Vol.51 2008年11月1日号

「メディアの読み方」講座 第20回 自民党総裁選に見る“劇場型”大量報道の無意味さ

土田修(ジャーナリスト )

 キーワード・・・ 総裁選、麻生首相、パック・ジャーナリズム、衆議院解散、差別体質

 衆議院解散は、 10月27 日に東京株式市場で日経平均株価がバブル後最安値を更新したことを受け、先送りが避けられない情勢になった。月刊「文芸春秋」 11月号の記事で「私は逃げない」と国会冒頭解散を決意表明した麻生氏の政治家としてのポリシーはどこへ行ったのか? 一方、麻生氏の首相就任を礼賛し、その「タカ派姿勢」や「差別体質」を不問に付した日本のマスメディアの在り方にジャーナリズムの危機を感じる。

 2008年10月9日の新聞各紙に「総裁選報道への質問電話に NHK 側『自民の PR 』対応責任者処分」という記事が掲載された。

 総裁選とは、9月1日の福田康夫前首相の突然の辞任表明に伴う自民党総裁選挙のことだ。総裁選には、マスメディアがこぞって本命と持ち上げた麻生氏ら5氏が出馬し、 9月10日告示・22日投開票の日程で実施された。9月10日の総裁選告示日に NHK は午後7時からの「ニュース7」で、放送時間を通常の2倍に延長して、告示の模様を詳しく報道した。

 記事によると、告示日の「ニュース7」を見た女性視聴者から NHK 視聴者コールセンターに放送延長の理由を尋ねる電話があった。電話に出た対応責任者は「はいはいはい、分からないですか。自民党の PR ですよ」と答えたというのだ。 NHK は「不適切な対応だった」として責任者を処分した。だが、あえてその事実は公表しなかった。

1.公共放送の大量報道

 確かに、この責任者の回答はぞんざいだが、一政党の総裁選を伝えるため放送延長するというのは、日ごろ、「公共放送」を自認する NHK とは思えないパターンだ。告示日だけではない。 NHK は、総裁選候補者の共同記者会見を完全生中継した。日本記者クラブでの公開討論会や、全国各地で開かれた街頭演説会もニュース枠で詳しく報道した。日曜日午前中の NHK 番組「日曜討論」には候補者全員が出演し、それぞれ候補者の持論を無批判的に垂れ流した。

 NHK 同様、民放各局の放送時間も突出していた。神保太郎氏の「メディア批評」(岩波書店「世界」、 2008 年11月号)によると、各テレビ局が9月 11 日までの1週間に自民党総裁選報道に費やされた時間は「259 番組41時間 22分 13 秒」にのぼっている。年金・医療、食の問題、金融危機など重要案件を差し置いて費やされる放送時間に、マスメディアが一つの問題にいっせいに飛びつく、横並びで画一的な「パック・ジャーナリズム」の問題が見えてくる。

2.総裁選報道の問題

 自民党総裁選のニュースなど流さなくても良いと言っているわけではない。自民党は政権与党であり、総裁に選ばれた人物が国会で日本の首相に選ばれるのは間違いのないことだ。その意味で自民党総裁選のニュース価値は高い。ただ、現在、政権与党である自民党と公明党が大多数を占めている衆議院は、解散総選挙があれば結果はともあれ、与野党逆転もありうる情勢下にある。参議院は野党が多数を占めているのだから、衆議院で与野党が逆転すれば自民党総裁は首相にはなれない。

 福田前首相の突然の辞任も、総選挙で勝つための演出だったといわれている。ジャーナリストの東瀬雄三氏は「自ら身を捨てて自民党を救おうとした」( 月刊 「世界」 2008 年 11月号「福田辞任から総選挙、そして政界再編第二幕へ」)と書いている。福田氏の読み通り、麻生氏、与謝野馨氏、小池百合子氏ら多彩な顔ぶれが揃った総裁選は NHK をはじめ、民放テレビの電波に乗り、視聴率を稼ぐとともに、自民党の支持率を押し上げた。

 だが、テレビでは、人物のユニークさ、女性初首相の可能性、「霞が関をぶっ壊す」といった突飛な発言ばかりがクローズアップされ、財政再建や経済成長、安全保障をめぐる政策の違いなどはほとんど伝わってこなかった。視聴率が上がったのは、政治への関心が高まったからではなく、お笑い芸人が入れ替わり立ち替わり出演するバラエティー番組を見る感覚で候補者をとらえた視聴者が多かったからではないか。

▲ページトップへ

3.麻生首相の差別体質

  特に民放テレビのお笑い番組では、 賞味期限(人気)が切れるまで徹底的にタレントを使いまくり、視聴率を稼いでおこうという意図が如実に見え隠れしている。 パフォーマンス政治家だった小泉氏の影響で、テレビの世界では政治家もお笑いタレントと同列に扱われるようになった。それだけに、今回の 自民党総裁選は、 せめて 候補者の主張する政策の中身 や、その有効性、政治家としての適格性などについてのまじめな議論を起こすきっかけになったのではないか。かつて小泉氏とテレビは「政治」を劇場型番組として表象し、その結果、「政治を」市民から遠ざけてしまった。今回の総裁選は、「政治」を市民が身近なものにするチャンスだった。 しかし、テレビも新聞も候補者が 何を訴えているのか、 「自民党総裁=首相」にふさわしい人物なのかどうか、つまり政治家としての資質にまで突っ込んで議論を起こそうという姿勢はまったく見られなかった。

 報道の質の点で、無意味なバラエティー的映像をつなぎ合わせて大量に放送した NHK と新聞各紙はほとんど大差なかった。早々と「麻生支持」を打ち出した読売新聞は別として、どの社も、たとえば総裁選レースの本命といわれた麻生氏の政治姿勢を客観的分析し批判する記事は一行も載せなかった。「(ニートは)あえて定職を持たない選択」「アルツハイマーの人でもわかる」「ホームレスも糖尿病になる豊かな時代」「創氏改名は朝鮮人が望んだ」など麻生氏は繰り返し問題発言を繰り返してきた。政治家は言葉で語る以外に自らの主義・主張を国民に訴える手段を持っていない。政治家にとって「言葉は命」と言っていい。ジャーナリストの魚住昭氏の「野中広務 差別と権力」(講談社)によると、麻生氏は自民党河野派の会合で「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したという。麻生氏が反論も謝罪もしていないところを見ると、発言は本当であり、麻生氏自身、間違った発言だとは思っていないようだ。この人は部落差別の問題をほんの少しでも学んだことがあるのだろうか。この発言が本当なら、首相や政治家である前に人間として失格と言わざるをえない。

4.海外メディによる批判

 ところが、 NHK の無批判的な“パック・ジャーナリズム”放送は、麻生氏を「次期首相」として、視聴者の意識に刷り込ませることに成功した。麻生氏はオタク受けする言動だけでなく、こうした差別的発言を糧として、特定の思想を持った国民の人気を集めてきた政治家だ。視聴者の側には、改憲、安保、教育問題など、麻生氏に聞きたい課題は沢山あるはずだ。だが、各社横並びの“パック・ジャーナリズム”は、分かりやすさと単純さを重視するあまり、政治的事柄の対立点を回避し、ありきたりで薄っぺらな内容の言説を繰り返し報道した。

  この結果、「政治」のバラエティー化はさらに進み、視聴者は「政治」を 自分の暮らしや社会・国家の在り方、人類の将来の姿など 真摯な問題としてとらえることができなくなっている。“パック・ジャーナリズム”によって、「政治」は 実像を失い スクリーン上の浮遊物のように実体を失ってしまった。

 フランスのメディアは、麻生氏自身の問題や麻生内閣を客観的に批判する視点を失っていなかった。麻生首相が誕生した直後、クリスチャン・ケスレー記者は 日刊紙「パリジャン」 ( 2008 年9月24 日)で、「カトリック教徒のタカ派」の見出しで、麻生氏が戦時中にオーストラリア人、オランダ人、英国人捕虜を炭坑で働かせ、さらに朝鮮人の強制連行で富を築いた家系に属することを明記している。また、日本を「単一民族、単一言語の国」と豪語し、「従軍慰安婦」の存在を否定することで韓国を敵に回し、戦争犯罪人を合祀した靖国参拝問題で中国の怒りを買っている麻生氏の政治姿勢を、「ナショナリズムを煽る『右寄りのポピュリスト』」と結論付けている。 2008 年 9月25 日の仏紙「ルモンド」でフィリップ・ポンス記者は、麻生内閣を「総選挙に向けて、政治的に近い人間ばかりを集めた『お仲間内閣』」と揶揄している。

 日本マスメディアの大量報道の中に、こうした批判的視点が皆無だった。批判的視点なしに本来のジャーナリズムは存在しえないのだが。

5.東京新聞の社説

  ところで東京新聞は唯一、社説で麻生首相に対する批判を掲載した。 「まだ解散をためらうか」( 2008 年10月9日)と「言葉の軽さにあきれる」( 2008 年10月11日) の記事だ 。9日の記事は、「補正予算成立後に速やかに解散するのが肝要」と指摘、解散先送りに傾いている麻生首相の姿勢を批判している。「民主主義の原点をこれ以上ないがしろにしてはいけない」という主張はジャーナリズムのあるべき姿を示している。

 また、11日の記事は 月刊 「文芸春秋」11月号に「国会の冒頭で衆議院を解散して総選挙を戦う」という「決意表明」を掲載した首相が、「いつ解散するとは書いていない」と言い逃れをしていることに噛みついている。「自民に広がる総選挙先送り論は見当がつく。いま解散なら政権を失うかも、という恐怖である。首相も同じ心境か。『私は逃げない』と書いた言葉の真偽を問う」と麻生首相の政治姿勢を明快に批判している。

 他のマスメディアも、こうしたまっとうな論議を紙面や番組で引き起こすことで、「言説に基づく政治」という民主主義の原点に立ち返ったジャーナリズムを実践してもらいたい。

 

 

 



 

 

©2004 NPO Training and Resource Center All Right reserved