Vol.34 2007年2月10日号
「メディアの読み方」講座 第15回  放送の公共性とは?
土田修(ジャーナリスト)

 キーワード・・・ 公共性、 public opinion (世論、公論)、「あるある大事典 U 」、従軍慰安婦問題特番、命令放送

1. テレビは公共機関か?
  1月中旬、メディアと公共性の問題について考えさせられる記事が各紙の紙面をにぎわせた。 「発掘!あるある大事典 U 」 (関西テレビ)の「納豆ダイエット効果あり」という番組で実験データがねつ造されていたという記事だ。

 番組が放送された直後から、全国のスーパーや小売店では納豆の品切れ状態が続き、生産が追いつかなくなった大手メーカーは新聞やホームページでおわびを掲載した。まざまざとテレビの力を見せつけられる思いがした。その後、「あるある」疑惑は 「レタスで快眠」 「あずきで頭が活性化」 「みそ汁で減量」など次々と広がり、その度に、新聞は政治家の汚職や核開発疑惑のような大事件なみの報道を続けた。

  天下国家について論じるはずの論説記事も 「個別会社の不祥事では済まされない」 「テレビ報道全体の信頼を揺るがした」 「テレビ局が主張する公共性とは何だったのか」と大上段から「関テレ」バッシングを続けた。これに呼応し、評論家も「捏造報道はジャーナリズムの自殺行為だ」 「国家権力の介入を呼び込んだテレビの責任は万死に値する」など、民主主義が死滅したかのような大仰な言葉で批判を繰り返した。でも、ちょっと待って!

 ― 「あるある」は報道番組だったのか?(バラエティ番組ではないのか)   

 ― 視聴者は本当にテレビを信用しているのか?(テレビの取材方法や報道姿勢についての批判には根強いものがある)

 確かに、納豆は町中から姿を消した。つまりテレビは簡単に視聴者の同意を得ることができたのだ。何らかの世論形成に大きな役割を果たしたことは事実だ。だが、視聴者がこれほど簡単に、しかも無批判的にテレビの情報を真実だと思い込んだのはなぜなのか。

   最近、テレビ報道はあらゆる出来事をスペクタクル(見せ物)に、 重要な政治課題をトピック(話題)に変えてしまったと言われる。 「小泉劇場」やホリエモン裁判などその実例は枚挙に暇がない。「小泉首相と抵抗勢力」 「改革派と抵抗勢力」 「ホリエモンと裁判官」といった単純な二項対立と、「刺客」 「コメ百俵」 「ガリレオ演説」 「ホリエモンの野望」といったステレオタイプなワンフレーズを駆使し、政治や事件を娯楽に変えてしまった。

2. opinion から public opinion へ
 テレビ画面で政治や経済や事件は「バラエティー」に変わり、報道番組と「ワイドショー」の区別がなくなってしまった。視聴者が「あるある大事典」を報道番組として受け取ったのは、こうしたテレビの番組の造り方が一因になっている。政治や経済や事件を「バラエティー」として伝えるのは、その方が面白いし、視聴率を稼げるからだ。 「あるある大事典」の騒動は、視聴率主義に基づく「資本の論理」に支配されたテレビの在り方を象徴している。テレビはもはや「公共性の論理」を失った。

 放送の公共性について考える上で思い出されるのは、ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの争奪戦だ。テレビやマスコミの側はライブドアをうさんくさい新興IT企業と決めつけた。総務大臣も 「放送事業の公共性」を理由に「もうけ主義」のライブドアに疑問符を付けた。だがライブドアもメディアの一角を担っていたのではないか。テレビは「公共性」を楯にライブドアを攻撃した。でも報道番組が死滅しつつあるテレビは本当に公共機関といえるのか。

 ハーバーマスは「市民的公共性の機能の自己理解は、『公論』という論題の中で結晶した」(未来社刊「公共性の構造転換」)と書いている。公論とは世論( public opinion )のことだ。不確実な判断や臆見のことであった「 opinion 」という語が、社会的性格を帯びた結果、「 common opinion 」という語が生まれ、さらに、判断力ある大衆の論議のこととして「 public opinion 」という語へと昇華するプロセスをハーバーマスは、「英語では、『意見』から『公論』への発展は、『公共精神』( public spirit )という語を経由する」(同)と端的に書いている。

   「公共性」とは万人に開かれた議論の場を前提に成り立つものだ。それが市民社会の理想でもある。テレビは公共性を看板にしているが、「あるある大事典」や他のバラエティー番組を見る限り、テレビによって作り出された「公論」は「主観的思い込み=ドクサ(臆見)」以上のものではない。
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3.公共放送の危機
 さらに深刻な問題に出くわした。「みなさまのNHK」がニュース番組の中でテレビの公共性をかなぐり捨てるかのような報道を平然とやってのけた。

 それは安倍と中川という政治家がNHKに圧力をかけたかどうかが問題になった「従軍慰安婦特番」での番組改変をめぐる損賠請求訴訟の判決を伝えるニュースでのことだ。1月30日、東京高裁判決は一審判決を変更し、NHK側に100万円の賠償を命じた。裁判長は「国会議員(安倍と中川)の意図を忖度(そんたく)して当たり障りのないように番組を改変した」と番組改変の事実を認め、「憲法で保証された編集権限の乱用で、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄した」とNHK側の姿勢を厳しく批判した。

   この判決をNHKはどのように報じたか? 「NHKに100万円の賠償を命じました」 と判決内容をさらりと伝えた後、 「判決は 『政治家が番組に対し直接指示して介入した』 との主張を避けました」 「判決は 『朝日新聞の取材が充分ではなかった』 と指摘しました」などと、NHKにとって都合の良い部分のみを大きなテロップを使って伝えた。政治家に迎合して番組を改変したNHKの責任を指摘した判決の本筋は触れられることがなく、事実としての判決は文字通り改ざんされてしまった。  

 さらにNHKにとって都合の良いテロップが消えると同時に、安倍、中川が登場し、「これで番組への介入がなかったことがはっきりした」 「朝日新聞の報道の誤りが明らかになった。朝日はどう対応するのか」と語る場面の映像に切り替わった。判決の意味を遠く離れ、枝葉から枝葉へとニュースは進行していく。この「ニュース番組」はテロップと映像をつないだ巧みな自己正当化の論理によって貫かれていた。何も知らない視聴者なら、判決でNHKの主張が認められ、番組改変に対していかなる政治家の関与もなかったと思い込むことだろう。テレビの公共性を信じ、無批判的にテレビを受け入れてしまう視聴者にとって(「あるある」を見て納豆を買いに走った人たちのように)、テレビのニュースは、常に、しかも簡単に、「真実と同一のもの」として受け取られてしまうに違いない。

 高裁判決を伝えたNHKニュースの持つ意味は深刻である。公共放送であるはずのNHKが堂々とプロパガンダ放送を全国に流したのだから。NHKはニュース番組の在り方を大きく逸脱してしまった。その結果、NHKが得たものは政治家への迎合とテレビ番組への不信感だけだ。

 「公共放送の危機」に瀕していたNHKはいまや「公共放送の死」を迎えた。

   NHKのプロパガンダニュースには一つの特徴がある。アナウンサーの語りに一方的な主張のテロップを織り込み、それを補強する映像(ニュースの本質と関係性が薄かったり、無関係である場合もある)をつなぎ合わせることで、視聴者の視覚・聴覚・判断力を支配してしまうことだ。映像とは時に、真実を伝えるツールにもなるが、時に、虚偽を伝えるツールにもなる。こうして視聴者=大衆( public )は映像の魔力に魅入られ、騙され、踊らされる。

4. 世論に対するメディアの役割
 イギリス保守党創設者ロバート・ピール卿は「世論と呼ばれる、愚行、弱さ、偏見、誤った感情、正しい感情、新聞記事の大混合物」(W.リップマン「世論」)と言い切った。

 「新聞記事」を「テレビ番組と新聞記事」に置き換えれば(19世紀にテレビはなかったから)、現代のマスメディア状況の一端を正しく表現している。そして不明確で混乱した「世論」の内部から、メディア内部の同士打ちが始まり、「公権力」の介入を許してしまう土壌が生まれる。「ライブドアvsフジテレビ」や「NHKvs朝日」といったバラエティー的な二項対立と、NHKの番組改変問題への対応の悪さが、結果として電波法を楯にした「公権力」によるメディアへの一方的な介入を許した。その結果としてNHKはラジオ国際放送で「命令放送」なるものを受け入れてしまった。政治的圧力への屈服と、政治家への迎合はNHK幹部の頭の中で、それと意識されることなく、当たり前のこととして進行しているようだ。

   視聴者(市民)は、「世論」に対するメディアの役割を認識し、バラエティー番組と報道番組を峻別する判断力を持つべきだ。その場合、 「公共性」がキーワードになる。 教育基本法改正にみられるように、国家や政治家は「愛国心」や 「公共心の回復」を声高に唱えることで、本来、市民側の価値であったはずの「公共性」 の領域をそっくり支配しようとしている。それに対抗するには、テレビの視聴者(市民)が、番組のバラエティー性に対して距離を置き、開かれた言論の場としての「公共メディア」の存在意義を再認識し、新たな「公共性の論理」を確立する必要があるだろう。それが現在のNHKを含む公共放送の危機を乗り越える唯一の手段である。
 

 

 



 

 

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