「メディアの読み方」講座 第13回  アメリカの孤立主義と憲法9条
土田修(ジャーナリスト)

 キーワード・・・ 大量破壊兵器(WMD)、先制的自衛権、孤立主義、漂流する大国、新憲法草案、一億総白痴化

  アメリカのブッシュ大統領は、旧フセイン政権の大量破壊兵器(WMD)に関する情報が間違っていたことを認めた。だが、「フセイン排除は正しかった」と開戦の正当性を改めて強調した。安倍官房長官も「イラク攻撃への支持は合理的判断だった」と言い切った。これでは、無実が明らかになった殺人犯に対し、「逮捕時点で疑われる理由があったのだから死刑判決は正しい」と言っているのと同じことだ。いつの間に日米政府は無法者集団に乗っ取られてしまったのか?

1.先制的自衛権
 ブッシュ大統領は2005年12月14日、ワシントン市内で「テロとの戦い」と題する演説で、WMDに関する機密情報の大半が結果的に間違っていたことをようやく認めた。とはいえ、「イラク戦争に踏み切った決断に責任を持っている」とし、開戦の決断は正しかったことを強調した(註1)。

 ブッシュ政権は国連安保理で、イラク戦争開戦の最大の理由としてWMDの存在を繰り返し指摘した。武力行使を正当化する理由はWMDの製造と保有と隠匿だった。国連安保理でパウエル前国務長官は2003年2月、「これは言いがかりではない。しっかりした裏付けに基づく事実だ」として、イラクが数万人を殺傷できる生物兵器の製造能力や、化学兵器を製造できる物質、核兵器の開発計画を持っていると主張した。03年3月、イラク開戦3日目、ブッシュ大統領は「イラクがいまなおWMDを保有していることは一点の疑いもない」との声明を出した。

 こうしてブッシュ政権は国連安保理の決議を得ないまま武力行使に踏み切った。 ブッシュ大統領は国際法を無視して「先制的自衛権」 というアメリカ政府だけが認めている身勝手な権限を行使してイラクを攻撃したのだ。 ブッシュ政権は 「アメリカと同盟国は武力行使の権限を持っている」と、先制的自衛権を拡大解釈し、それに応じて、日本政府はイラクへの自衛隊派兵を強行した。先制的自衛権というアメリカ政府しか正当化し得ないようなお粗末な権限によって始められた国際的には「不正義の戦争」に荷担することで、日本政府は自国の憲法を踏みにじり、イラク民間人3万人を殺害したアメリカ政府の共犯者になった。

2.アメリカの時代の終わり
 04年9月に米中央情報局(CIA)の報告で、イラクが91、2年に化学兵器・生物兵器を廃棄し、核兵器の開発も中止していたことが明らかになっている。1年以上たってやっとブッシュ大統領がCIA情報を追認する気になった理由は明らかだ。国内でイラク政策への反発が強く、最近の世論調査でも「大統領は正直ではない」との回答が過半数を占めた。このためブッシュ大統領はイラク政策への理解を求めると同時に、イラク攻撃そのものの正当性を強調する目的で「戦略的に」判断の誤りを認めたに過ぎない。

 イラクへの武力行使とフセイン体制崩壊は確かに米国ネオコン(新保守主義)の影響力を一時的に高めはした。しかし、アメリカの世界的指導力は長期的に維持できるものではなかった。それは戦闘状態が続いているイラクの現状を見れば明らかだ。内政問題に揺れるブッシュ政権はイラクから撤退する時期を模索し始めている。アメリカはいまや単独行動主義から孤立主義へと舞い戻ろうとしているのは間違いない。

 ブッシュ氏は元々世界にあまり関心も持っていない大統領だった。京都議定書からの離脱を見るまでもなく、少なくとも国際協調主義からほど遠い政治指導者だった。ジョージタウン大学のチャールズ・カプチャン教授(国際関係論)は、アメリカは9・11以降、「先制行動の原則」に基づく外交政策を持つようになったが、元来は地政学的にも「孤立主義の国」だったと分析している。孤立主義と単独行動主義は一見、矛盾しているようにみえるが、実は、この政治イデオロギーこそが開国以来のアメリカのお家芸でもあったと指摘している。「たしかに、(ブッシュ政権で)孤立主義と単独行動主義が同時に復活したというのは不思議である。少なくとも表面的にはこの二つは、正反対の衝動であって、孤立主義は不関与を求め、単独行動主義は制約のない世界的なリーダーシップを求める。しかし、この二つは実際には一枚のコインの表と裏である」(註2)

 カプチャン氏はアメリカがイラク戦争によって世界支配という新たな時代を開いたように見えるが、実際は、結果的にアメリカの時代の終わりを早める道を歩んでいる、と指摘する。つまりアメリカは9・11以降、先制行動の原則という戦略を持ったが、その結果、世界の大半を敵に回し、同盟国を危険にさらす結果となった。アメリカは気まぐれな行動によって「漂流する大国」であり、9・11の長期的影響としてアメリカは本土防衛に多くの関心とエネルギーを注ぐようになり、外国での問題解決に注意を払わなくなる、というのだ。同書でカプチャン氏はフランスの批評家の言葉を引用している。

 「いったん9・11の犯罪者たちを懲らしめてしまえば、第一次世界大戦後にアメリカに世界から手を引かせたのと同様の誘惑が、ふたたびアメリカの行動を律するのではないかという恐れがある。この観点からいえば、1941年のパールハーバーによってはじまった時代は2001年のパールハーバーによって終わりを告げられる可能性がある」(註3)

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3.アメリカの属国
 開戦を正当化する最大の根拠を失ったことは、単独行動主義というアメリカ・ネオコン(新保守主義)派の外交的戦略が敗北したことを意味する。これを契機に、アメリカは第一次世界大戦以前の孤立主義に戻ろうとしている。アジア外交についていえば、最近、急速に「アジア共同体」構築に向けての東アジア・サミットの動きが活発化している。その中で、アメリカ抜きのアジア共同体が模索されはじめたのは、アメリカのアジア外交上の負担を軽減することが目的なのではないかと勘ぐってしまう。もし、アメリカが国際的に孤立する道を選択し、アジア外交から手を引こうとしているとすれば、中国や韓国に対して孤立主義的な外交を展開している日本は文字通りアジアの孤児となるだろう。安倍官房長官は05年12月15日の記者会見で「実際にイラクが大量破壊兵器を使った事実がある中で、彼らが大量破壊兵器を持っていると(米政府が)考える合理的な理由があった。イラク攻撃への日本の支持について言えば合理的な判断だったと思う」(註4)と露骨な対米追随を表明した。しかし、イラクがWMDを持っているということが武力行使の最大の理由だったのであり、イラクは91年−92年にWMDを廃棄していたのだから、武力行使に踏み切る合理的な理由はなかったことになる。だとすれば日本がイラク攻撃を支持し、協力する合理的な理由もなかったことになる。

 安倍氏は「アメリカ政府が合理的だと考えたのだから日本政府も合理的だと判断するのは当然だ」と強弁しているが、日本はいつからアメリカの属国になったのだろうか?  日本国憲法を「押しつけ憲法だ」と主張している改憲論者が、武力行使とそれへの協力を自国の判断ではなく、同盟国の判断に委ねるというのは何とも奇異なことだ。

 さらにおかしなことは、こんな子どもだましの答弁を、どのマスコミも批判しようとしなかったことだ。「次期首相の呼び声が高い安倍氏を刺激するのはまずい」という各社の方針があるのだろう。唯一、朝日新聞が12月16日の社説で「米国の根拠が間違っていた以上、いくら合理的だと言い訳しても判断の誤りは隠せない。独仏などは、査察を徹底すべきだと攻撃に反対した」と書いているが、日米関係とアジア外交の将来を見据えた場合、物足りない内容でしかない。

4.憲法9条が平和の担保
 12月10日、都内で「映画 日本国憲法」出演者来日記念・上映会+シンポジウムが催された。シンポジウム「アジアから見た日本、そして憲法」の中で、中国の映画監督・班忠義氏は「中国脅威論を日本人に言われることに違和感がある。日本はアメリカの強大な軍事力に守られており、それを中国が脅威だと感じているというのが公平な見方だ」と指摘した。その上で、班氏は日中関係を長いビジョンで捉えることを提唱し、「国を超えた日中交流を推進しなければならない。その際、憲法9条は安全な社会をつくる上での模範となる存在だ。この人類からのプレゼントともいえる9条を日本はなぜ自分から捨てようとしているのか。9条は日本だけでなく世界の問題だ」と訴えた。

 日本とアメリカの軍事力は中国にとって脅威であり、中国政府が軍拡を進める理由付けになっていた。しかし日本では中国の反日行動と軍拡ばかりが報道され、日本列島に存在する軍事的プレザンスについて公平に語られることが少ないように思う。中国や韓国の国民レベルまで憲法9条の意義が十分伝わっている訳ではないが、アジア・太平洋地域の平和を担保する重要なファクターとして日本の政府を抑制してきた事実には変わりがない。

 「映画 日本国憲法」を撮ったジャン・ユンカーマン監督もシンポジウムで「アジアで憲法が知られていないのは、9条の平和理念を日本政府が誇りを持って実現しようと努力していないからだ」と述べている。 また、韓国の歴史家・韓洪九氏は、イラク派兵後の韓国では、軍事政権と民主化運動との妥協の産物でしかなかった韓国憲法に平和主義の理念をどうやって盛り込むのかといった論議が活発になっている、と発言した。 韓氏は「この時期、日本が9条の平和主義の理念を捨てようとしていることに戸惑いを感じる」と述べ、韓国知識人の9条への期待感を代弁した。 憲法9条は日本がアジアで二度と戦争をしないことを約束した、アジアの平和にとっての大きな担保だった。戦争で大きな被害を受けたアジア各国が象徴天皇制という日本の国家体制を受け入れたのは、9条という担保があったからだ。戦争と戦力の放棄を明確に規定した9条がなければ、日本が天皇制を維持することは極めて困難だったはずだ。

 韓氏は日本の憲法の改正は、まず日本国民の日常生活を破壊し、次いでアジアの平和を破壊すると指摘する。さらに、「日本国憲法をユネスコの世界遺産に登録申請してはどうか?」と提案、「憲法9条はアジアだけでなく世界の平和に関わる問題であり、全世界が守っていくべきものだ」と訴えた。

 05年10月、自民党が発表した「新憲法草案」について産経新聞を除くマスコミは「愛国心という文言が消え、復古的な表現が消えた」とおおむね好意的に評価した(註5)。しかし、9条2項は「自衛軍の保持」に置き換えられ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という一節は姿を消した。日本政府は二度と戦争を起こさないという決意を捨て去ろうとしている。少なくともアジアの隣国はそう受け止めるに違いない。

 イラクでの米軍の死者数は05年10月、2000人に達した。 「WMDは見つからなかったが武力行使は正しかった」 「開戦の際、民主党も賛成したではないか」 と繰り返す無能な指導者の下での死は余りにも無意味な死でしかない。 「自衛隊」を「自衛軍」に変えることと、政府の行為によって再び「戦争の惨禍」が起きるのを防ぐという条文を葬り去ることは、相関関係にある。憲法改正は将来、政府の行為によって国民に無意味な死を強要する結果を招くだろう。ブッシュ氏や安倍氏のように政府はいつでも都合の良い言い訳を準備するものだ。マスコミや国民の大半が批判的精神を失い、「一億総白痴化」(註6)してしまえば、対米追随以外に外交戦略を持たない日本は、アメリカとともに「世界の孤児」となり、再び、軍備を拡張し、鎖国的状態に舞い戻る日が来るのは間違い。

註1)12月15日朝日新聞夕刊

註2)チャールズ・カプチャン氏「アメリカ時代の終わり」 NHKブックス(上)P82

註3)フランソワ・アイスバーグ氏「冷戦後からハイパーテロリズムまで」2001年9月13日仏紙ルモンド掲載 同上P64

註4)12月15日朝日新聞夕刊

註5)10月29日産経新聞は主張で、「国際社会の平和と安全のために日本がすべての面で積極的に貢献する決意を示したこ とは評価できる。ただ、原案にあった日本の伝統、歴史、文化などの記述が消えたのは残念だ」と述べている。産経は民族主 義者のナルシシズムに迎合し、政府の対米協調路線を無批判的に擁護しているだけで、日本が立ち向かおうとしているアジ ア外交の将来像についてはは何の関心も持っていないようである。

註6)小津安二郎監督の映画「お早う」(1959年、松竹大船)に、子どもにテレビをせがまれ困り果てた父親(笠智衆)が居酒屋 の酔客に「テレビなんて、一億総白痴化ですよ」と言われる場面がある。民放のバラエティ番組を見ている限り、小津の予言は 当たっているように思われる。

 

 

 



 

 

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