7.現実社会の再発見
環境問題の帰結としての「クリーンエネルギー(原発)」推進政策は、2002年のヨハネスブルグ環境・開発サミットの公式文書で初めて登場した。この時、サミット会場に集まった国際 NGO からは批判の声さえ上がらなかった。マスメディアも各国政府に気を遣ったのか一切、報道しなかった。
G8 イデオロギーを表象し続けているマスメディア報道は、結果として「 CO2 排出問題」を原発推進へと結びつけてしまった。現実に起きていることを記録し、伝えることで、人々の関心を「公共性」へと導くことがメディアの機能であるはずなのだが、政府によるメディアコントロールが浸透した報道は、現実に起きている出来事を「われわれ」の目から覆い隠す役割を果たしている。
しかし、ようやく、一部ではあるが、メディアが「現実に起きていること」を再発見し、 G8 イデオロギーへの疑問を差し挟む内容の記事や映像が出始めた。
月刊誌「論座」(7月号)に掲載された、伊藤公紀・横浜国立大学大学院教授の「気候問題リテラシーを身につける」の記事は、 IPCC (気候変動に関する政府間パネル)の報告書の問題性を指摘した。週刊朝日(8月 15 日号)に掲載された「ゴア元副大統領と『原発利権』」の記事は、 CO2 削減と原発推進が結びついた経緯を暴露している。「政治理念」のパラダイム転換と並行して、世界を再発見する「メディア言説」のパラダイム転換が始まっている。
世界の途上国で起きている飢餓暴動は、ハーバーマスのいう「生活世界の植民地化」に対する抵抗として始まった。それは、いまやG 8 システムに対抗する世界規模の社会運動へと発展した。メディア世界でも例えばグローバリズム批判のドキュメンタリー映画がつくられている。 2005年公開の「ダーウィンの悪夢」(フーベルト・ザウパー監督)や「おいしいコーヒーの真実」(マークとニック・フランシス監督)、「いまここにある風景」(ジェニファー・バイチウォル監督)などがそれだ。
「ダーウィンの悪夢」は、アフリカのビクトリア湖畔の町で進むグローバリズムに光を当てる。「適合種」として繁殖した白身魚のナイルパーチは EU や日本への輸出用に加工されているが、地元の人は高級な缶詰を国にすることができずに飢餓に苦しんでいる。しかも小さな町に導入された産業システムは、湖とともに生きてきた住民のエコロジカルな生活形態を破壊した。グローバリズムは人間の生活や生命を「自然淘汰」し、「適者生存」の法則として立ち現れている。
「おいしいコーヒーの真実」は、コーヒー原産国エチオピアで、食料危機に悩みながらフェアトレードを求める農民らの、ネスルやスターバックスなど大手企業に対する「抵抗」の記録だ。「いまここにある風景」は、中国の貿易黒字を支える低賃金労働の実態と産業発展が国土に与える影響を淡々と描いている。
映画だけではない。 2006年に NHK 総合テレビで放映された「ワーキングプア――働いても働いても豊かになれない」は、グローバリズムによる規制緩和が生み出した「新しい貧困」を描き出した。これ以外にも、福祉・医療・教育・平和など現実に起きていること、現実に起きたことを「われわれ」に伝えてくれる良質なドキュメンタリー番組が増えている。
この7月に NHK スペシャルで放映された「証言記録 兵士たちの戦争」は、ガダルカナル作戦の真相や、ビアク島の絶望的な戦闘、ペリリュー島の持久戦の実態を描き出し、戦争の歴史的意味を問う迫力に満ち溢れていた。 NHK の BS 「世界のドキュメンタリー」では、フランス「 Temps Noir (タン・ノワール)」制作の「カストロ 革命と人生を語る」( 2003 年)がオルタナティブな価値やグローバリズムとは異なる世界の可能性を示した。こうした新しい「メディア言説」を表象するドキュメンタリー映像の中に、人々の関心を「公共性」へと導く「アジェンダセッティング」の可能性を探ることができる。
最大多数の視聴者を獲得するため、画一的で凡庸で、「拉致問題」や「竹島問題」に見られるように、時として排外的な装いとして現れる「メディア言説」は、まさに政治と民主主義の危機を反映したものだ。グローバリズムによって侵害された社会の深刻な痛みが、良質なドキュメンタリー映像を生み出している現在、市民に開かれた「メディア言説」は「公共性」へと「われわれ」を媒介するアクターとして立ち現れる兆しを見せている。
メディアが公共性を再発見し、真に民主的な「公共空間」を実現数には、主体的な市民による「政治的主権」(例えば「食料主権」)を担保する「メディア言説」を再編成することが肝要だ。
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