Vol.50  2008年8月20日号

NGO的映画の楽しみ方  第7回 ―― フェアトレードを探して――
                   『おいしいコーヒーの真実 (Black Gold)』    

長坂寿久(拓殖大学国際学部教授)
                    

キーワード・・・ フェアトレード、日本のフェアトレード、コーヒー、市民社会、NGO、
          WTO 、公正貿易、不公正貿易、エチオピア

      

『 おいしいコーヒーの真実 (Black Gold)

( マーク・フランシス、ニック・フランシス監督、 2006年)

 今年(08年)5月の世界フェアトレード月間最終日から、渋谷のUPLINKで上映が始まり、好評のため続映となった映画である。8月に入った現在もなお続映中、さらに、大阪を始めとして全国各地に上映館が広がっている。

 私たちが『世界』の中で生きていることを気づかせてくれるこの映画を、どうか機会があったらぜひご覧いただきたい。心からお勧めします。

 はじめに、「ぐらするーつ」の冊子に掲載していただいた拙稿をお読みいただきたい。「ぐらするーつ」は、13年の実績を持つフェアトレード団体であり、渋谷にあるショップには、いつも素敵なフェアトレード商品が並んでいる。

1.“ぐらするーつ”の冊子に書いた文章

 私たちの生活の中に深く入り込んでいる琥珀色の液体。私も1日1杯以上は飲んでいる。おいしいコーヒーに出会えば心は満たされ、さほどでもなければいささかならず落胆する。私の日常と 、コーヒーの生産者たちとは、 まさに直接つながっているはずなのに、それが見えにくくされている。その実態を見せてくれるのが、この映画だ。

 コーヒーの国際取引量は、石油に次ぐ多さにのぼる。実に1日20億杯以上を世界は飲み込んでいるが、生産地と消費地がはっきりと分かれている現実も忘れてはならない。映画は、先進国でのコンテスト風景の熱気から始まる。コーヒー・ソムリエたちが、真剣な表情でテーストする。そして、エチオピアの生産者たちとそれを飲む先進国の人々との映像が、交互にスクリーンに浮かび上がる。

 コーヒー1杯330円。その中で生産者に支払われるのは、3〜9円(1〜3%)程にすぎない。しかも、収穫された豆は、高品質を維持するために、一粒一粒人の手で選り分けられる。1日中選り分け作業をしても払われる賃金は0.5ドルという。農家の受取価格は何故こんなに少ないのか。

 エチオピア・オロミア州コーヒー農協連合会代表のメスケラ氏は先進国へ探求の旅を始める。そして、フェアトレードに出会う。フェアトレード商品を買うことの意味を、この映画は教えてくれる。フェアトレードを愛するわれわれに力を与えてくれる映画でもある。

「珈琲や 命の果ての 地球かな」

(万太郎の「湯豆腐や命の果てのうすあかり」から借用)

2.トークショウでの質問に刺激されて

 7月11日、UPLINKでのトークショウに招かれた。東中野でノアズカフェ( NOAH ' S CAF E)というフェアトレードカフェを経営している押野美穂さんと、前述の「ぐらするーつ」代表の鈴木隆二さん、それに長坂の3人で、 終映後にトーク の時間を持った。この時の皆さんからの質問に触発されたことが、この文章を書くモチベーションとなっている。

 この映画を観るのはこの日で4度目だったが、やはり新しい発見があった。同じ映画でも、観るたびに新しい発見を得られる。これが映画評論家としての率直な思いである。当初、この映画はフェアトレードを探し求めていく映画だと感じていた。しかし今回は、世界で何が起こっているのかを伝えてくれる、まさに世界のアンフェア(不公正)な貿易構造の実態を遺憾なく描く映画であると強く感じた。

 ゆったりとコーヒーを飲む寛ぎを、至福のひとときとしている「豊かな」私たち (イタリアの老夫婦がゆったりとコーヒーを飲んでいる姿が印象的だ。この方たちはこの映画を観るだろうか。)

 「カフェは人と人が出会うコミュニティなのよ」と天真爛漫に語るのは、スターバックス一号店(米国シアトル)の誇り高き女店長。(彼女はきっとこの映画を観たに違いない。今どう感じているだろうか。)

 コーヒー豆の吟味とテーストに命をかけている人々。(この映画はこの人たちの人生にどんな影響を与えるだろうか。)

 一方、生産者であるコーヒー農家の人々は貧困と飢餓の中にある現状が描き出される。「これでは子どもを学校に行かせることができない」と嘆く家族や、コーヒーでは生活できないので、チャット(多くの国で違法薬物指定されている植物)の生産に切り替える」という若者。コーヒーは石油に次ぐ国際商品であり、先進国ではブームともなっている。それを生産しているのに、生産地は飢餓に襲われ、子どもたちは栄養失調状態で放置されている。

 途上国の生産農家の人々は、小さなカップ1杯のコーヒーが、先進国ではいくらで売られているのかを知らない。それを聞かされて仰天する。彼らが得ているのは、1杯のコーヒーの値段のほんの1%前後に過ぎないのだ。

 この映画のエチオピアの生産者たちは、コーヒー豆1キロあたり5ブル程を受け取っているようである。1キロでコーヒーはおよそ80杯飲める。彼らは自分たちの最低限度の生活を維持するためには、今の倍の1キロあたり10ブル欲しいと語っている。それだけあれば、子どもを学校に行かせられ、困窮した生活から何とか脱却できると考えているのである。10ブルは1ドル強(115円程)にあたる。コーヒー1杯を330円として単純に計算すると、80杯は2万6400円である。その中の115円に過ぎない。これが過剰な要求だろうか。

3.コーヒーの生産から私たちまでのプロセス

 コーヒーの生産から消費までのプロセスは概ね次のようなものだ。

 @植えつけ− A剪定・整枝・施肥・除草−B収穫−C乾燥−D倉庫−E脱穀−

 F選別(格付け)−G袋詰め−H積出し−I焙煎− J小売−K消費

 このプロセスの中で、最初の@からDまでの最も大変なプロセスは生産者である農家の人々が行なう作業である。E〜Hは中間業者・流通業者が扱い (但し、E〜Gの実際の作業は農家の人々が行なっている)、I 焙煎以降が消費国 ( 輸入国 ) でのプロセスとなる。

 @〜D (あるいは@〜G) の作業をしている人々は Kの最終価格の中の1%程度を手にするに過ぎないと、この映画は報告している。しかし、農家(生産者)の人々の取得額は調査によってはもっと少ない。京都大学辻村英之先生の報告 * では、 1999 年、東京のカフェのコーヒー 1 杯が平均 419 円だったとき、タンザニアのコーヒー農家が受け取る利益はわずか 1.7 円、つまり 0.4 %だったという。コーヒー危機と呼ばれる 2003 年には農家の人々の取り分はいっそう低下し、 0.1 %にまで落ち込んでいた。英国の開発協力NGOであるオックスファムの調査 ** では、2001年11月〜02年2月の英国でのインスタントコーヒー(ウガンダ産ロブスタ種等級15のもの)の小売価格は1キログラム当たり26.40ドルだったが、農家が仲買人に売る価格は0.14ドル(生豆価格)で、最終小売価格の0.53%に過ぎなかった。

* 辻村英之『コーヒーと南北問題』日本経済評論社、 2004 年、同「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動」『季刊at』 11 号、太田出版、 2008 年、

** オックスファム『コーヒー危機――作られた貧困』筑波書房、 2003 年。

 ともあれ、どの調査も生産農家が手にするお金が驚くほど少ない点では一致している。しかも、この少なさは、「コーヒー危機」といわれた21世紀初めの特殊事情ではなく、90年代初頭から今も改善されずに続いている状態なのである。確かに、この1〜2年はコーヒーの国際価格が回復してきている。従って、多少の改善はあると信じたいところだが、現地農家の所得に大きな変化が起こっているという報告は届いていない。

 親しい語らいの場をいっそう温めるコーヒーが、奴隷のように搾取された労働に支えられていることをこの映画は語る。 1 杯のコーヒーを通して、地球の裏側の人々の生活と世界の現実を深く知ることになる。そして、 私たち先進国の人間全員(人間はすべて消費者でもあるから、まさに先進国側の私たち全員)が、彼らに対してもっともっと貧しくなれとまさに足蹴にしている実態を観ることになる。

 監督はインタビューで「綿花や石油、ゴムといった同じように農家が搾取されているものでも、この映画を作ることもできたことを指摘しておくことは重要だ」と語っている (映画 パンフレット ) 。この状況はコーヒーだけの特殊事情ではなく、世界の貿易全体が貧困を創出する構造を持っているのである。この映画の凄さは、 現在の世界貿易の仕組み・構造がいかにアンフェアであるかを見事に描いていることである。しかも同時に、 この映画は私たちがすべきことを伝えてくれている。それがフェアトレードである。

4.フェアトレードのビジネスモデル

 この映画が追求する「フェアトレード(公正貿易)」というものについて、解説をしておきたい。フェアトレードは開発途上国の貧しい(正確には貧しくさせられている)農家(生産者)の人々の自立を支援する活動であり、同時に対等な人間同士のビジネスである。フェアトレードのビジネスモデルとは次のようなものだ *** 。

*** 詳細は、今年(2008年)5月出版の 長坂寿久編著『日本のフェアトレード――世界を変える希望の貿易』(明石書店、2008年) をご参照下さい。

(1)  適正な価格での取引/最低取引価格の設定

 生産者との取引価格は、基本的には人間的な生活の保障を前提に設定される。コーヒーなど国際相場で価格が決まる商品については最低価格を設定し、それ以下に国際価格が下がった場合でも、この設定した最低価格で引き取る(FLO =フェアトレードの認証機関である「国際フェアトレードラベル機構」 の場合)。もちろん、国際価格が上がった場合には、その分の利益が生産者に分配される。また、借金地獄から脱却できるよう、前払い方式を奨励する。従って、通常の取引価格より高くなる。それには、中間業者の排除や、品質向上や環境対応などの付加価値で対応していく。このことは、次項以下でさらに説明する。

(2) 長期的・安定的契約関係

  自立のためには長期的・安定的取引関係が前提となる。フェアトレードは短期的取引関係でなく、長期的 な契約 関係を前提と する 。

(3)  組合の設立/割増金の支払い/民主的運営

 フェアトレードでは、先進国側の団体(NGO)は途上国側の農家(生産者)の人々に協同組合やNGOなどの団体を設立してもらい、その団体との関係でフェアトレードビジネスを進めていくことになる。その際、適正価格で引き取るだけでなく、現地側の団体に対して「割増金(ソーシャル・プレミアム)」を支払う。

 割増金が一定の金額になると、皆で民主的に話し合って使途を決定する。学校・診療所・公民館(コミュニティセンター、図書館等)等の建設、井戸や水道、奨学金制度、インフラの整備等々が行なわれ、これによってコミュニティの向上が図られていくことになる。また、フェアトレードはこうしたことが組合員全員の参加で決定されることとしており、現地側の団体の運営が民主的であることが取引の前提条件となっている。

 映画ラストシーン近くに、人々が集まって話し合う場面がある。協同組合に貯まったお金で何をしようか。学校を建ててはどうかという提案があるが、学校建設 には資金が足りないので皆で寄付を集めようと合意するシーンがある。このシーンでは胸が熱くなった。

 1999年に設立されたオロミア州コーヒー農協連合会は、「すでに4つの学校を建て、教室を17増やし、4つのヘルスセンターを設立し、2つの浄水供給所を設置し、200万ドルを配当金として農家に還元することに成功している」と映画パンフレットで紹介されている。

(4)  中間業者の排除/国際産直/顔の見える生産者

 コーヒーなどの農産品は中間・仲介業者が入り込む複雑な流通過程となっている。そこで、この中間業者を排除し、小売(または消費者)への直売をコンセプトとする。これは日本の農家を元気づけた「産直運動」と概念を共有する、いわば地球規模の産直運動である。これによって産地のブランド名が登録され知名度を上げていくことも、マーケティング戦略の上で重要となってくる。〔後述のスターバックスの「商標出願」妨害事件参照〕

(5)  環境対応/品質向上/技術指導/伝統文化の尊重

 フェアトレードでは、環境対応(オーガニック、日陰農法、地域原産の原料の使用等)や品質向上に真剣に取り組んでいる。それによって商品価値が上がるので、高めの価格での引き取りも可能となる。また、そのための技術向上支援なども行う。この映画のオロミア州農協連合会のメスケラさんも品質向上の重要性を強調し、その実現に邁進している。また、伝統文化を大切にすることもフェアトレードの目的の一つとなっている。

(6)  農業の多角化

 映画の中にはこのシーンは登場しないが、モノカルチャー(単品作物)が低価格と貧困へ直結しがちとなるため、フェアトレードでは作物の多角化を促進する。換金作物の多角化のみならず、自給作物の栽培にも特に力を注いでいる。

  トークショウでも、「コーヒーだけのモノカルチャーに問題があるのではないか」という質問があった。

(7)  児童労働の禁止

 フェアトレードは児童労働を拒否する。学校に行く権利を奪われて強制的に働かされ、搾取されることがないよう求める。(子どもの健康と育成が配慮された「仕事」を問題視しているわけではない。)

(8)  情報提供

 取引や市場の状況について情報を持たない生産者は、先進国側企業の言いなりに取引をするしかない。情報から疎外されていることがアンフェア取引のベースになっている。そこでフェアトレードでは、こうした取引、市場、小売情報などを生産者に提供することを大切にしている。映画では、主人公のメスケラさんがフェアトレードに近づくにつれ、より多くの有益な情報を得ていく姿が描かれている。

 以上がフェアトレードの基本的なビジネスモデルである。生産者に対して、 チャリティ 分を上乗せした価格で買い取るだけの活動ではないことを、理解していただけただろうか。チャリティに訴える時代はすでに終わり、今や「市場」での持続的活動を前提として成り立つビジネスモデルとして成長した。一方、そこに、経営の難しさ も 生まれてきているわけである。

 現在、世界でフェアトレードの取引をしている途上国の生産者は、800〜1000万人程と思われる。また、開発されたフェアトレード商品は、クラフト類、衣料、食品など130品目(数え方によっては3000品目)程といわれている。

 世界のフェアトレード市場の規模は、現在では2000億円程と推算できる。この内、日本のフェアトレード市場は70億円程、ほんの3.5%程度にすぎない。

 ところで、この映画では、主人公であるエチオピアのオロミア州農協連合会のタゼッセ・メスケラさんが、フェアトレードを追求する旅をしていく 。 彼は農家の受け取り分を増やす協同組合システムについては、日本の農協に招かれて八王子で2カ月程研修したときに学び、帰国後の1999年にこの農協を設立したのだという。映画では紹介されていないが、この話を聞いて、日本に暮らす 一人 としていささか心が和み、彼の旅の成功を一層うれしく感じたことを付け加えておく。

5.「アンフェア」な現実の市場と貿易

 では、なぜこのようなフェアトレードが必要なのであろうか。言い換えれば、現在の貿易の何がアンフェア ( 不公正 ) なのであろうか。そのアンフェアな貿易構造を見事に描いているのがこの映画であることは、冒頭で述べたとおりである。

 現在の世界は、市場至上主義のもとに動いている。すべては市場にまかせておくのがよい、政府も市場に介入すべきではない、と皆がすっかりそう思い込んでいるようだ。だから、この映画を観ても、現代の世界の貿易システムの構造的な不合理やアンフェアさを素直には信じられず、コーヒーは特別なケースだろうとか、一時的なことだろうとか、後半に登場するWTOの閣僚会議(メキシコのカンクン会議)のシークエンスが唐突だとか、フェアトレード運動にも限界があるだろうなどと思う人もいるのだろう。UPLINKのトークショウでの質問からもそう感じた。

 経済学の父アダム・スミスは「神の見えざる手」によって市場には合理性(均衡)がもたらされると考えた。彼は市場、つまり経済活動は、「利己的な経済活動は市民の公共のチェックを得てはじめて正当化される」『国富論』(1776年)と述べている。

 しかし、その後、「神の見えざる手」によって均衡を得るはずの市場は、いつのまにか「悪魔の見えざる手」に落ちてしまったといえる。「神の見えざる手」は市民の公共のチェックを受けない利己的な経済活動を行なう人々の自己弁護の言葉として使われるようになった。

 スミスの経済学でいう市場は、まさに純粋な市場を意味し、“経済人”が対等に向き合ったときに行なわれる取引を前提としている。その時にこそ、「神の見えざる手」が均衡をもたらすのである。

 貿易理論も同様の前提 に立って 説かれている。リカードの比較優位説は、各々がもっている資源の比較優位に特化することによって、相互に貿易が可能となり、お互いに貿易を通じて恩恵を得るというものである。しかし、実際の経済でリカードの比較優位説が実現したことは、一度もない。「強い」国は綿布もワインも何でも作ってしまう。しかも、多国籍企業は国家を越えて自由に投資し、安い労働コストを求めて「進出」をする。

 そして、ついに先進国側企業の利益追求のみが実現する仕組みを作り出すことに成功してしまった。例えばコーヒーの場合であれば、ニューヨークやロンドンの先物取引所にその仕組みが潜んでいる。この先物相場に合わせて儲けが出るように(損失を被らないように)その後の原料価格を押さえ込むのである。企業が常に儲けるしくみ、つまり、途上国の生産者が常に損失を被る仕組みが、先進国 側 の意志のみで作られている。それが現在の「市場経済 / 自由貿易」の実態である。

 世界の コーヒー市場は、わずかに 4つの多国籍企業によって 支配されている。それをWTOは自由な貿易として是認し、促進しているのである。 4 つの多国籍企業とは、@クラフト・フーズ(世界第2位の食品・飲食会社。日本では、「味の素」との合弁会社「味の素ゼネラルフーズ(AGF)」が有名)。Aネスレ(スイスのヴェヴェイに本社を置く、世界最大の食品・飲料会社)、BP&G(米国の大手日用品メーカー)、Cサラ・リー(菓子類メーカー、靴墨の KIWI (キィウイ)も有名)である。

 この映画では、途上国の人々がWTO(世界貿易機関)に対して激しく抗議する姿が紹介されている。彼らは何故、WTOに反対するのか。

 コーヒーは年間800億ドル以上の利益をもたらす国際商品である。映画では、 「アフリカの輸出シェアが1%増えれば年700億ドルを創出できる。この金額はアフリカ全体が現在受け取っている援助額の5倍に相当する。必要なのは援助ではなく、自立を支援するためのプログラムなのだ」と解説される。 マラウイの代表が「我々は貿易で自立したいのだ」とWTO会議の場で訴える姿が映し出される。

 開発途上国の人々の80%以上は農村で生活している。貿易の比較優位論からすれば、途上国は農業に特化していけば、競争力のある製品を開発し、輸出できるはずである。しかし、現実にはそうはならない。先進国は莫大な補助金を供与して自国の農業を育成している。その結果として過剰に生産された農作物は途上国にそれを輸出され、現地の農業発展を阻害する。しかしこれは、WTOでは「正当」で「自由」な貿易なのである。最初から重いハンディを背負った状態での競争に、途上国が勝てるはずはない。WTOが先進国の貿易システムを保護するための国際機関であることがよく分かる。

 トークショウの時、私はさらにいくつかのケースを紹介した。一つは現在の為替取引システムである。現在世界で行なわれている為替取引の内、実際の実物経済(貿易や直接投資)にとって必要なものは5%程にすぎず、80%以上は為替相場の動きで瞬時に金儲けをしようと徘徊している投機資金によるものである。まさに自己利益のためだけの資金移動であり、それによってしばしば引き 起こされる 通貨・経済危機 の被害は、いつも 弱い国や貧しい人々に しわ寄せをされる。

  こうした単に投機による金儲けのためにだけの移動で、経済実態に大きな影響を与える資金移動を世界は何故規制あるいは改革しないのか。NGOはこれに対して「通貨取引税」(「グローバル・タックス」等)の導入を求める運動を展開している。

他に、 HIV/ エイズの薬である抗レトロウィルス薬のジェネリック薬問題、水の民営化問題、さらには環境と貿易との関係 WTOシステムが環境より貿易財の方を優位に置く仕組みとなっていること 児童労働問題なども同様に、先進国企業の利潤追求の結果、途上国の人々が重大な被害を受けている例として挙げられる 。 児童労働は、単にその国や地域が貧しいから起こるのではない。先進国とのアンフェアな取引のなかで不平等な関係を強いられ、競争のために大人の労働者がクビを切られ、代わりに賃金がより安価な子どもたちが駆り出されているのである。このことは、同一地域での児童労働と成人の失業率を比較対照すると確認できるだろう。

 WTOシステムは、生産されたその製品がどのように作られたかは全く問題にしていない。人権も環境も、現在の世界貿易システムでは全く配慮されないのである。これらの問題に対して、世界の市民社会(NGO)は国際的なネットワークを組んで取り組み、多くの成果をあげてきた。

 経済学の父であるアダム・スミスが、経済活動が正当化される根拠として、「市民の公共のチェック」を挙げていることは、230年後の現在において実に意味深く噛みしめることができる。フェアトレードはアダム・スミスが前提としている本来的な市場に戻そうとする運動なのだといえよう。お互いが対等な関係として向きあった時に達成されるであろう取引を前提と した 運動なのである **** 。

**** 詳細については、拙著『NGO発、「市民社会力」――新しい世界モデルへ』(明石書店、2007年)、および前掲の拙編著『日本のフェアトレード――世界をかえる希望の貿易』(明石書店、2008年)をご参照下さい。

6.「私」にできること――消費者として

 ここまで、 フェアトレード運動は 、 開発途上国の貧しい生産者の自立を支援する活動であること、そして、不公正(アンフェア)な現在の市場・貿易システムを公正(フェア)なものへと構造改革をしていく運動であることを紹 介 してきた 。

 そして、もう一つ指摘したいのが、フェアトレード が 先進国の「消費者の自立」を目的とした運動でもあるということである。物を使って消してしまう、単なる「消費者」ではなく、モノを選択する「選択者」へと変容する可能性を、フェアトレードは持っている。買い物をするときに、より環境によいものを選択する目覚めた消費者、より途上国の人々の人権に配慮して作られたものを選び取る目覚めた消費者となることができる。 選択者になることによって、消費者は受動的な大衆であることから抜け出して、主体的な市民としての力を持 つことになるだろう 。経済活動が公共益となっているかどうかを、責任ある市民としてチェックする力を獲得 しうるのである 。

 また、例えば児童労働問題への対応を考えていくと、やはりフェアトレード商品にたどり着く。フェアトレード商品を手にするということは、世界のあらゆる問題に関わっていくということにつながる。 フェアトレードは地球を考えることの入り口なのある。

 日本のフェアトレードの普及はまだまだである。これからどのように普及していくのか楽しみであるが、それは私たち市民の行方にかかっている。その足がかりのひとつとして、この映画をぜひ観て欲しいと思う。

【 補足・・・ スターバックスへの視点】

 おいしいコーヒーを楽しめるスターバックスについて、最近のことなど3点紹介しておきたいと思います。

( 1 )その1――いつでも注文できるフェアトレードコーヒー

 映画の中に登場するスターバックス・コーヒーもフェアトレードコーヒーを提供するようになった。毎月20日のレギュラーコーヒー (「本日のコーヒー」)はフェアトレードコーヒーである 。しかし、それ以外の日には姿が見えにくい。

 そこであなたにできること。20日の日以外にスタバに行ったら、カウンターで「フェアトレードコーヒーを下さい」と注文してください。しかし、店員の方はその意味が分からないこともあります。レギュラーコーヒーを飲ませようと勧めるかもしれません。しかし、根気強く「フェアトレードコーヒーが欲しいのです」と言い続けて下さい。そうすると店の奥から店長が出て来て、あなたが言っていることを理解してくれるでしょう。20日でなくても、注文があればフェアトレードコーヒーを煎れてくれます。しかも、MサイズとLサイズではレギュラーコーヒーと同じ値段です。(Sサイズだとレギュラーより10円ほど高くなりますが)こんなささやかな試みによって、経験不足の従業員もフェアトレードをより深く知ることになり、レギュラーとして登場する日がもっと増えることになるかもしれません。

( 2 )その2――エチオピア政府の「商標出願」妨害疑惑事件

 この映画にも登場するエチオピアのシダモ地方。シダモは有名なコーヒー産地だが、飢餓の地でもある。この映画が撮影された(2005年)後、2006年後半から2007年前半にかけて、エチオピア政府とスターバックスの間で起こった「シダモ事件」について少し紹介しておこう。

 2006年10月、「エチオピア政府による同国産コーヒー豆3種の米国への商標出願をスターバックスが妨害した疑惑がある」との報道が国際的に流れた。エチオピア政府は、飢餓救済資金の確保のため、同国の優良コーヒー豆、シダモ、ハラー、イルガチェフについて商標を登録し、これらの豆の流通を管理し、生産者に対しては、小売価格中に含まれる「商標権使用料」を支払われる仕組みを国外でも採用しようとして、米国に商標登録を申請した。これに対し、米国コーヒー協会が異議を申し立て、米国特許商標庁がエチオピア政府の申請を却下した。この決定の背後にはスターバックスの動きがあったと英国の開発協力NGOのオックスファムが非難したのである。

 オックスファムは「スターバックスはエチオピアの農民から(商標権に関連した)臨時収入を奪っている」と同社を非難し、「商標出願を認めないことで、同社はエチオピアの生産者に対し、推定5700ポンド(約105億円)の年間商標権使用料を免れている」と指摘した。

 スターバックスはオックスファムが指摘する疑惑を否定し、「商標出願は双方にとって不利益となるとして、エチオピア政府に理解と協力を求めた」としている。また、 「スターバックスは米国におけるエチオピアのコーヒーに関する商標権を認めないが、同政府の登録申請そのものに反対するわけではない。エチオピア産コーヒーの需要拡大に努めるつもりである」と述べている。

 さらに、 スターバックスは、一連の批判に関連して、次のような声明を発表している。「フェアトレードを支援する独自ルートを使ってのコーヒー豆の仕入れ、社会開発プロジェクトへの投資、生産地におけるマイクロファイナンス(小規模金融)の促進。当社はこれらの活動を通して、業界のリーダーシップを握る企業としての責任を果たしています」

 本当に責任を果たしているか。それを監視するのも選択者となった目覚めた消費者の責任である。

( 3 )米スタバ 初の赤字

 米スターバックスの08年4〜6月期決算は最終損益が670万ドル(約7億2000万円)の赤字となり、1992年の株式上場以来、四半期ベースで初めての赤字決算になったと08年7月31日付の日本経済新聞が報じている。同社は今年1月、来年3月までに米国内の500店を閉鎖(既発表分と合わせると600店)すると同時に、全従業員の7%にあたる1万2000人を削減すると発表している。また、店員以外の従業員約1000人も削減、オーストラリアの店舗の約70%も閉鎖する。

 ガソリン価格の高騰と住宅価格の下落で消費者が外食費を切り詰め始めたこと、マクドナルドなどファストフード大手がコーヒー販売を強化し「スターバックス包囲網」を敷いたことが響いたとしている。

 スタバの業績悪化は、この映画の農村にも引取価格削減圧力として押し寄せてくるのだろう。

 

●●自主上映について

映画会社では自主上映を歓迎しています。くわしくは以下のサイトをご覧下さい。

http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/zisyu.php

 

*長坂寿久の映画評論の本: 『映画で読む21世紀』明石書店、 2004 年、『映画、見てますか。 Part 2』文藝春秋社、 1996 年、『映画、見てますか』文藝春秋社、 1990 年(『映画で読むアメリカ』朝日文庫で再版、 1995 年)、等。


 

 



 

 

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