日本でも報道されたように、3月12日の韓国国会による大統領弾劾決議によって、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、職務権限停止措置に置かれている。くだらない政党間の政争によって、国家元首が職務権限停止に追い込まれたことは、韓国の市民に大きなショックを与えたようだ。こうして始まった弾劾政局は、4月15日に実施された、第17代国会議員総選挙における大統領与党「開かれたウリ党」(ウリは、「我々の」の意)の大勝利によって、終息局面に入った。日本での報道は、イラク人質報道にかき消された部分もあったものの、概して、(1)議席を三倍増させたウリ党の大勝利による、盧武鉉政権の安定化、(2)若手政治家及び女性政治家の大挙進出による韓国の古い政治体質の転換、そして(3)一部に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題や拉致問題における日本、米国との協調を求める論調に集約されたといえる。NPO協働e−newsでは、お隣韓国のミラクルな政治劇の深層を探る。
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1.盧武鉉大統領誕生以来の引き続く政争 誕生以来、少数与党による政権運営に苦心していた盧武鉉大統領にとって、これまで、特色ある政策が何一つまともに実行できずに来た。 盧武鉉政権は、分断国家の一方であり、また、これまで戦争を含めて軍事的に対立をしてきた北朝鮮との間で、戦争など突発的な事態の起こる危険性を取り除き、安定的で、共同繁栄しうる新たな国際秩序を東アジアに築き、国内的には、政治の旧弊を一掃し、経済発展と未整備な福祉など社会分野のシステムも築いていかなければならないという課題を抱えてスタートした。しかしながら、こうしたシステムの大転換を強力に推し進めるには、国会内少数与党の立場は弱すぎた。この間、多数野党ハンナラ党を筆頭に、政治家たちはくだらない政争に明け暮れ、政策的な裏づけのない、旧態依然たるイデオロギー論争や足の引っ張り合いに終始した。 その一つの象徴的な犠牲が、北朝鮮への大規模観光開発事業に巨額の投資をおこなってきた「現代アサン」グループ会長の投身自殺であった。正常な国家関係を結んだ国同士であれば、海外への投資を資産として算定し、それを担保に銀行から融資を受けることができる。この当たり前のことが、北朝鮮に対する投資には制度上認められていない。すべて、損金扱いになり、融資は受けられず、「現代アサン」は資金がショートしたのである。韓国も北朝鮮もともに、憲法上は、相手方の政権を認めていず、不法に自らの領土を占有している集団と規定している。米ソの冷戦対立の中で、同族が殺しあった朝鮮戦争を経験した敵対構造は、いまだに法体系として残っているのである。朝鮮半島では、こうした過去の敵対システムを平和で共同繁栄可能なシステムへと移行する過渡的な段階にあり、この移行期の現実を認めて、「現代アサン」への資金支援を政府がおこなおうとしたものの、多数派野党ハンナラ党が全て国会で阻止してきたのである。 政治家は、政治的理念・ビジョンに向かって国家を牽引するリーダーシップが必要であるとともに、その実行に伴う現実を予測し、受け止める冷徹な判断と結果に対する責任が必要である。このうち一方だけでも不十分であるが、韓国国会は、この両方とも持ち合わせていない政党・政治家によって弄ばれてきたというのが市民の実感だろう。
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2.大統領弾劾の衝撃 大統領弾劾決議を通すには、憲法上、国会(当時議員総数273名)の3分の2以上の議員の賛成が必要である。こうした中で、3月12日、野党である民主党(当時、61議席)とハンナラ党(当時、137議席)によって、大統領弾劾決議が通過した。国家元首が、政争の結果として職務停止に追い込まれるという前代未聞の弾劾ショックもさることながら、この弾劾決議を通した「国会議員の3分の2以上」という数字が、市民に大きな脅威を与えたようだ。国会議員の3分の2以上の議席を組織すれば、韓国では憲法改正が可能であり、盧武鉉大統領の権限を弱め、国会で選出する総理大臣に強大な権限を与える憲法改正を実施するという議論も公然と多数野党から出始めていたのである。 市民たちは、こうした国会の動きを、国会による「クーデター」と表現し、政治に対する危機感を強めたというのが実際の雰囲気だといえる。
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3.50万人の市民が参加したキャンドル集会 昨年から、各NGOが国会議員総選挙に向けて様々な取り組みをスタートさせていた。今回の選挙を前に、選挙法が改正されて、各政党候補者の女性割り当て制が導入され、結果として女性議員が多数誕生したが、こうした制度改革の裏には、女性団体連合などNGOの強力なロビー活動が存在する。前回2000年の総選挙で有名になった「落選運動」も継続して、問題政治家の落選活動を展開した。また、市民の側から政治家候補を擁立し当選させて、にごった政界の水を清めようという「ムルガリ連帯」などの運動も取り組まれた。こうした、NGO側の活動は、弾劾政局以降はほぼストップの状態になり、韓国のほぼ全てのNGOの力が弾劾反対に集中的に投入されたようだ。 NGOは、「弾劾無効 全国民行動」というネットワークを組織し、弾劾の無効を求めるキャンドル集会を連日開催した。インターネットでの訴えを通じて、多くの市民がこのキャンドル集会に参加した。3月末には、ソウルで50万人の市民がこの集会に参加した。参加者も、80代から、10歳に満たない子どもたちまで、多様な年齢、階層にわたっていた。連日の弾劾無効要求集会で歌われ、有名になったのが、「我らは無敵の投票部隊」という歌である。混乱した社会状況の中ではあるものの、市民の自負心と、投票を通じた意思表示によって事態を打開しようという楽観した雰囲気が伝わってくる。インターネット上では、様々なチャットルームで弾劾問題について、議論が交わされ、オフラインのミーティングを弾劾集会の場でおこなおうというチャットルームが多数存在した。ネット上では、弾劾問題のパロディーがアニメーションなどで多数出回ったという。 弾劾政局以降、液状化した政界では、まるで喜劇を見ているような光景が続いた。弾劾決議の引き金を引いた民主党のある議員は、頭を丸めてテレビカメラを前に土下座をし、候補者が大量辞退する状況に陥った。ハンナラ党は自らを、悪さをしてお母さんに鞭打たれた子どもと表現し、これ以上は悪さをしないと哀願するCMを流す。韓国のNGO活動家は、こう言った。「悲しい喜劇を見ているようです」と。 90年代前半、韓国の政治が膠着し、なんら現実的対応力を失った時期があった。弾劾政局の下で混乱する韓国を目にして、その時のことが思い浮かぶ。当時、高騰する地価に、家を失う人々が急増する一方で、無策な政治家たちは政争を繰り返していた。結果は、市民から大量の抗議自殺者が連続したのである。社会混乱の極みであった。今回も、こうした市民側からのオープンな議論と圧力がなかったとしたら、市民側から意見を発露する努力がなかったとしたら、多くの抗議自殺者が出たのではないかと、その時のことが思い返される。 現在、韓国の学者たちの間で、韓国のNGOに対する研究熱が急速に高まっているという。弾劾政局以降、韓国の政界は、完全に液状化してしまった。弾劾を可決させたハンナラ党も、民主党も、国民から総すかんをくい、政局に対する影響力を完全に喪失、党内内紛が激化し、指導部が完全に入れ替わる事態に発展し、かたや少数与党のウリ党もそもそも政局に対する影響力をもちあわせていなかった。こうした政界が発信源となった大規模な社会混乱に対して、もっとも事態収拾に向けて影響力を発揮したのがNGOだというのである。こうした中で、急速に学界における韓国NGO研究の関心が高まっているという。 いずれにせよ、韓国の市民は、弾劾政局に続く今回の総選挙で、いくつかのドラスティックな意思表示をおこなった。当選者の70%以上が50歳以下であり、古い政治家たちが大挙して政界を去った。さらに、前回11人だった女性議員は39人へと三倍ちかく増加し、旧来の「金権政治」や「ボス型政治」が終焉し、政策中心の政治を求める声が明確になった。さらに、盧武鉉政権が信任を得たことで、北朝鮮に対する政策、いわゆる南北関係にドライブがかかるだろう。いずれにせよ、スタート地点に立ったにすぎず、新しい政治家たちがどのような仕事振りを見せていくのか、これからの韓国政治に注目する必要がある。
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