[玲衣さんのプロフィール]
出身地:神奈川県川崎市
誕生日:1957年5月18日
血液型:AB型
性格 :とにかく明るくお喋りがだ〜い好きで話し出したらもう誰にも止められない(笑)。
とても優しくて気さくでいい人!
趣味 :車、カラオケ
[ 玲衣さんお薦めのアルバム ]
『タルカス』 エマーソン・レイク&パーマー
『こわれもの』 イエス
『クリムゾン・キングの宮殿』 キング・クリムゾン
『おせっかい』 ピンク・フロイド
『ライブ・イン・ジャパン』 ディープ・パープル
『ワン・ライブ・バジャー』 バジャー
『ナイト・アフター・ナイト』 U.K.
『エルトン・ジョン』 エルトン・ジョン
『悪魔と魔法使い』 ユーライア・ヒープ
『ジェラルドの汚れなき世界』 ジェスロ・タル (ロッキンf'87 12月号参照)
[ 2000年4月21日に当HPで発表の玲衣さんお薦めのアルバム ]
『InTheCourtOfTheCrimsonKing』 KC
『Tarkus』 EL&P
『Meddle』 PinkFloyd
『Fragile』 Yes
『LedZeppelin I』
『Queen II』
『NightAfterNight』 UK
『LookAtYourself』 UriahHeep
『ThickAsABrick』 JethroTull
『LiveInJapan』 DeepPurple
(以上現在入手可能な'70th BritishProgressive&Hardの中から選びました)
次点
『PerUnAmico』 PFM
『EltpnJohn II』
『AbbeyRoard』 Beatles
玲衣さんお薦めの入手やや困難アルバムベスト10
『クォーターマス』
『ポーン ハーツ』 バンダーグラフジェネレーター
『メイド イン イングランド』 アトミック・ルースター
『ネクサス』 アージェント
『ケストレル』
『トリアンヴィラート』
『ワン ライブ バジャー』
『リフュジー』
『マクドナルド&ジャイルズ』
『ドリーマー』 ニッキー・ホプキンス
あの流麗なる鍵盤さばきの起源は3歳から習い始めたピアノでした。'60年後半〜'70年前半のブリティッシュ・ロックがルーツで、特に影響を受けたミュージシャンはEL&Pのキース・エマーソンやDEEP PURPLEのジョン・ロード、元YESのリック・ウェイクマンなどなど。しかし、最初に手にした楽器は意外にもアコースティックギター。中学2年のことです。その翌年、親友2人と共に学校のフォークソング・クラブに入る。その目的は文化祭。当日は他の部員のバックをメインにやっていたが、一曲のみ演奏タイムをゲットし、CSN&Y の サザンマンをプレイ。玲衣さんはボーカルとサイドギター。他にエレキギターとベースがおり、ドラムレスのトリオバンドだった。そのバンド名は 『Red Line Revival』。これが玲衣さんが生まれて初めて組んだバンド。“ミュージシャン厚見玲衣”が誕生した記念すべき第一歩である。
バンドのメンバーと共に有名進学校である多摩高校に入学。努力家である玲衣さんの成績は常にトップクラスで、バンドと学業を見事に両立。漸くバンドにドラムも加わり、放課後、学校で日々CSN&Y のナンバーや、ロッド・スチュアートの『マギー・メイ』などを練習していた。ところが、そんな高校一年のある日、突然ヤマハのコンボ・オルガンを持って来て、「俺、今日からキーボードでいくから」と宣言! これが“キーボーディスト厚見玲衣”が誕生した瞬間である。それからバンドの路線はフォークがかったロックからブリティッシュ・ロックへ、マウンテンを経てディープ・パープルに、そしてバジャーへと変わっていった。
高校を卒業と同時に上京し、『薔薇卍』に加入。ところがプロデビューの話があったにもかかわらず、バンドは解散。しかし玲衣さんはすぐにかつての仲間を集め、薔薇卍とは全く違うタイプで、以前からやりたいと思っていたハード・プログレッシブ・ロック&ブリティッシュポップス・サウンドの『SIREN』を結成。高校在学時から作り続けてたオリジナル曲を引っ提げて、都内のライブハウス「オデッセイ」や「屋根裏」などで活動。コンテストに出場して優勝し、その後スカウトされ、西城秀樹などが所属する大手の事務所と契約。後にアルファ・レコードとも契約。バンド名を『MOON DANCER』と改名し、'79年3月にアルバム『MOON DANCER』で遂にデビュー! 21歳の時の事です。この時の名前は『厚見 麗』でリードヴォーカル&キーボード担当。かなりの声量と温かみのある声質なので、ボーカリストとしてもとても魅力的(^^)。 新しいタイプのバンドということもあり、また、所属事務所柄、当時はテレビなどに数多く出演。
しかし残念ながら音楽的理由により、一年半の活動の後、バンドは解散。心機一転、アメリカ人のドラマーとベーシストを迎え、新バンド『TACHYON(タキオン)』で活動再開。「超光速粒子」という意味を持つバンド名にふさわしく、サウンドもよりロック色の強いものとなった。が、しかし、このバンドはアルバム1枚を出したのみで、あまり長くは続かなかった。
'83年に難波弘之さんのバンド『SENSE OF WONDER』に加入、アルバム『真幻魔大戦』を発売。前後して数本のツアーも回った。このバンドはキーボーディストである難波弘之さんと共にキーボードを担当。ツイン・キーボード&ドラムという珍しい形態のトリオバンドだった。
時を同じくして'83年にBOW WOWのラストシングルとなる『絆FOREVER』に参加。その後、SENSE OF WONDERを辞め、元NOIZのボーカリスト人見元基さんと共にBOW WOWに正式加入。アルバム『BEAT OF METAL MOTION』の発売を機にバンド名を『VOW WOW』と改名。これより自身の名前を『厚見 玲衣』とし、新生VOW WOWは強力なハード・ロック・キーボーディストを迎え、更にサウンドの幅を広げていったのだった。そしてより活動の場を広めるべく、'86年11月にメンバーが渡英し、イギリスを拠点とした活動を展開。現地での売り上げも順調に伸びてランキングにも名前が載るようになり、ライブ動員数も着実に増えていった。その努力と実績が認められ、日本人としてはフェイセスの「テツ山内」以来の快挙でイギリス国内ミュージシャン・ユニオンへ正式加入。また、イギリスBBCラジオの代表的ロック番組「FRIDAY ROCK SHOW」のオープニング・テーマにも採用されるなど、VOW WOWの名前とサウンドは着実にイギリスのロック・シーンに浸透していったのだった。
ところが'90年10月、アメリカ進出を目前に惜しまれながらの解散。'92年、L.A.にて元Red Warriorsのギタリストであるシャケが新たに活動を展開していたバンド『CASINO DRIVE』に加入。VOW WOW後期にはデジタル・シンセをメインに多用してたが、今度は一転、アナログ・シンセにこだわりつつ、順調に2枚のアルバムを発売。日本、アメリカでのツアーも大成功し、これからという94〜5年頃、まさかの解散‥‥。
現在、日本のみならず海外アーティストのアルバム・レコーディングやライブにも数多く参加。自らを「ビンテージ・キーボーディスト」と語る玲衣さんこだわりのアナログ・ロック・キーボード・サウンドは、特にブリティッシュ系のロックファンの間で今なお根強く愛され続けています。