協働コーディネーター養成講座修了者の活躍する現場から 
第3回 NPO法人まちづくりネットワーク京都「アジアの中の京都」プロジェクト
〜その3 第三回例会「「漆器の歴史と技術」第四回例会「香の歴史と聞香体験」報告
西村 毅(監事、NPO法人まちづくりネットワーク京都代表理事)

特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは協働コーディネーターを養成する、協働コーディネーター養成講座を開催してきました。その成果として、協働コーディネーターとして各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、協働コーディネーターとして活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。

第3回は、前回に引き続きNPO法人まちづくりネットワーク京都の取組みとして、「アジアの中の京都」プロジェクトとその中での協働コーディネーターの役割等を紹介していきます。
  

1.プロジェクトの目的

京都文化は皇室をはじめ武家、芸道の家元、数寄者、旦那衆、近代では財閥といった文化の担い手(ある意味ではパトロンとして存在)が厳しい目を持って職人に最高のものをつくらせることで発展してきた。しかし近年そうした存在が少なくなったため高度に発展してきた文化はその担い手を失いつつある。そこで京都の文化を作り手の当主が語り、参加者が体験を通して楽しさを味わい、その楽しさすごさを口コミで広げていくことで多数の京都文化ファンをつくり、次代の日本文化のサポーターをつくっていくことを目的とする。

なおNPO法人まちづくりネットワーク京都・「アジアの中の京都」プロジェクトについては前々号を参照いただきたい。
  

2.第三回例会「「漆器の歴史と技術」報告

日 時 2003年11月24日 
 14:00〜講演・蒔絵見学 
 15:00〜店見学
 16:00〜呈茶
会 場 株式会社 象彦 呈茶のみ細見美術館
講 師 西村毅(鰹ロ彦副社長 まちづくりネットワーク京都代表理事)

進行
講演

鰹ロ彦の会議室において下記の講演があった。

1. 漆器の歴史について
日本ではBC4500年頃の遺跡から漆器の出土があるなど、古来より生産されていること。日本武尊が漆を発見し、その後いろいろなものに塗らせるといった記述が残っていることなどから独自の文化として発生したと考えられる。中国でも漆器の発掘があり、それぞれに発達したようである。
中国から伝わった漆器の技術は、正倉院の御物に見られるように大変高度なもので、それに触発された日本人が高い技術の漆器をつくりはじめる。その後中国では彫漆がもっとももてはやされる技術となっていくが、日本では蒔絵が高度に発達し、江戸時代には多く輸出されることになる。マリー・アントワネットも漆器のコレクションを持つなどおおいにもてはやされ、高額な漆器をまねてジャパニングという模倣漆器がヨーロッパでつくられるほどになった。中国がチャイナ(焼物)、日本がジャパン(漆器)と呼ばれる所以である。
中国からの技術伝播によって朝鮮半島の螺鈿、琉球の螺鈿等の漆器が生まれるほか、東南アジアの漆器、ロシアの塗り物も独自に発達している。ミャンマーのキンマは利休によって茶道具として用いられたことから知られるようになり、日本でも模倣のキンマが生産されるようになる。

2. 漆器の技法について
木地制作、塗り工程、蒔絵ほかの加飾工程について写真等を資料に説明があった。

3. 蒔絵意匠にみる日本文化について
蒔絵の意匠にはさまざまな要素が直接・間接に盛り込まれていることについて例をあげながら説明があった。瓢箪を6個描いて無病(六瓢)息災の意味を持たせる。波に兎の図を描き、謡の「竹生島」にある琵琶湖の湖面に月が映りあたかも波間に兎が遊ぶ姿を想起させるため、蒔絵の銘を「竹生島蒔絵」とする。など。
  

蒔絵工房見学
象彦内にある蒔絵師大蔵氏の工房で実際の蒔絵を見学。
図案の裏側に漆で輪郭をなぞり、その面を器物に押し当て図案を写し、そこに金粉をからませる「置目(おきめ)押し」からその輪郭にあわせて漆で図を描く工程、金粉を蒔きつける工程などを見学した。その後道具や材料の説明を受けた。蒔絵筆のうちねずみの水毛を用いてつくられる「ねじ」と呼ばれる細い筆が、ねずみがいないということですでに生産できなくなっていることなど直面する問題の話もあった。
  
漆器見学
上記の情報をもって店内の漆器について説明を受けた。塗りの種類には真塗、蝋色塗、柿合塗、一閑塗、溜塗、白檀塗等の手法があること。蒔絵にも平蒔絵、高蒔絵、研出蒔絵等があること。また京漆器がこだわる点として、塗った後に「研ぐ」工程を大切にすることで、器物の正確な形をつくっていくことを商品の比較のなかで確認していく等を理解し、少しながら参加者は目利きになったように実感していた。
  
呈茶
会場を細見美術館の茶席に移し、呈茶を受けた。亭主は道具を水屋から運び出し、季節のしつらえを感じさせる演出をしていた。参加者に対し、西村より実際に漆器が道具としてどのように組み合わされ、用いられているかを解説され、道具としての漆器の働きについて体験を通して学ぶ機会とした。

  
3.第四回例会「香の歴史と聞香体験」報告

日 時 2004年3月20日 15:00〜講演・聞香体験
場 所 香老舗 松榮堂 
講 師 畑正高氏(松榮堂社長)
進行
講演

畑社長より、日本における香の歴史をアジアとのかかわりの中で解説があった。なかでも室町時代の北山サロン、東山サロンにおいてサロン遊びとして香のいろいろな楽しみ方が考案されたこと。応仁の乱によって荒廃した京都から文化人がいろいろな地域に招聘され、各地に小京都と呼ばれる都市が生まれたこと。あわせて応仁の乱後の京都は、文化的に重要でなかった部分がそぎ落とされ、中身の濃い、深い文化の発展を見ることになる。そこから香道、茶道、華道といったものが生まれてくることから、京都文化における戦後は応仁の乱の戦後であるという言葉に京都の歴史を思い知らされることとなった。
  

聞香体験
畑社長・松榮堂のスタッフの指導により志野流香席組香の「宇治山香」を体験した。古今集の喜撰法師の歌で「我庵は 都のたつみ しかそすむ 世を宇治山と 人はいふなり」に因んだものである。

「我庵は」 として二包の香を準備
「都のたつみ」 として二包の香を準備
「しかそすむ」 として二包の香を準備
「世を宇治山と」 として二包の香を準備
「人はいふなり」 として二包の香を準備

二包のうち一包を順にきいていく。はじめに亭主は「我庵は」と言って客に香炉を渡す。客はその香をきいた後に次の客に「我庵は」と言って渡す。その後客は順に同様の作法で香炉をまわす。「都のたつみ」以降も同様にきいていく。客はそれぞれの香りを記憶しておかなければならない。最後の「人はいふなり」まできき終わると、亭主は残っている五種の香を打ち交ぜ、そのうちの一包を焚き「出香」と言って客にまわす。客はその香をきき、その香が「我庵は」から「人はいふなり」の五種のいずれであったかを考え、あらかじめ準備されていた硯箱で墨をすり、回答を紙に記す。
すべての回答が出揃うと、亭主は記録紙に答え合わせを記入していく。今回は正解者がひとりもいないというめずらしい結果となり、正解者が記念にいただくはずの記録紙を主催したまちづくりネットワーク京都で預かることとなった。
微妙な香りの差を楽しみながら出香の香りに集中する真剣な客の姿、正解が知らされるときの緊張感は楽しいながらワクワクするもので、再度の挑戦を思う人もあった。
  

後記
以上前回、前々回の報告とあわせ、計4回の例会を行った。企画したものからすると体験によって文化の理解を深めるのが趣旨であることに間違いはないのだが、4回のうち漆器の歴史と技術を題材にした第3回例会のみ、体験というより見学の色合いが濃い内容になった。今後の企画としてはできるだけ見学よりもなにかしら体験できる内容を重視したプログラムを準備する必要を感じている次第である。というのも、すべてに参加した人の反応として、体験のインパクトが大変強いことがヒヤリング等を通じてわかったためである。2004年度も引き続きいろいろな企画を実施しようと考えている。

以上でNPO法人まちづくりネットワーク京都の報告を終了させていただく。

※次号より、日米NPOの協働の実践報告を行います。
  

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