Vol.48  2008年5月4日号

 「教育公務員の意識改革の方法」について −「専門職」の意識改革の現状と課題

             山方 元(愛知県立高等学校教諭/がまごおり協働まちづくり推進委員)

キーワード・・・専門職公務員の意識改革、新しい教員評価制度、
         成果主義による人材育成・能力開発、自己申告・評価カード、
         学校と地域との協働コーディネーター

1.はじめに

 「公務員の意識改革」というと、国家公務員・地方公務員にせよ一般行政職員の意識改革が中心に論じられることが多いと思われる。しかし、筆者自身は公立学校の教員であるため、同じ公務員の身分でありながら一般行政職職員の処遇や人事管理あるいは意識改革の実践の現場や内部に詳しくないどころか、行政職の仕事を「お役所仕事」として外から批判的なまなざしでさえみている。これはもちろん、公立学校教員は教育委員会が行う採用試験によって選考・採用され、給料などの待遇や服務監督も教育委員会が管掌しているからである。

 そこで、「教育公務員の意識改革の方法」というテーマで論考したい。しかし、それでもまだこのテーマでは扱う範囲が広すぎる。これには教員特有の理由がある。

 例えば教員は教員免許状の資格が必要な職種であるため、法律によって制度化された教員養成の在り方の検討からはじまって、教育委員会による「採用試験」の在り方、採用後の研修や評価および昇進・昇格など適正な処遇を含めた「人事管理」についてまで広く論じられる。

 また、教員は生徒に日常的に接触し、多様な生徒の意向を受け取り、学校の方針と調整している。そのため教員は子どもの日常生活に大きな影響を与える。保護者からみれば、学校を代表するようにみえる。生徒や保護者は教員に頼まれると、拒否しにくいところもある。裏を返せば、子どもや保護者から不満や文句がでやすい職種でもあり、過剰な教員バッシングが生まれやすい。

 また教員は「聖職」視されがちであるため、過度に規範的な教師像を持たれてしまい、ごく普通の教員には実現困難なレベルの意識や言動を求められがちである。

 また、教育活動が子どもの人間観・社会観・国家間の形成に影響を与えることから、「教員の意識」へのは常にときどきの政治介入の課題が起こりがちである。

 以上のことはそれぞれ一つのテーマであるが私は評論以上のことをできない。そこで、さらにテーマを「新しい教員評価制度」が現場に与えている影響と「協働」を生み出したり、協働の担い手となる教員をいかにして生みだすかということに絞りたい。

2.「新しい教員評価制度」について

<1>背景

 問われている「意識」の内容について括弧に入れて議論を進めていきたい。そのことよりも「意識改革」がどのように教育公務員の前に現れ、それがどのように受け止められ、何が起きているのかを見ていきたい。 1980 年代の臨時教育審議会まで遡る必要があるかもしれないが、ここでは数年の動きだけ捉えたい。私が教職に就いた18年前に受けた初任者研修のときに、すでにPDSサイクルについて講義を受けた記憶があるが、ここ10年の間に学校経営をPDCAサイクルで進めることが、学校評価制度、学校評議員制度の導入などで進められてきた。また情報公開制度が整備されたため、内申書の開示に備えて指導要録の様式も改正された。生徒の懲戒や進級・退学などの処分も、裁判になったときにも対応できるよう指導資料の作成や保存が求められるとともに、強引な生徒指導も姿を消した。ある意味で市民自治が発達したのに伴い、教員の意識と行動も変わったといえる。

 教員の「意識改革」や「人材育成」「能力開発」の手段として現在、取り組まれているものが「新しい教員評価制度」である。「新たな教員評価」登場の背景については、これまでの「勤務評定」が、以下の点で形骸化していることに対するものと一般的には説明されている。

 一つは、評定の客観性や評定制度への疑問、校長の観察内容により評定制度がとられており、それを補うものとして、自己申告や自己評価の制度がなかったり、教頭等を評定補助者としてその参考意見を聞く制度になっていない。

 二つは、教員自身に対する指導育成、意欲向上等に充分活用されておらず、校長が個々の育成課題を把握しても、評定結果が教員本人に告知される制度になっていない。

 三つは、評定者に対する研修も充分といえず、評定能力の一層の向上が求められる。

 また現在学校が現状維持型の組織から、課題解決・プロジェクト型の組織への転換をはかるためには、教員の人材育成・能力開発のための教員評価が必要であるとされている。

<2>「新しい教員評価制度」の実際

 愛知県の公立高等学校では平成18年度から実施されている。この制度について具体的に検討してみたい。

 1年間の流れを概観すると、学校経営案が作成される5月頃に教職員に目標設定を「自己申告・評価シート」に記入させ教頭に提出させる。またそれに対して校長が全員と面談して目標と手だてについて検討することになっている。そして年度末に最終評価を「自己申告・評価シート」を用いて「目標への取組と達成状況」「来年度の課題」を申告させる。その後校長が全員と成果・反省・課題について面談することになっている。

 「自己申告・評価シート」について、「<教諭・助教諭・講師>(高等学校)」版を例に参考に見てみよう。シートには、分掌・学年・学級経営・部活動経営・学習指導などの「目標区分」の中から二つ選ばせ、それぞれ「今年度の目標」を設定させ、それに対する「具体的な手だて」と「達成基準(ABCの3段階評価)」を当初に申告させる。

 年度末には「目標への取組みと達成状況」を具体的に記入させるほか、「自己評価」をABCの3段階で記入させ、「本年度の研究・研修実績、講師実績、資格取得等」を記入させる。

 そして、さらに「特性・能力発揮度」と「職務の状況」の2種類の自己評価をさせる。「特性・能力発揮度」の「評定要素」と「主な着眼点の自己チェック」は、愛知県教育委員会の手引きなどによれば例えば以下のようなものとなる。ローマ数字が「評定要素」、括弧内が「着眼点」である。

 「T使命感(1.教育者としての愛情・2信念・熱意・責任、3自覚ある言動)、U協調性(4.意思の疎通・協力、5.周囲への支援・連携、6.相互間の問題解決に努める)、V行動力(7.臨機の措置、8.的確な判断と実行、9.新しい事への挑戦)、W説明・調整力( 10 .保護者等への説明、 11 .自分の考えを理解させる、 12 .意見の理解・整理・調整、 13 .多様な意見をまとめる)、X研究心( 14 .専門的知識・技能の向上、 15 .積極的な取組と創意工夫、 16 .情報収集と活用、 17 .反省と改善)。

 またこれらについて、「顕著な取組及び成果等」があれば具体的に記入させている。

 これは教頭が1次評価(ABC評価)として評価し、その後校長による評価(ABC評価)が行われる。

 もう一つは「職務の状況」である。これも手引きの例を挙げると、例えば次のような評定要素と主な着眼点となる。

 「T学校運営(1.役割の理解・目標の具現化、2報告・連絡・相談の実行、3.保護者等との連携、4.課題への取組、5.的確な対処)、U学習指導(1.学習指導目標の達成、7.学習意欲を高める指導、8.生徒全体の掌握、9.わかりやすい指導、 10 .習熟度に応じた指導、 11 .家庭学習の指導、 12 .評価と改善)、V生徒の指導( 13 .計画的実施、 14 .基本的生活習慣等の育成、 15 .生徒を理解した指導、 16 .健康安全指導、 17 .問題の早期発見と適切な対応、 18 .生徒会・ホームルーム活動・部活動、 19 .儀式・行事等の指導、 20 .家庭との連携、 21 .人権に配慮した指導、 22 .生徒との望ましい関係、 23 .反省と改善)、W校務の処理( 24 .校務の積極的処理、 25 .正確で間違いがない、 26 .仕事の計画の適切さ、 27 .諸表簿の記録と整理、 28 .施設・設備の整備・保全、 29 .規律・守秘義務を守る)。

 そして一番最後に、「来年度の課題」について記入させられる。

 目標管理の導入であるが、能力評価と業績評価をともに「顕著な取組及び成果等」と顕在的な行動を評価する成果主義を導入している。

<3>「新たな教員評価制度」の評価

 まだ2年間のトライアル(試行)に過ぎず、統計的なデータもないが、「評価」を試みたい。

 導入時に、制度の目的や意義について教職員に対する「説明」が少なかった。給与や処遇への反映させていいのかという批判に関心が集まったので、不安を鎮め不満を抑えるためであったかもしれないが、情報が少ない。ともかく指示されたまま教員は動いたに過ぎないといえる。また各自の目標について、年度当初に手だてに対する指導や助言はなかった。シートが丁寧に精読されていない可能性も否定できない。また授業観察など目標達成に取り組んでいる現場に管理職が足を運ぶ例はあまりなかったためか、最終評価についても、評価理由の説明も、人材育成となるような指導・助言もなかった。管理職からは数値目標にして(管理職が)評価しやすいようにして欲しいという要望が出たくらいだ。

 このような実態を「勤務評定の形骸化」への改善という目的に照らして評価すれば、現在のところ、この新制度の目的は達成されていないと言わざるを得ない。

 何が専門性なのか、どのように評価するのか解らないまま、教員は手探りで目標を作成したに過ぎない。また目標を立てただけで、PDCAサイクルによって運用されることもなかった。

 評価される教員にしても、評価する側の管理職にしても、「改革疲れ」を生み出す事務量の増加と判断すれば、負担が重くならない程度に取組み方への意欲を落として簡略に済ませるのは当然といえよう。

 また視点を変えれば、現職教員が高齢化しており、今さら人材育成に時間とお金を使おうという教員は半数を割っているのが実態かもしれない。

 学校教育の仕事は農作業に似ていると言われる。文化祭や体育大会など年中行事など定型化された仕事が多い。多くの教員は現状の繰り返しあるいは現状の延長線上で仕事を考える。この枠を越えたビジョンや目標を創造し、実現させるためにマネジメント方法を発想する戦略思考は発達せず、前例踏襲や課題の解決を先延ばしをする傾向が強かった。

 したがって、ごく普通の教員であれば、2001(平成13)年の公務員制度改革大綱による新給与制度や2005(平成17)年の人事院勧告の「年功的給与構造の見直し」「勤務実績の給与への反映」などは蚊帳の外であり、理由も解らないまま号俸急が細分化し、査定昇給制度が導入されたという感覚である。

  いずれにせよ、生徒や保護者などへの教育サービスが改善されたとか、教職員集団内部が活性化したという声は聴かれない。この制度は、現場で理解されないまま導入され、すでに形骸化してしまっている。これが本格導入されると、結果的には管理主義的に使われ新しい発想や革新的行動は封殺され、内部評価への不信が生まれるかもしれない。

3.学校と地域との協働

 学校と地域との「協働」については古くから事例があるが、2000年の地方分権元年以後に考察を限定したい。学習指導要領が改訂され、その改革の目玉として「総合的な学習の時間」が小中高で実施されることになった。生徒の興味・関心・能力に基づいた課題設定追求学習であり、何をどのように学ばせ、どのように評価するのか、学校現場の工夫に任されるという画期的なものであった。公平性を確保するために全国画一で官主導の効率主義的な教科指導に慣れた教員にとって、教員の能力開発や教材開発に予算や支援が不足するなかで、適応することは困難であったが、多くの現場で多大な努力で取り組まれ、教員の意識改革に寄与したところが大きいと思われる。

 しかし、「ゆとり教育批判」という復元力が働き、改革疲れを生む結果にもなっている。この「総合的な学習の時間」の導入は、教育力・教育資源としての地域を学校に近づけることととなった。そして、地域は学校の教育資源として「利用」「活用」されることに留まるのか、地域と学校との協働へと発展するのか、大切な時期を迎えている。

 愛知県では、「あいち協働ルールブック2004」が作られたのを機に、愛知県教育委員会はNPO法人アスクネットと協働で「市民講師・外部講師」のガイドブックを作成し各学校へ配布した。また、「協働」に関する調査も行われている。また文部科学省は平成20年度から学校支援地域本部を全国で設置し、学校支援ボランティアをコーディネートする人材の大量養成を計画している。また東京では都立高等学校に科目「奉仕」が新設され必修となっている。

 地域と学校との協働が進む背景には、少子高齢社会(人口減少社会)の進展への対応、市民社会の成熟に伴う市民自治の進展、地方自治体の財政窮乏化といったものなどが考えられる。

 しかし地域(人材)やNPOとの協働については、幾つかの課題がある。言い古された言葉であるが、学校側からみてNPO等は「安い労働力」としてしかみられておらず、経費節減など行財政改革として利用されがちである。またNPOやボランティアに関する知識を身につけ異なる組織間との調整能力を磨き、価値観や意識を変えるチャンスでもあるが、教員の意識は依然内向きそのものである。

4.今後の教員の意識改革の課題

 教員評価は教育活動の改善や人材育成などのツールとして、現在どんな目的で教育活動を行い、どのような成果を出したのかを説明する責任(アカウンタビリティ)が求められている。しかし、政治・経済・宗教からの隔離主義をとっていた学校は、教育活動を内部完結的に行ってきたために、教員評価は既存の学校文化の刷り込みや新しいことへのチャレンジ精神の芽を摘むための手段となってしまう恐れが大きい。

 校門から外へ出て、組織の枠を越えて人材と知識を集めているリーダーたちと接触し、従来とは全く異なる理想や夢やビジョンを実現しようとパワフルに動き、様々な資源をマネジメントしている姿を実際に見ることは、教員の意識を大きく変えるだろう。

 従来教員は「教育専門職」として、教育への情熱や子どもへの愛情、専門教科や教育対象である児童・青年に対する深い理解などが求められてきた。その専門性の中には「政策形成能力」があまり重視されることはなかった。

 教員は学級経営や分掌経営や各種委員会で校内での政策形成過程に参加したり、校内の分掌をジョブローテションをしたり、学校行事や指定校事業などプロジェクトチームへの参加を通して、頭角を現した人物を抜擢し、外部経験を積ませて管理職を養成してきた。すなわち教員→主任→指導主事や県職等→教頭→校長という枠内でのみ、教職員はキャリア・デザインを行うしかなかった。 

 そこで教員公務員の意識改革として以下のような施策が有効であると考える。

■一般行政職員との交流(県職員との交流は関連職種との「協働」を、また市町村職員との交流は協働型授業や協働のフィールドを提供することになる)

■教員のボランティア活動、市民活動、NPO活動を評価する。教員がNPOの理事を務めることは、経営能力を高め、地域との交流を高める。

■学校文化を変革するリーダー人材の早期発掘と登用。

■教職員がキャリア・デザインをすることでメリットが生まれる仕組み

■市民や地域住民と学校をつなぐコーディネーターの育成

 生徒の外見と偏差値にだけ関心を持てばよい、生徒の個性や家庭の事情に気配りをする必要はない、という教員にはインパクトのある意識改革にはなるだろう。

 最後に付け加えるべきことは、「意識改革」への取組には謙虚さが必要であるということだ。多様な人材が教員には必要であり、多様性が保持されることが望ましい。改革すべき方向の「意識」は恐らく一つではないからだ。また、非競争的な意識の人たちがより多く非営利部門の公立学校の教員になっていて、その長所も考えておくべきである。意識を改革するというのは難しい。それを求めるのは「異質なもの」を認めることができない人間の短慮・短絡であるかもしれない。実際のところ、意識改革には「評価制度」も「地域との協働」が全て有効であるとは思えない。それぞれ長所と短所があるだろう。

 「地域との協働」で地域と学校の双方に与える最大のメリットは、人材を腐らせていた仕組みの打破と、過剰な教育依存と教育不信の悪循環の連鎖から抜けることには一定程度寄与することではないかと思われる。


 



 

 

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