Vol.45 2007年12月24日号

NGO的映画の楽しみ方  第4回 --亀も空を飛ぶ
                      ( バフマン・ゴバディ監督、 2004 年
対人地雷問題 ――対人地雷全面禁止条約とNGOの国際ネットワーク(ICBL)
                    

長坂寿久(拓殖大学国際学部教授)

キーワード・・・ 地雷、対人地雷、NGO、国際ネットワーク、ICBL、軍縮条約、イラク、
         対人地雷全面禁止条約、オタワ・プロセス、プロセス革命、日本の支援

亀も空を飛ぶ』(バフマン・ゴバディ監督、 2004 年)

1. 日常の中で戦争を生きる子どもたち

 トルコ国境に面するイラク北部クルディスタン地方の小さな村。 2003年3月に米軍の侵攻によってイラク戦争が始まる数日前から、サダム・フセインの像が倒される様子を世界中がテレビで見るまでの約1カ月間、この地域にどのような「生活」があったのか。村に住む人々、とくに子どもたちの日常生活を描いた、息をのむような衝撃的映画である(東京では岩波ホールで上映)。

 村の向こう側はトルコ領。国境は金網で閉鎖され、昔は親しく交流していた人々とも、今はまったくの他人になっている。村には多くの難民が流れ込んできてテント村ができている。 サテライト と呼ばれている少年は、最近やってきた難民の少女のことが気になってならない。内紛で家族を殺され、家族を殺した兵隊に犯された結果できた子どもを連れて、兄と一緒に故郷を逃れてきたのだ。兄は両手を失っており、彼女の子は両目が見えない。子どもを育てつつも、この子がもの心つくまでには捨てなければならないと、心の中で葛藤していることが、映画の進行にしたがって明らかにされる。

 子どもたちは地雷を売ることで現金を得ている。 サテライトは少年達のリーダーとなり、大勢の村の子どもたちと難民の子どもたちを指図して地雷を掘り出す地区を割当てる。彼を慕う少年は多く、子どもたちは大人の論理とは異なる地点で、かたい絆を結んでいる。大人たちは地雷を掘り出す子どもたちの配置を待っている。地雷が掘り出されれば、わずかでも「安全な」農地が広がるのだ。

 地雷は村の仲介者に売られる。 1 個 22 ディナール * 程らしい。「国連にもっていくと1個 2200 ディナールで引き取ってくれる」のだという会話も交わされる。地雷の掘り出しが、子どもたちの「日常」である。

* イラク・ディナールのレートは、武力紛争直前は1ドル= 2500 〜 2700 ディナールだった。つまり 22 ディナールは約1セント弱、 2200 ディナールは約1ドル弱。なお、米国侵攻後は石油保有国の将来性が買われ、イラク通貨は急速に高くなっていった。

 戦車やトラックの瓦礫の中に巨大な薬莢がトラックで運び込まれ、それを土管を積むようにうず高く積んでいく。子どもたちはその手伝いという「仕事」をする。時として薬莢が爆発する。これも「日常」である。

 米軍が侵入してくるころ、少女の幼子が地雷原に迷い込んでしまう。少女に恋をするサテライトは、子どもを救い出そうとして地雷に触れ、足をやられる。米軍がバグダットを制圧、フセイン政府は倒され、「平和」が訪れた日、彼女は思いを遂げるかのようにわが子を殺し、自殺を図る。断崖に残された靴を、手のない兄は口で銜えて持ち帰る。あまりにも哀しい終焉である。平和のためにやってきたはずの米兵の進駐が、白々しい背景となって映画は終わる。

戦争が奪っていくもの

 この期間、この村では戦闘が行なわれているわけではない。しかし、人々は戦争とともに日常を生きている。野原や畑に埋め込まれまき散らされた地雷を掘り出し、それを売って現金を稼ぐ。それが子どもたちの生活である。

 戦争を日常とする生活の中でも、子どもたちは絶望とは無縁に逞しく今日を生き、友を信じ、恋をする。しかし、そういう陳腐な感想など寄せつけない、そういう皮相的なコメントを凌駕する凄まじさが、ここにはある。これは、戦争を日常とすることによって、子どもたちが何を失ってしまうのかについて描いた映画なのだ。

 まず肉体を失う。両腕を失い、片足を失い、指を失い、命を失う。演じている「俳優」は、今現在を生きている現地の子たちである。両腕や足のない子どもが、生き生きと役割を演じている。そして、その背後には、多くの失われた子どもたちがいることに気づかされていく。

 親を失い、兄弟を失い、家族を失う。レイプされ、妊娠させられ、子どもを産む。わが子を愛することを失い、生きる自信を奪われる。

 社会(コミュニティ)の伝統的秩序も失われる。尊敬を集めていた村の長老たちは、子どもたちに依存せざるを得ない。米軍侵攻の動きとともに戦争情勢を知るためには、衛星テレビが必要になる。その設置知識は、小器用な子どもたちが持っている。大人は権威を失い、社会秩序は崩壊を始める。そのことはまた、子どもたちを保護しうる構造が失われるということでもある。

 子どもたちは、丘の上に機関銃を据えて戦争の準備をする。今必要なのは、勉強ではなく、戦争の知識だと主張する。「現実」の前に、この主張をくつがえすことはできず、教師は子どもたちを教室に戻すことができない。教育が奪われ、未来が失われる。

 子どもたちは、子ども時代を生きることを奪われ、ゆたかな未来を展望しつつ生きる生き方を失う。そして、心が失われる。

 幸せへの渇望も、子どもを育てる意欲も、自分自身が生きる魂の力も失い、自ら命を絶つ。侵攻してきた米軍への信頼感も喪失する。すべてを戦争が奪っていく。

2.対人地雷の現実――「悪魔の兵器」

 この映画の主役は現地の子どもたちである。そしてもう一つの「主役」が地雷である。

 赤十字国際委員会の1996年の報告書には、地雷による死傷者数は、「すでに核兵器と化学兵器による死傷者数を上回る」とある。 JCBL (後述ICBLの日本事務局)の資料( HP )によると、 1990年代中頃には 131 カ国が2億6000万個の地雷を敷設あるいは保有していたという。そして、48カ国100 以上の企業 ( あるいは政府関係企業 ) で新たな地雷が生産され続けられていた。

 1997年、「対人地雷全面禁止条約」が採択され、状況は次第に改善されてきてが、2006年に至っても、 対人地雷が埋設されている国は50カ国、埋設地雷数は1億7800 万個と推定されている( JCBL )。

 対人地雷による死傷者数は、 90年代中頃には年間2万5000 人以上だったという ( 赤十字国際委員会 ) 。20分に一人の割合で、命、手足、視力など体の中枢部分が奪われる。犠牲者の多くが女性や子どもなど非戦闘員である。

 対人地雷は一度埋設されると半永久的に効力を保ち続ける。この映画の舞台のように、今は直接の戦闘地域になっていなくても、そして紛争終結後も、一般市民に被害を及ぼし続けることから、「悪魔の兵器」と呼ばれている。

 人々は、地雷があることを充分に知りつつも、生活のために薪をとりに行き、農作業に出る。子どもたちは遊びに出て、あるいは畑仕事を手伝いながら地雷に出くわす。一般市民に対して無差別な被害を与える、実に非人道的な兵器である ( 難民を助ける会 HP) 。

人間の悪魔的英知

 地雷の「発達」について知ると、人間がこの兵器に、いかに悪魔的な英知を傾けてきたかを認識し、唖然とするばかりである。

 地雷には、「対人地雷」と「対戦車地雷」とがある。対人地雷は500 グラム〜10キロ程の力がかかると作動し爆発するように設計されている。小さい子どもの重さがかかっただけでも、爆発には十分である。対戦車地雷は130キロ以上の負荷が必要だが、頑丈な戦車を破壊できるよう、強力な爆発力を持つ。戦争終結後でも、この地雷によって、民間のバス、自動車などが事故に遭い、乗客全員の死亡となることも多い。

 起爆作動は重さに感応する圧力式が多いが、ワイヤーでピンを抜く方式、遠隔操作方式、赤外線センサー方式など、いくつかの方式がある。設置方法は、兵隊たちが地面に埋めて設置する以外に、地雷を撒くための特別車両やヘリコプリーを使って一気に撒いたり、 爆撃機を利用して、クラスター爆弾の中に入れて広範囲に撒き散らしたりすることも 行なわれている( Wikipedia )。

 他方、こうした地雷を探知するための方策も講じられている。捕虜 ( 時には村人や少年兵なども ) を前に歩かせることもそのひとつである。巨大なローラーのようなものを車両の前に取り付ける対地雷装備も作られている。そこで、今度はそれに対応するための「知恵」が生まれる。複数回の刺激が加わった後に爆発する地雷はその一つである。「探知機」代わりの最初の一人だけでなく、本隊が通過する際に爆発するように設計した方が、より多くの人を「効率的に」負傷させることができるからである。

 また、容器が二重になっていて、ワイヤーや踏圧で信管が作動すると内側の容器が空中 1 〜 2 メートルに飛び出して鋼球などを撒き散らし、周囲 10メートルの敵に損傷を与えることができるものもある。

 戦争において、地雷探査と処理は大きな課題であるが、それができないような開発も進められている。通常は金属探知機で探した上で処理することになるので、金属探知機で発見されないよう、木製地雷、プラスチック地雷なども作られている。さらに、金属探知機が発する磁気を感知して爆発するものまで開発されている。

 探査は専門に訓練された探知犬によっても行われている。しかし、結局は、一つ一つ手作業で取り除いていくことになるので、人間がナイフなどを地中に差し込みながら探す方法も一般的である。ナイフがコツコツ当たる程度なら安全らしい。そこで、そのように探査されることを想定して、地雷を掘り出した後、一定の角度以上に傾けると爆発する方式の地雷も使われている。

 地雷は安価なものなら 1個3ドルの経費で購入しうる。 300ドル程の高いものは不活性化地雷といって、一定期間後に爆発力を失うタイプのものだという。ともかく対人地雷はきわめて安く手に入る。こうした安い地雷を紛争国が生産国から輸入し、配置し、野放しにするという現象が起こっているのである。

 他方、地雷の除去は大変効率の悪い作業である。一つ除去するのに莫大な経費と人的負担を強いられ、しかも大きな危険がともなう。除去経費は1個 300 ドルから数1000ドルといわれる。

低コスト−無差別−重度障がい−長年にわたる生活環境の破壊

 対人地雷が他の大砲や機関銃と異なる点は、いろいろ挙げられる。まず、比較的低コストで防衛ラインを設定できることである。また、特徴として以下の3点が指摘されている。

 第1の特徴は、「無差別」という点にある。敵と味方、兵士と民間人を区別しない。軍人のみならず、畑に出ている農民、山里に薪を拾いに出た村人、外で遊んでいる子どもたちなど、誰でもかまわず殺傷する兵器である。その点で、原子爆弾と同じ効果をもっていると言われる。 同様に米軍が使用した劣化ウラン弾も同様である。

 第2の特徴は、「必要以上の苦痛」を与えるという点にある。わざと死なない程度に大きな傷を負わせ、人を重度の障がい者にするための爆弾である。殺すためでなく、大けがをさせるのが目的である。地雷の殺傷力 ( 火薬量 ) は大人のくるぶしまでを破壊する程度に調整されており、生き残っても両手・両足の切断などを必要とすることになる場合が多い。

 兵隊を一人殺されると、一人分の兵力削減になる。しかし味方が深い傷を負えば、看護や搬送のために人員を割かなければならない。現場の兵力が複数人分削減されてしまう。傷の治療や後遺症のケアのほか、生産力とならない人間を増やすことで、食料負担も増やさせることになる。敢えて生命を奪わないことで、人的にも経済的にも、敵に大きな負担を負わせることができるのが、地雷の特性である。

 第3は、「長年にわたる深刻な影響」を及ぼし続けるという点にある。一旦埋められた地雷は、戦争や紛争が終わった後もそこに残り続ける残虐な兵器である。地雷は無計画に埋設されることが多く、その結果、ますます除去が困難になり、戦後の紛争の後遺症として住民を苦しめ続けることになる。畑や畦道や林を破壊し、環境に甚大な影響を与え、復興を妨げる。 劣化ウラン弾も同様である。  

 戦後の復興には、安全な土地の保証が最も重要なことである。しかし、多くの土地が地雷原となってしまって立ち入りができず、開発に手を付けられない。居住不能となり、農耕もできないので、住民を離散させることになる。地雷原として放置されたため、住民が離村せざるを得なくなった村も多くある。「平和」が戻らずに難民を生み続け、身体的な犠牲者を出し続けてしまうのである。

3.対人地雷全面禁止条約の締結――ICBLと国家(政府)の協働

 この映画は、 2003年3月時点を描いている。それよりも4年前に対人地雷全面禁止条約が発効しているにもかかわらず、依然膨大な地雷が敷設されたままであることが示されている。

 今年(2007年)12月3日、オタワ条約締結10周年の日として、日本でも記念イベントやセミナーがいくつか開催された。

 「対人地雷全面禁止条約」、あるいは「オタワ条約」などと呼ばれるこの条約の正式名称は、「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止ならびに廃棄に関する条約」である。

 この条約の採択は、NGOの歴史にとって、世界システムの変革への道として、特筆すべき出来事であった。

 条約の内容は、正式条約名のとおり、対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等を全面的に禁止し、貯蔵地雷の4年以内の廃棄、埋設地雷の10年以内の除去等を義務付けたものである。さらに、地雷除去の教育、犠牲者の支援についての国際協力・支援などを規定している。

ICBLというNGO国際ネットワークの形成

 対人地雷全面禁止条約は、 1996年10月、カナダのオタワで始まり、 1997年12月3 日、オタワで終了したことからオタワ・プロセスと呼ばれている。1997年12月3日、122カ国によって署名され、1年3カ月後の1999年3月1日に発効した。2007年11月時点の批准国は156カ国、未批准国数は39 である (JCBL 事務局 ) 。

 世界中の国々が参加しているが、地雷の大量生産・配備・輸出国である米国、ロシア、中国はこの条約に参加していない。

 この多国間条約は、NGOの国際ネットワークであるICBL( International Campaign to Ban Landmines )と、ICBLの主張に賛成する特定国家(これら特定国は「中核国」 core countries と呼ばれた)とが協働することによって締結に導くことができた条約として知られている。

 ICBL は1997年にノーベル平和賞を受賞する。非人道的で環境破壊をもたらす対人地雷を全面的に禁止するという国際条約の締結を推進したことが、その受賞理由であり、それだけでもノーベル平和賞を受賞する価値は十分にある。しかし、もう一つの重要な意義を忘れてはならない。

 これまでの国際条約は、全て、国際機関の場で交渉され、採択されてきた。しかし、この条約は歴史上初めて、国際機関以外の場で、しかもNGOの主導によって、NGOとそのNGOの主張に賛成する特定国政府との協働によって創出された多国間条約である。つまり、多国間条約の成立過程に「プロセス革命」を起こしたのである。これがもう一つの受賞理由であったといえる。

ICBL の創設

 対人地雷全面禁止条約を締結に導いたICBLという国際NGOについて、少し詳しく紹介しておこう。

 1991年、カンボジアやエルサルバドルで地雷被害者のための義肢や車椅子の支援活動をしている米国のNGO (VVAF: ベトナム戦争退役軍人アメリカ財団 ) のボビー・ミューラーと、ビアフラでの救済活動から誕生したドイツのNGO ( メディコ・インターナショナル ) のトーマス・ゲバウアーが話し合った。2人の呼びかけで、1992年10月、欧米のNGO6団体がICBL(地雷禁止国際キャンペーン ) を創設した。6 団体は以下のとおりである。

 ・ ベトナム戦争退役軍人アメリカ財団 (Vietnam Veterans of American Foundation 、米 )

 ・ メディコ・インターナショナル (medico international 、独 )

 ・ ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW: Human Rights Watch 、米国)

 ・ ハンディキャップ・インターナショナル ( HI: Handicap International 、仏 )

 ・ 人権のための医師団 ( PHR: Physicians for Human Rights 、米 )

 ・ 地雷顧問団 ( MAG: Mines Advisory Group 、英 )

 ICBLの事務局担当者 ( コーディネーター ) にはジョディ・ウィリアムズが就いた。このネットワークは、映画『亀も空を飛ぶ』の時代設定である2003年には、 1300を超える団体が参加する、世界最大のNGOネットワークに発展していた。

条約成立への交渉プロセス

 地雷問題を議論する国際会議の場としては、すでにジュネーブ軍縮会議が設置されていた。1980 年にはCCW ( 特定通常兵器使用禁止・制限条約 )* が締結され、地雷問題の規定も明文化されていた。しかしCCWは、「地雷の民間人への無差別使用の禁止」を規定しているものの、条約の履行・監視などに関する規定がなく、実効面からは欠陥条約であった。

*CCW: Convention on Conventional Weapons :条約の正式名称は、「過度に傷害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約」

 ICBLはこの条約の再検討に向けた働きかけを開始し、1993年の国連総会でCCW再検討会議の開催決議を得ることに成功した。一連の専門家委員会を経て、1995 年9月末から 10月初めにかけて、CCW再検討会議がウィーンで開催された。しかし、対人地雷の全面禁止に消極的な国が多く、交渉は難航、結局中途半端な規定に止まり、再検討は失敗に終わった。この会議の失敗を受けて、オタワ・プロセスが始まる。

 1996年5月3日、カナダ政府とICBLはジュネーブで共同記者会見を開き、同年秋に「対人地雷国際戦略会議」を開催することを発表した。ここから、ICBLというNGOとその主張に賛成する特定国政府(カナダ等)との協働による新しい国際条約の締結プロセスが開始したのである。

 1996年10月3日から5 日まで、オタワにおいて、カナダ政府の呼びかけで「対人地雷全面禁止に向けた国際戦略会議」 ( オタワ会議 ) が開催され、 EU( 欧州連合 )15カ国、米国、日本など50カ国が出席した。また、オブザーバーとして、ロシアやインドなど24カ国と、赤十字国際委員会やユニセフなどのいくつかの国際機関が参加した。

 この会議で、主催者のカナダのアスクワージー外相は、いくつかの歴史的アプローチを明示した。

 @ 「自己選択方式」:賛成する国だけ集まれ」という姿勢:

 対人地雷全面的禁止の早期合意に向けて具体的な行動の採択に同意する用意があること、国内でも全面禁止を履行することを、参加資格とした。この条件を持つ国のみが、参加できる。

 A 新しい交渉の場の開発

 CCW やジュネーブ軍縮条約という国際機関の場でもなく、国連の場でもなく、カナダを中心とする全面禁止に賛成する「中核国」と、市民社会の国際ネットワークであるNGO( ICBL )との協働で、この会議を推進していく。

 B 目標期限の明示

 1年 2カ月後の1997年12月までに、全面禁止条約の署名式を行うことを、どの国にも事前通告なく明示した。このような目標期限の明示は、国際会議では前代未聞のことであった。

 C NGOの正式参加――発言権の保障

 ICBLが正式オブザーバーとして会議に出席し、発言権をもつことになった。「我々をこの会議に導いたのはICBLである」とアスクワージーは明言し、ICBLは 9 名の代表団を組んで出席した。また、いくつかの政府代表団に、ICBL参加のNGOに所属する個人が専門家として加わっていた。

 これらの方針に基づき、対人地雷についての、「例外なし、留保なし、抜け穴なし」の全面禁止を求める多国間条約の成立へ向けた外交会議が精力的に開催されていった。

 まず、ICBLの主張に賛成し、オタワ・プロセスの推進に力を貸す「中核国」が、1997年2月に第 1 回の会合をもった。カナダの他に、欧州諸国からは、ノルウェー、オランダ、ベルギー、オーストリア、スイス、ドイツ、アイルランド、開発途上国からは南アフリカ、メキシコ、フィリピンの 11カ国が出席した。以後、会議のたびに「中核国」は増えていった。

 1997年 2月、本格交渉のための会議がウィーンで開催され、 111カ国が参集した。4月にはボンで、6月にはブラッセルで、そして最後は9月にオスロで、条約案が完成されていった。会議の開催のたびに加速度的に参加国が増していった。こうして 1997年12月3 日、オタワで、160カ国が参加した条約署名式が行なわれた。

 ICBLのキャンペーン活動は急速に世界に広がり、国連決議をもたらし、会議ごとに参加国を急速に増やし、条約成立へのモメンタムを造り上げていった。ダイアナ元皇太子妃も、この機運を盛り上げるにあたって大きな役割を果たした一人であった。

 この条約は、 1 年2カ月という記録的な速さで成立した。これほど短期間で締結された多国間条約は他にない。

新しい国際システムの「プロセス革命」

 対人地雷全面禁止条約の締結は、新しい時代を切り拓く成功事例となり、NGOの活動に多くの教訓をもたらした。

 1つは、多国間条約への「プロセス革命」を起こしたことである。それは、NGOと国家(政府)の協働というシステムを構築したことによって起こった。世界の市民社会団体(NGO)とそのNGOの主張に賛成する特定国政府とが協働して新しい国際システムを作るという、国際条約の成立過程に新しいモデルを造り上げたことである。

 このような、賛成する国が集まって国際条約を締結していくというモデル(自己選択方式)は、少年兵、児童労働などの子どもの権利の問題、あるいは核兵器廃絶などの平和と環境の問題、その他多くの課題にも応用できる可能性をもっている。

 第2に、このキャンペーンは、対人地雷問題を軍縮問題としてではなく、人道問題、環境問題として位置づけることによって成功をもたらした。それによって、平和問題のNGOだけではなく、人道NGO、環境NGO、難民・緊急支援NGO、開発NGO、女性問題NGO、子ども問題NGO等々を含む、広範で多岐にわたる市民社会団体の結集をもたらすことが可能になった。

 これはNGOが追求するテーマが地球的認識あるいは普遍的(ユニバーサル)なものである限り、世界の人々の意識を結びつけることが可能であることを示すことになった。それによって、先進国のNGOと途上国のNGO(市民社会)とが協働できることをも証明した。さらに、それが専門家の動員をもたらすことにも繋がった。各国の赤十字、軍事問題専門家、さらには軍人も参加していった。

 第3に、こうした軍事関係の国際会議にNGOが正式なオブザーバーとして参加し、意見を主張する初めての国際会議となった。

 第4に、「ゆるやかなネットワーク」という手法の開発事例の一つとなった。ICBLへの参加条件は、単に対人地雷の全面的禁止を支持することであって、それ以外の参加資格も参加条件も設定されてない。しかも、運動の方向を決定するのは、組織の運営委員会ではなく、各国のICBLが参加する「拡大運営委員会」によって行なわれてきた。

 第5に、どの団体でも参加できるという国際ネットワークの形成と、各国にICBLの受け皿NGOを設立することによって、各国政府ヘのロビー活動と監視活動、情報収集活動、それにイベントの共同性を可能にし、国際的モメンタム(機運)を一層盛り上げることができた。

 第6に、NGOの国際ネットワークは、ネット上に存在する一種のヴァーチュアルな(仮想)事務局で十分であるという新しいネットワーク時代のキャンペーンを実証することになった。現実に、ICBLというNGOは、ノーベル平和賞を受賞するまでは団体として登録されていたわけではない。ジョディ・ウィリアムズが所属するVVAFや自宅を一応の連絡住所にしていたが、実態はウェッブの中にのみ存在するものであった。ノーベル平和賞の受賞によって賞金を受け取る主体が必要となって、急遽団体登録することになったほどである。

 ICBLは、その後毎年、この条約の進展をモニタリングしている。最新の『ランドマイン・モニター報告書2007』は、この1年間に、5751人が対人地雷による新たな犠牲者となったと報告している。毎年少しずつ減ってはきているものの、依然として多くの犠牲者が出ている。

4.日本の対応

 ICBLの日本の受け皿である JCBL ( Japan Campaign to Ban Landmines )は、1997年7月にようやく設立された。日本政府は一貫して消極的な姿勢を変えず、それに対するために、日本のNGOたちが立ち上がったのである。

 日本政府はオタワ条約に消極的な姿勢を終始示し続け、賛成 ( 参加 ) の意向を示してこなかった。そこで、JCBLを立ち上げ、約3万5000人の署名を集め、政府に対し早期参加の要望書を提出した。政府は調印式直前の11 月にやっと参加の意向を表明し、12月3 日の調印式に小渕外務大臣が出席して署名した。

 しかし、日本国内での批准審議が1999年まで放置される意向が明らかとなり、 JCBL を中心に、さらに約20万人の署名を集め、ロビー活動を行なった。このことから、政府は予定を早めて1998年9月に批准を行ない、45 番目の条約加入国となった。

 この条約の批准によって、陸上自衛隊は保有対人地雷100万個を4年以内に廃棄することになった。また、 2003年2月までに処理訓練用とする6000個を残して爆破処理を行なった ( 但し、遠隔操作のみで爆破可能な地雷は条約対象外のため廃棄されていない ) (JCBL) 。

 日本政府は、この条約の規定に基づき、ODA(政府開発援助)を使ったいくつかの支援を行なっている。 1 つは、対人地雷除去のために1998〜2006年の間に1億 7700 万ドルを提供している。ニカラグア、カンボジア(カンボジア地雷対策センター = CMACへの支援)、ラオス(日本地雷処理を支援する会 = JMASへの支援)が、その援助先である。 2 つは、地雷犠牲者支援として同期間約 2400 万ドル(ボスニア・ヘルツェゴビナ、セネガルへの支援)、第3に地雷回避教育として、同期間約1億 9400 万ドル(アンゴラでの難民を助ける会や、タイのNGOチャイチャイ財団によるカンボジア国境地雷回避教育計画への支援)の資金提供などを行なっている。

 対人地雷問題に取り組んでいる日本の主なNGOとしては、以下が挙げられる。

 @ 難民を助ける会(AAR)――地雷・不発弾回避教育をアフガニスタン、スーダンで実施、義足作成支援、職業訓練学校をカンボジア、ミャンマーで運営。理学療法クリニックをアフガニスタンで運営。地雷除去活動は英国の除去専門団体『ヘイロートラスト (HALO TRUST) 』を通じてアフガニスタンで実施している。また、同条約に基づく監視報告書『ランドマイン・モニター』の日本語訳や『地雷状況に関する地図 (2004 年 ) 』の日本語訳も発行している。

 A 人道目的の地雷除去支援の会 (JAHDS) ―― 1998 年設立。カンボジア、タイなどで地雷除去プロジェクト実施。

 B 日本地雷処理を支援する会 (JMAS) ―― 2002 年に自衛隊の OB が中心となって設立。カンボジアで地雷・不発弾処理活動を行なっている。

 C 地雷廃絶日本キャンペーン ( JCBL ) ――ICBLの日本の受け皿ネットワークとして1997年に設立。

 D 日本紛争予防センター ( J CCP) ――1996年に政府の支援を得て、設立(会長明石康)。

 日本において行なわれたキャンペーンを紹介しよう。

 2001年、坂本龍一が中心となって「NML」 (No More Landmine) というユニットを結成、地雷撲滅のためのチャリティソング『 Zero Landmine 』を発売した。また、 1996年、難民を助ける会は、対人地雷問題を啓発する絵本『地雷でなく花をください』シリーズ ( 自由国民社 ) を刊行した。この絵本シリーズは55万部もの売上げで大きな成功を収め、以後のキャンペーン絵本のモデルを作った。

 地雷問題に関して日本が行なった大きな貢献として、企業による地雷除去ロボットの開発を忘れてはならない。日本の先端的な科学技術を地雷除去に駆使していることは、もっと知られてよいだろう。

 ( 独 ) 化学技術振興機構 (JST) は、政府の支援を受けて、人道的観点から、対人地雷の探知・除去活動を支援する研究所開発プロジェクトを2002年から5年間にわたって実施した (2007年10月末終了 ) 。このプロジェクトによって、センサ−とアクセス・制御機器の統合による、遠隔制御で安全な対人地雷探知を行なえる地雷探知ロボットが開発され、地雷 ( プラスチック ) と土壌との識別、火薬探知性能の向上、平坦地のみならず多様な地形への自立制御技術の向上などの課題に取り組み、2006年にクロアチアやカンボジアなどで評価試験を行なった。2007年12月3日 ( オタワ条約採択10周年の日 ) に、この研究開発事業の終了シンポジウムが日本科学未来館で行われた。

 また、大型のブルドーザーやショベルカーの重機を改造した地雷除去機や、地雷自動探知機を日本の重機メーカー、自動車メーカー、電機・電子機器メーカーが協働して開発を行なった。それらは日本の ODA によって各地に提供され、地雷探知や処理に当たっている。しかし、地形の問題などから、最終解決には至っていないという指摘もあり、さらなる改善が期待されている。

 こうした対人地雷除去機の開発に具体的に取り組んだ例を挙げよう。日立建機 ( 山梨日立建機 ) は遠隔操作のできる地雷除去機を開発、世界5カ国に50 台を納品し、2004年にはアフガニスタンで4000発以上、ニカラグアでは8000発ほどの除去に成功したと報告されている ( 日立 HP) 。

 コマツは、経済産業省と ( 独 ) 新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO 技術開発機構 ) がアフガニスタン復興支援の一環として実施しているプロジェクトに参加し、建設機械をベースにした除去機を開発した (2005年 ) 。川崎重工は2006年に地雷探知車と地雷を掘り出して爆破し、さらに爆片などの廃棄物を回収する除去機を完成させ、カンボジアに出荷している。

オタワ条約のこれからの課題

 オタワ条約の締結は歴史的潮流を造った。しかし、それから10年が経過した。締結のモメンタムに沸き、NGOの国際的展開の歴史的勝利となり、世界の構造の中にNGOが組み入れられる新しい国際システムの形成へと道を拓いたが、10年の節目にはやはり新しい課題が浮かび上がってきているように思われる。

 1つは、米国、中国、ロシアなどの主要大国・生産国が条約に依然として参加していないことである。今も当面は参加の機運はない。こうした大国の不参加によって、条約の実効性・有効性は絶えず不安と批判に晒され続けている。前述のように 、 2003年においても、イラクでは子どもたちが地雷の危険の中で日常生活を送っていることが、それを示している。

 2つは、モニタリング疲れである。条約の施行においては、監視の継続性、報告書発行の継続性、条約の有効性などの問題をいつもクリアしていかなければならない。とくにICBLは、モニタリング報告として『ランドマイン・モニター報告書』を毎年作成しているが、この作成(監視と報告書の作成)には莫大なコストがかかる。この経済的保障を維持し続けねばならない。予算が減ってしまえば、報告対象国の削減など、縮小を迫られる恐れもあるだろう。実際に報告対象国数は近年減少してきている。

 3つはモメンタム(機運)の継続性である。NGOの活動はキャンペーンによって国際的に盛り上げ、達成への機運を作り、達成する可能性を高めることはできる。しかし、長期的な活動展開をする内には、機運も低くならざるをえないであろうし、監視も次第に難しくなっていく可能性があるかもしれない。

 NGOがこうした国際条約の有効性・実効性・継続性を高め続けていくにはどのようにしたらいいのか、まさにICBLの課題は、一旦成果をあげたNGOの活動が、今後新たに直面する普遍的課題でもあると思われる。

主な参考文献:

 ・ 目加田説子『国境を超える市民ネットワーク』東洋経済新報社、 2003 年

 ・ 長坂寿久『NGO発、「市民社会力」――新しい世界モデルへ』明石書店、 2007 年

 ・ 地雷廃絶国際キャンペーン(ICBL): http://www.icbl.org/

 ・ 地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL): http://www.jcbl-ngo.org/aboutlm/ottawa.html

 ・ICBLのロゴ:


 

 



 

 

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