Vol.41 2007年8月10日号
「メディアの読み方」講座 第17回  政治家の言葉と失語症
土田修(ジャーナリスト)

 キーワード・・・ サルコジ外交と知識人批判、自民大敗と首相続投、日本の横並び報道、
          画一的な思想とグラムシ、国民的議論の場=公共圏

 フランスの大統領、ニコラ・サルコジ氏がアメリカ北東部ニューハンプシャー州のウィニペソーキ湖畔で、セシリア夫人とともにゴージャスなバカンスを楽しんでいる間、日本の首相官邸では自民大敗のショックを隠しきれぬ人たちが 夏休み返上で 大汗をかいているというのは皮肉なものだ。

1 スーパー・セシリア
  サルコジ氏は7月25日、リビアを公式訪問し、首都トリポリで最高指導者のカダフィ大佐と会談した。欧米のメディアは ( というか参院選という国内のイベント以外、眼中に入らない日本の内向きなメディアは別として ) 、サルコジ氏の乗った特別機がトリポリの空港に舞い降り、カダフィ大佐がサルコジ氏を出迎える姿を繰り返し放映した。新聞もサルコジ氏のリビア訪問を一面トップで伝え、リビアの国際社会復帰や欧州との関係改善を大きく前進させたサルコジ氏の行動力に 驚嘆の意を表した 。

 しかし、 両者の間で調印された協定書には 、 健康や教育分野での協力のほか、海水の淡水化に使われる原子炉建設が含まれていたことから、 核流出を懸念する環境派グループやドイツ政府の反発を招いた。 ルモンド紙は こうした反論を掲載することで サルコジ外交の危うさに警鐘を鳴らすことも忘れなかった 。

 ところで、リビア訪問の直前、サルコジ氏はセシリア夫人を トリポリ に派遣し、400人以上の子どもに対するエイズウイルス感染疑惑で、死刑判決 ( その後、終身刑に減刑 ) を受けていたブルガリア人看護婦ら6人の事実上の解放交渉に当たらせた。この結果、 リビア側が釈放に合意したため、今回の協定書調印へと事はスムーズに運んだのだが、当然のことながら、「決定的な役割を果たしたスーパー・セシリア」 ( ルモンド紙7月25日) があたかも外交官のような働きをしたことについて、野党から厳しい批判の声が上がった。与党内にも疑問視する見方はあったものの、サルコジ氏の力強い一言がそれをさえぎった。「現実主義がすべてだ」

2. 自民大敗と続投批判
 戦後生まれのサルコジ氏 (1955年1月生 ) と安倍氏 (1954年9月生 ) は52歳とほぼ同年齢。しかも、徹底した保守主義という政治理念も共通している。演説のとき、硬い表情で言葉を強く発する姿も似ている。違っているのは、現在の天国と地獄を分けた境遇だけだ。

 「急ぐ男」と評されるサルコジ氏がリビアへの電撃的訪問によって、新聞・テレビのトップニュースを独占しているとき、安倍氏は「私と小沢さんとどちらが首相にふさわしいか?」と街頭演説で国民に自らの信を問うていた。

 その参院選は7月29日の投開票の結果、自民党の大敗に終わった。それも参院選の敗北で引責辞任した橋本元首相のときの40議席を下回り、 “ 三本指 ” をめぐる醜聞で国民の怒りを独り占めした宇野元首相のときの36議席に勝るとも劣らない「歴史的敗北」 ( ルフィガロ紙など ) となった。

 投開票日の翌30日、マスメディアは一面トップで自民惨敗を報じ、「解散含み政局混迷」 ( 毎日新聞 1 面 ) 、「安倍政治への不信任だ」 ( 朝日社説 ) 、「自民に続投批判も」 ( 東京新聞 1 面 ) などと安倍政権を厳しく攻撃した。

 30日の毎日新聞社説は「民意は『安倍政治』を否定した」との見出しで、「首相は参院選敗北にもかかわらず続投を決意した」以上、早期に衆院を解散すべきだ、と指摘した。他紙の紙面も「国民は『美しい国』を明確に否定」「辞任に値する審判」「国民の声見誤るな」など安倍バッシングの見出しで埋め尽くされていた。

 「負け犬」に石を投げるような マスメディアの臆面のなさには閉口してしまう。独自性や個性を重視する本来のジャーナリズム意識とはかけ離れた、「横並び報道」のネガティブな側面が一気に噴出してしまったかのようだ。参院選投開票日の前日まで政府・与党に気を遣った「公的」報道が展開 されていたのに、それが急に、それまでの抑圧 を 払い退けるように「私的」 なバッシング報道に変わってしまった。手のひらを返したような報道に接した読者や視聴者の多くは、その時だけ、「そうだ、そうだ」と溜飲を下げたに違いない。

                 しかし、翌朝、通勤電車に揺られて会社に着き、上司の顔を見るや否や、意識は 「現実」に引き戻されてしまうことだろう 。昨夜の驚きや興奮 ( または失望 ) は雲散霧消し 、「自民大敗」も「続投批判」も自分の生活や行動を変えるファクターとはならず、「昼休みの話題 」以上のものではなくなってしまうのだ。こうしたマスメディアの敗北は日常的なものだ。マスメディアは大衆の意識や行動を強く規定しているにもかかわらず、個の形成を促 し、新たな行動を生み出す役割を持っていないからだ 。
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3. 横並び報道と国民的議論
 マスメディアはニュース報道で、他社との差異化を図るより、他社との競争の中で自社だけがそのニュースを紙面から落としてしまう「特オチ」を恐れるあまり、各社一斉の 「横並び報道」を日々繰り返すようになった。それは欧米のようにキオスクなどで一部売りされるのではなく、宅配がほとんどの販売形態に起因している。

 一部売りの場合、新聞の購入者は他紙と比較した上で「自分の気に入った」「面白そうな」新聞を買うことができる。そこで大切なのは他紙との「違い」つまり「差異性」と「独自性」なのだ。反対に宅配紙に求められるものは、基本的には重要なニュースの漏れ落ちがないこと、つまり他紙との「同一性」と「非個性」である。

 こうして日本の マスメディアは 「横並び報道」を日々再生産し続けることで人間の意識の平準化を促進している。意識の平準化は個人から「特異性」や「独自性」を奪い去る。 国内外の政治や経済、世界中の貧困や遠い国の戦争・ テロまで、あらゆるニュースは昼休みやお茶の間の「話題」となり、 大衆的に消費され、次の「話題」が登場すれば ゴミ箱に捨て去られるだけだ。 次々と出現する、消費されるためだけのニュースが大衆の心を捉え続ける限り、こうした「個体化の喪失」 は現実のものになり、それは「生の喪失」をも意味する ( 註 1) 。

 特に、日本のマスメディアは戦前も戦後も、個人に独自性を取り戻すという意味での世論 ( パブリック・オピニオン ) 形成を促すよりは、国家や時の施政者たちが醸成する「時代の空気」に流されることの方が多かった。戦後レジームの脱却を標榜し、「国に対する誇り」や「愛国心」を基調に教育基本法を「改正」し、さらには「 憲法改正 」 を最終目的とする「安倍路線」は今回の選挙で明確に否定された。

 しかし、首相就任後だけでなく、選挙期間中の紙面展開を見ても、 マスメディアが安倍政治の諸論点を 「 国民的議論の場 」 、すなわち公正で真実を語るとともに、相互批判的な議論を戦わすという意味での 「世論の場 」 に引きずり込むファクターとして機能していたとは思えない。むしろ、小泉元首相の時代も安倍政権に委譲した後も、靖国神社参拝や集団的自衛権、平和憲法改正といったアジア全体の平和を一変させてしまいかねない重要案件について、「公正な報道」を理由に賛否両論を掲載することでお茶を濁してきたという印象を拭い去ることができない。政府の政策や方針に対して批判的な視点を失わず、国民的議論を喚起することがメディアの使命であるはずだ。

 「世論」をあいまいな「空気」としてとらえ、 「憲法改正」のような重要な政治課題を国民的議論の場に押し上げる努力をせず、あっという間に賞味期限を迎える「お茶の間の話題」として提示することで、没コミュニケーション的なダッチロールを繰り返してきたのが日本のマスメディアのあり方だったのではないか。ところで 、安倍政権側も一連のマスメディアによるバッシングにきちんと応えようとしていない 。それどころか、選挙で全面否定されたはずの「美しい国」路線を今後も続けると早々と表明した。ならば今こそ、選挙結果をもって安倍路線を批判したマスメディアのすべては、安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」や「美しい国とは何か」についての国民的議論を起こすべき時ではないか。

4. 基本路線が支持されている理由とは?
 そもそも安倍氏は29日夜の記者会見で「私たちが進めてきた基本路線は理解いただいたと判断している」と表明した 。参院選で自民党が大敗したのは自分の責任ではない、だから約束通り「美しい国づくり」は今後も進めていく、ということなのだ 。しかし、「基本路線は支持されている」と言い切る根拠はどこにあるのだろう。

 その答えらしきものが31日の毎日新聞社説に載っていた。いわく、「 ( 基本路線が ) 支持されたと言えるのか ? 」という記者の問いに対して、首相は「 ( 街頭演説などでの ) 聴衆の反応で感じた」と答えたとある。 選挙結果ではなく、 街頭演説での聴衆の反応を根拠にするというのでは議会制民主主義の否定とも受け止められかねない。29日夜の開票速報の番組でNHKの解説員が「首相の街頭演説でこれほど通行人が足を止めなかったことは珍しい」と、安倍氏の不人気を酷評していたが、安倍氏 が受け取った「聴衆の反応」とは一体何だったのだろうか。

 ともあれ、もう少し、国民が理解できる言葉で「基本路線が支持されている理由」について説明する義務があるはずだ。 マスメディアの側も「基本路線が支持されている理由」について、首相からきちんとした答えを引き出してほしかった。

 自分の言葉で相手が納得する言葉を駆使できないというのは政治家 にとって致命的なことだ。政府税調の本間会長が辞任したときも、 首相は番記者との短いやり取りの中で「一身上の都合だ」という言葉を13回 も繰り返したそうだ。 30日の東京新聞社説も「 ( 首相の ) 語る言葉が目次の域を出ず、戦後の何が悪く、だからどうする、を語れなければ、国民がついていくはずがない」と安倍氏の言説 ( ディスクール = 註 2) を問題にしている。

5.政治家たちの言説
 政治家は言葉 ( ロゴス ) がすべてだ、というのは古くからの政治学の常識である。政治家の言葉が、良くも悪しくも、国民を動かし、時代を切り開き、歴史を転換させてきたからだ。「奴隷解放」を唱え、南北戦争に勝利した米大統領エイブラハム・リンカーンは数々の名演説で知られるが、とりわけ、ゲティスバーグ演説で「人民の、人民による、人民のための統治 ( 政治 ) 」という名言を残した。

 米大統領ウッドロー・ウイルソンは平和14 カ条の原則を打ち出し、民族自決と国際連盟創設を提唱した。英国首相ウインストン・チャーチルは対独宥和主義を廃し、ナチスドイツと断固戦うことを宣言してアメリカとソ連の第一次大戦への参戦を導き出した。国連事務総長ダグ・ハマーショルドは国際連合の平和維持活動を創設し、スエズ危機の際には安全保障理事会での演説で、拒否権を行使した英仏を厳しく批判した。

 戦中、日本の戦線拡大に異議を唱えた元首相石橋湛山は、「どの国も侵略軍を保持していると声明した国はない。自衛軍しか持っていないはずの国々の間で大戦は起きたのだ」という、平和憲法を考えるうえで示唆的な言葉を残している。中国でも、 1992年にケ小平が「南巡講和」という演説で「先富論」を打ち出し、中国社会を市場経済へと大きく方向転換させた例がある。

 政治家が発する政治的言説が良くも悪くも国を動かし、世界を変えてきたのは事実だ。今、フランスのサルコジ大統領は左派の「画一的な思想」を徹底的に攻撃し始めている。自分は知識人ではない、具体的な考えの持ち主だ、だから、知識人や芸術家たちの言説のうえにあぐらをかいてきた「何もしない」左派に対して、イデオロギー闘争に打って出ようというのだ ( 註 3) 。

 サルコジ氏の演説の一端を紹介しよう。

 「私は運営するだけの政治は嫌いだ。何も変えることはできないと思い込んだ政治は嫌いだ。世界はこれでいいはずだとするような政治は嫌いだ。あらゆる手は尽くした、と言うような政治は嫌いだ。そんな政治は嫌いだ。そんな政治は信じない」 ( 註 4) 。「何事も欲しないとき、政治は無力だ。何事も欲しない人は、何も成し遂げることができない。私は多くを欲する。我々は多くのことを成し遂げることができるだろう」 ( 註 5)

 こうしたサルコジ氏の政治思想は「もっと働け、もっと稼げ」というスローガンとして語られるようになった。これは従来の労使や貧富の差といった社会構造をパラダイム転換し、左派を支えてきた労働者層を「働く者」と「働かない者」に分断し直そうというもくろみといえる。そして「能力と努力を信奉するフランス」を賛美すると同時に、「苦節に耐え、不平を言わず、車に火をつけないフランス」を「サイレント・マジョリティ」と位置づけた。

 サルコジ氏によれば、サイレント・マジョリティとは「左派の画一的思想」という名の世論によって押さえ込まれ、沈黙せざるを得なかった大衆のサンティマン(感情)を表現する言葉だ。大統領選前の街頭演説でこうした「サイレント・マジョリティ」に繰り返し決起を呼びかけたサルコジ氏は大統領選で勝利し、おのずと独自の右派的イデオロギーを作り上げていくことになる。ところがサルコジ氏は自分の政治哲学を「アントニオ・グラムシ」の流れを汲んでいると公言してはばからない。グラムシとはイタリア共産党の創設者の一人で、ムッソリー二政権下で投獄されたマルクス主義哲学者だ。

 サルコジ氏は自分の分析方法を「権力は思想によって獲得される」というグラムシの分析方法と同じだという。そして、2002年に内相になって以来、「反知識人」の立場でイデオロギー闘争に乗り出し、知的・文化的相対主義を非難してきた、というのだ。しかし、グラムシは社会運動を組織し、精神構造を変革するという知識人の機能に大きな期待を寄せた人物ではなかったか。しかも、「獄中ノート」の中で「あらゆる人間は知識人である」とまで書いている。

6.アソシアシヨンの精神
 こうした右派の側からのイデオロギー闘争は、「左派」や「知識人」の側からどのように受け止められ、論議がどこまで噛み合うのかについては未知数だ。ただ、いち早く市民革命を実現したフランスは、19世紀から市民の自発的な活動組織である「アソシアシヨン」 ( 協会 ) を発展させてきた国だ。しかも、 アソシアシヨンを背景に「社会に積極的に関与する知識人」という概念を世界で最初に生み出した国でもある。

 アソシアシヨンは先進的な市民社会の原理である「ソシアビリテ ( 社会的人間関係 ) 」 と「アミティエ(友愛)」に基づく、「ライック ( 政教分離的 ) な」活動団体だった。 1871年3月、都市民衆の反乱によってパリに樹立された自主管理政権であるパリコミューンは、中央集権国家の解体を目指し、労働者生産協同組織などアソシアシヨンの組織化を図った。19世紀末のドレフュス事件の際、「われ告発する」と当局を弾劾した作家のゾラらの人権擁護活動の中 から生まれた「知識人」という概念はアソシアシヨンによって触媒された概念だった。

 こうしてフランスでは知識人は公的な場で体制批判をする者のことを意味するようになった 。1968年のパリ5月革命のとき、ルノー工場前に集まった労働者に向かって樽の上からアンガージュマン ( 社会参加 ) を呼びかけた ジャン=ポール・ サルトルはもちろん、 ミシェル・ フーコー、 ジャック・ デリダ、 ルイ・アルチュセール、ピエール・ ブルデューら哲学者はことごとく、「知識人」として社会参加し 、その言動が社会変革に大きな役割を果たしてきた。

 そうした知識人による市民的活動の背景となったアソシアシヨンは今日のフランス社会においても「ソリダリテ(連帯)」や「友愛」の精神として脈々と息づいている。

 こうした歴史的背景を持つフランスの「知識人」に対して一国のシェフ(元首)が一石を投じた。サルコジ氏のいう「左派の画一的思想」に対する闘争が、今後、どのような思想的な影響力を発揮し、どのような論議を巻き起こすのか興味が尽きない。

7.失語症の政治家たち
 一方、 日本の政治家 たちの言葉とはなぜこんなに貧弱なのだろうか。しかも失言も多い。麻生外務大臣のアルツハイマー発言はもとより、柳沢厚労相の「女性は子どもを生む機械」発言、久間元防衛相の「 ( 日本への原爆投下は ) しょうがなかった」発言など枚挙に暇がない。こうした失言の数々に共通しているのは、私的な親密圏での言表をそのまま公共圏に持ち込んでしまっているということだ。

 居酒屋で酒を飲んでいるサラリーマンが上司の悪口の後で、ついうっかり口にしてしまう ( そう思い込んでいる場合もあるし、 2 ちゃんねる的な確信犯の場合もあるが ) 「私的領域」の言表と同レベルのものである。公的な立場で発言すべき政治家たちの中に「公」と「私」の区別さえ理解していない人たちがいるというのは驚くべきことだ。

 これまでに何度か「国民的議論の場を創り出すのがマスメディアの役割ではないか」と指摘してきたが、国民的議論の場とは意見や立場の相違や多様性を認め合い、マイノリティや小規模集団、社会的弱者の視点を失わず、公正な立場で議論を戦わせる場のことだと理解している。恐らくそれが、新しい「公共圏」を切り拓くという意味での「市民社会」創出の原理ではないかと思う。日常的な消費行動の中に埋没してしまった人間の「個性」や「独自性」を家畜の群れの中から解き放ち、自律した個を形成するというのが本来、メディアの果たすべき役割のはずだ。

 公共圏では「無責任な発言」などというものは存在しない。公的な立場にある政治家が ( 自宅や居酒屋でない ) 公共の場で発言した言葉は撤回することができない。「真意を理解してもらえなかった」「お騒がせして申し訳ない」という政治家の弁明をよく耳にするが、元来、公共の場ではこの言葉は通用しない。そうした言葉で決着を付けようとする政治家も、それで矛先を収めてしまうマスメディアも、批判的精神に基づく公正な「言論の場」への理解が不足しているのではないか 。

 「失言」をした政治家は発言の真意が国民に理解されるまで語り続けなければならない。もしそれで自分の発言が間違いだったことに気付いたのならば、その発言を修正し、間違えた理由を自己批判すれば済む話だ。

 ところでこうした安倍内閣の閣僚たちの不用意な失言の背景には、任命責任者である安倍氏自身の「思い切った発言」があるように思えてならない。著書「美しい国へ」 ( 文春新書 ) で安倍氏は「闘う政治家」と「闘わない政治家」を区別している。闘う政治家とは「批判を恐れずに行動する政治家」のことである。自ら「保守主義」という立場を鮮明にしているのも闘うことの一つだ。だから憲法問題でも「 ( 憲法前文は ) 列強の国々から褒めてもらえるように頑張ります、という妙にへりくだった文言」であるとか「憲法草案は若手 GHQ スタッフによって10 日間そこそこで書き上げられた」といった「思い切った発言」が随所に見られる。閣僚たちは安倍氏を見習って“思い切って”本音で語ったところ、とんでもない失言としてマスメディアの餌食になっただけなのかも知れない。

 そもそも「美しい国」とは何かについて安倍氏は多くを語っていない。ここにも失語症の症状が見え隠れしている。著書の中には「わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国」と書かれているだけだ。

 実は「美」という文字には自己犠牲の構造が含まれているということをご存知だろうか。日本の美学の大家といわれる元東大教授の今道友信氏が「美について」 ( 講談社 ) という著書の中でこう書いている。漢字の「美」は「羊」が大きいという構造を持っており、この場合の「羊」は「論語」に出てくる「月初めの祭儀に、天に捧げる犠牲の獣としての羊」を意味している。だから、大きな自己犠牲を意味する美と心が結びついた「美しい心」は「他人のために己の命を捧げても悔いないという心」 ( 同書 ) を意味するのだそうだ。

 安倍氏がこうした「美」という言葉の持つ意味を熟知した上で「美しい国」というキャッチフレーズを使っているとは思えない。ただ、安倍氏は著書の中で太平洋戦争末期の特攻隊員の日記を引き合いにして「 ( 自分の命を ) なげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」 ( 「美しい国」 P108) と読者に問い掛けている。何という見事な符号だろう。

 「美しい国」が「国のために命を捧げる」という戦前型の国家観を意味しているとは思いたくない。そのためにも、首相には「美しい国とは何か」について明確な言葉で語ってもらいたいと思う。

 

( 註 1) ベルナール・スティグレール「欲望、文化産業、個人」 ( ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 2005 年 6 月号、逸見龍生訳 )

( 註 2) フランスの哲学者ミシェル・フーコーのディスクール ( 言説 ) については、「フーコー・ガイドブック」 ( 筑摩書房 ) が分かりやすい。同書は、「じっさいに実現された言語活動としての < 言われたこと > ・ < 書かれたこと > の集合を指す。個々の < 言われたこと > ・ < 書かれたこと > は『エノンセ ( 言表 ) 』と呼ばれる。『エノンセ』は言語活動の実現の出来事である。『エノンセ』の生産に規則性をあたえ、その対象や主体、共存の場などを統御している規則性のレヴェルが『ディスクール』(であり、)ひとつの時代の文化は『ディスクール編成』から成り立っている」と説明している 。

( 註 3) セルジュ・アリミ「サルコジの狡知」 ( ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 2007 年 6 月号、阿部幸、斎藤かぐみ訳 )

( 註 4)2007 年 4 月 19 日、マルセイユでの演説。同上より

( 註 5)2006 年 11 月 9 日、サンテティエンヌでの演説。同上より

 

 

 



 

 

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