Vol.45 2007年12月24日号

能登・酒蔵の町を歩いて

          船戸 潔(特定非営利活動法人 NPO研修・情報センター 理事/ 酒蔵環境研究会はみだし会員 )

空から高齢化を思う

 石川と背中合わせの岐阜に生まれながら、初めての北陸の旅は、羽田から始まった。お隣の席の方は、 珠洲市の高齢者施設に勤務し、東京での表彰を受けての帰り途とのこと。自然、話題は、能登の高齢化の問題に向かう。能登の高齢化率も、20%を超えるが、東京の20%とは、また違う問題を持つ数字といえる。機上から見える秋の能登半島、かすかに赤みを増した山々に、くっきり見えるのは整備された道路網。つい最近 86歳の父に「免許放棄」を宣告し、取り上げてしまった息子として、車なしの地方の生活の苦労は分かるし、道路の必要性は理解できるのだが、「限界集落」と呼ばれる村々にとって道路整備とはなんだろう。そんな思いを持ちながら新しい能登空港に降り立った。

震災から半年

 去る11月3日・4日の両日、今年3月25日に能登半島地震の被害を受けた、石川県・能登を訪ねた。今回の旅の目的は、「楽しみながら能登復興支援」。ツアーの参加者は、浜松でコミュニティ・レストラン「てまえみそ」を運営する富田さん関係者、世古さんの出身の大学関係者など多彩な14名。行く先々で出会うのは、能登の地場にこだわる人々であった。被災から半年以上経て、表通りから窺われる震災の名残は、きれいに片付いた空き地が、まちのそこここに点在することくらいである。通りすがりの観光客には、なかなかその実態を把握しづらいものである。

中島酒蔵を訪ねる

 初日の最終目的地は、輪島の「中島酒蔵」さん。ご主人は不在であったが、奥様に地震当日のお話を聞きながら、倒壊した酒蔵の跡を案内していただいた。壁土の塊がまだ残る庭、足を踏み入れることも躊躇われる傾いた部屋、倒れたままの中庭の灯篭。表玄関からは、まったく被害の状況が想像できないだけに、日々をその場所に住まうその苦労、辛さはいかばかりかと思われた。地震当日の状況を語られる目に、うっすらと涙をにじませながら、地震の際に不在であったご主人を「暖かくなじる」姿に、なんとも言えぬ夫婦愛を感じ、うらやましく思ったのは、私だけではないだろう。蔵の再建は、例の姉歯事件の反動による建築基準法適用の厳格化の影響もあって思うように進んでいない。今年の仕込みもかなり厳しい状況のようだが、他の蔵元の協力を得ながら、希望を持って乗り切ろうとしている。ビールはもとよりワイン、焼酎等、お酒に関しては、まったく縁のない生活を送っている小生も、ひとつの文化としての酒造りを見るに、職人の誇りや歴史を感じざるを得ない。またそれを守ろうとする人々と、つながることの喜びや楽しみをまた一つ増やしてくれた。


中島酒蔵訪問

白藤酒蔵の若夫婦

 その夜、もうひとつの輪島の蔵元「白藤(はくとう)酒蔵」さんの若夫婦を迎えて、日本酒と能登の地産料理で大いに盛り上がった。農大で醸造学を学んだ若夫婦が酒造りに励むという状況は、私の酒蔵に関するイメージ(言葉少ない無骨な親爺さんが、もくもくと大きな樽に向う?随分、ステレオタイプ!)を十分に崩してくれた。落ち着いた、魅力的なご夫婦を、うまく表現する言葉を残念ながら持ち合わせないので、気になる方は、どうぞ輪島をお訪ねください。

 翌朝、有名な輪島の朝市を楽しみながら、改めて白藤酒蔵を訪ねた。廻船問屋や質屋さんの歴史を持つ蔵元を象徴するかのような見事な松が表玄関を飾るが、玄関から一歩裏庭へ抜けると、そこには骨組みの出来上がった蔵、基礎のコンクリートだけの区画、そして大きくブルーシートのかけられた母屋。震災時に一気に引き戻される。ここでも蔵の建築の遅れが、酒蔵再建の足かせになっているようだ。しかし、「皆さんの支援や励ましが、大きな支えになっている」とおっしゃるお母様と若夫婦には、少しも翳りを感じることなく、かえって希望に満ちているように見えたのは、彼らの若さ故とは思われない。それは醸造学を大学で専攻した知性と、何より自らの身体で日本酒を造るという歴史と文化への誇りがもたらすものであろう。何ともさわやかな訪問であった。

  白藤酒蔵正面玄関                再建中の酒蔵の前で             白藤酒蔵被害の様子

七尾のまちづくりに触れる

 最後の訪問は、まちづくりに取り組む七尾の御祓川(みそぎがわ)の寄合処「御祓館」である。人口6万人ほどのまち七尾。私の知識には「和倉温泉の加賀屋」のみであり、それが七尾にあることも、恥ずかしながら今回の旅で知ったような状況である。古くからの醤油屋や海産物屋、ろうそく店等を語り部処とし、ふるさとの大切なものを守ろうとする一本杉通りの取り組みや、御祓川の浄化とまちの振興への取り組みなど、古き伝統と革新の融合が見事である。わずか1〜2時間の訪問で、何が分かるわけでもないが、歴史や産業、伝統など地方ならではの「資源」と「人財」をつなぐ取り組みは、地域コミュニティすら、ずたずたになった私の住むまち東京でもぜひとも参考にしたい。

 ほんの短い、私にとっては初めての能登・蔵元訪問であったが、蔵元に限らず、食事処、御菓子屋、民宿、まちづくり会社、そこで出会う青年(壮年も含む!)たちに見た輝きは何であったのか。もう一度たずねてみたいまちである。

 能登には、匂いがあって、味があり、そして何より「ひと」がいた。


 



 

 

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