゃなくて・・・(^-^;) これも懐かしいぞ、一世風靡セピア(爆
っていうか、何歳?>自分
この3年間を振り返って、管理びとから一言。別に、「殿へ」っていうノリではなくて、区切りっていうか・・・節目っていうか・・・。
殿についてを絡めた「ぼんくら」の3年を振り返ってみました♪
・・・前略で始まってるくせに前置きが長いっちゅーの!(わら
「ぼんくら」こと、「Bon Courage!」がスタートしたのが1999年の2月。 フランス語で「頑張れ!」を意味するタイトルには、「暗い話題の多い今日この頃、「あはっ」と笑ってもらえたら嬉しいです」を コンセプトに「みんなみんな頑張れっ!」っていう管理びとの気持ちが込められています。 ※ミリダラ企画部にはあのトルシエに向かって「トルシエぼんくら!」って声かけて、トルシエから「ウィ♪」っていう返事をもらった おもろい奴らがいます(爆 このサイトを立ち上げるために資料を集めてページを作り始めたのが1998年11月。 当初を知っている方はご存知のとーり、元々はコンサ応援サイトではなくて、管理びとの趣味のサイトでありました。 サッカー、プロ野球、漫画、美etcを題材にして、それぞれのカテゴリーでコーナーを作り、ネタとしてはコンサドーレ、ジュビロ、 女子サッカー、西武ライオンズ、補正下着、そして管理びとが持っている漫画の紹介など、なんともまぁまとまりのないサイトで ありました(^-^;) こんな世の中でも、楽しいコトはたくさんあるよ!っていうのをウリにしたサイト。 そして更に、当時は「まな」という短大時代の同級生と2人で管理していたサイトでした。 ※ちなみに、「まな」は先月一児の母となりました!!!怖えぇぇぇぇ(爆 陣痛の痛みに気付かなかった上、分娩室入って15分でポンっと、生れて2週間やそこらで眉間にしわ寄せて「うるせー」って 顔しながら眠る赤子を産めるのはコイツぐらいだろう(わら
殿こと名塚選手がベルマーレからコンサドーレに移籍してきたのが丁度この頃。 名塚選手と言えば、今や伝説となっているあの「ドーハの悲劇」の翌年、Jリーグに昇格したばかりのベルマーレでキャプテンを 務めていたお方。 当時のベルマーレと言えば、怖いモノ知らずの若手パワーで、なんとも安定感のない(爆)快進撃を続けていて、その勢いのまま 新生ファルカンJapanの10番に抜擢されたテル(岩元)が大人気でした。 ・・・テルもねぇ、ファルカンJapanの「A級戦犯」扱いされてしまってるのは、今となっちゃーちと可哀想に思うけど(^-^;) このとき、一緒にA代表に抜擢された名塚選手。それまで「読売Japan」とまで比喩されてた日本代表をガラリと入れ替える斬新 な人選をしたファルカン。広島アジア大会で惨敗して短命に終わったものの、アンチ読売だった管理びとはこのときの日本代表 って結構好きだったのよねぇ〜〜〜。
そんな管理びとが、生名塚選手を初めて見たのは1998年1stステージ、室蘭入江競技場で行われたコンサドーレvsベルマーレ の試合。 まさに「ヒデラー」と呼ばれた、とても試合観戦向きとは思えない服装で競技場に集まる姉ちゃんたちが問題になった時代(爆 当時はまだ芝生だった室蘭入江のバックスタンドをハイヒールとかサンダルとかでボコボコ穴開けて闊歩してた姉ちゃんたちを 思い出します(((((((^-^;) 1995年、短大を卒業して社会人になった管理びと。 オリンピックとかは見てたけど、毎日が精一杯でJリーグがどーなってるのか今イチわからない時期があったのです。 当然、その室蘭での試合はコンサの応援に行ったんだけど・・・周りに「ヒデーー♪」「中田クーーン♪」なんていう黄色い声援が 飛び交う中で「ミョンボーーー♪」叫んでた姉ちゃんは管理びとだけでした(爆 その時に一緒に観戦してた管理びとの高校時代の同級生みほ女史。彼女がぼそっと言った一言。 「ねぇ、もしかしてミョンボの隣にいるのって名塚ぢゃない?」 視力の悪い管理びとが、眉間にしわを寄せて睨むよーに確認してみると・・・坊ちゃんカットをした馬のよーな懐かしい姿が・・・。 「あ、ホントだーー。・・・名塚ってまだいたんだぁ〜〜〜(爆 」 みほ嬢にしこたま頭ド突かれましたが・・・(^-^;) ※当時、名塚選手は27歳でした(わら 今思うと、このときの会話がすべての始まりだったよーに感じられます。←そーか????
まさか、翌年にその名塚選手が赤黒のユニフォームに袖を通すことになろうとは思いませんでした。 「名塚がコンサに来るーーーっっ!!」って大騒ぎしてたのが、「ぼんくら」を立ち上げる1ヶ月くらい前。 当時、やっぱり「地元にプロチームができたから」・・・でサッカーファンになったヒトが多かったコンササポの中で、 「名塚って誰?」っていう風潮が少なくなかったのも確か(爆 それで、ほぼ開幕と同時に「ぼんくら」の中に「GO NATSU!」という名塚選手を紹介するコーナーを作ったのが、今の「ぼんくら」 のルーツであります。 ※「GO」は「5番」に掛けたのね(わら
名塚選手と言えば・・・風貌は井原選手に似てはいたものの、井原とは違ってクリーンなプレーが印象的で、「読み」で勝負する DFのイメージ。 クリーンなプレーとは言っても、勝負どころは逃さずガツガツと1対1にも強くて、攻めにも参加する攻撃的なDF。 ラインの統率力にも優れてて、積極的に前へ前へと押し上げるセンターバック。 真面目で知的な選手というのが管理びとが抱いていた名塚選手のイメージでもあります。 ペレイラとディドの2人だけで守っていたよーなズルズル下がるばっかりのザルのDFだったコンサドーレに、頼もしい選手が来て くれた!っと、ましてまだ20代の元代表選手なんて!!っと、そりゃー大騒ぎだったワケです(^-^;) ・・・ミーハーだからさ(爆
それが・・・・・・・・・・・・ 3月に開幕、4月に「GO NATSU!」ができ、5月にサイトへの写真掲載許可を本人にもらいに行ったのが初対面。 そのときの名塚選手の第一印象はと言うと、「いんたーねっと??」ってひらがなで聞き返され、?をいっぱい飛ばすほど、 現代文化に乗り遅れたヒトって感じ(爆 簡単に説明はするものの、「理解」と呼ぶには程遠い「わかった」という言葉を吐き、写真掲載については・・・ 「あ、いいよーーー。どんどんやっちゃってー」なんて肖像権を大安売りする始末(^-^;) しまいにゃ、色紙にサイン書いてもらえば、みほ嬢の名前を漢字で書けず、口頭での説明に「稲穂の穂?????」 「のぎへんって???」・・・?の大放出に「木書いて上にチョン!!」なんつーみほ嬢の怒号を受けるありさま(爆 そりゃー「ヘディングのし過ぎか・・・?」って心配する管理びとが普通だにょ・・・(^-^;)
元日本代表、暴れん坊軍団ベルマーレの元キャプテン、29歳ベテラン、デカイ図体、習志野ナンバーの高級車を乗り回す現役 プロサッカー選手の意外に素朴で天然な人柄・・・(((((((((((((((^-^;) そんな名塚選手の謎を解き明かすべく、突撃しに行ったのが1999年6月。 この突撃が「Long Interview」第1弾、「ナツ企画」でございます。 名塚選手への応援メッセージを募り、それを引っさげての突撃素人取材。 簡単なアポを取ってからの突撃だったとは言え、ノーギャラのサポのヒマ潰しに40分も外でお付き合いくださる優しさ。 同席した一同、大感激の日でありました。 この日に何気なく聞いてみた管理びとの一言、「札幌ではサポから何て呼んで欲しいですか?」の質問に・・・ 「う〜〜〜ん・・・殿だね、殿!」と甘えた馬のよーな瞳をウルウルさせて得意げに笑う名塚選手。 「コイツおいしい!」と管理びとに思わせてしまったのが、彼の運のツキ(爆 ・・・っていうか、耳も悪い管理びと。このとき「殿」を1度で聞き取れず「トド??」と意味不明な言葉を聞き返したのであった(爆 この日をきっかけに「ぼんくら」は、「コンサドーレと名塚選手を応援するサイト」へリニューアルすることとなるのです。
そして7月。競技場でも目を引いた「馬のイラスト」が入ったダンマク、通称「馬ダン」が完成。 早速、本人のサインを入れてもらうべく栗山の駐車場で馬ダンを広げた管理びと含む製作者一同。 周りにいたファンの方々だけでなく、近くで見てた洋平選手、大野選手にまで大笑いされた一品。 殿本人も大層気に入った様子で(管理びとの私見)、「いいねぇ!これ、ちょーだい!」とまたまたおいしいコメント。
更にズに乗った管理びとたちは10月、「誕生日おめでとう」メッセージを引っさげて「Long Interview」第2弾取材を決行。 これが「三十路企画」である。三十路男を捕まえて、その三十路をネタに突っつくあたり、かなり失礼コキまくり(爆 このときの取材ビデオを、「ぼんくら」がきっかけで知り合った殿のいとこさん経由で「名塚家ご親族一同様」に贈呈。 数ヶ月をかけて、全国に散らばるたくさんのご親戚一同様の各家庭を旅して回ったという幻のビデオ(爆 しかも、大好評だったと言うから・・・そんな「名塚家ご親族一同様」、めちゃくちゃナイス!でございます(^-^;) この翌日の試合で「祝!生誕30年!殿!」なんつー、更に失礼なダンマクを掲げてしまった製作者一同(わら そんなダンマクでも殿ったら・・・喜ぶなっつうの!!!(爆
ダンマクですっかり有名になった「ぼんくら」は2000年、更に有名になったダンマクを製作。 これが通称「殿のれん」。温泉によくある「殿」ののれんをヒントに製作した一品で、「温泉に浸かる馬のイラスト」が特徴。 しかも、色はなぜか青!※赤黒のダンマクが多い厚別では余計に目立つだろうという理由から(短絡的 室蘭入江の選手入り口真上でデビューした「殿のれん」。のれんをくぐって入場する殿を見て爆笑していたというバックスタンド 観客一同(^-^;) まさに製作者の意図どーりの反応に大満足でありました(爆 更にこの年の10月。前年に続く誕生日記念ダンマクは・・・「祝!三十路1周年!殿!」でありんす(わら
この年、管理びとは入社6年目。出張なんかも多くなり、なかなか観戦にも行けず、休みも取れず、更に自分の時間すら取れにくく なって来た頃です。 「ぼんくら」の更新周期も長くなり、更にはようやく取れた11月の夏休みに入る2日前、大好きだったじーちゃんが他界。 同居していた管理びとは、四十九日法要が終わるまでは多忙な毎日を過ごすのであります・・・。
そーこーしているうちに明けた2001年シーズン。 「ぼんくら」のネタとして貢献してきた殿が、ケガで出場機会が少なくなって来た頃に、管理びとの結婚が決まる・・・。 さらに忙しくなり、殿のネタ探しどころか試合観戦にすら、1stステージ最終戦・札幌ドーム開幕戦ともなったコンサvsマリノスの 試合を最後に行ったきりになってしまいました。 結局、今シーズンを最後に引退を決めた名塚選手。 こーーーんなにお世話になったのに、2000年の10月に会ったのが最後となりました。
引退のときには「お疲れ様!」「ありがとう!」の言葉を贈りたかったのですが、そんな時間も取れず・・・ それが一番の心残りです。 ・・・厚別でのピクシー最後の試合には、周囲の反対押し切って意地で厚別まで行き、通称「ピクシーカメラ」(爆)を持って写真撮り まくって来たのにさっ(^-^;) サイトを立ち上げて、たくさんの方たちと知り合って、管理びとの世界が変わったのは事実です。 そして、その仲間たちと、殿のおかげでこの3年間、とっっっっても楽しい時間を過ごすことができたと思ってます。 選手とサポは、「サッカーが好き!」っていう共通点で繋がっていることを教えてくれたのも殿です。 サッカーを身近に感じ、選手を身近に感じ、チームを身近に感じ、広い北海道も身近に感じ、そしてサポ同士をも身近に感じさせて くれた存在。 管理びとにとって、「ぼんくら」と「殿」はそんな存在です。 旦那サマになるヒトとも、サッカーを通じて知り合いました。 管理びとには、コンサドーレだけぢゃなく、女子サッカーで知り合ったヒトもたくさんいます。 「サッカー」「コンサドーレ」を話題に、面識のなかったヒトとも会話ができる。 スゴイことだと思います。 「ぼんくら」に、「殿」こと名塚選手に、「サッカー」に、「コンサドーレ」に、そしてみなさまに感謝です!
これからは、家庭と仕事の両立という生活が始まり、また忙しい毎日が続くようになりますが、お世話になった「ぼんくら」は 残して行きたいと思ってます。 管理びとが3年間で感じたよーに、「ぼんくら」を訪れる方々にも「サッカー」の楽しさ、おもしろさ、すばらしさを、こーゆー形ででも 伝えて行けたらなーーって思います。 女性のみなさん!サッカーは男性だけのスポーツぢゃないです!! ぜひ、サッカーやりましょ♪観戦とは違ったサッカーのおもしろさがわかるハズ(^-^)v 管理びとも、時間の許す限り、サッカーは続けたいと思ってます♪ そして、そんな女の子がたくさん増えたらいいなーー♪
最後に・・・ 殿!お疲れ様!そして、ありがとぉ! この「殿を懐かしむコーナー」は、殿が札幌でプレーしたっていう証拠・記念に残しておくよ! だから・・・時代に取り残される前に・・・インターネット始めたら?(爆 草々 2002年 元旦 あいみ@ぼんくら管理びと
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