Vol50 2008年8月20日号

  参加から協動へ 」におけるコーディネーターを体験して
                      〜 わたぼうしの家の活動から

工藤洋文 ( 特定非営利活動法人わたぼうしの家 事務局長(理事) ) 

1.はじめに

 この事例を紹介する前に、個人の自己紹介を先にしておいていたほうが皆さんが理解しやすいと思います。

 釧路市役所に勤務する土木技師で給料をいただく時の身分です。

 17時以降の肩書きは「NPO法人わたぼうしの家」の事務局長として活動をしています。

 15年程前から釧路市役所まちづくり研究会に所属し、面白しろそうなイベントや団体との交流を地道に続けていました。

 ある時、所属する北海道自治体学会のメンバーを中心に「地方自治土曜講座」という「地方自治」の学習会を札幌で開催しているとの噂を聞いたのです。おりしも、地方分権が盛んに議論されている時でもあり、釧路地方でも「地方自治土曜講座」を開催しようと、仲間で盛り上がりました。

 釧路管内の10市町村の自治体職員を知友人経由で呼びかけ、ネットワークを作り、釧路地方の行政職員が、地理的な中心地を標茶町と位置づけ、幾度にもよる議論を経て、平成9 年、10年の2ヵ年で、北海道でも珍しい自治体職員だけの実行員を設けて12講座をの自主的な開催で実施したのです。

 北海道の各地は殆どが行政主体で実施しており、類似したような講座が沢山ありましたが、地方公務員が地域に出て自治体職員として5時以降活動した地域は釧路の土曜講座だけかもしれません。

 世古さんとの関係は平成0年に札幌で開催された、「初級コーディター養成講座」で過去の常識を覆され、そのことを仲間にも教えようと平成10年土曜講座にワークショップ講師としてきて来ていただきました。

 世古さんの既成概念にとらわれない発想が、20年も行政職をしている人の常識とかみ合わず、パラダイム(社会の規範)の変更を説明されても、新しい発想に転換できず、過去の柵(しがらみ)から抜け出せない人は、相当苦労していたことを思いだします。

 その後、自分なりに地域の課題解決にNPO法人という仕組みは、将来きっと有効な組織と思い、再度NPO研修・情報センターの世古さんを訪ねて自分なりに、まちづくりの研鑽をしていました。

 社会基盤がそれなりに整備されつつある状況で「市民の要求はどこにあるのだろうか」との問いと、それを実現していく時にプロセスにヒントがあると、おぼろげながらの予感がありました。

 平成12年春に、自分がボランティで参加している任意団体がNPO法人化した いので、知恵を貸してほしいと相談されたことから、任意団体をNPO法人にする作業を託されました。しかし、自己利益を求める任意団体と、公益利益を求めるNPO法人を目指すグループと折り合いがつかず、幾度も議論した結果、それぞれ別々の道を歩むことが相応しいと判断しました。後年、このような事例は全国でも多数見られ、多くが任意団体とNPO法人が別行動選択したようです。

2.NPO法人「わたぼうしの家」の紹介

1 )介護保険事業

  @ グループホーム さんぽみち(認知症のグループホーム)

 法人の設立が認知症の人の居場所をつくろうとの目的であったため、当初からグループホームを建設することを考えていました。経費は厚生労働省の補助事業で20,000千円、 釧路市負担が20,000千円、差額は自費負担です。我々がこのような目論見をもてたのは、認知症の人が増加しており、家族介護の限界が議論されはじめたが、グループホームの絶対数が少ないため、国はNPO法人でも補助金を支出する意向が汲み取れたためです。これは介護保険が始まる前に、当事者団体のサポートで「介護保険に関するアンケート」を実施しその報告書を作成したところ、どういう経路で届いたかは不明ですが厚生労働省にそのアンケートが届き、その中のやり取りで、「NPO法人にもグループホームの補助金を出す」との情報を聞けたことでした。アンケートを集約したことで情報がいただけたのは、「情報を発信するところには情報が集まる」との格言とおりでした。 

 グループホーム建設では、市民を巻き込んだ建物のワークショップの開催をしました。建設するという結論はあるけれど途中のプロセスには、なにも担保のない作業を求めたのです。

 新聞紙上で募集し、5人の市民が応募してくれたことは作業に弾みが付きました。市民が応募要件の400文字の応募動機を書き、参加してくれたことは主催者として嬉しい限りでした。

 ただ、 釧路市 の企画担当者に内容を説明し「ワークショップに参加しませんか」と呼びかけましたが、組織内でどのような話があったのかは不明ですが、結局断れました。「行政が参加することにより自治体の負担金が担保される」と思ったのかもしれません。

 平成11年に「市民と協働するまちづくり指針」を作成していますが、市民が行政に声をかけて一緒に協働しましょうと声かけたときは、せめて参加して欲しいものです。

 何のための「市民と協働するまちづくり指針」なのか疑問が残ります。

 認知症の介護は「建物50%、介護50%」との通説があるので、建物に関していかにしっかりとした仕掛けとをするかと、良いコーディネーターを探すことが」できるかに尽きます。

 幸い、札幌の北海道大学建築工学科に介護を研究している人がいるとの噂を聞き、早速会いにいきました。

 隼田尚彦先生は「創成川のアンダーパスまちづくり委員会」に市民参加している人で、縦社会とか肩書きとかの不似合いな助教授でした。最初は設計コンペの委員長をしませんかと相談しましたが、身分不相応だと断られましたので、今度は「設計ワークショップ」を開催したいのでコーディネーターとしての関わりを熱望しました。

 詳しく内容を説明すると、「若輩の自分で大丈夫ですか?」と問われたので、「市民目線で物事を思考していくことが大切であること」「我々には肩書きは不要で、熱い志が欲しいのです」と口説きました。先生も当方の意を汲んでくださり、快諾をしていただきました。

 4回開催したワークショップでは「認知症を知ろう」「建設候補地に行こう」「平面計画を考えよう」「3班で計画をまとめよう」と、主にこのような内容で開催しました。毎回朝の9時から昼食をはさんで18時まで妥協のない熱い議論をしました。

 平面計画が出来た頃、北星学園大学で経済学から福祉を研究し、介護保険で評論していた横山純一先生も乱入し、従来の日本のグループホームにはない平面計画ですと講評をもらいました。

 居室を廊下でつなぐ、いわゆる「下宿屋」方式では認知症の高齢者が居間に出にくい構造となるために、途中に中間領域なる緩衝箇所を設け、居場所を自由に選択できる構造としました。このような贅沢な思想は従来のグループホームでは想像できないことで、理想の高いものを作る信念でした。

 補助申請自体が、 NPO法人では稀であり、北海道の担当者と書類作成の過程で人格を問うような質問もされ、激しい抗議をしたことも数度ありましたが、

 窓口業務の担当者で審査する側の人間でないと判断できたので、割り切りながらの事務作業をしたのです。

 平成 14 年6月、北海道の担当者から補助該当になることの連絡受けたときは今までの苦労を忘れるような思いでした。これで、認知症高齢者の基盤整備ができることと、補助申請業務で多岐にわたる書類を作成した苦労が報われました。この時、 NPO 法人が厚生労働省の補助金でグループホームを建設するのは初めてでないか、という声が聞こえてきました。平成10年に NPO 法が可決されてから、周到な準備をしなければここまで辿りつくことは大変なことと、国庫補助金を貰うことの煩雑な書類の作成を考えたら、納得できることなのです。介護事業では女性の担い手が多く、その中でも NPO法人は基盤の不安定な組織が多いことを考えれば、補助金のハードルを越えることは本当に大変な作業だと思います。わたぼうしの家では国土交通省の補助事業に慣れていた理事が居たことも幸いでした。

 建設資金に500万円程度の不足があったので、自主映画を3年にわたり開催しました。「黄落」「ホーム・スイート・ホーム」「生きたい」の3本で200万円近く資金を稼ぐことができ、関係者には本当にお世話になりました。平成15年2月に建設が終了し、お世話になった市民に是非グループホーム「さんぽみち」を見ていただこうと内覧会を企画しました。熊本県在住の人形作家、矢部藤子さんの作品を居室に置き、あたかもそこに高齢者が入居しているような雰囲気づくりをしたのです。8日間で900人が来てくださり、関心の高さを知ることができました。

 NPO 法人なればこそ、法人らしさを独自な事業で展開しなければ意味がありません。そして、さらにそこに「介護の質と特色」を確保することはいうまでもありません。グループホームさんぽみちが完成して 1 年後に、釧路根室地域のグループホームの介護の質向上を目指して、釧根(せんこん)グループホーム連絡協議会を立ち上げる働きをしたのです。釧根(せんこん)にある殆どのグループホームが会員になり、講演会や実技指導、その他グループホーム相互に職員を派遣して研修を行う交換研修制度のプログラムを実施しています。価値観の違いから介護の気付きをしてもらうユニークな研修です。

 さんぽみちは、NPO法人であること、行政から建設補助金を貰っていること等を鑑み、常に介護の質の向上を目指すこと、そして研修機能としての地域での役割を自覚しつつ日々努力しております。

 

  Aデイサービス(認知症対応型通所介護)

 介護施設には規模に応じての役割があります。介護保険制度開始時に、認知症の方々は大規模施設に通所しているのが殆どでした。

 自ら意思表示をすることが少ない認知症の高齢者が大規模な施設ではなじめず、常に孤立している状態が多いのです。 

 20万人都市の釧路市でも、当時認知症対応の介護施設はありませんでした。 

 平成13年4月、認知症対応の通所介護として「あったか・ミニデイサービス」を立ち上げました。利用者 1人に対して介護職1人以上で対応し、従来の福祉法人等の介護施設では出来ない隙間をうめるサービスを開始したのです。

 老いてもその人が、いつまでもその人らしく生きることが出来るように、今までの生きてきた過程を大切にすることに主眼をおいたサービスを行いました。

 料理をするために包丁を持つこと、草花を触ること、手芸をすること、散歩をすること等、とにかく奇をてらうことなく日常を過ごしていただきます。その繰り返しをしていると、認知症の高齢者が非常に落ち着いてくる様子が見られ、家族からは「徘徊がなくなりました」「毎晩ぐっすり寝て居ます」。ケアマネージャー(介護支援専門員)から「○○さん、非常にいい表情になってきましたね」等の「感謝の言葉」を沢山いただくようになりました。介護する関係者に噂が広がり「わたぼうしの家」のデイサービスには 釧路市 内はもとより、遠隔地からの視察者が訪れるようになりました。

2 )自主事業(独自事業)

 NPO法人を設立する時に、現状の介護に対する課題や疑問を話しながら、「こんなことしたいね」「あんなことしたいね」と沢山話をしていました。

 前述しましたが、介護保険の事業だけであれば、民間の事業者に託せば良いことです。

 NPO法人が介護系の事業者になるならば、どの事業にその法人の特色を演出するかが大切なのです。地域特性とか法人特性を理解して、独自事業をどのように展開していくかが法人の活路となります。

 

  Bわたぼうし宅老(参加する人が対等の関係性を築きながら実施)

 主にボランティア育成を目的として、毎月第2土曜日に参加する人もボランティアも対等の関係で1日を過ごしています。身体麻痺のある人や認知症の人等に対し、通常の介護サービスとは違う特色を出しながら、ボランティアに参加する人も楽しんでいただいています。

 「宅老」に参加する市立高等看護学校の生徒は、高校を卒業したばかりの1年生のため看護の勉強も講義だけです。ボランティアをしたことの無い人や、大勢の人前で話すのが苦手な人、認知症の言葉の不自由な人と初めて対面する看護学生もおります。

 最初は緊張していますが、時間が経過していくと、だんだん慣れ親しむ感じが伺えます。特に男性の利用者さんは、若い看護婦さんの卵には興味を持ち、傍に学生さんが来るだけで、嬉しくなる人や一緒に何か作成する時などは、手が触るだけで元気が出てくると話しています。スタッフ全員がボランティアとして参加しており、小規模な場所だからこそ、立場を越えて気持ちが一つになることがあるようです。

 

  C「コミレス」地域食堂 ( 集い・語らい・笑い)

 コミュニティ・レストラン の存在は世古さんからの紹介で「でめてる」を通じて知っておりましたが、その時は主に女性の就業や経済的な自立の手段として捉えていました。そのコミレスが「わたぼうしの家」に馴染むだろうかと考えた時、そのまま釧路に展開しても無理だろうと感じ たのです。

 この法人は高齢者の生活を中心として事業を組み立てていますので当面は無理だろうと判断しました。

 私たちの法人は、この地域に縁があって設立したわけではなく、ふくしま医院の1階が空き家になる情報を得て、福島先生が地域のために役立てたいとの思いを同じにして、この場所を拠点として活動しました。

 ですから、この地域にはどのような人が住んでいるのだろう?どんな独居高齢者の人が生活しているのだろうかに非常に興味がありました。そして独居の高齢者は生活に不安はないだろうかとの思いで、各家庭を訪問することにしまた。名づけて「お隣さん声かけ訪問」を実施したのですが、2時間の予定で訪問すると、最長で4時間も話す人もありました。この時、高齢者は「人と会話することに飢えている」と感じたことです。

 考えてみれば、自ら外出しなければ、自宅にいて会話するのは、郵便、新聞、ヤクルト等の配達する人程度です。

 その後、事務局会議で出された意見で、独居高齢者の地域交流を目的とした「地域食事会」を毎月土曜日に 1 回行うことに決まりました。午前中はゲームや手芸で楽しみ、昼食は米1合と300円を持ち寄り、全員で料理して食べることを考えたのです。

 そこから見えてきたことは、いつも一人での個食は寂しいけれど、沢山の人でわいわいガヤガヤと食べると、とても楽しくて美味しいことでした。

 その時点では、「地域食堂」の企画は生まれていませんでしたが、 2 年間「地域食事会」を続けていた時、わたぼうしの家に同居している、任意団体が、新年度から月曜日の事業を中止するとの情報が入りました。

 その時とほぼ同時期の平成 15 年10月に北海道コミレス研究会主催のコミュニティ・レストランの講演会があり、自分のモチベーションを高めることと、気持ちの最終確認として世古さんの講座を受講しました。そして、開設を決断したのです。平成15 年 11月に法人の事務局会議でコミュニティ・レストランの企画を提案しました。目的は 「集う」こととし、「語らい・笑い」を演出する。

 道具として「食事」を提供し、高齢者の外出を高めることとしました。

 中心となるシェフには、近所の下山洋子さんに狙いを付け、猛然とアタックしました。彼女はパン作りが大好きで料理も得意。一時わたぼうしの家のスタッフとして参加しており、家庭の都合により休んでいたのですが、今回の件は快諾してくれました。

 料金は300円としメニューは定食のみとする、作業のボランティアは「地域食事会」に参加している高齢者に提案するが、班分けをして毎月 1 回の参加にすることを提案するので多分大丈夫と安心してもらいました。

 平成16 年1月に「地域食事会」の事業の時に、集まっていた地域の高齢者の方に、 コミュニティ・レストランの企画を話しました。

 すると、「過去に一度も働いたことがないから」「私達にウェートレスが出来るだろうか」との心配な声が聞こえてきました。

 その時は、噛み砕くように「料理も定食一品なので配膳の作業は単純です。いつも、皆さんがわたぼうしの家で作業しているそのままでいいのです」「ボランティアとしての参加です。体調や都合が悪い時は休んでください。無理をすると長続きしません。楽しんで参加することが大切です」

 その時に、ネーミングの話をしました。カタカナで表示したいけど、いかがですか?と聞くと、「私達横文字は理解できないし、友達に説明しづらいから、日本語でいいんじゃない」とはっきり言われ、菅原ヨシ子さんから「地域食堂」が良いと提案されました。他の参加者も同意し、 ネーミングは一瞬のうちに 「地域食堂」に決まりました。自分達が自らの意見で決め、自信をもって人に紹介できる名前が最高なのです。

 その後、付近の町内会にチラシを持って周り、説明をしたり新聞社や TV 局にも取材依頼しました。

 3月30日に練習ということでプレ・オープンしました。ボランティアさん達に作業のイメージを持ってもらうことが目的です。メニューは作業の簡単なカレーライスとしました。お客さんは40人程度でしたが、とにかく雰囲気を体験し、この程度の作業なら自分達でもできることを感覚で理解してもらうことでした。

 翌日の新聞には「地域食堂が4月6日オープン」に記事が載り、開設初日のお客さんは50人程です。

 その後、新聞、雑誌、 TV 局の取材も相次ぎ、視察も社会福祉協議会、行政、議会、福祉施設、 NPO 法人等のさまざまなジャンルの団体が来ております。

 遠方では四国の室戸市から8人来た事例もあります。

 視察に来る人から「地域食堂は食べるところですか」との問いがありますが、答える時は「集い・語らい・食べる」ですと言います。

 とにかく「高齢者に食堂に来ていただき、食べながら時間を過すと、必然的に話すようになるのです」

 なるべくお客さんを名前で呼ぶようにしていることと、相席もお願いしています。すると、なじみのお客さんとの意識が芽生えますし、相席だと顔はおぼろげに知っていたけど、名前が分かれば会話が自然と進みます。必然的に食堂に足を運ぶようになります。スナックとかで一度しか行ったことないのに自分の名前を呼ばれたら嬉しいと思います。それは、自分がこの店の馴染みの客とか、常連さんと思わせるからです。名前で呼ばれることが「歓迎」と「存在」を認めているのです。

 300円は最低限の場所の確保料金です。町内会等で高齢者の福祉事業として、無料で食事を提供することがあると思いますが、招待される人はどのような気持ちで参加しているのかと考えたことがあります。本当に生活が苦しいなら仕方のない部分もありますが、普通は食事をするのに代金は支払います。すると、無料で食事することは今の高齢者には「ほどこし」と受け取ると感じる可能性もあります。ですから 300 円料金を支払うことは、居場所を主張することになります。原油価格や穀物類の高騰が続いていますが、出来るかぎり 300 円の価格を維持したいと思います。

 「地域食堂で元気になれるか」と聞かれれば、外出する時に女性であれば、多少なりにお化粧したり、それなりにいい服を選んできます。すると当然「あら〜素敵な服だね」「お洒落な色合いだね」とか話がはずみます。

 何も予定がなければ、服装も化粧も気にしないこともあります。しかし、食堂に来る日は、朝から気合が入り、目覚めも違います。このことは、はっきり目的意識を持つことにより、心も体も健康になっていくということです。何気なくしていると気が付きませんが、たとえ高齢者でも「生かされる人」と「生きている人」では違い、「生きている人」は生活に張りができ健康も格段の差がつきます。まさに「心の介護予防」なのです。

 病は気からという事象がありました。ボランティアスタッフの 池田 さんが体の調子が悪く入院することがありました。お見舞いにはいけなかったのですが、退院後に本人が言っていたことは「食堂に手伝いに行かないとならないから病院のベットで寝ていられない」。何気ない言葉ですが、地域の一員であること、社会で存在を認めていることを確信していることの何物でもありません。

 最近の特色として、子供を連れたお母さんたちが沢山来ることです。多い時で6組程でしょうか。普通のレストランでは気を使うことが多いけど、この食堂では気にしなくて良いし、廊下を子供が走っても誰も怒ることがないのです。

 それどころか、年配の人が子供の面倒をみてくれたりするので大変助かります。法人は、特に仕掛けることもしていないのですが、お客さん同士の交流が自然に始まり、双方が関わり持つことに好感を持っている様子を感じます。当初はこの様な想定をしておらず、副産物的な要素で生まれました。高齢者も気軽に来ることができる食堂は、実はお母さんたちも気軽に来ることができる食堂になることを教えていただきました。しかし、特別にお母さん達に「子育て」を強要することなく、自然発生的に声が出てくれば、その時に法人として考えることとしております。押し売りはせず、欲しいときに欲しいものを提供することに徹します。

 

  D高齢者生き活き「グループリビング」(介護予防を目的とした現代版の長屋)

 グループホーム「さんぽみち」が開設する平成 15年2月、内覧会に来た高齢者が建物の内部を見てくつろいでいました。

 「私もこんなホームに入りたいな〜。でも認知症でないから無理かな」

 この言葉が、しばらく脳裏を離れませんでした。

 老後のことを考えると、独居高齢者はやはり寂しいことが改めて理解できたのです。

 その後、わたぼうしの家近所の銭湯から何か共同で事業を始めませんかと提案され、高齢者の共同住宅と銭湯の組み合わせで建築できないだろうかと検討しました。ただ、 NPO 法人と民間事業者とが共同で財産を所有することは煩雑になることが予想されたのでこの計画は頓挫しました。

 平成17年9月中旬にグループホームの時から交流がある隼田先生から連絡がありました。

 「以前、工藤さんたちが企画していた建物に類似した助成があります。日本自転車振興会のホームページに書いてあるらしいです。」

 高齢者の自立と共存を目的としたグループリビングはまさに、高齢者が「さんぽみち」でつぶやいた計画と同じでした。

 補助要綱を読むと「健康な高齢者が介護保険や医療保険をなるべく使用しないで、地域で生き活きと暮らすことが出来る共同住宅」と記載がありました。

 入居した高齢者が共同住宅で仲間を支えながら生活を営む内容です。

 要綱を何度も何度も読み込み、法人の理事に電話して説明し、次回の事務局会議に提案することを話したのです。補助要望書は、9月30日札幌の社会福祉協議会必着なので、実質2週間で書類をまとめる作業です。市役所に勤務しながらの作業なので、平日の夜は手配や段取りに時間を費やしました。幸い9月に3連休が2回あったために、煩雑な書類作成は6日間に集中しました。土地探しと資金計画と平面計画は時間がかかる作業です。普通なら60日位かかる作業かも知れませんが、とにかく時間がないので、すべて平行作業で同時進行です。土地探しは「わたぼうしの家」の付近を中心に探した結果、法人のメインバンクの照会で歩いて2分の所に物件があったのです。

 取り合えず仮押さえして、「さんぽみち」を詳細設計した設計事務所に平面計画を依頼しました。居室は16 uで9室、居間、食堂、厨房、共同風呂、共同トイレ、共同玄関、交流室、事務室そして、2階建てとする。機能から建築面積を計算して、建築単価から建築物の概算を算出したのです。資金計画は自転車振興会の補助基準から割り出して 15,000千円を金利2.75%で10年で返済する計画を作成しました。

 事務局会議は簡単に通りましたが、理事会は意見が噴出しました。法人の定款32条の理事会の権能に「短期借入金その他新たな義務の負担及び権利の放棄」があるため承認を求めたのですが、主婦の立場で参加している2殻名が異論を唱え、負債を抱えることに難色を示しました。「100 %安全な計画はないし、法人の負債を主人に求めることは出来ない」もっともなことです。同等の計画を自費で検討したらこの数倍の負債を負うことになりますが、 15,000千円程度の負債ならと簡単に考えたことも正直な気持ちです。 2時間程度かけ議論しましたが結論が出ませんでしたので、多数決になりました。理事の進退を賭けての多数決なので慎重な判断になり、反対が2名おりました。

 法人設立当初は任意団体程度の資金計画でしたが、さんぽみちで42,000千円、グループリビングで自転車振興会から 65,000千円の補助金、家計簿程度の金銭感覚では無理なことかもしれませんね。その理事は年度内に辞任届けがありましたが、財政計画が無難になればきっとこの2人は戻ってきてくれると信じ、受け取りました。谷あり山ありでしたが、9月末日までに補助申請書類を提出することができました。

 2ヶ月後、東京の日本自転車振興会から連絡があり、申請した書類の聞き取り調査がありました。振興会の理事には地域食堂のビデオを見ていただき、

 難しい話は一切しないで地域づくりの説明をしたのです。すると「振興会が求めているイメージと似ている部分が相当ありますね」と講評をいただき、心の中でガッツポーズをしました。苦労して書類を作成したかいがあったことと、「わたぼうしの家」の実践していることが評価された証でもありました。

 平成18年4月東京での補助通達式で通知をいただき事業の開始です。

 事務手続き等は事務局がするにしても、何かまた市民を巻き込んだ仕掛けをすることとあり、グループリビング運営委員も募集したのです。建物の平面計画と運営について意見をいただこうとの思いです。新聞紙上で募集すると13人が集まりました。4回程の学習会から「料理を作る人を専門に雇うこと」を提案してもらいました。名称を募集したところ「ほがら館」という素敵な名前をプレゼントしてもらいました。

 この高齢者生き活きグループリビング「ほがら館」は 、自立した高齢者の生活の場とし、支え合いながら共同で生活することを目的とした住宅で、人や家族に依存することなく 自立した高齢者になっていただくことであり、介護を目的とした施設ではありません。健康で自立した高齢者が増えれば、被保険者である自治体の保険料は安くなるのです。これからの財政が厳しくなる自治体政策には試金石となるでしょう。

 核家族化した時代、隣近状の付き合いは疎遠になりつつあります。しかしこのグループリビングは「現代版の長屋生活」を演出します。

 江戸の小噺で出てくるような「大家さん」「熊さん」「はっつさん」の雰囲気が生まれることを願っています。まぁ、人生70年以上も生きてきた人だと、いきなり隣付き合いはできずに、 2〜3年かかるかも知れません。

 介護保険系のNPO法人の悩みは、介護報酬が変わると経営内容がそれに準じて変わることです。首都圏では民間の介護保険事業所は軒並み赤字経営と人材難に陥っています。 NPO法人わたぼうしの家はグループホームの建設資金を補助金で充当しているため、経営は安定しています。しかし、介護報酬単価が直に経営を不安定化させることは何とか避ける対応を組まなければならないのです。グループリビングほがら館は介護保険事業には該当しない「自主事業」なのです。潤沢な資金として9人分の家賃として年間に5,400千円の自主財源が生まれます。これは非常に大事なキーワードであり、法人全体の経営の安定化を図ることになります。

 総事業費は1億1,000千円、建設費の84,000千円に自転車振興会が65,000千円の補助金を出してくれます。その他に土地代金が15,000千円です。

 平成18年8月起工式をしました。土曜日の暑い日です。当日は「わたぼうし宅老」の日と重複したので、参加者全員で起工式に参加しました。

 従来の起工式は黒いスーツ姿の人が大勢しめますが、今回は様相が全く違いました。発注側はジーパン、 T シャツ、運動靴。その中には認知症の人もいれば、車椅子で参加する人もいました。それでも、神主さんが式典を始めると、それぞれ緊張しながら固唾をのんでいました。時々、参加者からユニークは声が発せられていましたが、とても心温まる起工式でした。

 11月に千葉県の「グループハウスさくら」の小川志津子さんに来ていただき、「高齢者の老いの住み方」を講演していただきました。100人以上の参加者が新しい高齢者の住み方を熱心に聞いていました。

 平成19年1月に工事は完成し、2月から入居開始しましたが、当初は 3 人しか入居せず、法人でも困惑しました。

 2月に神奈川県湘南の COCO 湘南の西條節子さんにも来ていただき、「老いの生活」について講演していただきました。

 見学会を開催すると参加する人は多いのですが、みなさん異口同音に「この建物で、入居預金200万円(退去時全額返還)で毎月14万円は格安ですね」「建物は素晴らしいし、運営方針は理解できるけど、わたしにはまだ早い」

 この言葉から、今の高齢者のイメージしている施設は、完全看護の老人ホームであり、「自立と共生を目的としたホーム」のイメージは心の中で整理できない部分が相当多いと感じたのです。

 法人の考えている「老いる前の健康な時から共同生活をして、健康に老いる生活をしませんか」との思いと、完全にミスマッチしていることが理解できました。 法人の考えている「進歩的な高齢者」が釧路には数少なく、入居に関しては苦戦が続きました。しかし、口コミ等で見学に来るもおり、平成20年8月現在で8人の入居者が生活しております。

3 ) 受託事業 ( 釧路市 )

  F 家族介護教室 (地域の介護している人への介護教室)

 平成14年度から、 釧路市 の受託事業として実施しています。はじめは、地域の方々に少しでも「わたぼうしの家のことを知ってもらいたい」と、「誰もがいつかは介護が必要になる時があります。その時に困らないために、みんなで勉強しよう」ということで、まずは介護教室を開いて、法人の存在をPRしようというのがきっかけでした。一度参加してくださった方が次の時には、他の人に声をかけてくださり参加者が増え、法人と地域住民との関係も少しずつ生まれてきました。更に、内容もより住民が興味を持てるよう充実したものへと変化し、市からは受託事業所としても認められました。

 内容は介護のことはもちろん、参加者同士が考えたり、認め合ったり、気付いたことを確認しあったり、そして参加者が元気が出る内容だったりと幅広いものとなっております。通信の載せた参加者の声を紹介します。

「たとえ親子でも互いを分かり合うことは難しい」〜家族介護教室に参加して〜

 「介護ってなーに」そんな無知な私を温かく迎えてくださった「わたぼうしの家」の家族介護教室は、毎回新しい発見と感動を与えてくれます。私にとっての介護との関わりは、母が祖母の介護をしていた幼い頃にあります。「あんなに仲のいい親子が介護の関係になると、どうして口げんかするのだろう」という、ひっかかりが私の中にずっとありました。しかし、この介護教室で「今、この時代を同じように生きている人でも、その生きてきた背景は違う。たとえ親子でも相互を分かり合うことは難しい」との先生の言葉に出会った時、何か今までのわだかまりが解けたような気がしました。そして、将来自分が介護する立場、される立場になった時も、この言葉が精神的支えになると思いました。(Mさん)

 

Gやすらぎ支援事業(認知症の家族への支援)

 この事業は平成 15年10月から受託事業として実施しています。 釧路市 が行った「痴呆介護(この当時はまだ痴呆とういう言葉が一般的であった)サポーター養成講座」を受けた人たちが「やすらぎ支援員」として登録し、ボランティで認知症高齢者の見守りや話し相手のために訪問をして、家族介護者の精神的負担および介護負担を軽減するものです。ボランティアではありますが、責任をもって関わっていただくために無償ではなく、交通費込みの派遣費が支払われます。法人の役割は家族、支援員、介護サービス、地域を繋ぐコーディネートです。

 やすらぎ支援員がクッションになり、家族との関係が良好になったり、介護サービスを頑なに拒んでいた高齢者が関係性の中から利用に結びついたり、家庭の中に外からの風が入ることで、高齢者も家族も心の変化が出てくるなど数値では表せない効果があります。

4 )まとめ

 協働 コーディネーターとしての役割

● 参加へのプロセス  

 この法人と関わり、手探りの状態でのNPO法人の立ち上げという未知の分野と、地域づくりをどの様に組み立てていかなければならないのかとの命題を背負い出発しました。

 グループホーム建設では、市民を巻き込んだ建設ワークショップの開催について、結末は見えないけれど、良いものをつくろうとの思いだけで動きしました。議論の末、従来の下宿屋的な建物とはまったく違う、行動計画から考えられた基本計画図に落ち着きました。個室と居間のほかに緩衝帯としての、中間的な居場所を設けることが出来ました。

 厚生労働省の補助金の決定通知が来た時は、小躍りした記憶があります。NPO法人で国庫補助を得ることが非常に稀なことには間違いなかったのです。建物の詳細平面計画を完成しましたが、申請予定の平面図をみて、北海道の担当者が「居室に手洗い場を設けること」と平面図に修正を求めてきました。認知症高齢者の部屋に水道栓を設置すると想像できる生活実態を説明しましたが、担当者は補助金を申請するのは要綱に書いているとおりです。と変更を求めてきました。

 要綱には、「原則として居室に手洗い場を設けること」と記載されていたことに納得できず、帯広で認知症のシンポジウム開催時に訪れた、※外山義(ただし)教授(京都大学)に平面図を見ていただき、承認の意味として「サイン」をいただき、我々の主張性を担保していただきました。結局要綱の一部が削除されたことを後日聞きましたが、最前線の現場での主張により制度が見直されたことは。NPO法人の本懐かもしれません。

 名称は社会的にNPO法人を理解していただこうと、新聞紙上で名称を募集しました。合計で49通の応募があり、近隣の町内会や隣接する柏木小学校の児童を巻き込んだ公開審査を開催し、「さんぽ道」を選出しました。しかし、4年生の女子児童から「ひぶな幼稚園の園児も読めるように」との意見があり、「さんぽみち」と全てひらがなにしました。

 建設工事の業者を選ぶ作業も、従来の金額だけでランク付け入札する方式から、ISO 90001 (国際標準品質規格)の資格を有している業者から選ぶ方式を採択したことは、釧路地方では稀な方法でありました。

 生垣を植える時に小学校に呼びかけたら、20人程度の児童に参加してもらえました。家庭からペットボトルを持参していただき、ヨドガワツツジに散水する道具として利用しました。児童でも簡単に植樹に参加できることを体験できたことと、児童らが卒業してから大きくなったツツジをみて、「僕達が植えた木だ!」と思いだしてくれれば嬉しいです。

 児童数減による統廃合で柏木小学校は平成 20年3月に閉校しました。しかし、4年間の間ですが、入学式、運動会、学芸会、卒業式の公式の行事に認知症の人達が参加できたことや、「ちょボラ隊」として、放課後に遊びに来てくれたことも、地域ぐるみでお付き合いできた喜びです。

 高齢者生き活きグループリビング建設では、運営手法を考えていただきたく市民公募して13人の委員に力を借りました。当初、食事の用意は入居者が持ち回りで担当する案でしたが、専任の人を配置して入居者の負担を軽減する意見がだされ、最終的にその意見でまとまりました。名称も運営委員にお願いして、ワークショップ方式で選出できました。「ほがら館」は「入居してほがらかに過ごしてほしい」との思いです。

 

● 対等な関係づくり

 従来の社会の仕組みでは、給料を貰い見合った分を働くことで「命令指示」系統が出来ており、それが従来の社会の仕組みです。経営者は理事報酬を貰い責任を負いながら従業員に給料を払い、仕事を命令してきたことは、資本主義社会の常識です。

 しかし、NPO法人では全く反対なのです。 

 理事報酬は無いが責任は重く、組織の中では法人が掲げる課題を解決するための職員やボランティアがいます。理事が組織の中で傲慢な態度をとることなく、スタッフと対等の関係をつくりながら、気持ちよく働いてもらうことが最優先です。責任的には重いけれど法人の中では頭を下げながら、有給だろうが無給だろうが関係なく、スタッフに気持ちよく働いてもらうことをしなれば、法人の掲げた思いは実現しないのです。

 このことは「会社は給料で拘束される縦社会」であるが、NPO法人は「思い で つなぐ横社会」と言えば理解できると思います。

 

●  課題を共有する作業

 グループホーム「さんぽみち」では、法人はグループホームを建設したいとの思いはあるが、自分たちの力だけでなく、より多くの市民と共に「課題を共有」したいことや、その上で「課題を解決」する手法も一緒に考えようとしました。最初から決まっていたことは、グループホームを建設したいということだけです。

 建築物の面積も間取りも工事費も決まりが何も無く、本当のでたとこ勝負の感じでした。ただ、皆さんの意見を上手くまとめるコーディネーターが大切と思い、福祉と建築の両面に精通している人を探しました。隼田尚彦先生も、いわゆる「まちづくり」には以前から興味があり、本物のワークショップを開催したい当方の主張を理解していただき、ボランティで札幌から 5 回ほど来ていただきました。

 先生も行政がアリバイ的にするワークショップには疑念を抱いた最中なため、すっかり意気投合し、法人の熱意にも感化され、毎回ワークショップにはJRで4時間の道のりも気にしないで、楽しんでワークショップに参加してくださいました。一切の報酬も支払わず、我々の意気込みだけを理解してくださり、熱心に参加していただいたのは、ありきたりのグループホームではなく、認知症の利用者のための本物を追及したい強い信念があったことと思います。

 主催する法人側も、コーディネーターとしての参加した隼田先生も、そして400字の思いをしたためていただいた市民参加者の人達と、このような作業をできたことは、NPO法人ならではの醍醐味なのでしょう。

 理念を先行し妥協をしないで作業をまとめたからだと思います。

 最後には50分の1の模型をつくる作業まで完結し、その作業のために、22時まで夕食もとらないでの全員での作業には心打たれるものを感じました。一緒に作業した者でないと共感できない物だと思います。

 

●  社会の先を見れるか

 社会基盤が整備され、日常の社会資本が整備されると人々の要求はどの方向に向くのかと問われたら、物事が出来上がっていく仕組みの中に参加していくことが心の要求を満たしていくだろうと考えていました。

 市民の要求は、市政に「参加のプロセス」を確実に担保して欲しい。そのことをどの様に実現していくかを問われる時代だと思います。

 介護保険では措置から契約へ、性別では男尊女卑から男女雇用機会均等へ、行政では中央集権から地方分権へと世の中の動きは縦社会から横社会へ、上下から水平へと大きな変化があります。動き出そうとしている社会の大きな流れを、いかに読み取れるかが先駆けることの要素でしょう。

 

● 社会の課題は何か

 身近な生活から考えられることは、「尊厳」がキーワードとして、これからすべての課題に関わってくるだろうと思います。

 格差社会では短期派遣から長期派遣へと、働いても働いても上昇できない貧困層。地方や都心に関係なく限界集落があり、高齢者が生活できなくなる地域が発生し、自立支援法のもと精神障がい者が病院を追われ社会で放浪し、子供たちは忙しくなり元気を失うしないつつある今、社会の課題はどこにあるのか、その課題に自分達で向き合う力があるのかを考えなければならない時期にさしかかっています。

 そこには事業として展開できる可能性があるのかを、常に検討しなければなりません。課題解決の先駆性として社会にアピールできるか、事業収支として算採性と継続性はあるのか、ネットワークを駆使して連携できる団体はあるのか、トータルマネージメントして、プロセスの企画立案・情報受発信・リーダー・管理運営等を総合的に判断しながら課題解決に向かうべきです。

 

● 参加から協働へ

 参加の形態としてのボランティアであれ、物事をつくり上げていく形態としてのワークショップであれ、いろいろな参加の形態があると思います。

 人が物事に興味を抱き、何かの事業に参加したいと意思表示があるとすれば、何らかのサインを出し、そのサインをどの様に情報をキャッチするかが、大切になると思います。

 流行言葉で「協働」というと、最先端でカッコ良くて何気なく共感できそうな雰囲気を感じます。今までの日本語にない概念なので、外来語を使うより親近感があり、非常に使いたがる傾向が最近は特に多いように感じます。特に「行政」ではバーゲンセールのように、首長が好む言葉で、その意を汲んで政策に反映させようとしている職員が混乱している様子がうかがえます。しかし単年度で予算計上している組織とか、首長の任期で成果をあげるために短期間で政策をまとめることが既存の枠組みでは、「協働」は馴染み難い仕組みである事も事実です。

 行政は地元では巨大産業です。そのことを、中で勤務している職員は気が付いていません。市民側は個人であれば商店主レベル、組織であればせいぜい中小企業レベルです。

 小さな自治体では、組織力・情報量・専門性・行動力等は行政に勝る団体は少ないことと思います。

 自分たちの過去の手法を脱皮して、市民的な地域の視線を持ち、課題を共有する作業をし、対等な関係性を構築し、人の話を聞く作業を繰り返し、期間とか財政とか自己都合を排し、積極的な情報公開をし、恣意的な企みを捨て、親身に考える作業を繰り返し、市民意識を持つことを「醸成」させることにより、「参加から協働」へ少しずつシフトできるのです。最終的には「住民によるコントロール」の運営をすることを目的として考えることが必要です。

 即席的に醸成する作業ではありませんが、特定非営利活動促進法(NPO)も誕生して10年経過したことですし、そろそろ市民側の力量を期待して思考する時期に差し掛かって来ていると思います。

 

※外山義教授(京都大学)は平成 14 年 11 月にご逝去されました。

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