Vol.39 2007年6月10日号

「協働コーディネーター」養成講座修了者の活躍する現場から シリーズ8 
  参加・協働型まちづくりの実践と協働コーディネーター

  第2回 「食」を核にしたまちづくりを成功に導いたこれまでの経験
                    〜参加協働型まちづくりのため人材養成と実践の経験が花開く〜

特定非営利活動法人気仙沼まちづくりセンター事務局長 菅原昭彦 

 特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは「協働コーディネーター」を養成する、「協働コーディネーター」養成講座を開催してきました。その成果として、「協働コーディネーター」として各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、「協働コーディネーター」として活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。
  シリーズ8では、宮城県気仙沼で10年以上にわたり参加・協働方まちづくりを実践している特定非営利活動法人気仙沼まちづくりセンター事務局長の菅原昭彦さんのこれまでの取り組みとその成果を報告していただきます。

キーワード    参加協働型のまちづくりの実践、地域の誇りを再構築、食のまちづくり協議会
         気仙沼スローフード都市宣言、スローフードフェスティバル

3.「食」を核にしたまちづくりの始まりと経過
(1)「食」テーマに
 そのような状況の中で、私は前述した課題の克服していくためには、ただ漠然と参加協働型のまちづくりを掲げるのではなく、それまでの経験やノウハウの蓄積・ネットワークを生かしながらも、より取り組み易い具体的なテーマを設定し、事業展開をしていく中で参加協働型のまちづくりを実践するという方法に転換していくことを考えた。そして、そのテーマに設定したのが「食」であり、豊かな地域にしていくための「食」を核としたまちづくりであった。

 「食」をテーマにしたのはいくつか理由があるが、ひとつは「食」は人間にとって欠くことができないもので様々な人がそれぞれの立場で関わり易いものだからだ。ハードルが低くてわかり易く楽しいテーマと考えたのである。また 「食」を真中に置くと、食材を育む自然、生産する人、地域の産業、歴史や文化、そして経済など、まちや暮らしが総合的に見えてくる。業界団体も行政も縦割りでそれぞれに振興策をとってきた農業、漁業、観光業も「食」というキーワードでネットワーク化することができる。さらに、気仙沼には海、山、川の豊かな自然環境がありそこから育まれた質の高い、様々な海の幸と山の幸があり、それとともに暮らしてきた文化がある。これらをあらためて地域の誇りとして再構築し発信していくことで住む人にとっても外来者にとっても魅力のある地域づくりができるのではないか。つまり、自分たちの食を考えることによって地域の誇りをみんなが再認識しあう作業をしながら地域の産業振興にもつながっていく。そして、そこに参加協働型のまちづくりの視点を入れていくことによって、より多くの市民に楽しみながら広げていくことができると考えたのである。

(2)食のまちづくり協議会の設立とおいしい地域づくり事業
 食をテーマにしたのはいいが、何かイベントをやって終わりという形にはしたくない。今後、永続的に食を核としたまちづくりを進めて行くためにはその推進体制づくりが不可欠であった。

 まず、手がけたのは民間側の組織体制づくりである。当時(平成13年)、気仙沼における食の団体というのは、各行政担当課ごとに縦割りになっていて相互のネットワークも出来ていない状況であった。例えば漁業は水産課と漁業協同組合、農業は農林課とJA、観光は観光課と観光協会や旅館組合といった具合である。また、気仙沼の豊かな食材に関して多くのマスコミが取材に訪れていたが、個々のお店や個々の業界が一時的にクローズアップされるだけで、地域全体への広がりや力の向上には結びついていかないという状況であった。いろいろなものを繋げる力を持っている食を題材としながらも、その中ではそれぞれがバラバラという状態である。

 そこで、経済団体の中心組織である気仙沼商工会議所と参加協働型のまちづくりを進めて来た(社)気仙沼青年会議所と気仙沼まちづくりセンターが発起人となり、観光や食に関する情報の一元化と団体間のネットワーク化を目的に「食のまちづくり協議会」を設立した。正会員は食に関わる団体を原則として、協力会員として食に関わる企業やお店とし、食の専門家やマスコミ・行政もこの組織を核に対応することにした。本来個のことであっても、食に関しての情報はすべてこの組織を通すことによって、公のことにしてしまうのである。情報はみんなで、責任は個でというスタイルである。

 この協議会は、年会費の徴収や役員を置かないことにしたのも特徴である。年会費をとると予算・決算等の事務的な役務が増え会務のための会になってしまうことや役員を決めると余計な権力の問題になっていくと考えたからだ。必要な事業のたびにあくまで受益者負担で会費を徴収し、事務局的なものは発起人団体で対応することにした。この会は一部機能を後に述べるスローフード気仙沼に移すことになるが、現在も気仙沼商工会議所に事務局を置き、毎月情報整理のチラシをFAXで配信している他、食に関する事業のたびにその中核としての役割を果たしている。

 民間がゆるやかながらも食に関する総合的な窓口を構築する一方、私たちは 気仙沼市 に対しても「食」を核としたまちづくりを提唱していった。縦割りの弊害を無くし横断的な体制の構築と財源確保を訴えていったが、組織体制の構築は時間がかかる問題であり、それを待っていたのではタイミングを逃してしまいかねない。私たちの組織は、前述のように固定した財源は持っていない。そのような中で出てきたのが、宮城県による「おいしい地域づくり事業」の指定ということである。この事業は、食に関する事業を行う市町村を県が審査の上指定し、三ヵ年にわたって半額の補助金を年100万円を限度に出すというものであった。財源を確保しながら中期に渡って事業展開ができるというメリットがあったことから、食の総合窓口的団体として 気仙沼市 に対して、 気仙沼市 を事業主体にし、事業の企画と推進は食のまちづくり協議会と協働で行うという仕組みをつくるという提案を持ちかけ、この補助金に手をあげることを要望し、県の審査を経て指定を受けることとなったのである。  

 市との話し合いの中で、食を核にしたまちづくりを進めていくには、地元の人たちの意識啓発が必要であり、まずは地元の人たちが地域の価値を食を通して再認識する機会をこの事業の中でつくっていこうということを決めた。この補助金を使って県内多くの市町村が目に見える形、新しい食の開発や土産物の開発などを進めたのとは対照的に、今更新しいものを開発するのではなく、あくまで意識の醸成ということにお金を使おうという考え方である。余談だが、現在でも当時の担当者とは話題になるが、形や成果物を欲しがっていた県と相当やりあったようである。

 そこで、ふたつの大きな事業を展開した。ひとつは、大人向けに 「食のまちづくりフォーラム」、もうひとつは子供向けに「プチシェフコンテスト」である。二つの事業とも食のまちづくり協議会と市が実行委員会を組織し、そこにボランティアのスタッフが関わり団体や企業が協賛をするという協働の形をとっている。

 「食のまちづくりフォーラム」は食文化に関する講演、気仙沼の食材を使用した料理の実演や試食を行いながら、食産業に従事している人はもとより広く一般市民が、地域の食材の新たな利用方法や可能性を実感し地域の食への意識の向上を図るというイベントである。

 「プチシェフコンテスト」は小学校1年生から18歳までの子供たちを対象に実施している料理コンテストでたんに料理技術を競うものではなく、地域で生産される食材を使って子供たちが料理をつくることによって、地域の良さを再発見していくことや料理をつくる過程を通して家族・地域の人たちとの世代を超えたコミュニケーションの機会をつくっていこうということを目的として開催している。毎年参加者の倍以上のボランティアスタッフが関わり、また入選作品が学校給食や飲食店のメニューに採用されるなど、子供たちのみならず地域の人たちの食への関心の向上に大きな役割を果たすコンテストになってきている。大人は食べて、子供はつくってという二つの事業である。3ヵ年の補助金の期間の終了後、現在「食のまちづくりフォーラム」はスローフード気仙沼が事業主体となり参加者負担で、「プチシェフコンテスト」は市が単独で事業費を計上し実行委員会が市の補助を受けて継続開催している。

 

(3)気仙沼スローフード都市宣言とスローフードフェスティバル
 これらのイベントが成功を収める一方で、地域での「食」を核としたまちづくりの気運が高まってきたことを受けて、さらにこの運動を強固なものにしていくために私たちは 気仙沼市 に「気仙沼スローフード」都市宣言を提案した。 気仙沼市 はこれを受けて関係者及び一般市民による起草委員会を設置し、平成15年3月、全国的にも珍しい「気仙沼スローフード」都市宣言が議会で議決された。スローフードという言葉を使用したのは、スローフード運動の理念と私たちの考え方一致したこと、市民にむかっての掛け声としてはいい言葉であったという理由であり、この宣言の本質は「食」を通じて地域住民が自らのまちを見つめ直し、培ってきた文化を再発見すること。さらに住民自身がよりまちに愛着と誇りを持ち、暮らしよい豊かなまちにしていくための指針としてつくられたものである。決して「グルメのまち」にして売り出そうというものではなく、あくまで内側、私たち自身に向けたものであり、「食」を核にしてバラバラだった取り組みの関係を整理しながら、市民一丸となって頑張ろうという目標を定めたものである。

 この宣言を民間の立場で推進していくために、スローフード気仙沼という団体を設立。食のまちづくり協議会が団体参加を基本にしたのに対して、スローフード気仙沼は個人参加。産業団体のゆるやかなネットワーク組織から、個人のボランティアが結集する組織へと発展していった。言い方がおかしいかもしれないが、ふたつの団体は、出来た経緯、中核メンバーから考えて組織体としては異質なものの表裏一体の関係であり、使い分けの出来る組織であるともいえると思う。事実、このふたつの組織は現在も並存しており、ネットワーク部分は食のまちづくり協議会が、事業の推進はスローフード気仙沼がという形で進められている。

 

 このような経過の中で、 全国各地のスローフード協会の代表者会議が(これまで比叡山、由布院、帯広、沖縄で開催され、今回5回目)が気仙沼で開催されることを機会に、 気仙沼市 や私たちが推進しているスローフード運動とは何なのかを理解して貰うこと、この地域の魅力を整理し全国に発信すると同時に、多くの地元市民の方々にも再度、この圏域の素晴らしさ、宝物を認識できる機会にすることが出来ればと考え、 平成19年2月 気仙沼スローフードフェスティバル2007冬を開催した。これまでの参加協働型のまちづくりの経験を大きなイベントの中に生かすという意味も併せ持っていた。

 

 私たちのスローフード運動を理屈ではなく「五感で理解」してもらうために、冒頭に述べたように、 気仙沼市 西方の山里に位置する築90年近く経ち廃校となった木造校舎をメイン会場に、約80の個人・団体の出演者・出展者が学校の校舎・校庭・体育館を舞台に食べものとつながりがあるということをテーマに、見る(展示)・聴く(講義)・触る(実践型講座)・感じる(郷土芸能)・味わう(試食・物販)を同時進行で行なっていくという方法で実施した。以下が主な内容である。

 

 見る(展示ブース)は、 気仙沼の漁業歴史、農業の変遷、化石の展示など当圏域の生活文化や産業の歴史などをパネルやビデオなどで展示・紹介するブース。

 聴く(講義)は、山里の暮らしと文化、郷土料理と健康 、スローフード学習の発表、フカヒレの出来るまでなど当圏域の生活文化や産業の歴史、「食」の取り組みなどを直接来場者に話をするブース。

 触る(実践型講義)は、いかの塩辛づくり、 カツオの下ろし方、サンマの佃煮づくり、そば打ち体験、炭焼き体験など当圏域独特の「食」や「暮らし」を来場者が多角的に体験しながら学べるブース。

 味わう(振る舞い、販売ブース)は、 南三陸米の試食、あざら・ゆべし、さんまカレーやラーメン、水産加工品など当圏域の豊かでスローな山の幸、海の幸を無料提供したり、販売するブース。

 感じる(郷土芸能ブース)は、田植え踊り、虎舞、神楽、鹿踊り、太鼓など当圏域の人々の暮らしや文化に根ざした郷土芸能を来場者が鑑賞し、心で感じて頂くブース。

 実に多彩で盛りだくさんのイベントであったが、このイベントの意義は全体の構成としても、あるいは各パートにおいても今後の気仙沼のまちづくりを進めていく上で指針となるものであったと考えている。なぜそのように考えられるか、ポイントになる点を整理してみたいと思う。

  
@ イベントの位置付けと方向性
 とかくイベントはそれ自体が目的化してしまう場合が多いが、このイベントは開催の前に多くの時間を費やし目的を明確化し、食を核 にしたまちづくりを推進するために戦略的に開催するという位置付けをはっきり打ち出した。また、やって終わりとならないように次回 以降のプランとして2008春、2009夏、2010秋というように1年3ヶ月ほどの期間をおいて開催していくことも事前に確認しあった。 ただし、あくまで今回の結果をみてということであったが。

 さらに次の5点をこのイベントの方向性として打ち出した。

 ・ 五感全てで地域を感じることの出来る気仙沼ならではイベントであること。

 ・ リアスらしく、海と山の融合が感じ取れるイベントであること。

 ・ 大勢の市民が、無理なく協力したり参加したり出来るイベントであること。

 ・予算を掛けないで、人が来たくなるイベントであること。

 ・今後のまちづくりの指針となるようなイベントであること。

 事前に、このような作業を行っておくことで、常に方向性がブレず、またスタッフや参加者の意識の徹底にもつながっていった。

A  実施主体と協働の枠組み
 全国代表者会議と併設ということもあり、実施主体は民間団体のスローフード気仙沼で、共催としてスローフード都市を宣言している  気仙沼市 ・ 気仙沼市 教育委員会、そして食のまちづくりを推進している気仙沼商工会議所が加わった。 気仙沼市 からは人的支援 、機材の借用等の支援。 気仙沼市 教育委員会からは会場となった小学校の借用、気仙沼商工会議所には事務局の設置、人的支 援、会議場の借用等の支援を受けた。

 協働の枠組みというと少し表現が硬くなってしまう感があるが、今回の大きな特長のひとつにスローフード気仙沼という有志の集まり によるNPOと開催地となった 気仙沼市 八瀬地区の自治会等地縁組織との協働もあげられる。リアス式海岸の特徴である海と山と を生かし、 里山の地域から海を考えることで、まちづくりの原点である地元の人たちが地域の良さをあらためて感じ地域に誇りを持つ ことができるのではないかと考えた私たちの思いと、里山で暮らし地域の振興を図ろうとしていた地縁組織との思いが一致し、事前 の準備から当日の手伝いまで大きな協力を得ることができた。同じ市民とはいえよそ地区の人間が地元でイベントをやって人を呼ぼ うとしている。理屈抜きに、前向きな姿勢で今回のイベントで自分たちも何かやらなければという気持ちになったということなのかもし れない。

B 財源と企業の関わり
 今回のイベントの費用は、はじめてということもあり出店料は一切徴収せず、運営費や設備費等は県からの補助金、出店に関わる費 用は出店者負担とした。出店者を募集する際には、喜んで出店して貰えるように、出店者の利益はそのまま出店者のものになり、イ ベント実行委員会には入ってこないようにした。まちづくりを考える上で常にボランティアでは企業のモチベーションは下がってしまうし 、どこかに無理が生じてしまう。むしろ、現実のまちづくりはお金の循環、いわゆる経済を抜きにしては進められないことも事実だと考 え、振舞いのような無料の企画は遠慮して貰い、出来るだけお金をとっての販売をお願いした。さらに出店になじまない食に関係する 企業(漁船漁業経営者・市場の仲買人・ホテル旅館等)の参加を得るべくイベントに対しての協賛金をお願いした。予算的に厳しい面 もあり、講師を務める方にはおみやげ程度の御礼、スタッフについては二日間おにぎりのみの支給にし、また、機材は出来るだけ借 用、会場設営・設備の整備は専門的なもの以外は業者を頼まず自分たちの手で行うなど、お金のかからない工夫を行っていった。

C  出店者出演者募集・来場者募集PR計画
 真冬のしかも気仙沼で一番寒い地区での開催ということもあり、一般の市民に来て貰えるかということが当初からの不安であった。 多くの方に来ていただくためには魅力ある出店・催事が必要と考えられたし、出店・出演する側から言えば来場者が多ければいろい ろ工夫もできるしやりがいもあるという堂堂巡りの議論があったのも事実である。

 そこで、まず出店・出演者の募集に関しては広く公募を行い、さらにイベントの主旨説明会を開催した上で、最終的な出店者を決定す るという方法をとった。市の広報・地方新聞等を活用し公募を行い、他方でイベントの構成上どうしても必要な出店・出演者はこれまで の食のまちづくりを通じて出来てきたネットワークやスタッフの個人的なつながりを駆使して依頼をしていった。公募をしたのは、イベン ト開催のPRや広く募集をかけるという意味であったが、後々のことを考えクレームにならないように配慮したためでもある。主旨説明 会やこちらから要請する際には、売上がわずかかもしれない、観客が1〜2人かもしれないでもいろいろな発信につながるので参加 する意義があることを強調した。余談だがイベントの成功を受けて、そういう催しなら参加するんだった、何故もっと積極的に勧めてく れなかった、自分も協賛したかったの声が多数あったのも事実である。いずれにしても、出展者・出演者の確定までに予定より時間を 要したものの、主旨に賛同し多様なしかも多彩なお店や人材を確保することができた。

 一方、来場者への告知も並行して行っていった。市の広報、地方紙はもとより、開催PRのチラシ、開催内容を知らせるチラシ、ポスタ ー等を使用し、どのタイミングでどのツールで告知するかを順序だてて行っていった。集客のために無料のシャトルバスを走らせること にし、来場者を確定していくために前売りの2割増分使えるクーポンの販売を実施した。当日は、あまりの来場者の多くにこの二つの 効果はかすんでしまったのだが、何とか来場者を確保しようという試みであった。

 しかし、最も効果的な集客方法は出店者・出演者の選定にあったと思われる。たとえば、子供たちを集めるためにたいやき・昔の遊び ・薪割りなど子供向けの企画を用意したり、親の世代を集めるために子供が出演する郷土芸能に出演を依頼したり、ただ食べて楽し む企画あり話を聴いて納得する企画あり、さらに地域性にもこだわり 気仙沼市 内の各地区に関わるものを出店してもらったり、子供 からお年よりまで性別問わず楽しめる企画を意図的に集めていったのである。

D  コーディネーターとスタッフ
 今回のイベント実行委員会はスローフード気仙沼の中に置かれたことは、前述した通りである。実行委員長はそのリーダーである私 が務めた。いわば総合的なコーディネーターの役割である。対外的な折衝、組織内の取りまとめ、全体調整、最終的な意思決定など を担当した。イベント自体には副実行委員長が張り付き、イベント構成、出店者・出演者との調整、現地との連絡、事前準備、当日の 指揮等を担当した。彼はイベント現場での優秀なコーディネーターといえる。

 また、イベント会場の全体レイアウトを担当するコーディネーターも活躍した。彼は、チラシ・ポスター・パンフレットに至るまでのデザイ ン全般を担当し、コーディネートしながら実務もこなすという役割を担った。

 そして、大切な存在は専門家である。外部アドバイザーとして気仙沼における食のまちづくりをともに推進してきたソムリエで飲食コン サルタントの木村克己氏の存在である。彼は今回は総合アドバイザーという立場で、世界の食に精通した職業的な経験を生かして、 私たちが地元市民としては気づかない部分を要所要所でアドバイスをしてくれた。実は山から海をみる、小学校を会場にする、イベン ト名等々彼のアドバイスによるところが大きいのである。

 スタッフは、スローフード気仙沼のメンバー、市役所スローフード担当職員、商工会議所職員、公募の一般ボランティアそして八瀬地 区の住民ボランティアという構成であった。その数約150名。主要なスタッフであったスローフード気仙沼のメンバーや市職員、商工 会議所職員は事前の準備から関わり、ボランティアのメンバーは当日の手伝いという具合である。全員が全員、主旨を完全に理解し ていたとは言えないと思うが、各部署のリーダーは事前準備の段階から関わっていたせいもあり、今回のイベントの意味を大方理解 してくれうまく現場を仕切ってくれたと思っている。

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(4)スローフードフェスティバルの意義と協働
 スローフードフェスティバルの成功は、気仙沼の食のまちづくりを大きく推し進めることになったという大きな意義をもつものであるが、ここでは参加協働型のまちづくりの視点からこのフェスティバルの意義を考えてみたい。

 まず、今回の様々な募集活動の中で感じたことたが、何かをやってみたい、見せたい、好きなことを生かしたいという人たちが地域には数多くいるということ、そしてそれをコーディネートして参加の機会の場をつくっていくことの重要性があげられると思う。実際、多くの人たちが来場者が集まるかどうかわからない中で、快く参加を承諾してくれている。と同時に、自分の意思や善意で集まった人たちをしっかりとした理念を持ってコーディネートしていくことが大切だと思う。

 二つ目は、当たり前の力ということである。前述したように、今回のイベントではみんなが無理をしないという方針を立てた。出展者・出演者もある意味では、普段どおりのことを場所変えて行っただけともいえよう。その日のために特別なことをやったわけではない。しかし、すべて大好評だった。ある人にとっては当たり前のことでも、見せ方やくくり方、あるいは視点を変えるだけで全然違ったものになっていく。この考えは、まちづくりに大切なあるものを生かすという考えにつながっていく。あらためて、自分たちの日常を見つめ直す必要があるのではないかと思う。そして、そこから身の丈にあった個性豊かなまちづくりが始まるような気がする。

 三つ目は、地域には多くの人材がいることに気が付いたということである。出店者も講師もみんなが食べものについては先生だということである。魚屋が魚のことを話す、農家が米のことを話す。料理人が調理をしてみせる。あたりまえの中に埋没している感があるがこれも見る人が見ると新鮮でまた違った印象で受け取るのではないだろうか。また、準備作業、当日作業にも能力を発揮した人たちがいたこともあげられる。自分たちの特技を生かして、予算の少ないイベントで技術や労力で参加した人たちの存在である。

 そして、最後に今回のスタッフに私も含め10年以上に渡って、参加協働型のまちづくりの経験を積んできた人材が数多くいて、その人たちが今回それぞれの部署で役割分担をしながら活躍したということである。私は役所との協働をコーディネートし、別の人間がイベント自体をコーディネートする。地元内外の専門家が関わり、必要な部署に登用する。

 県は補助を出し、市は人的な支援等行う。地域の地縁組織とも連携を図る。市役所職員も以前実施した人材養成講座の終了した人が今第一線で活躍を始め、今回のイベントでは大きな役割を果たすようになった。彼らの存在が、枠組みづくり・機材の借用・場所の提供など、決してなーなーの関係ではなく、お互い協働の理念やルールを考えながら、ひとつひとつ筋を通して作り上げていく関係を可能にしたともいえよう。

 長年試行錯誤を続けてきた協働のひとつの形が、このイベントを通して楽しみながら作り上げることができたのである。

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