Vol.53  2009年1月1日号

  「地域のニーズを研究のシーズに変える」、大学の地域連携とは

       宇野文夫 ( 金沢大学地域連携推進センター 地域連携コーディネーター・客員教授 )

キーワード: 連携達成度 連携効率 ビジョン 仕掛け

 「地域のニーズ(要望)を研究のシーズ(種)に変える」。大学で地域連携を担当する者にとってこんなにおいしい話はない。 地域課題の解決 そのものが、大学の研究となって実を結ぶのだから一挙両得とも言える。地域連携コーディネーターは、いつもそんなことを考えている。私は民間企業出身で、実務型の専門家としてコーディネーターに採用された。辞令交付式のとき、当時の副学長から「大学が地域とどうかかわっていけばよいか、四六時中考えていてほしい」と訓示があっただけだ。地域連携のマニュアルは一切なく、すべて手探り。地域連携とは何かを自問自答し、自らイマジネーションを膨らませ行動に移している。その試行錯誤の数年間で得た一つの結論が冒頭のフレーズである。そんな魔法のような話といぶかる向きもあるかもしれないが、地域は大学にとって「研究の宝庫」、品よく言い換えれば「研究のフロンティア」になろう。以下、実例を示す。

1.大学は「社会貢献」より「地域連携」

 2004年の国立大学法人化をきっかけに、大学の役割はこれまでの教育と研究に社会貢献が加わり、大学の知を地域社会に活かす地域貢献の試みが活発化している。大学によっては、「地域連携」と称したりもする。金沢大学もその担当セクションの名称を地域貢献推進室(02〜04年度)、社会貢献室(05〜07年度)、地域連携推進センター(08年度〜)と組織再編に伴い変えてきた。民間企業だと、さしあたりCSR推進部といったセクション名になるだろう。CSRは企業の社会的責任( Corporate Social Responsibility )をいい、企業が利益を追求するのみならず、社会へ与える影響に責任を持ち、社会活動にも参加するという意味合いだ。大学の場合はもともと利益を追求しておらず、本来の使命は教育と研究であり、その公益性からして社会貢献である。金沢大学でも地域貢献推進室の設立に際して、「大学の使命そのものが社会貢献であり、さらに社会貢献を掲げ一体何をするのか」といった意見もあったようだ。同じことを旧知の新聞記者からも聞いた。「新聞社にはCSRや社会貢献という発想は希薄だと思う。もともと社会の木鐸(ぼくたく)であれ、というのが新聞の使命なので、仕事をきっちりやることがすなわち社会貢献」と。この意味で大学が社会貢献を標榜することは「屋下に屋を架す」の例えのようにも聞こえ、それより何より個人的には気恥ずかしさを感じる。むしろ、地域連携とうたった方がシンプルで分りやすいと思っている。

 では、大学の地域連携とは何か。国立大学の担当セクションを見渡してみると、取り組み方法はインドア型とアウトドア型の2つのタイプに分類できそうだ。インドア型は、窓口を開いておいて地域から相談があれば対応するというもの。持ち込まれた課題に関して、その課題解決に知恵を貸してくれそうな教授陣(教授や准教授)を紹介する。この方法は多くの大学で実施されていて、金沢大学でもさまざまな案件が持ち込まれる。先日も石川県内のある自治体から「人口減少に伴い公共交通の見直しをしなければならない。識者を交えた諮問委員会をつくりたいので専門の教授を紹介してほしい。できれば教授には座長に就いていただきたい」と要望があり、交通工学の教授を紹介した。ほかにも離島振興、商店街の振興策など地域にはさまざまな課題がある。中には、地域の祭りに欠かせない山車を動かすのに人が足りないので学生を派遣してほしいとの相談も。聞けば、過疎化が進み地域の伝統の祭りが継続できるかどうかの瀬戸際に立っている、という。わざわざ大学を相談に訪れるとうことはそれなりに課題は深刻なのだ。そこで急きょ、 スポーツ教育 の教授にお願いし、ゼミナールの学生を動員してもらった。多種多様な相談事が持ち込まれるものの、すべての案件に十分対応できるわけではない。さらに、仮に相談には乗ることができても、時間を割いて現場に足を運んでくれる熱意のある 教員 となるとそう多くはなく、もどかしさを感じることもある。これは何も金沢大学に限った話ではない。

 だからといって、「大学の殻に閉じこもって、学生だけを相手にしている教授陣に地域連携なんてやれっこない」などと思わないでほしい。こちらから出かけて行って地域課題に取り組むアウトドア型もある。地域に拠点を設け、そこに研究人材を配置して課題に真っ向から取り組むタイプである。これから紹介するアウトドア型の取り組みは稀なケースといえるかもしれない。 別な表現 すれば「大学らしからぬこと」でもある。そして、キーワードを先に明かせば、「連携効率」と「連携達成度」、そして「ビジョン」と「仕掛け」の4つである。

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2.「能登里山マイスター」養成プログラムを投入した背景

 能登半島の先端にある石川県珠洲市三崎町。廃校となった小学校を再活用した「能登学舎」で2007年10月6日、社会人を対象にした人材養成プログラムの開講式が執り行われた。開講式のあいさつで、金沢大学の 橋本哲哉理事・副学長(当時)は「能登に高等教育機関をという地元のみなさんからの要望があり、きょうここに一つの拠点を構えることができた。環境をテーマに能登を活性化する人材を養成したい」と力を込めた。 ここで学ぶ1期生は19歳から44歳までの男女15人。金沢から2時間30分かけて自家用車で通う受講生もいる。開講式では、 受講生も自己紹介しながら、「奥能登には歴史に培われた生活や生きる糧を見出すノウハウがさまざまにある。それを発掘したい」「能登の資源である自然と里山に農林水産業のビジネスの可能性を見出したい」などと抱負を述べた。志(こころざし)を持って集まった若者たちの言葉は生き生きとしていた。あいさつと看板の除幕という簡素な開講式だったが、かつて小学校で使われていた紅白の幕を学舎の玄関に張り、地元の人たちも見守った。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムはこうして船出した。では、このプログラムは地域連携を通じて何を目指して、どのようなビジョンを描いているのか述べてみたい。

(1)能登の地域再生は「待ったなし」

 まず、能登の現状についていくつか述べたい。 能登 半島の過疎化は全国平均より速いテンポで進んでいる。とくに奥能登と呼ばれる4市町の人口は合計7 万8千人 (輪島市3万1千人、珠洲市1万7千人、穴水町1万人、能登町2万人) だが 、7年後の2015年には17%減の6万5千人、高齢化率(65歳以上の年齢割合)が44%を占めると予想される ( 石川県推計) 。 この過疎化はさまざまな現象となって表出している。先に述べた祭りの相談と少々話はだぶるが、 能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズンとなる。伝統的な祭りはキリコを担ぎ出す。キリコは祭礼用の奉灯が巨大化したもので、その高さは12メートル、重さ2トンにも及ぶ。黒漆と金蒔(まき)絵で装飾されたボディ、錦絵が描かれた奉灯、各集落で立ち上がったキリコが鉦(かね)と太鼓のリズムに乗って社(やしろ)に集ってくる。ところが、華やかな祭りの中にも能登の現実が垣間見える。キリコは本来担ぐものだが、キリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて集落に若者が大勢いたころはキリコを担ぎ上げたが、いまは担ぎ手が足りずそのパワーはない。車輪を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くあり、神社の倉庫に伝統遺産が眠ったままになっている。

 さらに、2007年3月25日に発生した能登半島地震。マグニチュード6.9、震度6強。この震災で1人が死亡、280人が重軽傷を負い、370棟が全半壊、2000人余りが避難所生活を余儀なくされた。自宅の再建を断念し、慣れ親しんだ土地を離れ、子や孫が住む都会に移住するお年寄りが後を絶たない。能登の過疎化に拍車がかかっている。能登の地域再生は「待ったなし」の状態となった。

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(2)次世代の里山の担い手を養成

 こうした奥能登の現状に、金沢大学「里山プロジェクト」の代表研究者、中村浩二教授らが中心となって「能登里山マイスター」養成プログラムが構想され、2007年度の文部科学省科学技術振興調整費 (註 1 ) の採択を得てプログラムは動き出した。中村教授は昆虫の生態学者である。フィールドワークで能登に出かけた経験から、「能登の里山は荒れている」と中村教授がよく引き合いに出す話がある。20 06年5月、能登半島を訪れた小泉純一郎首相(当時)は、輪島市にある国指定の名勝である 「白米(しらよね)の千枚田」 を眺望して、「この絶景をぜひ世界にアピールしてほしい」と賞賛した。展望台から見渡す棚田の風景は海の青とコントラスを描き、確かに絶景である。しかし、その周囲を見渡すと、同地区14ヘクタールの水田のうち、耕作されているのは小泉首相が眺望した4ヘクタールにすぎない。3分の2以上が後継者不足により休耕田や放棄田となっているのだ。「名だたる観光名所の里山景観ですら危うくなっている」。中村教授らのこの危機感がベースとなり、能登の里山を次世代に引き継ぐ人材養成の拠点を能登に築こうという発想が生まれた。


国の名勝、「 白米 ( しらよね ) の千枚田」。海に突き出たリアス式海岸の斜面地に棚田が広がる=石川県輪島市 白米町

(3)金沢と能登に広げる「里山プロジェクト」

 ここで、金沢大学の里山プロジェクトを手短に説明する。金沢大学が総合移転した角間キャンパス(201f)は、もともと金沢市の郊外に位置する里山だった。中村教授らを中心に、グラウンドや校舎群を除いた里山ゾーン(74ヘクタール)を生涯学習の一環として市民とともに活用することを発案し、1999年に 「角間の里自然学校」 を開設した。2005年には文部科学省から地域との連携融合事業として認められ、スタッフも増強された。この年、金沢大学は新制大学の創立50周年を記念して募った寄付金で、築300年の古民家(建坪110坪)を石川県白峰村(現・白山市)から譲り受けて里山ゾーンに移築した。この記念館が里山プロジェクトの活動拠点となった。活動は活発で、市民ボランティア「里山メイト」と協働する棚田の復元や里山の保全、植物観察、木質バイオマスの活用研究、親子農業体験学校などの多彩なプログラムが動いている。さらに、里山の地域おこしのリーダーとして活躍する北陸在住の42人に「里山駐村研究員」の委嘱状を渡し、里山活動のブレインとなる人材ネットワークを構築した。そして、里山プロジェクトが能登に拠点を構えたのは06年10月のこと。三井物産環境基金 (註 2 ) の支援を得て 「能登半島 里山里海自然学校」 のプログラムをスタートさせた。活動拠点は、廃校となっていた3階建ての小学校校舎を珠洲市から無償で借り受けたもの。ここに配置した常駐研究員1人がコーディネーターとなって、市民と共に能登の里山に どのような生き物がどれだけいるかを調べる「健康度調査」(生物多様性調査)や里山の保全活動を実施している。そして2007年10月、里山里海自然学校と同じ施設を活用して 「能登里山マイスター」養成プログラムが動き出した。金沢と能登で展開するこれら里山をテーマにした研究と人材養養成プログラムをまとめて「里山プロジェクト」と称している。


築300年の養蚕農家を移築・再生した金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」。里山プロジェクトの活動拠点になっている=金沢市角間町


生物多様性調査などを目的に設立された金沢大学「能登半島 里山里海自然学校」。廃校となっていた小学校校舎を再活用した=珠洲市三崎町

(4)「里山マイスター」プログラムは地域連携のシンボル

 里山プロジェクトの中で、「能登里山マイスター」養成プログラムは能登における地域連携のシンボル的な存在となっている。能登の現状を鑑みて、金沢大学が地域再生の切り札として投入した人材養成プログラムであるものの、大学が単独で成しえる事業では到底ない。何しろ 大学から距離にして150キロ、乗用車で2時間20分かかる能登半島の先端に里山マイスター能登学舎はある。さらに、5年間で60人の「里山マイスター」を養成するとうたってはいるものの、地元での受講生の募集業務は並大抵ではない。それより何より、環境に配慮した第一次産業の従事者を養成するのだが、金沢大学には農学部や水産学部がないのである。地域の自治体や民間との連携がなければ、プログラムの立ち上げですら危うかったかもしれない。大学から協力を求めたというのが実情である。

(5)2市2町と「地域づくり連携協定」

 「能登里山マイスター」養成プログラムをめぐって、 大学と地域はさまざまなかたちの連携をとることになる。その第一弾は 「地域づくり連携協定」だった。「里山マイスター」プログラムを開講するのに先立って、 奥能登の地域自治体である 輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の2市2町、それに石川県立大学(農業系)にも加わってもらい、連携協定を結ぶことから始めた。連携協定の話を大学側から自治体に提案したところ、反応は速かった。能登の現状を好転させたいと苦心しているのは地元自治体で、さまざまな地域課題を持っている。自治体側が大学に協力を求めようとしても心理的に敷居が高いものだ。それが、大学の側から連携協定を結ぶことを提案したので、自治体も歓迎してくれた。協定の内容は地域再生、地域教育、地域課題の3点について包括的に協力するという ごく簡単 なもの。2007年7月13日、金沢大学の林勇二郎学長(当時)、県立大学の丸山利輔学長、輪島市の梶文秋市長、珠洲市の泉谷満寿裕市長、穴水町の石川宣雄町長、能登町の持木一茂町長が顔をそろえて調印に臨み、 2人の学長と4人の自治体 首長がしっかりと握手を交わした 。里山マイスターの能登学舎がある 珠洲 市の泉谷市長は「能登には高等教育機関がないので、若い人材が都会に流失していく。この人材養成プログラムがUターン希望者らの呼び水になってほしい」と調印のあいさつの中で強調した。

 自治体との連携の中身を紹介しよう。大学側から2市2町に依頼した内容は (1)行政広報による受講希望者の募集(2)自治体の若手職員のプログラムへの派遣(3)県外からの受講生ならびにプログラムの教員スタッフの定住のケア…の3点。このうち、(2)の自治体職員のプログラムへの派遣については、1期生と2期生合わせてこれまで8人が推薦され、受講生として学んでいる。この8人のうち4人の受講生を出しているのが珠洲市役所。大学連携の窓口となっている企画財政課の金田直之課長補佐は若手職員のプログラム派遣について、「地域行政では一人が何役も掛け持ちしていて、なかなか研修の機会に恵まれない。そこへ、環境と人材養成をテーマに大学が能登に来てくれたので、これはチャンスだ、行ってこいと若手を送り出した」「将来、第一次産業や地域づくりのプランナーに育ってほしいし、将来の自分の財産だと思って大学の研究陣と人脈づくりをしてほしい」と期待を込めている。

 また、(3)の定住のケアに関しては、奥能登には貸家などを斡旋してくれる不動産業者はなく、自治体から空き家の紹介を受けるかたちになる。自治体の職員が奔走してくれたおかげで、現在、県外からの受講生と教員スタッフ合わせて8人がそれぞれ空き家やアパートにスムーズに入居できた。男性の教員スタッフはさらに家族を呼び寄せ、ベビーも誕生した。人口の減少に歯止めがかからない奥能登に少しは恩返しができたかと思っている。


•  地域づくり連携協定の調印後、奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の首長と金沢大学の林勇二郎学長(当時、中央の白いジャケット)らが能登の再生を誓い握手を交わした= 2007 年 7 月 13 日、能登空港ターミナルビルで

(6)県庁内に 「里山マイスター連絡会」

 この連携協定がきっかけで思わぬ展開もあった。能登の自治体と大学の連携が新聞やテレビで報道され、機敏に反応したのは意外にも石川県議会だった。県議会企画総務委員会の7人の議員が「金沢大学が能登でやろうとしていることを説明してほしい」と 能登学舎にバスで乗り付けたの は、連携協定の調印から1ヵ月余り経った8月のこと。県議会の総務企画委員会というのは各会派のベテラン県議、いわゆる「うるさ方」が集まる委員会である。議員が視察をしたということで、今度は県庁内での動きへと展開する。庁内で部局を横断的につないだ「里山マイスター連絡会」が組織された。8月3 1日の初会合には企画振興部地域振興課がまとめ役となって、環境部自然保護課、商工労働部産業政策課、観光交流局観光推進課、農林水産部企画庁調整室、同部中山間地振興室などの関連セクションから課長や課長補佐、主幹、専門員といった中堅クラスが横断的に集まった。大学の一つのプログラムのために県庁内で連絡組織ができ上がったのである。「おそらく前例のないこと」(森田美恵子県地域振興課長)なのだ。

 

3.あざなえる縄のような大学と地域の連携

 大学のプログラムにこれほどまでに行政が機敏な動きを見せたのには、実は理由がある。 「能登里山マイスター」養成プログラム は文部科学省科学技術振興調整費の「地域再生人材創出の拠点形成」という課題で申請した。国の第67回総合科学技術会議で採択されたのは5月18日。この課題には全国の大学など高等教育機関から75件の申請があり、12件が採択された。 1年間で5000万円、5年間の継続が可能なのでトータル2億5000万円の国の委託費が充当される。科学技術振興調整費の中でも、この課題分野は自治体と連携して地域再生のための人材養成の拠点を形成するというミッション(政策的な使命)を帯びていて、 総合科学技術会議の採択後、今度は関連する自治体が大学のプログラムを活用する地域再生計画を内閣府に申請するという「二段論法」になっている。平たくいえば、大学と関係する地域自治体の双方が申請責任者として地域課題に取り組むという仕組みなのである。そこで、関係する石川県と輪島市、珠洲市、穴水町、能登町は共同で「元気な奥能登を創る!“里山マイスター”創出拠点の形成による奥能登再生計画」を国に申請し認定された。9月には、自治体を代表して泉谷珠洲市長が首相官邸で当時の安倍晋三首相から認定書を手渡されるとういセレモニーもあった。これによって、大学と自治体が「がっぷり四つ」になって連携する素地がつくられたといえる。

(1)「大学らしからぬこと」が地域の大学の本来の姿

 それでは、能登学舎でどのようなプログラムが展開されているのか。

 学ぶのは社会人であり、現在1期生15人と2期生20人の合わせて35人。自治体の職員のほかJAや森林組合、民間企業の社員もいる、中には水生生物を能登で研究する修士課程の大学院生や、将来就農に意欲を燃やす元会社員もいる。授業のキーワードは「環境配慮型の農林漁業」「アグリビジネス」「地域リーダーの養成」となる。授業は2本立て。金曜日の午後6時20分ら 午後7時50分を「地域づくり支援講座」(隔週)の講義に充て、一般市民も参加ができる公開講座としている。このため、駐車場が確保でき、交通アクセスがよい能登空港ターミナルビル(輪島市三井町)に特別教室を開設している。そして、メインの授業は毎週土曜日の午前9時00分から 午後4時 まで珠洲市三崎町の能登学舎で行われ、「自然共生型能登再生論講座」「ニューアグリビジネス創出講座」「新農法特論講座」の4つの講座の演習ならびに実習を行なう。2年間のプログラムで、単位で換算すれば12単位ほどになる。 先述の通り 、金沢大学には農学部がないので、農業の座学は県の農業改良普及所の専門員、 実習は地域の農業のベテランの指導のもと行っている 。定置網漁船に乗り込んでの漁業実習や魚のさばき方の手ほどきなど、金沢大学の教育プログラムにはないメニューばかりだ。

 手探り状態ながら「マイスター学校」をスタートさせて1年余り。 学内 からも 講義を快く引き受け、能登に駆けつけてくれる教授陣も増えた。 大友信秀教授(法学)もその一人。急なお願いだったが、「知的財産法を生かした地域おこし」をテーマに、能登の「沢野ごぼう」や加賀の「ヘイケカブラ」といった特産野菜のブランド化戦略について熱く語ってくれた。大友教授は知財ゼミの学生を引き連れて、ときには自ら農家を手伝って農産物の収穫に汗を流している。また、本書の執筆を勧めてくれた世古一穂教授(経済)も金曜日と土曜日の両日に渡って、「参加と協働のまちづくり」をテーマに「NPOとは」の基礎から受講生に語りかけた。授業を終えて、「能登の人たちには素朴さあって、心が通じ合える。『能登はやさしや土までも』とはこのことね」と目を細めた。中村教授は口癖のように「大学らしからぬことをやろう」と言う。むしろ、型にはまらぬ「大学らしからぬこと」こそ、地域に存在する大学の本来の姿なのかもしれない。ともあれ、大学の殻を出ることに尻込みする教授陣の体質を変えるイノベーションにつながればと願う。


雪が残るニンジン畑で里山マイスター受講生が採り入れの実習作業=七尾市能登島町のスギヨ農場で

(2)農業のプロ20人による就農支援連絡会

 受講生には2年間の修了時に「今後能登で取り組む自然と共生した農業のビジネスモデル」をテーマに論文の提出を求める。金沢大学は修了者に「里山マイスター」の称号を与え、能登で行なう生態学や環境に関する共同研究に参加してもらうほか、情報提供などを通じてフォローアップしていく。また、就農希望者は 県の認定就農者として知事認定を受けると、支援資金(40歳未満3700万円限度・無利子)を得て自立の道を選択できる。

 さらに受講生が修了した後も、営農のプロのアドバイスが得られるように「里山マイスター就農支援 連絡会 」が2008年5月に発足した。 支援連絡会 のメンバーは能登に在住する農業法人や自営農家で、自らのこだわりを持って農産物を栽培している篤農家である。その中の一人、珠洲市の皆口和寛さんは水稲のほか、能登の ケイソウ土を使ったスイカ栽培に取り組んでいる。肥料は魚粉による自家製有機肥料。「人間が食べられるぐらい安全な材料を肥料にする。食べ物は食べ物でつくる」が身上。直径30センチ、重さ7キロ、1個3000円もする大玉スイカをインターネット通販で全国に売りさばく。皆口さんを含め、水稲、露地野菜、施設野菜、シイタケ、小豆、苗木、園芸などの農業のほか、 水産や林業の分野から合わせて20人のプロにアドバザーになってもらった。受講生たちはアドバイザーの農場や自宅を訪ね、ヒアリングを通じて栽培から経営を実学的に学んでいる。地域に根を生やしたプロのサポートは実に心強い。

(3)地域のNPOが「学食」を提供

 地域の自治体や民間の協力を得て船出した「能登里山マイスター」養成プログラムだが、さらにNPOの支援を受けることになる。 能登学舎は 廃校となった小学校の施設を再利用して開講したことは先に触れた。学校の施設だったので給食をつくるための調理設備が残っていた。校舎の所有者である珠洲市は厳しい財政状況の中で4600万円をかけて校舎を改築し、調理室と設備も新しくなった。この調理室を使って、コミュニティ・レストラン (註 3 ) をつくろうとNPO法人すず交流ビューロー (註 4 ) 事務局長の沢谷わたえさんたちが動いて、開業にこぎつけた。2007年12月に関係者を招いての試食会が催された。披露されたコミレスの名称は 「へんざいもん」 。土地の言葉で、漢字を当てると「辺採物」と書く。いわば「周辺で採れた物」のことだ。毎週土曜日の昼食、沢谷さんを含め近所の主婦たち5人が交代で地域の食材を持ち寄って料理し、里山マイスターの受講生たちに提供してくれる。それこそ地産地消、郷土料理の食堂だ。

 へんざいもんの2008年10月25日の メニューは飛びっきりだった。「まつたけご飯」。 能登はマツタケの産地で、特に珠洲市には揚げ浜塩田や珠洲焼の窯元があり、燃料となるアカマツ林が比較的よく管理されていて、マツタケの収量も多い。この日のマツタケも近くの山で採ってきたものを食材として提供したものだ。まつたけご飯のほかに、豆腐と岩ノリの味噌汁、サンマの甘酢あんかけ、やたら(カブラと昆布の千切りの酢の物)、ワラビの煮しめなどが赤御膳に盛り付けられて700円。沢谷さんは「マツタケは市場に出せばもっとお金になります。でも、お 金ではなく、まつたけご飯をマイスターの受講生のみなさんに食べさせてあげたいという一心からです」と。受講生のほとんどは30代。沢谷さんたちから見れば息子や娘の年代で、その心づくしの料理には親心を感じる。 最近ではへんざいもんを訪れる地域の児童やお年寄り、婦人会のグループも増えて、随分と忙しくなった。半ばボランティアの独立採算。地域のNPOが運営する地産地消の「学食」はおそらく全国でもここだけと自負している。


午前中の講義を終え、里山里海自然学校の校舎にある食堂「へんざいもん」で空腹を満たす=珠洲市三崎町で 」

2008 年 10 月 25 日の「へんざいもん」のメニューはまつたけご飯、豆腐と岩ノリの味噌汁など。赤御膳に輪島塗の器が並ぶ

4.連携の効率と達成度を上げるシステム

 大学が地域に出向いて拠点を形成し、自治体やNPO法人、民間と連携する-。文章で書くのは簡単なことなのだが、これを実効性のある行動へ落とし込むとなると容易ではない。重層化したプログラムを練り上げ、連携先との役割・機能分担を交渉によって積み上げていく。まるでモザイクを組み上げるような作業だが、この積み重ねが「連携効率」を高め、「連携達成度」を上げることになる。学内に2人いるわれわれ地域連携コーディネーターの出番はここにある。 地域の自治体やNPOなどとの意見調整を円滑に行うことや、他大学や研究機関、民間企業の協力の裾野を広げ、予備折衝を何度か繰り返す。実務面の組み立てが確実で緻密であれば連携はスムーズに運ぶ。メールや電話のやり取りだけでは意思疎通がうまくいかない。さらに、節目節目のセレモニーや方針の決定時にはマスメディアにニュースリリースを流し、メディアを通じて広く地域の理解を得ることも必要だ。また、時には学長を担ぎ出し、また求められればこちらから出向いて説明会を開き協力を仰ぐ。そんな大技小技を 利かせ ながらの地域連携ではある。

 また、意見調整や予備折衝だけでなく、調査活動もコーディネーターの重要な仕事だ。「能登里山マイスター」養成プログラムのプランニングを立てるに当たって、奥能登にどのような地域ニーズがあるのか 調べた。各自治体が国に提出した地域再生計画を読み込むと、珠洲市が「珠洲市都市農村交流再生計画」を掲げ、国定公園である能登の自然や観光資源を生かしたグリーンツーリズムによる交流人口の拡大を目指している。同じく、輪島市は「漆の里輪島の自然が育む再生計画」をもとに、能登空港を生かし、体験型の観光などで東京圏からの交流人口の拡大をはかる。能登町の地域再生計画は「潤いある暮らしを支える快適な町」。農村地域の環境を整え快適な生活ができる地域づくりを進め、UターンやIターンの増加を促進させる。穴水町は「穏やかな自然のなか安心して暮らせる町づくり計画」を掲げ、病院などの施設を核にした街づくり、内海(うちうみ)と呼ぶ湾内の穏やかな海の風景を売りにグリーンツーリズムをポイントに置いている。このように見てみると、奥能登の4自治体の地域再生のキーワードは、「快適な農村環境」、「グリーンツーリズム」、「都市との交流人口の拡大」、「Uターン・Iターン」の4つほどに絞られてきた。そこで、 「能登里山マイスター」養成プログラムの申請書の中にこうしたキーワードを予め盛り込み、2市2町が連携しやすいような人材養成プランにつくり上げた。採択後、この申請書が 石川県と輪島市、珠洲市、穴水町、能登町による合同の地域再生計画「元気な奥能登を創る!“里山マイスター”創出拠点の形成による奥能登再生計画」のベースにもなった。申請書に命を吹き込むには、連携相手が美しいと感じるような 「文言のDNA」 を文脈に仕込んでおくことも大切なのである。

5.能登の地域資源を活かした先進事例

 それでは、地域連携の先に何が見えてくるのか。 「能登里山マイスター」養成プログラムが具体化されるまでのいきさつや、どのような人材を能登で養成しようとしているのかについて、これまで述べてきた。ここでお分かりのように、主眼は農業名人を育成することではなく、環境配慮の第1次産業をベースとしたビジネスを行なう若手人材の養成なのである。 このプログラムを文部科学省に申請する段階で念頭に置いた、お手本のような地域の事例がある。

 能登半島の付け根に羽咋市神子原(みこはら)という過疎と高齢が進む集落(170世帯500人)がある。山のため池を共有し、人々は律儀に手をかけて稲を育てている。その米(コシヒカリ)が「神子原米」としてブランド化され、高級旅館の朝ごはんに、あるいはその米で造られた純米酒はファーストクラスの機内食として供されるなど高い付加価値をつけることに成功した。他の産地より高いとされる新潟産コシヒカリは精米5キロで2500円前後で販売されているが、神子原米は3500円の値がつく。自信を持って売るために、衛星画像を解析し、米粒のタンパク含有量 ( % ) 測定とマッピングを行うことで米の品質管理も行っている。また、農家131人で農産物の直販所の会社をつくり、POS導入して生産者に個別の売上をほぼリアルタイムで携帯電話のメールで知らせている。こうすることで生産者に意欲がわく。一人当たりの米や野菜の生産量そのものが多くはないので、決して豊かな村ではない。しかし、目立っていた空き家に、神子原で米づくりを志す都会の4家族が 入居するなど 、地域は活気づいている。神子原米のブランド化に取り組んできた同市 産業観光課 1.5 次産業振興室の 高野誠鮮 主幹の話は実に参考になる。 「農業が職業になる集落づくり、農家がメーカになれる農業づくりが目標です。能登にはその可能性がある」。65歳以上の割合を示す高齢化率は神子原では47%である。高齢化の集落でもここまでやれるという近未来の日本のよきモデルでもある。

 もう一つ、神子原から学ぶべき事はビジネスとしての農業である。能登はその地形から大規模な河川がなく、平野も少ないことから、集落が共同でため池をつくり、その水を分け合って棚田を耕してきた。個人ベースでは小規模農業であり、生産量を競う米づくりには不向きだが、「ため池共同体」であることを生かし、集落がまとまってブランド米づくりに乗り出すことが可能である。いわば、米づくりが個人ではなく、地域ぐるみのコミュニティ・ビジネスとして成立する素地が能登にはある。追い風もある。食の安全と安心を求める消費者の声が高まり、2007年度から政府は新農業政策「 農地・水・環境保全向上対策」を掲げ、環境保全型の農業へと大きく舵(かじ)を切っている。生産量を誇るのではなく、環境に過度の負荷をかけない、品質の確かな農業への転換である。新しい農業の時代を担う人材を能登の地で育むことができないだろうか。風光明媚な観光資源や魚介類の水産資源にも恵まれている。これらの資源を生かし、農家レストランや体験農業、あるいは食品産業との連携による新事業の展開など、「農」をキーコンセプトとする新しいアグリビジネスを創造する若い人材が定着すれば、能登再生の展望はほのかに見えてくる。

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6.次なる能登のビジョンと仕掛け

 では、60人の里山マイスターを育てれば能登を再生できるのか、それは容易ではない。次なる能登のビジョン、あるいは仕掛けが必要なのである。ここからが 「能登里山マイスター」養成プログラム の本題でもある。環境配慮型の農業を行なうことで、副次的に水田にはドジョウやタニシといった生き物が増える。ある意味で単純なことが実は重要なことであるのに気づくのに半世紀を要している。急減した トキが国の特別天然記念物に指定された1950年代、日本は戦後の食糧増産に励んでいた。農業と環境の問題にいち早く 警鐘を鳴らしたレチェル・カーソンは1960年代に記した名著「サイレント・スプリング(沈黙の春)」に、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記した。農業は豊かになったけれども春が静かになった。1970年、日本で 本州最後の 1 羽のトキ が能登半島の穴水町乙ヶ崎で捕獲された。愛称は「能里(ノリ)」、オスだった。繁殖のため佐渡のトキ保護センターに送られたが、翌71年に死亡した。解剖された能里の肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。そして 2003年、佐渡の「キン」が死亡し、日本のトキは絶滅した。その後、ほぼ同じ遺伝子を持つ中国産のトキが佐渡で人工繁殖し、110羽に増殖した2008年9月、そのうちのの10羽が放鳥された。放鳥と同時に、環境省では鳥インフルエンザへの感染も懸念されることから本州での分散飼育を始め、4羽(2つがい)を東京都多摩動物園に移送(07年12月)、人工繁殖が行われている。石川県能美市にある「いしかわ動物園」(運営: 財団法人石川県県民ふれあい公社) も分散飼育の受け入れに名乗りを上げている。分散飼育の後、 人工繁殖 したトキを最終的に野生復帰させるのが国家プロジェクトの目標である。

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(1)トキやコウノトリが環境づくりと地域の合意形成

 絶えたとはいえ、能登に本州最後の1羽が生息したのにはそれなりの理由がある。能登には大小2000ともいわれる水稲栽培用のため池が村落の共同体、あるいは個別農家により維持されている。ため池は中山間地にあり、上流に汚染源がないため水質が保たれている。サンショウウオ、カエル、ゲンゴロウやサワガニ、ドジョウなどの生き物が量、種類とも豊富である。ため池にプールされている多様な生き物は用水路を伝って水田へと分配されたりもする。これらの生き物はすべてトキが好むエサなのである。そしてトキの営巣木となるアカマツも能登には多い。

 そこで中村教授が描くビジョンは、地域の 人々と協力して、環境配慮型の農業を進める、あるいは休耕田などを ビオトープとして 整備し生物多様性を高めることでコウノトリやトキが 生息できるような里山環境を再生するというものだ。さらに、生態的な環境の再生だけでなく、 生産者と住民を交えた地域の合意形成が必要 だと強調する。 かつて奥能登でトキはドゥと呼ばれ、水田の早苗を踏み荒らす害鳥とされた。ドゥとは「追っ払う」という意味であるともいわれる。トキと共存することによる経済効果、たとえば農産物に対する付加価値やエコツーリズムなど観光への広がりなど経済的な評価を行ない、生産者や住民にメリットを提示しながら、トキの受け入れ候補地を増やしていくといった合意形成が不可欠である。

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(2)その次に描く住民と協働のモデル

 その上で、中村教授は次なる協働のモデルを描いている。 金沢大学が能登半島で実施している生物多様性調査に都市の住民・消費者にも加わってもらい、長期モニタンリングによる農環境の「安全証明」を担保していく仕組みづくりができればと考えている。トキやコウノトリが生息できる里山環境を地域と都市の生活者が協働してつくり上げていくことで、自然と共生した環境再生モデルを実現させるという構想である。 「能登里山マイスター」養成プログラムの案内パンフレットはトキが舞うイラストをあしらっている。 トキを能登における環境再生のシンボルとして盛り立てていきたいと思いを込めている。 トキやコウノトリが飛来する農村の環境づくりはこのプログラムが 目指す 自然共生型の地域づくりのテーマでもあ る。「 次世代を担う 里山マイスターにぜひトキが舞う能登の農村再生の夢を託したい。それは能登の里山ルネサンス(再興)である」と中村教授は期待を込める。

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(3)将来ビジョンと夢を地域の人たちと共有

 2008年1月26日、能登空港ターミナルビルで金沢大学「里山プロジェクト」が主催して、トキの生息環境をテーマに公開シンポジウム「 里地里山の生物多様性保全〜能登半島にトキが舞う日をめざして〜」を開催した。当日は雪に見舞われ、早朝に震度5弱の揺れがあったにもかかわらず、定員を超える180人もの参加者が訪れ、トキに対する能登の人たちの関心の高さが伝わってきた。地域連携で大切なのは案外、こうした地域の将来ビジョンや夢を共有することが大切なのかもしれないと実感した。

(4)そしてコウノトリが飛来した

 シンポジウムから3ヵ月余り経った5月6日、1羽のコウノトリが珠洲市三崎町の水田に飛来した。個体識別用の足輪がないことから野生のコウノトリだと判断できた。羽を広げると2メートルにもなるコウノトリの飛ぶ姿は優雅である。休耕田を活用して水辺のビオトープをつくり、希少生物の保全や環境教育に情熱を注いでいる珠洲市立西部小学校の加藤秀夫校長は毎日のように観察に訪れた。食物連鎖の頂点に立つコウノトリが生息するということは生態環境が整っているということの証(あかし)である。そして観察仲間と、コウノトリがねぐらとしたアカマツの木も確認できた。コウノトリは8月までの3ヵ月余り留まった後、佐渡島に向けて飛び立った。加藤さんはコウノトリが去った後も、舞い戻ってきているかもしれないと、時折ねぐらだった場所を確認に訪れた。その後、あるシンポジウム会場で加藤さんに声をかけると、「ひょっとして今度は佐渡島で放鳥されたトキが風に乗ってやってくるかもしれないな」とつぶやいた。佐渡島と能登半島は最短距離で70キロ、珠洲では年に数回、佐渡がくっきり見える日がある。

7.能登半島の地の利を生かした研究シーズ

 これまで地域連携、あるいは地域との協働というテーマで「能登里山マイスター」養成プログラムを中心に述べてきた。ここからは能登における新しい展開を紹介しよう。2008年度に入り、能登学舎は慌しくなってきた。奥能登を舞台とした 3つ目の研究プロジェクト が能登学舎に拠点を構えることになったからだ。「大気観測・能登スーパーサイト構想」だ。岩坂泰信特任教授の研究グループが実施するこのプロジェクトは三井物産環境基金の支援を受け4月にスタートした。黄砂が偏西風によって大陸から日本に運ばれることはよく知られるが、黄砂に付着したウイルスや化学物質が環境に与える影響については未知な部分が多い。日本海に突き出た能登半島の地形は、大陸から飛来する黄砂の採取に適している。岩坂特任教授らは 「能登里山マイスター」養成プログラムの拠点が能登に築かれたのをヒントに、これまでの観測拠点(中国・敦煌など)に加え、風下ともいえる能登半島での観測を具体化させたのだ。研究が研究を呼び寄せた、そんな事例だ。黄砂の 研究プロジェクトは中国、韓国、ロシアを含めた国内外の研究機関と連携していて、奥能登の観測施設を世界の黄砂研究者に開放する「能登スーパーサイト」としての整備も同時に進める。今後、 能登半島は「東アジアの環境センサー」としての期待も高まる。

(1)国連大学高等研究所ユニットが能登をフィールドに

 国連大学が日本の里山里海に注目しているのをご存知だろうか。 アナン国連事務総長(当時)の呼びかけで、国連大学高等研究所が中心となって ミレニアム生態系評価 ( MA ) が 2001年から2005年の4年間にわたり 実施された。生態系と人々の暮らしの繋がりに焦点をあて、生態系から人々が得る恵みを「生態系サービス」と定義し、生態系サービスの変化がどのように人間に影響するかを検証する、 世界初の総合的な地球規模の生態系評価である。その後、 MAをフォローアップする活動として、世界の地域や国、流域といったレベルの サブ・グローバル評価 ( SGA ) が世界の合計34ヵ所で取り組まれている。その日本版が 「里山里海 サブ・グローバルアセスメント」である。

 日本の里山里海で営々と続いてきた農林水産業の営みと生態系保存の技術や知恵を科学的に評価し、持続可能な社会システムとして世界共有の文化財産していくのが目的である。里山里海SGAは日本全体を4つのクラスター(地域グループ)に分けて行われているが、中でも国連大学高等研究所が注目しているのが能登半島だ。

  2008 年4月、国連大学高等研究所は金沢市に「いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット」を設立し、独自の評価研究に入った。初代所長となったカナダ人研究者あん・まくどなるど女史は、SGA調査研究の拠点として能登を選んだ理由に地の利を上げた。「 能登半島は研究調査の素晴らしいモデル地区になれると思う。半島という地形から山から海までの距離は短く、山村から農村、そして漁村までコンパクトに研究できる。まさに地の利、魅力的です」(08年9月、「里山里海国際交流フォーラム・キックオフシンポジウム」)。里山里海 SGAの成果発表は、2010年10月に名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締結国会議(CBD / COP10)で行われる。

(2)COP10を目指し大学と地域の新たな連携

 このCOP10を目指して、大学と地域の新たな連携が始まっている。COP10では名古屋市での国際会議のほかに 関連会議の金沢セッションと能登エクスカーション(視察)が実施される予定だ。2008年9月、 生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)の アハメド・ジョグラフ事務局長がエクスカーションの下見を兼ねて能登を訪れた。ジョグラフ氏は棚田が広がる 輪島市金蔵(かなくら)地区を見学した。 このとき、 稲の刈り入れをする人々の姿を見て、「日本の里山はすばらしい」と感想を述べた。工業先進国の日本にあって山にへばりつくようにして棚田を耕す人々がいて、その里山には多様な生物が生息している。自然と共生し生きる人々の姿をジョグラフ氏は目に焼きつけたのだった。

 COP10関連会議の金沢セッション・能登エクスカーションを誘致し、実行するための支援組織が2008年6月、 金沢大学と県、能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットが連携してつくられた。名称は里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」(開催委員長・中村信一金沢大学学長)だ。実行委員メンバーには大学や県、自治体の職員ほか、地域のNPOなどが顔をそろえる。ホップとなる2008年は3つのフォーラム、5つのイベント、2つのツアーを実施し、延べ540人が参加した。2009年はステップ、そして2010年は本番のジャンプである。大学の一つの能登プログラムを きっかけに大学と能登の自治体やNPOとの連携が始まり、他の研究プログラムを巻き込み、そしていま COP10という共通の目標を持って新しいかたちの地域連携が始まっている。能登を世界に発信していきたいとの思いは一つだ。

8. 横に大きく羽を広げる連携を

 「学内」という言葉が大学ではよく使われる。決して学外と分け隔てるつもりはないのだが、いいにつけ悪いにつけ学内の名のもとに一つの社会をつくり上げている。大学人はこの学外からなかなか外に出ようとしない。この心のバリアーを振り払って、地域に拠点を構えることから地域連携は始まると思っている。 「能登半島 里山里海自然学校」や 「能登里山マイスター」養成プログラムを束ねる 里山プロジェクトの中村教授は「 大学を 飛び出して拠点を構えたことで、自治体の本当の悩みを知ることができ、問題に取り組む地域の人々と出会えるようになった」と言い切る。このアウトドア型の地域連携に 問題がないわけではない。拠点を構える経費の原資である研究費はパーマネントではないからだ。3年ないし5年で研究費が打ち切り、あるいは終了となれば研究者もいなくなる。珠洲市の泉谷市長も「せっかく来てくれた大学があすからいなくなる夢をたまに見る」と率直に不安をのぞかせる。しかし、このご時世で未来にまで約束された研究ファンド(基金)というのは世界中どこにもないだろう。むしろ時代のニーズに合わせて、新たなファンドを獲得し続ける研究意欲、アイデア、ビジョン、そして研究人材が必要なのである。大学と自治体が研究費を共同申請する、あるいは大学とNPO、自治体で申請する方法もある。これからは横に大きく羽を広げて連携して研究をする、そんな時代なのである。

 

【プロフィル】

 石川県能登町生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。北國新聞社入社。社会部、学芸部など経て、 1989 年、テレビ金沢へ出向し報道デスクを努める。 1991 年、北陸朝日放送に入社し、ニュースデスクなどを経て報道制作局長 。満 50 歳を期して退社。 2005 年より金沢大学地域連携コーディネーター、 2006 年より客員教授。 2007 年から「能登里山マイスター」養成プログラム(文部科学省科学技術振興調整費)の企画運営を担当。国際生物多様性年( 2010 年)に向けた地域連携型イベントである里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム 2008 」を統括プロデュース。 【著書・番組】 取材チームの一員として、新聞協会賞候補となった『能登 舳倉の海びと』(北國新聞社)の執筆に携わったほか、「文化の発信って何だ」などテレビ朝日系ドキュメンタリー番組やクラシック番組「 岩城宏之 モーツアルト全集」の制作、プロデュースを手がける。

(註 1 )文部科学省科学技術振興調整費: 総合科学技術会議の方針に沿って科学技術の振興に必要な重要事項の調整を行うための経費。新分野・領域への戦略的対応のほか、地域再生の人材養成の拠点づくり等に活用される。

(註 2 )三井物産環境基金:総合商社 三井物産が 2005 年に設立した基金。地球環境問題の解決に向けた社内外のさまざまな活動と研究を支援、促進し、経済と環境の調和を目指している。

(註 3 )コミュニティ・レストラン:NPO法人研究・情報センター(国分寺市)が推進する「食」を核にしたコミュニティ支援を目的としたNPOの起業モデルのこと。安全安心な食の提供を通じ、女性の自立支援など促す。

(註 4 )NPO法人すず交流ビューロー:石川県珠洲市の自然、食、伝統・文化、人の魅力を活かしながら、地場産業のワーキングを通して都市住民と地域の交流を促進している。


 



 

 

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