知の有効性を拓くーE.W.サイードのテキストを通して― 第8回
土田修(正会員、ジャーナリスト)
4.改憲論と非政府的視点 (その6)

(9)フィリピンの決断

―― 大義なき戦争
イラクで武装勢力に人質になっていたフィリピン人労働者が7月20日無事に解放された。フィリピン政府がイラク駐留派遣部隊の撤退を即断し、19日に完了したことを受けてのことだ。アロヨ大統領の決断に対し、「テロリストの要求に屈するな」と繰り返してきた米国と、その同盟国から批判の声が上がっている。日本もその例外ではない。「人質を取って他国の国民と政府を脅すような卑劣なやり方を認める訳にはいかない。脅しに屈してしまえば、新たな犯行を誘発する恐れがあるからだ。その原則に立てば、フィリピンの対応は人質を取った武装グループを勢いづけることになりかねず、賛同できない」(7月21日朝日新聞社説「アロヨ氏の苦しい決断」)「イラクにいる他のすべての国の人びとをこれまでよりさらに大きな危険に追い込んだ。テロリストの脅しに屈したことで、新たな犯行を誘発しているからである」(7月23日産経新聞・産経抄)。

だが本当にそうなのか? 英国の独立調査委員会は1年4カ月の調査を踏まえて14日、「フセイン政権は配備可能な生物化学兵器を保有していなかった」と結論づけた。報告書は「根拠のない情報で始められた戦争」とまで言い切った。その5日前の9日、米上院情報特別委員会は米政府の情報収集・評価に関する報告書で、米中央情報局(CIA)によるイラクの大量破壊兵器の情報が「誤り」だったことを正式に認めた。さらに報告書はフセイン政権と国際テロ組織「アルカイダ」との連携についても明確に否定した。イラク戦争は「戦争の大義」のない間違った戦争であったことが明らかになった。不正義な戦争。それは圧倒的な武力を持つ超大国による大規模なテロ行為国家犯罪以外の何ものでもない。各同盟国の派兵が国家犯罪への荷担である以上、どのような理由であれ即時撤兵すべきであろう。「ならず者国家」に対する先制攻撃を認めたブッシュ・ドクトリン(註1)こそ、テロの連鎖の元凶だったのだから。

―― 一次元的報道
アロヨ大統領の即時撤兵は国際社会に正義を取り戻すためにも妥当な決断だった。人質解放を受けた記者会見でアロヨ大統領は「決断に後悔はない。すべての人命は重要だ」と強調した。フィリピンの世論も「当然の選択だった」と好意的に受け止めた。なのに日本のマスコミの報道はいかがなものか? フィリピンは人口の1割に当たる800万人が海外で働いている。フィリピン経済は出稼ぎ労働者に支えられており、フィリピン政府も海外の労働者保護を重要政策の一つに掲げている。こんな特殊事情があるからこそ、「対応を誤れば政変にさえつながりかねないとの指摘もあり、(フィリピン)政府は国際協調より、国内の世論対策を優先させざるを得ない状況」(7月17日朝日新聞朝刊)に追い込まれ、その結果、撤兵に踏み切った……。

人質事件が起きても「飢えで死ぬより爆撃で死ぬのがましだ」とイラク行きを志願するフィリピン労働者。朝日新聞の記事は、マニラの人材派遣会社に殺到する貧しく哀れなフィリピン人の姿を紹介し、「抗議運動が武器となることを知る民衆によって政権を追われる可能性もある」という民間調査機関のコメントで締めくくられている。庶民感情を害すれば暴動や政変が起こる遠い南の国。日本のマスコミは知らないうちに、アジアの中でオリエンタリストに魂を抜き取られていた。「東洋人は後進的、退行的、非文明的、停滞的などさまざまな呼称で呼ばれる他の民族とともに、生物学的決定論と倫理的政治的教訓からなる枠組のなかに置かれてながめられた。かくて東洋人は嘆かわしい異邦人という表現がもっともふさわしいようなアイデンティティーを共有する、西洋社会のなかの諸要素と結びつけられたのである」(註2)。東洋人をフィリピン人、西洋社会を日本社会に置き換えてみれば、サイードの言葉はそのまま朝日新聞の記事に当てはまる。

――フィリピン政治のしたたかさ
フィリピン軍の撤退についての日本のマスメディアの報道は悪意に満ちている。フィリピンには特殊事情がある。海外の出稼ぎ労働者が国家経済を支える貧しい小国。民衆を怒らせると政変が起きる非民主的で野蛮な国。そんな取るに足らない国が撤兵したところで世界情勢には何の影響もない。もっと言えば日本人の人質事件が再び起きても日本はテロに屈して自衛隊を撤退させる必要はない、ということだ。フィリピンを特殊化し、フィリピン軍の撤退を取るに足らない問題と矮小化することで、知らないうちに日本のメディアは自衛隊を派遣し、不正義な戦争に荷担した日本政府を擁護していることになる。

さらに、朝日新聞をはじめ日本のメディアのフィリピン理解は極めて浅薄だとしか言いようがない。フィリピンは長年スペイン、アメリカの植民地だった国だ。フィリピン人はスペイン文化やカトリックを尊重しながら、独立を求めて立ち上がった。米西戦争の結果、アメリカに支配が移るとアメリカ型民主主義を受け入れた。日本の軍政時代を経て1946年に独立した後は、旧植民地宗主国のアメリカとの関係が政治の枠組みを決定付けるようになった。米国憲法を模したフィリピン憲法を制定し、非常大権を持つ大統領の下、フィリピン政府は親米反共路線を進めてきた。安全保障の面でも戦後、米軍に基地を提供し、アメリカのアジア戦略の要の地位を占めてきた。

「アメリカの属国」と見られがちなフィリピンだが、実はフィリピン政府は日本政府と違い、対外政策上、アメリカに一定の距離を取ってきた。例えば、ベトナム派兵問題をめぐる当時のマカパガル大統領とマルコス大統領の対応が挙げられる。ベトナムの泥沼に足をとられたアメリカはフィリピンに協力を求め、マカパガルはベトナム派兵を決めた。しかし医療、民生活動要員を若干名派遣しただけで、アメリカを手玉に取った。マルコスはベトナム派兵反対を掲げて大統領選に出馬。当選後は一転、派兵方針に転換した。マカパガルに見切りを付けたアメリカがマルコスに多額の経済援助を約束したからだと言われている。ところがマルコスが派兵したのも、戦闘部隊ではなく民生部隊2000人だった。しかも再三、アメリカから追加派兵の要請を受けたにもかかわらず、戦局の転機となった68年2月のテト攻勢後は漸次、兵力を削減し、69年には同盟国に先駆けて全面撤退している。後日、マルコスがジョンソン大統領から派兵のため4000万ドル近い秘密予算を受け取っていたことも判明。マルコスの面従腹背ぶりにジョンソンは顔を真っ赤にして激怒したというのも頷ける。背景にはマルコスの対米路線調整と的確な政治判断があった。「介入程度、撤退時期など、いずれもベトナム情勢を的確に読み取ったうえでの決定と見られる」(註3)。

――民主主義の質
イラクからの早期撤兵を実行したアロヨ大統領の今回の判断はフィリピン政治の伝統を受け継ぐものだ。何ら特異なものではない。「国内世論の支持を集めて政権の基盤は強まったが、米国など国際社会との信頼回復という課題も抱え込んだ」(7月21日朝日新聞朝刊)という日本マスコミのお節介な懸念とは別に、アロヨ大統領は今まで通りの対米政策を遂行するだろう。そして、国益重視と海外の出稼ぎ労働者保護というフィリピン政治の中心課題を、二枚腰としたたかさで乗り切ることだろう。アロヨ大統領はアメリカを翻弄し手玉に取ったマカパガルの娘なのだ。

日本政府が対外的にフィリピン政府のようなしたたかな政策を打ち出すことは不可能だ。イラクで人質になった日本人はジャーナリストであり、NGOメンバーだった。彼らはいわば日本の出稼ぎ労働者だ(もちろんNGOは非営利活動なので'出稼ぎ'活動者というべきであろう)。日本政府は出稼ぎ労働者を空虚な「自己責任論」で切り捨てた。彼らを「反日分子」と罵詈雑言を浴びせたのは一政治家だけではなかった。それに同調したマスコミや識者らも多かった。基調になっていたのは個人の利益よりも国家の利益を優先すべきだとの立場だ。こうした世論を背景に、自民党は「個人」に対して「国家」「愛国心」を前面に押し出した憲法改正案を公表した。戦後、個人の権利を大切にする風潮が広がり、社会や家族が崩壊した。それを立て直すためには国家や社会を重視することが必要だという考えだ。日本の民主主義は一般市民の意識とは別に大きく方向転換しようとしている。

一方、フィリピンの民主主義の基本は個人主義だ。マスコミも識者も国家や政府に対して異議を唱えることを恐れない。アロヨ大統領も自分の大統領選のため国家予算を流用したとして提訴されている。マスコミも個人を大切にし、多様で多彩な活動を擁護する点で共通している。背景にはパキキサマとウタン・ナ・ロオブというフィリピン人特有のメンタリティティがある。「パキキサマ、すなわち深い友愛の情は、個人どうしのあいだの尊敬と助け合いを意味するのに対して、ウタン・ナ・ロオブは、自分をたすけてくれた友だちまたは他人に、受けた恩義をかえす義務を言うことばである」(註4)。国民的歴史学者のアゴンシルリョが説明する二つの伝統的態度こそがフィリピン型民主主義を特徴付けている。パキキサマに似たメンタリティティはかつての日本にもあったはずだ。

イラク戦争への対応、個人の尊重、対米政策の調整、そして民主主義の質。フィリピンの民主主義が相互扶助の精神に基づいた自発型民主主義であるとすれば、日本の民主主義は一次元化した国家依存型民主主義だ。しかも一部マスコミや週刊誌、インターネットの掲示板が一斉に牙をむいて弱者(国家や政府に異を唱える異端者のこと)に襲いかかり、国家への奉仕を強いる相互監視型民主主義だ。「公と私」「社会と個人」の関係が国家や政府にハイジャックされそうになっている。多様で多彩なマイノリティーの価値を認める健全な民主主義を回復するためにも、フィリピンから学ぶことは多い。

 

(註1)02年9月ブッシュ政権が発表した国家安全保障戦略。圧倒的な軍事力を維持し、大量破壊兵器を開発している疑いのある敵対国家やテロ組織への先制攻撃を容認している。国際条約より米国の立場や利益を優先させる内容で、03年3月のイラク開戦で初めて適用された。
(註2)E.W.サイード「オリエンタリズム」下P23(平凡社刊)
(註3)アジア現代史シリーズ2「フィリピン マルコスからアキノへ」(アジア経済研究所刊)P59
(註4)アゴンシルリョ「フィリピン史物語」(勁草書房)P3
  

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