@ イベントの位置付けと方向性
とかくイベントはそれ自体が目的化してしまう場合が多いが、このイベントは開催の前に多くの時間を費やし目的を明確化し、食を核 にしたまちづくりを推進するために戦略的に開催するという位置付けをはっきり打ち出した。また、やって終わりとならないように次回 以降のプランとして2008春、2009夏、2010秋というように1年3ヶ月ほどの期間をおいて開催していくことも事前に確認しあった。 ただし、あくまで今回の結果をみてということであったが。
さらに次の5点をこのイベントの方向性として打ち出した。
・ 五感全てで地域を感じることの出来る気仙沼ならではイベントであること。
・ リアスらしく、海と山の融合が感じ取れるイベントであること。
・ 大勢の市民が、無理なく協力したり参加したり出来るイベントであること。
・予算を掛けないで、人が来たくなるイベントであること。
・今後のまちづくりの指針となるようなイベントであること。
事前に、このような作業を行っておくことで、常に方向性がブレず、またスタッフや参加者の意識の徹底にもつながっていった。
A 実施主体と協働の枠組み
全国代表者会議と併設ということもあり、実施主体は民間団体のスローフード気仙沼で、共催としてスローフード都市を宣言している 気仙沼市 ・ 気仙沼市 教育委員会、そして食のまちづくりを推進している気仙沼商工会議所が加わった。 気仙沼市 からは人的支援 、機材の借用等の支援。 気仙沼市 教育委員会からは会場となった小学校の借用、気仙沼商工会議所には事務局の設置、人的支 援、会議場の借用等の支援を受けた。
協働の枠組みというと少し表現が硬くなってしまう感があるが、今回の大きな特長のひとつにスローフード気仙沼という有志の集まり によるNPOと開催地となった 気仙沼市 八瀬地区の自治会等地縁組織との協働もあげられる。リアス式海岸の特徴である海と山と を生かし、 里山の地域から海を考えることで、まちづくりの原点である地元の人たちが地域の良さをあらためて感じ地域に誇りを持つ ことができるのではないかと考えた私たちの思いと、里山で暮らし地域の振興を図ろうとしていた地縁組織との思いが一致し、事前 の準備から当日の手伝いまで大きな協力を得ることができた。同じ市民とはいえよそ地区の人間が地元でイベントをやって人を呼ぼ うとしている。理屈抜きに、前向きな姿勢で今回のイベントで自分たちも何かやらなければという気持ちになったということなのかもし れない。
B 財源と企業の関わり
今回のイベントの費用は、はじめてということもあり出店料は一切徴収せず、運営費や設備費等は県からの補助金、出店に関わる費 用は出店者負担とした。出店者を募集する際には、喜んで出店して貰えるように、出店者の利益はそのまま出店者のものになり、イ ベント実行委員会には入ってこないようにした。まちづくりを考える上で常にボランティアでは企業のモチベーションは下がってしまうし 、どこかに無理が生じてしまう。むしろ、現実のまちづくりはお金の循環、いわゆる経済を抜きにしては進められないことも事実だと考 え、振舞いのような無料の企画は遠慮して貰い、出来るだけお金をとっての販売をお願いした。さらに出店になじまない食に関係する 企業(漁船漁業経営者・市場の仲買人・ホテル旅館等)の参加を得るべくイベントに対しての協賛金をお願いした。予算的に厳しい面 もあり、講師を務める方にはおみやげ程度の御礼、スタッフについては二日間おにぎりのみの支給にし、また、機材は出来るだけ借 用、会場設営・設備の整備は専門的なもの以外は業者を頼まず自分たちの手で行うなど、お金のかからない工夫を行っていった。
C 出店者出演者募集・来場者募集PR計画
真冬のしかも気仙沼で一番寒い地区での開催ということもあり、一般の市民に来て貰えるかということが当初からの不安であった。 多くの方に来ていただくためには魅力ある出店・催事が必要と考えられたし、出店・出演する側から言えば来場者が多ければいろい ろ工夫もできるしやりがいもあるという堂堂巡りの議論があったのも事実である。
そこで、まず出店・出演者の募集に関しては広く公募を行い、さらにイベントの主旨説明会を開催した上で、最終的な出店者を決定す るという方法をとった。市の広報・地方新聞等を活用し公募を行い、他方でイベントの構成上どうしても必要な出店・出演者はこれまで の食のまちづくりを通じて出来てきたネットワークやスタッフの個人的なつながりを駆使して依頼をしていった。公募をしたのは、イベン ト開催のPRや広く募集をかけるという意味であったが、後々のことを考えクレームにならないように配慮したためでもある。主旨説明 会やこちらから要請する際には、売上がわずかかもしれない、観客が1〜2人かもしれないでもいろいろな発信につながるので参加 する意義があることを強調した。余談だがイベントの成功を受けて、そういう催しなら参加するんだった、何故もっと積極的に勧めてく れなかった、自分も協賛したかったの声が多数あったのも事実である。いずれにしても、出展者・出演者の確定までに予定より時間を 要したものの、主旨に賛同し多様なしかも多彩なお店や人材を確保することができた。
一方、来場者への告知も並行して行っていった。市の広報、地方紙はもとより、開催PRのチラシ、開催内容を知らせるチラシ、ポスタ ー等を使用し、どのタイミングでどのツールで告知するかを順序だてて行っていった。集客のために無料のシャトルバスを走らせること にし、来場者を確定していくために前売りの2割増分使えるクーポンの販売を実施した。当日は、あまりの来場者の多くにこの二つの 効果はかすんでしまったのだが、何とか来場者を確保しようという試みであった。
しかし、最も効果的な集客方法は出店者・出演者の選定にあったと思われる。たとえば、子供たちを集めるためにたいやき・昔の遊び ・薪割りなど子供向けの企画を用意したり、親の世代を集めるために子供が出演する郷土芸能に出演を依頼したり、ただ食べて楽し む企画あり話を聴いて納得する企画あり、さらに地域性にもこだわり 気仙沼市 内の各地区に関わるものを出店してもらったり、子供 からお年よりまで性別問わず楽しめる企画を意図的に集めていったのである。
D コーディネーターとスタッフ
今回のイベント実行委員会はスローフード気仙沼の中に置かれたことは、前述した通りである。実行委員長はそのリーダーである私 が務めた。いわば総合的なコーディネーターの役割である。対外的な折衝、組織内の取りまとめ、全体調整、最終的な意思決定など を担当した。イベント自体には副実行委員長が張り付き、イベント構成、出店者・出演者との調整、現地との連絡、事前準備、当日の 指揮等を担当した。彼はイベント現場での優秀なコーディネーターといえる。
また、イベント会場の全体レイアウトを担当するコーディネーターも活躍した。彼は、チラシ・ポスター・パンフレットに至るまでのデザイ ン全般を担当し、コーディネートしながら実務もこなすという役割を担った。
そして、大切な存在は専門家である。外部アドバイザーとして気仙沼における食のまちづくりをともに推進してきたソムリエで飲食コン サルタントの木村克己氏の存在である。彼は今回は総合アドバイザーという立場で、世界の食に精通した職業的な経験を生かして、 私たちが地元市民としては気づかない部分を要所要所でアドバイスをしてくれた。実は山から海をみる、小学校を会場にする、イベン ト名等々彼のアドバイスによるところが大きいのである。
スタッフは、スローフード気仙沼のメンバー、市役所スローフード担当職員、商工会議所職員、公募の一般ボランティアそして八瀬地 区の住民ボランティアという構成であった。その数約150名。主要なスタッフであったスローフード気仙沼のメンバーや市職員、商工 会議所職員は事前の準備から関わり、ボランティアのメンバーは当日の手伝いという具合である。全員が全員、主旨を完全に理解し ていたとは言えないと思うが、各部署のリーダーは事前準備の段階から関わっていたせいもあり、今回のイベントの意味を大方理解 してくれうまく現場を仕切ってくれたと思っている。 |