火星年代記 著:レイ・ブラッドベリ 訳:小笠原豊樹 早川

2006.07.23

火星を開拓しに行った人類が体験する不思議、怪異、不安、恐怖、孤独、郷愁などを一連の短編群で
色んな角度から描き出したやつです。すげえ面白いよ!

これは、火星はどんな世界で、火星人ってのはどんな存在なのか?をしっかり決めてないんだよね。
むしろ「よくわからなさ」を火星や火星人の特質にしちゃうノリで、各エピソードのネタの為に新たに
設定されるから、その分だけ自由奔放に話が展開されるところがいい。

で、この火星ってアメリカで、火星人ってネイティブアメリカンみたいな感じの風刺っぽいのか?
っていうのは前半のキモである感じの「月は今でも明るいが」で宇宙船クルーのスペンダーが
火星人の文化を理解すると同時に地球人に対して批判的な意識に目覚めるんだけど、
征服者の傲慢ってテーマは、アメリカ人ならちょっとにおわせれば「おっ来た」って解るネタなのかな。
「華氏451」もマイケル・ムーアに「華氏911」でタイトルをパクられてるし・・・

いやっ、それはさておき、何つーかブラッドベリ作品の、恐怖って。
んー、人間が科学という武器で自信満々に勢力範囲を広げようとするその時、
何つーか、明りで隅っこの暗がりを照らすと、スッ、と黒い影が逃げ出したような気がする、
どこまで行っても、おいおい何か居るんじゃねーの?っていう不安。みたいな。
未知の世界への畏敬の念なのかなあ。

でも、その未知の世界に、人類がかつて持っていたが捨ててしまったものも紛れ込んでるよな。
エドガー・アラン・ポオみたいなのが。
素直に考えれば、宇宙人とおばけなら、おばけの方が怖いのかも知れないが・・・
あっ、おばけの方が本流なのかなあ。ごめんやっぱわからねえわ。

作品の後半では、地球の人類は戦争を始めてしまい、火星からも大勢の人が引き上げていく。
残された少数の人のエピソードも見所。あれだ、開拓地は開拓当初と寂れてからが味わい深いんだな。

最後の「百万年ピクニック」では、火星に降り立った家族に、いままで手を変え品を変えサービスしてきた
火星は何の怪異も不思議も供しない。彼等は火星人ではなく、火星人となった自分達を発見する。
「ピクニック」でもなきゃ、やってられない状況を理解して兄弟の前で強がってみせる兄が頼もしい。
そこで思うのだ、時たま気が滅入る我々の人生も「ピクニック」として生き得るのかも知れない。


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