Vol.46  2008年2月5日号

11月「NPO公共哲学研究会」報告

                             土田修(NPO協働e-news編集委員)

 NPO公共哲学研究会(略称NPPC)11月定例会は2007年11月19日、東京都杉並区のすぎなみNPO支援センターで開かれた。「CSR(企業の社会的責任)とNPO公共哲学」をテーマに拓殖大学国際学部教授の長坂寿久さんが講演。長坂さんはジェトロ(日本貿易振興機構)に入会後、シドニー、ニューヨーク、アムステルダム駐在をへて1999年から現職に就き、国際関係論(NGO、NPO)を研究している。著者は「オランダモデル――制度疲労なき成熟社会」(日本経済新聞社)、「NGO発、『市民社会力』」(明石書店)など多数。

 今回の講演で長坂さんはCSRを「企業経営にNPOを内部化すること」と説明し、「CSRは企業とNPOの協働によって創出された新しい経営システム論だ」と持論を展開した。講演要旨は次の通り。(文責・土田修)

――CSRという新しい経営理念は90年代に急速に世界に広まった。そのカギはNPO/NGOにある。NPOは企業を社会の中の一つのステークホルダー(利害関係者)とみている。企業も公共領域(パブリック・スフィア)に関わるべきだという考え方をとっているといえる。

 これまで日本では、公共ニーズは政府と企業の2つのアクターによる合意でつくられてきた。市民セクターが小さかったためだ。今後、公共ニーズに対応するシステムをつくるには政府・企業・市民セクターが話し合って合意する新しい仕組みが必要となる。

 この3者が対等な立場で社会をつくるには、政府とNPOの協働、企業とNPOの協働が必要になる。これは2セクターモデルから3セクターモデルへの転換を図ることでもある。

 政府とNGOの協働の例としては、京都議定書の締結(1997年)がある。CAN(気候変動ネットワーク)の主張に賛同した国が参加した。対人地雷全面禁止条約(1997年)では、ICBL(地雷禁止国際キャンペーン)に賛同した国が中核国になり、参加国を増やした。オタワプロセスといわれるこの動きはノーベル平和賞受賞につながった。

 政府・企業・NGO/NPOの3者の協働としては、2000年開催のシドニー五輪がある。1999年、オーストラリア政府はグリーンピースが要求した7項目を基に「環境ガイドライン」を作成した。7項目とは汚染地域浄化や太陽光発電など再生可能エネルギーの使用、ノンフロンガス・システムの採用などだ。環境ガイドラインはIOCが五輪の誘致条件とし、国際イベントのグローバルスタンダードになった。五輪開催の仕組みが変わったが、日本のマスコミはグリーンゲームの観点では報道しなかった。

 次に企業とNPO/NGOとの協働。CSRは企業とNGOとの協働によってつくり上げられた新しい経営論だ。90年代、NPO/NGO戦略に変化があった。国際条約は国家によってつくられることから、NGO側が各国政府をパートナーシップの相手として自覚するようになった。

 企業とNGO/NPOとの協働は、NPO/NGOとの相克の中から生まれた。95年の北海への油田施設投棄をめぐるブレントスパー事件を受けてシェル社は「人間尊重」「持続可能な発展」といった新しい企業理念を採用するようになった。「経済・環境・社会」をトリプル・ボトムラインとする経営理論化が進んだ。

 元々、企業は収益を上げることを目的としている。ところがCSRはトリプルボトムラインをコアビジネスの中心に置く考え方だ。日本では80年代から企業の社会貢献という言葉はあったものの、NPOに寄付するだけという旧態然とした貢献論でしかなかった。

 NPOとパートナーシップを取ってやっていくという考えは日本の企業になかった。コアビジネスの中に「社会」を組み入れていかなければCSRとはいえない。「社会」とは、世界のNGOが重要だと言っているもののことだ。これまで社会での企業活動のレジティマシー(正当性)は政府から与えられてきたが、現在では「市民社会」との対話の中から獲得するものに変わってきている。

 最後に、日本の企業とNGOの協働だが、日本ではまだコアビジネスの中にCSRが組み込まれていない。NPOへの寄付は増えているが、NPOへの寄付はCSRではない。マルチステークホルダーの中のNGO/NPOとの協働が不可欠といえる。

 日本企業は国連MDGs(ミレニアム開発目標)、開発協力、フェアトレードなど国際的感受性が弱い。日本企業の多くが国際評価機関の報告書で「評価するに足らず」との評価を受けている。CSR担当者を設置するなど経営姿勢を変えなければ、今後、日本の企業が世界のNGOのターゲットになっていく可能性がある。背景には日本の市民セクターの弱さもある。戦後の日本には「市民社会論」が欠落していた。今こそ新しい市民社会論を形成する必要がある。


 



 

 

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