Vol.52  2008年11月1日号

  「参加と協働のまちづくり」 姫路市 の事例 〜 ゆとりとやすらぎを求めた ある「むら」の挑戦〜 (2)

      吉岡幸彦 ( 姫路市 建設局建設総務部建設総務課 課長補佐 )

W.協働事業の広がり

1.住民の本音を聞きだす

 北宿はため池に囲まれた集落である。ため池の一つが集落の入り口にあった。ちょうどそのため池から集落内に道路が放射線状に幾本も延びている。まさしく集落のへそにあたる部分である。我々は地域の防災拠点として、また、憩いの場所として、このため池の一部を埋め立てて、公園をつくる計画を立てた。この話をまちづくり協議会を通して地区住民にしてもらった。案の定、地域の中でも特に農家の大反対にあった。ため池は農家の生命線であるというのだ。周囲に河川の無い北宿地区にとって、ため池の水こそが田畑を潤す唯一の水源なのである。そのため池を埋めるということは、たとえ公園をつくるという理由であっても許可は出来ないということであった。

 しかし、立地条件からみれば、公園をつくる場所はここがベストであることは間違いなかった。

 行政とまちづくり協議会そしてコンサルタントの三者が知恵を絞った結果、

 「池の埋め立てに相当する水量を確保するために、北宿の他の池の底を浚渫する。そうすることにより、ため池全体の貯水量は変化しない。且つ、浚渫で出てきた土を公園の埋め立てに再利用する」

 という案を地区住民に提案した。まちづくり協議会のメンバーのほとんどが農家であったことも功を奏し、ようやく地元の住民達の理解を得ることが出来、埋め立て工事が出来るようになった。

 むらのへそにあたる部分に公園が出来る。しかし、当初地域住民はほとんど無関心であった。というよりも、「行政がここに公園を作るらしい」と、まるで他人事のようにとらえていたのである。

 唯一老人会から「既設の公園は子供のソフトボール練習と競合しているため、いつも老人会が遠慮して使っている。是非老人会が専用に使えるグラウンドゴルフ場を作ってほしい」というような意見が出ていた。自治会からも、そのように整備してもらえれば助かるという言葉を聞いていた。実際そのようなうわさが地区内にすでに浸透しつつあった。このような状況であれば当然行政としては地元の意見を尊重し、その方向で検討していくことになる。

 グラウンドゴルフ場を作ることは簡単である。しかし、問題はこれが村人の総意であるかどうかということである。地域の中に入っていくと、少し違う所に住民の思いがあるような雰囲気が感じられた。地域の人々との会話の中にも、もう少し違う期待があるような気がしたのである。

 「市民社会を協働型にしていくためには、市民のつぶやきを形に出来るしくみを作る必要がある」

 とはNPO研修・情報センターの世古代表の言葉であるが、まずは住民の思いを「つぶやき」に変える必要があった。

 筆者はまず、街づくり協議会の役員にこう言った。

 「今だったら、公園の計画は白紙ですから、住民の思うような絵が描けますよ。」

 はたして本当にそんなこと出来るのだろうか?というような訝しげな顔をしていた役員たちも、

 「もし本当に出来るのならば是非やりたい」と目を輝かせた。

 さっそく自治会にお願いして参加者募集のチラシを自治会全戸に配布してもらった。

       参加者募集のチラシ

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2.ワークショップの実施

 「公園を住民で考えよう」という呼びかけに集まった地域住民は50名余りとなった。全員で討議を行い、人数を少し絞って考えていくことで了解を得た。自治会を中心に住民達で検討した結果、北宿地区内の自治会、婦人会、老人会、子供会、街づくり協議会、消防団それに一般参加者などを加えて合計24名を選出し、そのメンバーで「公園を考える会」が発足した。そして、言いだしっぺである筆者がコーディネーターを務めることになったのである。

 「ワークショップとはいったい何?」

 まず、この言葉の意味の説明から始まった会である。ほとんどの人がこういう会合に参加したことの無い一般の市民である。ある意味、行政サイドからかなり距離のあるところにいた市民なのだ。

 「どうせ行政が持ってきた公園のレイアウト2、3案の中から1つ公園案を選ぶだけかと思っていたら、まったくの白紙の状態で、最初から公園を考えると聞いて、今までそんな経験ないからびっくりした。でも自分達の思い思いの絵が描けると聞いて、なんや知らんが面白そうやなと感じた」

 参加した老人の言葉である。

 始めはいやいや参加していた人々も、近隣の公園を見学したあたりから、がぜんやる気が出てきた。

 公園に設置してほしいものが彼ら自身の中で明確になってきたのである。

 「小高い丘を作りその上にある東屋から夕日を眺められたらいいなあ」

 「見学した公園でおばあさんが歩行訓練していたけど、少しクッションのある歩道があれば、足に優しくて、リハビリにもいいかもしれないね。私達も年をとるのだから」

 「小さな子供が喜ぶちょっとした遊具があればいいなあ」

 「足つぼを刺激するような小石を敷き詰めた遊歩道も、健康にいいから是非作りたいわ」

 いたるところからつぶやきが聞こえてきた。住民達の目に光が灯り始めた。

 参加者は毎日の通勤や買い物で通る道端に公園があると、興味をもってついつい見てしまうという。

 そういえばグラウンドゴルフ場にするといった意見はいったい何処にいってしまったのであろう。老人会の人達も公園を考える会のメンバーに含まれていたのだが、不思議なことに公園ワークショップにおいて最後までこの意見はまったく出なかった。筆者は、みんなの前でオープンにして物事を決めていくことの大切さを身をもって体験したのである。

 

3.議論沸騰

 公園ワークショップの話を聞いて建築士会姫路支部から、是非参加させてほしいという要望があった。彼らは地域でのまちづくり活動に常々興味をもっていて、活動の場を探していたとのことであった。地域の枠を超えてまちづくりが広がっていくことは願ってもないことである。

 月に一度のペースで開催されてきたワークショップも佳境に入ってきたある日、問題が発生した。公園のトイレの設置の有無について検討していたところ、参加者の意見が真二つに別れたのだ。公園の日常的な管理はあくまでも地区住民がやっていくことになっている。しかし、公衆トイレの管理ほど厄介なものは無い。

 「地区内の小さな公園だから管理に手間のかかるトイレなんて要らない。自宅に帰ればいい」

 「憩いの場である公園にはトイレは必要である。夢のある議論しているのに、後ろ向きの意見はそぐわない。管理は住民達でやればいい」

 議論が沸騰し、なかなか収拾がつかなかった。議論が出尽くしたところで最終的に多数決で決定することとなった。どちらに決まってもその方針に従うということで賛否をとった結果、僅差ではあるが、トイレを設置することを推する人が設置しないと言う人を上回った。住民達は権利を取得し、義務を履行する方針を選んだのである。

 ワークショップは結局半年間の間に7回行われ、公園の基本構想が決定した。

 全員で討議を重ねた公園プランが模型となって披露されたとき、参加者の表情は大きな仕事をやり遂げた充実感で昂揚していた。

 ワークショップの毎回の参加率は常に9割に達していた。毎回この日が待ち遠しいと言って下さったご婦人もいらっしゃった。ほとんどの人が積極的にワークショップを楽しんでいた。自分達の意見が形になることの喜びを知ってしまったのである。しかしワークショップのコーディネーターである筆者にとってこれは相当なプレッシャーであった。なにせつぶやきを形にしなければならない責任があるからである。

4.ワークショップを経験して

 行政が住民対象にワークショップを実施することはそう困難なことではない。しかしそこで発せられた意見をどう吸い上げ、どう生かしていくのか。市民の目に見える形でどう実践していくのか。後々まで責任をまっとうしなければならない行政にとって、そのあたりの折り合いの付け所が難しい。

 参加して来た市民も、何を言っても結局は行政の方針に変わりはないと思えば、熱意や意欲も無くなってしまうだろう。というより参加した意味がないのである。市民も賢明であるから、行政側のアリバイ作りだけのための市民参加であれば、加担するつもりはさらさらないであろう。

 市民との協働作業を実施するためには、行政としても相当な覚悟が必要となってくる。担当部局だけで解決出来る事柄ばかりでは無い。やはりそれ以外の関係部局へも影響してくる事柄もある。よって行政内部でのコーディネートが事前に必要になってくるのである。

 今回のワークショップを実施する前に筆者は公園部局と何回か会合を持った。その中で設置出来る施設と出来ない施設を確認しておいた。出来ない施設をあらかじめ参加者に示しておくことによって、ワークショップにおいては、その枠の中での論議となる。しかし、そうそううまくいくことばかりではなかった。とっぴな意見が出たりする。そんな時は、公園部局と早々調整をして、結論を出来るだけ早く参加者に知らせる努力をした。いかにメンバーに的確な情報を知らせ、方向性を示せるかが大きなポイントである。実際、ワークショップは毎回毎回が真剣勝負であった。へたな運営をすると参加者の気持ちが一斉に引いていき、進行が極端にやりにくくなる。その代わりに波に乗れば参加者もどんどん乗ってきてくれるのですごく進行がやりやすくなる。こんな空気を直接感じながらのまさに綱渡り式の運営であった。

 既成の流れを越えて何か新しい事をしようとする時、関係者全ての協力が得られるようなコーディネートをすることがいかに難しく且つ重要であるかをこの体験を通してひしひしと実感した。

5.協働事業が広がっていく

 地区住民に呼びかけて実施した公園のプラン作りワークショップも半年かけて無事終了した。その結果、住民たちの公園に対する愛着は人一倍強いものになっていた。自分たちだけのオリジナル公園という思いなのであろう。公園ワークショップの最終日、一つ嬉しいことがあった。「公園を考える会」に参加していた建築士会のメンバーから次のような提案がなされた。 

 「半年間このワークショップに参加させて頂いて、住民のみなさんの熱心な討議に感銘を受けました。今回決まった公園のプランの中にはトイレや東屋が設置されることになっていますが、これは我々の得意とする分野です。もしよければこのトイレと東屋を建築士会に考えさせていただけないでしょうか。」

 住民達はこの申し出を快諾したことは言うまでもない。

 建築士会の動きは早かった。インターネットのホームページでメンバーを公募。集まった若手建築家10名余りが中心になって、建築士会内部での「公衆トイレ・東屋ワークショップ」が始まった。

 

 筆者はこの後、建築士会と住民と行政内部との意見調整に明け暮れることになる。この時、行政内部の営繕関係の部局が、特異なケースであるにもかかわらず協力的に相談に乗ってくれたことは有難かった。

 地区住民の願い、設計集団の思い、そして維持管理をしていく行政の意見が合意しなければ、それは絵に描いた餅になってしまうからだ。

 

 住民達に設計を宣言してから8ヶ月、建築士会としても何度も検討を重ね、行政の了解を得た上で、ようやくプランを住民に披露する日がやって来た。建築士会側は地域住民の思いをふんだんに取り入れた案を提示し、喜んでもらえると思って臨んだトイレ・東屋ワークショップで筆者及び建築士会は貴重な体験をすることになる。

 前回の公園ワークショップでこの手法の楽しさを学習した住民達は、中々手強かった。自分達が本当にほしいものを つぶやき から意見として声に出して発表し始めた。発言内容もしっかりしている。この結果、トイレ案は了承されたが東屋案は地区住民の望んでいるものとは少し違うという結論に至った。建築士会側は東屋についてはもう一度始めから再考せざるを得なくなった。

 いかにすばらしいものを提示しても、住民のニーズに合っていなければなにもならない。地区住民の意向を十分理解していると考えていたことが、いかに勝手な思い込みであったかを筆者を含め建築家達も痛切に思い知らされた。しかし、このことはクライアントの思いを大切にしなければならない若い建築士達にとっては非常にいい経験となった。

 住民達の前でトイレと東屋を考えると宣言してから約 1 年の歳月を要して、ようやくトイレ・東屋の青写真が出来上がった。児童公園の施設としては前例のない、北宿の街並みに調和したすばらしいものが出来上がったのである。

 このワークショップに参加した若手建築家はこう振り返っている。

 「ものすごく貴重な体験が出来て、大変勉強になりました。人の意見を聞きながら、その人の要望を十分把握した上で物を作っていくことの大切さと難しさ、そして喜びをこのワークショップを通じて教えてもらいました。」

 小さな村の小さなまちづくりが、さざ波となって次第に大きな波紋を広げていった。

 

6.コーディネーターとしての新たな展開

 筆者は地区住民と立ち話をよくすることがある。別にこれといった話題もないのであるが、いわゆる世間話というやつである。ある日、老人が家の庭で竹とんぼを作っていた。思わず懐かしくなって声をかけた。そして、昔話に花を咲かせた。その時の古老との会話はこのようなものであった。

 「今の子供達はナイフの使い方ひとつ知らない。昔はこうして、竹とんぼを作って競争していたものや。田んぼやレンガ工場の裏でみんなで飛ばして遊んだもんや」

 「えっレンガ工場なんて聞いたことないですが、いったい工場はどこにあったのですか?」

 「この村に大きなレンガ工場が昔はあったんや。良い粘土がたくさん採れたので、いつも土を採掘していた。しかし、コンクリートちゅうもんが出来たから、営業不振になって昭和の初期には潰れてしまったんや」

 そうか、この北宿は粘土が採れるのか。私はこの会話からヒントを得て、この土地の特産である粘土を採掘して、陶板を作ってみてはどうかという構想を持った。しかもこの地区の子供たちに作ってもらい、公園のモニュメントにしてはどうだろう。どこにも無いオリジナルなものが出来るのではないだろうか。

 これが、陶板つくりワークショップの取っ掛かりであった。

 さっそくまちづくり協議会に提案して同意を得て、「陶板つくりワークショップ」を始めることになった。

 でもいったい粘土はどこで採取できるのだろう?粘土なんてありそうな場所もわからない。ワークショップを始めると言ってはみたものの、いきなり壁にぶち当たってしまった。そんな時、協議会会長が助け舟を出してくれた。

 「この辺りは何処掘っても粘土層がある。道路拡幅工事で掘削する時にちょっと余分に掘ってもらったらいいだけや。わしが粘土を採取するように現場で工事監督に指示するから任せてくれればいい。」

 本当に会長には頭が下がる。会長は現場監督よりも現場を熟知している。

 工事が始まった。土砂掘削機械が地面を掘り出す。1mも掘れば粘性の地層が現れた。やはりこの北宿の地は粘土が採れる土地だったのだろう。会長の指示でトラック一杯分の粘土が集められた。

 さて、粘土は手に入れた。次はこれを焼く窯の手配である。

 しかし、粘土を焼いてくれる窯がなかなか見つからなかった。計画が頓挫してしまいそうになり、途方に暮れていたそんなある日、筆者はフッとある人物を思い出した。

 地元にお住まいの方で、昔は陶芸もやっていて県の展覧会で入選した実績もあると聞いたことがあった人が頭に浮んだのである。たしか窯もあったと思う。地元の行事でもあるし、説明すれば地元の陶芸家として協力してもらえるかもしれない。こういうことはやはり地縁が一番である。

  思い立った時が吉日ということもある。さっそく本人に会いにお宅に伺った。そうして今までの経緯を説明して、なんとかここの窯で焼いてもらえないかと頼み込んだ。

 「お話はよくわかりました。協力したい気持ちは山々なのですが、実は私は最近体調を崩していて、1日のうち半分は横になっている状態です。陶板焼きは体力いる仕事です。とうてい私には無理です。しかも私の窯はもう5年以上使用していません。窯も使っていないと使い物になりません。残念ですがお断り致します」

 最後の望みも絶たれてしまった。やはりだめなのか。

 しばしの沈黙の後、陶芸家が言った。

 「私は無理ですが、私の知り合いでそういうことに協力してもらえそうな人を知っています。その人に連絡を取ってみましょう」

 なんとか望みはつながったのである。しかし、陶芸家の話はまだ続いた。

 「それから、粘土をストックしているとあなたは言っているが、掘り出した粘土はそのままでは使えないのですよ。小さな砂粒が一つでも入っていたら、作品は焼いた時に壊れてしまいます。まず粘土の作り方を私でよければ教えましょう」

 夢のような話である。そうして窯で焼くことを協力していただける知り合いの陶芸家を紹介してもらえた。

 いよいよ粘土つくりの開始である。街づくり協議会会長の呼びかけで、土をふるいにかけて、小石や砂を取り除く作業を地域の老人会が協力してくれることになった。粘土を練り上げる作業は地域の子供育成会のメンバーが手伝ってくれた。小学校や幼稚園のPTAが子供たちに参加を呼びかけてくれた。

 地元の陶芸家が協力を申し出てくれてから、とんとん拍子に作業は進んでいった。

  

7.地域あげてのワークショップ

 地域を挙げて盛り上がること 2 ヶ月、準備が整い、いよいよ陶板ワークショップ当日を迎えた。当日は続々と地域の子供達が集まってきた。そうして、粘土に向かって思い思いの絵や言葉を描き始めた。幼児や乳児は手形足型を残していった。実に1日で150枚以上の芸術作品が出来上がったのである。

 うれしい事があった。体調を崩されて1日のうち半分寝たきりであったあの地元の陶芸家が、我々に陶芸指導をやっている間にどんどん元気になられていって、1日中起きていても大丈夫にまでなられた。そうして一念発起されて、5年以上使っていなかった窯をもう一度手入れすることになり、子供達が作った作品をこの地元の窯で焼くことが決定したのだ。夫人がびっくりするくらいの回復である。人間は張り合いが出来ると力が涌いて出てくるのであろうか。そして、夏の暑い最中にこの窯でこの記念すべき子供達の作品が細心の注意を払われて焼かれたのである。陶芸家の熱意が伝わったのか一枚の取りこぼしも無く、陶板が無事完成した。

 陶板作成と同時に公園の名前についても検討が行われた。北宿の子供達の投票により名前を決めてもらうことになった。子供達の選んだ名前は「夢公園」であった。この名前はさっそくモニュメントの中央に組入れることになった。

 年を越して春、作成した陶板を裏表に埋め込んで作ったモニュメントがようやく出来上がった。その除幕式には多くの子供達の姿があった。自分の作品がどのように出来上がっているのか楽しみにやって来たのでる。   

 

 

X.住民参加の協働事業を経て

1.総務大臣表彰

 平成14年も暮れようとしていた12月の中旬、筆者の手元に大変嬉しい知らせが舞い込んできた。北宿でのまちづくり活動が評価されて、 姫路市 が総務大臣表彰を受賞することに決定したというのだ。

 受賞理由は、官民一体となって公共事業を実施し、その成果が顕著に現れているすぐれた事例であるとのことであった。特に、「住民参加のまちづくり部門」での受賞ということで、住民主体のまちづくりを進めている 姫路市 にとっては価値ある賞の受賞であった。

 地区住民の反応はどうだったのであろうか。意外にも住民達は冷静にこの賞を受け止めていた。彼らは別に特別なことをやったという意識はなかったのである。今までの活動は当然の活動であり、通常生活の延長として実践していた結果、たまたま、賞を受賞しただけという思いであった。

 まちづくりは別に肩に力を入れてするものではない。まちづくりにゴールはないのである。北宿は100年の大計に向かってまだ歩みだしたばかりなのだ。このようなことで浮き足立ってはいけない。

 筆者はまたひとつまちづくりを通して、地域住民に教えられたのであった。

2.まちづくりの成果

 平成2年から始まった北宿のまちづくり。かれこれもう18年の月日が経過したことになる。その間ずっとまちづくりを最前線で支えていた協議会会長はこう語っている。

 「まちづくりは地元だけでは絶対出来ない。行政のバックアップがあればこそ、ここまでやって来れたのだ」

 住民と行政の二人三脚でおこなってきた街なみ環境整備事業であるが、事業期間終了の平成17年3月をもって一区切りすることになった。この間、当初からの目標であった道路整備は90%が完了。防災拠点としての地区公園も完成した。一番嬉しいことは、ほぼ100%の家屋に緊急車両の進入が可能となったことである。

 うれしい誤算もある。道路が拡幅されたことにより、マイカーの進入が可能となり、生活の利便性が格段に向上したことで、地域から出て行き暮らしていた若者達が、地区内に戻ってきて、新築家屋を建てて居住し始めたことである。かつて、過疎化の進行を止められず、地域の高齢化が進み、むらの将来に暗雲が立ち込めていたこの地区に明るい日が差し込んできた。若者が戻ってくれば当然子供たちの数も増えてくる。静かで沈んでいた空間に子供たちの笑い声が聞こえるようになってきた。地域が活気づいてきたのだ。

 北宿夢公園と名づけられた地区公園。朝は幼児とそのお母さん達のおしゃべりの場として。昼は老人たちの憩いの場として。午後は子供たちの遊び場として。夕方は中学生達の宿題する場として。夜はウォーキングする大人たちの場として一日中大活躍している。

 モニュメント完成から既に3年以上の年月が経過した。現在このモニュメントはすっかり風景に溶け込み、地域の顔となり、住民達の宝物となっている。

 時折、モニュメントの前に立って、手を陶板にかざして、当時の手の大きさと比べている子供がいる。

 「いい成長の記録になります」と、いっしょにいたおかあさんがつぶやいていた。

 たった1500u足らずのこんな小さな公園を作るのに延べ数百人の地区住民が関わり、完成までに実に5年という歳月を要した。このようにまちづくりには時間がかかる。公園を行政に任せておけば1年間で仕上がっていたかもしれない。はたしてどちらが良かったのかは今後住民達が判断してくれることであろう。

 

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3.素敵なエピソード

 公園整備がようやく完了したころのことである。池を埋め立てることから始まった公園作りも既に5年の歳月が過ぎていた。住民と協働でものを作っていくことは時間のかかる作業である。しかしこの経過がいかに大切であるか、住民達は身をもって体験し、自分達のほしかった公園を手に入れることが出来たのである。

  

 そんなある晴れた日、筆者は公園に行ってみた。夢公園は結構賑わっていた。東屋では中学生がミーティング。坂道では自転車の練習に小さな子供とおかあさん。そして少年達がところ狭しと走り回っていた。

 そんな中で、まだ小学生低学年と思われる女の子がほうきを片手に持って公園の片隅にいた。どうやらみんなが遊んでいる中で、一人掃除をしている様子である。世の中には感心な子供もいるものだ。その時の筆者の感想はその程度のものであった。

 それから一週間ほどしたある日、公園の横を通っていた筆者は、またまた彼女と出会った。彼女はヨチヨチ歩きの妹と一緒だったが、ほうきで水飲み場の砂を懸命に掃き出していた。

筆者は彼女に話しかけてみた。

 「そこで何しているの?」と筆者は尋ねてみた。

 彼女は手で顔の汗を拭いながらこう言うのである。

 「お掃除しているの。私この公園大好きやもん。だからいつもきれいにしておきたいの」

 彼女のけなげな言葉に筆者は目から鱗が落ちる思いだった。

 得てして大人の世界では「いったい誰がこの公園を維持管理していくのか」という事で議論沸騰するのであるが、「好きなものはきれいすることが当たり前」というこの少女の発想の中には公も私もないのである。

  しかし、そんな彼女の顔が急に曇った。 「でも、私がこの公園をお掃除できるのは後もう少しだけなの。お父さんの仕事の都合で引越しすることになったの。だからもうこの公園に来れなくなるの」

  筆者はこの公園を愛してくれている少女の頭にそっと手をおいてこう言ったのだった。

 「お嬢ちゃんは感心やね。お嬢ちゃんのおかげでこの公園はいつもきれいや。ありがとうね」

 それから筆者も公園に行く機会が無く、彼女のこともすっかり忘れていた。

 そして、久しぶりに公園に行った日のことである。その日は風が強く吹いており、公園は誰もいなかった。風の影響か、公園の遊具にどこから飛んできたのか紙が引っかかって、はためいてガサガサという音をたてていた。 筆者はガサガサ音をたてている紙を取ろうと遊具に近づいて思わず立ち尽くしてしまった。

 ゴミだと思っていた紙は実は遊具にテープでしっかりと貼り付けられていて、そこにはこんな文字が書かれてあったのである。

 おねがい
 「こうえんをきれいにつかってください!
 もしきたないところをみつけたらそうじしてください!」

 幼い子供が書いたと思われる文字がしっかりと並んでいた。

 そうか、ついに彼女は引っ越して行ってしまったのか。筆者はこの新聞広告の裏面を使って書かれた文を見て、彼女が本当に公園が好きだったのだなあとしみじみと思ったのである。

 張り紙は遊具だけではなかった。なんと、東屋の支柱にも、照明灯のポールにも、健康歩道の手すりにも同じような紙が風ではためいているではないか。まるで彼女がほうきを持って掃いているようにガサガサと音をたててその「おねがい文」達がささやいていた。

 筆者は彼女のことを思うと自然と目頭が熱くなっていった。

 

Z.参加と協働を成功させるために

1.コーディネーターの存在

 官民協働で行なう事業を成功させるためには、官と民をうまく調整出来るコーディネーターの存在が不可欠である。コーディネーターは両者の間に入って、中立的な立場で共通の目標達成のための合意形成をおこなっていく必要がある。しかし官と一言でいっても行政内部は多岐に分かれているので、いろいろな関係部署をうまく調整し、理解を得ながら民間との連携がスムーズに出来るようにしなければならない。そのためには行政内部をコーディネートしていくこともコーディネーターに課せられた役割となってくる。今後、事業を成功させるためには、市民と行政の両者から信頼され、確実に進行を推進することが出来るコーディネーターが必要となってくる。今回の事例でいえば事業の立ち上がりには民間のコンサルタントが官と民のコーディネートを行い、事業実施後は「まちづくり協議会」が地区住民のコーディネートを、行政内部のコーディネート及び予算の調整を行政の担当者がおこなっていった。そうして、両者が関係を密に保つことで事業がスムーズに進んでいった。

 行政をとり行う時、住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずることが一般常識化されつつある昨今、住民参加型の公共事業が着実に増加している。そのためにも民間及び行政内においても、コーディネーター出来る人材を数多く養成する必要がある。

2.市民の参加意識の向上

 今や、行政については、お役所に任せておくといった時代は完全に過去のものとなり、住民達は行政の行っていることを厳しく監視して、的確な意見を言う時代が到来している。市のホームページ等を見れば市の状況がいつでも把握できるし、インターネットを検索すれば、正確な情報が直ちに入手できる。このような状態の中では、一般市民といえども、市政全般を考えた上でより的確に意見を言うことが必要となってきている。

 行政改革が大幅に断行され、財政再建が叫ばれている中で、行政として出来ることが限られてきていることは事実である。

 こんな時こそ、市民が知恵を出し合って、自分たちが住んでいる地域のことを真剣に考えていくことが重要である。自分達で出来ることは自分達で行なわなければならない時代が近い将来到来することも十分考えられる。行政が今までやってきた事でも、今後は財政状況によっては応分の負担が余儀なくされる可能性があることは 夕張市 の状況を見ても明らかである。

 行政がやることに対して受身の姿勢から入っていくのではなくして、積極的に行政と市民が協働でものごとを考え実施していくことこそ、今後安心してくらしを営んでいくための重要なキーワードであると考える。

X.まとめ

 筆者はNPO研修・情報センター主催の協働コーディネーター研修を受講したことにより、コーディネート・ファシリテートの理論を学習すると共に、数多くの事例に接することが出来た。このことが今回の実践に多いに役に立ったことはいうまでもない。さらにこの研修を受講したおかげで、思いを同じくするたくさんの朋友に出会うことが出来た。このことは筆者の大きな財産となり、アドバイスを受けるネットワークが広がった。

 今回のまちづくりを実践して、まちづくりは、結局は人と人のつながりであると筆者は感じている。いかに人と人を繋げて行くことが出来るか、また、いかに自らが繋がっていくことが出来るかが、大きなポイントとなるのではなかろうか。志を持って、アンテナを張巡らせながら、局面局面でその場に最適な人物を見つけ繋げて行く。そうすることがまちづくりを前進させ、かつ自分の人生も楽しくさせてくれるのではないだろうか。


 



 

 

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