世界の潮流とNGOの動き 第19
新しい世界システムと憲法九条(その2) 日本とアジアの安全保障と憲法九条

――『九条 2項』の放棄はアジアと日本の安全保障を脅威に陥れる

長坂寿久(拓殖大学国際開発学部教授)

キーワード・・・ 日本国憲法第九条/ 9条、九条2項、安全保障、アジア、米国/アメリカ、中国、北朝鮮、韓国、
         EU/ヨーロッパ、日米安全保障条約、自衛、先制攻撃、集団的自衛権、軍事基地ネットワーク帝国、
         現代の戦争、仮想敵、経済的相互依存、GPPAC

 前回は日本国憲法第九条 (注1) の意義を、「超近代国家システム」への道として論じた。本稿では、アジアの安全保障問題と憲法九条(とくにその2項)との関係について論じる。

  とくに日本の軍事力と安全保障政策、米国の戦略、現代の軍事技術と戦争の変化、日本への外的脅威(仮想敵国)、アジアの安全保障などの視点から、九条の意味を検討してみる。

1. 日本の軍事力と防衛政策
(1)軍事大国日本
 日本の「自衛隊」は1951年に誕生した。現在の予算額は約5兆円に達しており、教育予算に匹敵する。日本国憲法九条により日本は軍隊を持たないことになっているため、自衛隊は軍隊ではないことになっている。

 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推定によると、2004年の世界の軍事支出総額は1兆400億ドルで、ついに1兆ドルを突破した。米国が4、550億ドルで全体の47%を占める。米国に次ぐ軍事大国は、英国、フランス、日本、中国、ロシアで、この6カ国の合計で世界の3分の2以上を占める。

 軍事支出の実際的な推定は非常に難しいようである。国防支出額からみると、世界第2位の軍事国家は、通常はロシアとなっている。しかし、ロシアは計上した国防費を全額支出しておらず、予算上の名目額となっているという。逆に中国は兵器輸入や研究開発費などは国防予算に計上されていないので、これらを勘案すると実数では(ロシアを抜いて)今や中国が世界第2位になるようである。

 現役兵力数(兵士の数)では中国、米国、インド、北朝鮮、ロシアの順となる。しかし、質は戦争の遂行経験によってまったく異なる。戦闘機、戦車、水上艦の比較も数ではなく、質によってまったく能力が違うため比較は難しい。

 日本の軍事力は、 英国とほぼ同じ程度と見られている (注2) 。 日本の陸軍の現役兵力は10万8000人、 英国は12万人(2008年までに大幅削減を発表している)。主力戦車は日本900両強、英国386両、野砲では日本720、英国412とこの2部門では日本が圧倒的である。これに対して、装甲兵員輸送車は日本680両、英国2000両と英国が圧倒的。海軍兵力は日本4万4000、英国4万7000と同じだが、攻撃型潜水艦は日本16隻、英国12隻と日本が多い。しかし、英国は核弾頭付きの原子力潜水艦4隻を含め全て原子力潜水艦であり、能力は圧倒的な差がある。駆逐艦では日本53、英国31と数では日本が多い。

 空軍は防衛戦闘機は日本203、英国107と日本が多く、攻撃機・戦闘爆撃機は日本165、英国210と逆になっている。「英国は遠征して攻撃するタイプの装備が多く、日本は専守防衛型」(江畑謙介、 注2 )となっているらしい。

 日本は金額ベースで世界第9位の兵器輸入国である。日本には、「武器輸出三原則」があり、武器は完成品としては輸出していない。しかし、輸入大国であることを指摘しておきたい。

 九条を撤廃して拡充したい日本の軍事力とはどのようなものなのだろうか。九条改訂を主張する人々の声をまとめると、2隻ほどの空母、巡行ミサイル、原子力潜水艦、核兵器の保持、さらにこれらを支える軍需産業を競争力あるものに育て、企業による軍需製品・兵器の輸出を促進したいと考えているようである。日本経団連は「武器輸出三原則」の緩和を政府に求めている。

(2) 日米安全保障条約の意味
 日本の安全保障政策は、吉田ドクトリン、つまり日米安全保障条約と国連憲章によって行なっていくことを基本としてきた。そして九条を堅持すると宣言してきた。

 九条を基本とする考え方をすれば、日米安全保障条約を含め、いかなる安全保障条約への加盟も憲法に背反しているといえる。

 他方、九条を堅持した上で、日米安全保障条約の実態的意味から米国との強力な連携が重要と考える人は多くいる。世界の軍事的バランスを考えると、米国は唯一の圧倒的な力をもった国である。だから最終的には、日本の安全保障にとって、米国を信頼できるパートナーとすべきとする考えは当然のように受け取られている。

 そう考えると、対米外交は実に重要であるし、友好的関係の持続は日本の国益にかなうであろう。しかし、米国だけとの友好関係の堅持、あるいは米国を優先するあまり他の国々をないがしろにする外交はさらに多くの問題を産むことになろう。靖国参拝問題を含む小泉外交の実態が、いかに日本の国益を損なっているかは明らかであろう。

 しかし、九条を安全保障の基盤とする上では、日本の政策としては欧州のNATOのアジア版がより有効であるとする考えはきわめて説得的である。「ASEAN+3のような新しい地域協力機構をつくり、それに日米安全保障条約を取り込んでいく」という考え方も提案されている。一考に値する考え方だと思う。

2.米国の世界戦略とアジア
(1)軍事基地ネットワーク帝国
 チャーマーズ・ジョンソンは、沖縄での性暴力事件が過去50年間に毎月2件は起き、米軍による軍法会議にかけられている実情に接して、こうした事態は基地と住民が密着して住んでいる沖縄の特殊ケースなのだと考えていた。しかし、世界中に広がった700以上の米軍基地について調査をすすめるに従い、沖縄は決して例外ではないことを発見していく (注3) 。この調査により書かれた本で、彼は米国を『軍事基地帝国』と表現している (注4) 。

 同書によると、米軍の現役兵力は140万人弱(2002年)。そのうちの約25万5、000人を153ヶ国に派遣している。これに請負業者の民間人、扶養家族、スパイなどを加えると53万人強が派遣されているという。

 世界に展開された米軍基地 (米国外)は725ヶ所ある。 秘密にされている分などを考慮すると、実際はこれよりもずっと多い。153ヶ国に軍隊を置き、うち25カ国に大規模部隊を駐留させ、36カ国と軍事条約を結んでいる。

 彼は次のように述べている。「アメリカ人の多くは、世界の人々が自分の国を音楽やポップ文化やハリウッド映画を通してながめていると信じています。しかし、実際は世界はわが国を、特殊部隊の武装した兵士を通してながめているのです。彼らの目には、アメリカが軍隊を通して世界とつき合っているように見えるに違いありません」 (注3)。

(2)米国のアジア戦略
 米国の在外基地の戦略展開拠点は、グアム、英国、日本、ディエゴ・ガルシアとされている。軍事基地の最重要要件は、当該国・地域の安定性が満たされていることである。 日本、英国の安定性は抜群である。 グアムは米国領であるから全く問題がなく、そのため太平洋地域の安全保障上の重点基地はグアム島となっている。ディエゴ・ガルシアはインド洋の英国領で、住民を強制退去させて米国が海軍基地として自由に使用している。

 世界情勢上、不安定地域はバルカン半島から朝鮮半島に至る地域(「不安定な弧」)で、米軍はこれら地域の緊急事態に対応できるよう配置されている。

 米軍はこれらの基地ネットワークを中心に、システムの近代化を、『RMA』( Revolution in Military Affairs/軍事における革命)と呼ばれる程に急速に図ってきた。近代化が進み、機能としての能力が高まっているので在韓米軍(現在3万7000人)の削減(1万2500人削減)も可能になった。北朝鮮の兵力は110万人と人数では非常に強大だが、装備と経験は非近代的であるため、その実戦能力は非常に劣るとみられている。米国としてはRMAによる装備革命の達成によって、在韓米軍を削減しても軍事力は落ちないためという。

 また、この新しい軍事革命に基づき、米国は2020年以降の世界を「米国の秩序」の時代(パックス・アメリカーナ)とするつもりである。

 日本の軍事基地は、前進拠点としての兵站機能の役割を担っている。基地には、沖縄、横田、相模原、横浜、横須賀などがある。

(3)「現代の戦争」
 「現代の戦争」は、革命的に発達した。兵器が急速に発達したのである。従来型 (クラウゼヴィッツ型)の通常兵器の軍備は戦車が中心であった。戦争によって敵国を倒すには、その中枢に向かって外側から防衛ラインを破壊し、突破していくことが必要であった。

 しかし、現代の戦争は攻撃力においてはるかに従来型を超える。これまでの戦車を使った戦争から航空機の時代となり、巨大戦艦の時代から航空母艦の時代となり、現在ではITネットワークによる戦争へと、戦争のやり方が変わってきた。

 その結果、一つは一気に国家全体を潰してしまうことさえ可能になった。核兵器を使う戦争である。この米ソのバランス・オブ・パワー(恐怖の均衡)時代の核兵器戦争を支えてきたのが「相互確証破壊理論」という抑止概念であった。

 そして、 2005年時点の「現代の戦争」は、さらに攻撃精度が格段に向上した状況になっている。 兵器が進歩し、レーザー誘導のミサイルによって非常に精密に攻撃できるようになった。フセイン大統領など有力者があるレストランにいるという情報が入ると、GPSの受信機を通じて爆弾はその座標点(攻撃目標)に飛んでいき、レストランを破壊することができる(もちろんレストラン周辺には「やむを得ない被害」と呼ばれる「コラテラル・ダメージ」は発生する)。現在まさに軍事的な革命が起こっているわけで、『RMA』(軍事における革命)と呼ばれている (注2) 。

 日本が防衛のために、こうした「現代の戦争」に対応したシステムを構築するには、例えば北朝鮮が日本に向けて弾道ミサイルを発射すると、3〜7分で日本に到着する。「日本が防衛システムをもつならば、発射してから1分半から2分以内に、アメリカの早期警戒衛星からもたらされる情報が入手できる体制にしない限りは、イージス艦を持とうが、パトリオットを持とうが本来の意味はない」「日本はたぶん(こうした)取り決めを米国との間ではやるでしょうけれども、政治的に微妙な問題なので、どこまでどういうことをやっているかは公表されないかもしれません」という(江畑謙介氏、 注2 )。

 こうした米国による「軍備における革命(RMA)」をみると、日本の軍備増強は依然として前世紀的クウラゼヴィッツ型の装備を追求しており、莫大な税金の無駄遣いをしているように思える。 

3.九条放棄論
(1)九条と実態の乖離
 九条と実態との乖離はすでに非常に大きい。自衛隊は日本国内では軍隊でないということになっているが、外国から見ればれっきとして軍隊である。しかも世界第2位に匹敵する軍事大国であるにもかかわらず、イラク派兵では、「自衛隊の派遣されている所は非戦闘地域だ」という馬鹿げた説明をしなければならない状況に陥っている。

 憲法九条は解釈だけがどんどん進み、それが既成事実のようになっている。こうした状況は危険だと誰もが考える。そこで、一方は、この実態に合わせて九条とくに2項を放棄すべきだと考える人々が増えているようだ。自民党案、読売新聞案など、05年9月に行われた衆院選の自民党の大勝を受けて急遽具体的に「改正案」が出現し、勢いを増しているように見える。

 他方、九条の規定に従った姿へ戻すために、「平和基本法」を導入し、現在の自衛隊を分割し「自衛隊を縮小、再編成し、渡洋攻撃能力をもたず、法の支配に服する『国土警備隊』と、国内外の『災害救助隊』、および国連に差し出す『国際緊急援助隊』の3分野に分割する」という具体的提案も行なわれている (注5) 。こうした意見の人は結構多い。自衛隊をイラクの人道支援に派遣するのは賛成、しかし自衛隊派遣は憲法違反だとする人々である。この人々は自衛隊は軍隊であるから憲法違反、そのため自衛隊を人道支援(あるいは災害支援)隊に改組すればいいと考える。

 さらにもう一つの日本人の発想は、九条があるからこそ日本はそれが歯止めとなっており、軍事化への道へ邁進せずにすんでいる。九条を放棄すれば日本の軍事化はどこまで進むかしれない。だから実態と九条の乖離には目をつぶって、九条を過剰な軍事力への規制力としてそのまま堅持しておいた方がいいのではないか、九条があっても実態は現状のようなイラクへの派兵が可能なのだから、と考える人々である。こうした考え方をしている人が以外と多いのには驚かされる。

(2)集団的自衛権
 「集団的自衛権」の問題が九条改訂の必要性として指摘されている。九条によって、日本が「集団的自衛権はあるが行使は許されない」ということになっているのはおかしいという主張である。

 集団安全保障の概念は国連憲章によって作られてきた。国連憲章51条は国連加盟国に対して、武力攻撃が行なわれた場合、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛権の行使を認めている。国連軍が構成されるまでは個別的にあるいは集団的に対応しなければどんどん侵略されてしまうからである。

 そこで地域的な集団的な自衛権という概念を作った。日本の場合、日米安全保障条約に集団的自衛権が明記されている。集団的自衛権はもっているけれど使わないという政府の見解は常識的におかしいというわけである。

 そこで次に、集団的自衛権の範囲とは何か、 どこまで認めるかというという議論が始まる。 「日本近海で米軍が第三国から攻撃を受けた時、あるいはイラク戦争で米国の自衛のために先制攻撃に加担すること」はその範囲かといった議論となる。 ともあれ、国連が認めた集団的自衛権が九条によって制約されているから、九条を放棄すればいいというのである。

(3)自衛のための先制攻撃
 「自衛のための先制攻撃」という概念も、九条放棄論の主要論拠となっている。

 国連憲章は自衛のための戦争を認めている形になっている。私たち多くの通常の日本人は、自衛のための戦争とは、「武力攻撃が発生した場合」に自衛のための行動をとることになると大方は認識している。つまり攻撃されてはじめて自衛権が正当化されるという認識をもっていると思う。しかし、「攻撃されるような状況になった時にすでに自衛権が発令される」という解釈が「自衛のための先制攻撃」である。

 そこで、自衛とは何かという議論が起こる。例えば、「北朝鮮がミサイル燃料を注入していよいよ発射という状態になったら攻撃してもよい、座して攻撃されるのを待ってから反撃することでいいのか」という議論となる。こうして自衛のための「先制攻撃」という考え方を自衛防衛権の中にいれようということになる。「武力攻撃が発生する」前に「先制攻撃」が必要、「先制自衛」という考え方である。

 「先制攻撃」が可能となる「攻撃されるような状況」の判断が極めて難しい。因みに、その判断基準は、@大量破壊兵器をもっているという明白な事実の存在、Aミサイルなどそれらを運搬する手段をもっていること、B所有者の首領がそれを使うと明白な意図によって脅迫していること、などとされている (注2) 。この「自衛のための先制攻撃」と、国連が認める「集団的自衛権」の観点から、九条が障害になっているというのが九条を放棄したいと考える人々の理由となっている。

 こうした概念は、日本の真珠湾攻撃、米国が卑怯な日本の代名詞として、米国のナショナリズムの原点の一つとして使い続けている『リメンバー・パールハーバー』は、日本は自衛のための『先制攻撃』だったと主張(言い換え)すればいいことになる。そして、今回の米国のイラク侵攻はまさにそれであった。

 米国のイラク侵攻については、米国は国連51条に基づく自衛権の行使として先制攻撃を行なったが、フランス、ドイツなどは国連憲章52条に基づき、国連決議を必要なはずとし、米国による先制攻撃に反対したのである。

 この「先制攻撃」が正当化されたケースがアフガニスタンであった。但し、これは国連安全保障理事会の決議によって正当化されたのである。それに対し、イラクのケースは理由として大量破壊兵器が発見されなかっただけでなく、国連安全保障理事会の決議なしに米国が一方的に侵攻していったケースとなった。それに追随して派兵した日本も国連違反と見なされている。

4.日本の仮想敵――脅威はどこに
 日本の軍隊を強化するために、憲法第九条とくに2項を放棄すべしと主張する人々は、日本への軍事的脅威、あるいは仮想敵をどのように想定しているのだろうか。これまで改憲を主張してきた人々によれば、「中国や北朝鮮の脅威」がいつも強調されてきた。

 日本が侵略を受けて自衛権を発動して反撃に出ることによって始まる自衛のための戦争、あるいは自衛のための「先制攻撃」を行なうことによって始まる戦争という有事の状態が起こる状況はどのようなことが想定されているのだろう。

(1)中国の脅威
 では中国はいかに脅威なのか。中国にとって外国と戦争することは、現在の経済発展のシナリオがすべて瞬時に止まってしまうこと意味する。そのことは中国も十分分かっている。だから中国が戦争を仕掛けてくる可能性よりも、戦争を避けようとする最大限の努力をする可能性の方が大きいであろう。中国経済はすでに対外依存を深め、グローバルな経済的相互依存体制の一環として組み込まれていることを意味する。

 中国共産党の支配は国内的にはいろいろ問題を生んでいるが、国際政治的にはすでに問題とはなっていない。せいぜい中国共産党が崩壊すると、多くの難民が日本に押し寄せることになりかねないというシナリオを指摘する人がいる程度である。かつては韓国が社会主義化すると、あるいは北朝鮮と紛争状態になると、沢山の難民が日本に押し寄せるというシナリオが日本の軍事力増強を求める人々にとって説得力ある説明の如く語られているのを聞いたことがある。今でもこのシナリオを得々と主張する人がいる。

 難民問題の発生が軍事力増強を必要とし、その結果九条の改訂を必要とするという論理につなげようとしているのだろう。難民問題は軍事問題ではなく、受け入れ体制の整備の問題であり、国際協力の問題であり、監視という点では海上保安庁で対応すればいい問題である。

 日中間でセンシティブな問題としては、尖閣列島がある。確かに中国は海軍力を急速に強化している。尖閣列島で中国と日本の軍事力が衝突することが想定されるため、九条2項を放棄する必要があると主張されている。

 まず、尖閣列島をめぐって軍事衝突を想定すること自体が、前記のように、時代遅れである。また、日本と中国の排他的経済水域の主張が異なり、係争地域が存在するが、中国の石油採掘は係争地域外の中国側限界地域で行なっているため日本が提訴できる状況にはない。むしろ日本が石油採掘したい地域は係争地域内となるため、国際海洋法的には日本が圧倒的に不利である(注2)。日本がそこで採掘を開始することは中国を刺激し、中国海軍が強烈な脅しをかけてくるだろう。石油が欲しいために軍備を強化して尖閣列島の係争地域で石油を採掘し、中国の軍艦を引きずり出して日中間の緊張を煽ることが日本の安全保障にとって望ましいとする人は、まさかいないと思う。それではまさに太平洋戦争と同じプロセスである。

(2)北朝鮮の脅威
 北朝鮮はどうか。 米国のような超強大な国に刃向かうにはテロと核兵器ということになる。 その点で北朝鮮はその両方の潜在性をもっているといえよう。 しかし、北朝鮮が日本をミサイル攻撃しようとすれば、 北朝鮮の金正日体制は瞬時に崩壊するだろう。北朝鮮の日本への攻撃は東アジア全域の脅威であり、国連安全保障理事会はこの脅威を取り除く決議を直ちに行なうであろう。

 また、北朝鮮の工作船は日本の安全保障に本質的脅威というわけではない。工作船が日本近海に現われ、しかも日本の岸辺に自由に停泊して日本人を拉致するような事態は許し難い。そういう事態に対処できる監視力は必要である。しかし、だから九条を撤廃し、軍事力を自由に強化できるようにするということとは次元の異なる問題である。

(3)韓国
 日本と韓国はすでに友好関係を築いている。韓国と軍事行動を交えることを想定すること自体、日本はアジアの安全保障を蝕むことになる。

 韓国との関係では「竹島」問題がある。しかし日本はこの点では韓国側に完全に妥協してしまっている。日本はすでに韓国以上に軍事力があり、もっと軍事力を強化していれば竹島問題で妥協する必要がなかったとでも主張するのだろうか。

(4)ロシア
 日本の領土問題である 「北方領土問題」は、 九条2項を放棄し、軍事力を強化すれば4島が帰ってくるという類のものではない。むしろ逆で、九条2項の放棄は最悪の政策選択となろう。ロシアは4島返還を凍結するのみならず、拒否を公式に発表するだろう。

 4島の返還に影響力を持ちうるのは、結局日本の経済力と、ロシアとの信頼関係の構築以外の外交努力しかあり得ないのである。

(5)テロ
 主権国家でない敵としてのテロとの戦いが、「現代の戦争」の要素となっている。確かに、従来の主権国家同士の紛争には国際ルールが一応できていることになっているが、テロとの闘いには当然ながら国際ルールは構築されていない。

 日本にとってテロとの戦いは、情報力による対処法はあるといえるが、結局軍事力の増強ではなく、平和への努力と経済開発への支援によって行なう以外にはない。日本が平和国家であること、九条の存在をテロ首謀者などに伝えていくこと、そして経済開発への支援を行なっていくことである。国際テロの顕在化によって、九条の存在の意義はむしろますます大きなものになっているのである。

 このように、現在ほど仮想敵国の想定が難しい時代はない。難しいというのは、たくさんあって難しいのではなく、もし冷静な分析をすれば、仮想敵国と想定できる国は脅威というにはあまりにも曖昧なものとなっている。しかも戦争の潜在的要因がきわめて低減していることに気づく。

    だからなおさら、九条が現在および未来へのアジアの安全保障のビジョンとして、その意味をより具体的にもてるようになった時代ともなっている。

5.九条とアジアの安全保障
(1)太平洋戦争と日本の謝罪
 終戦と共に、日本は多くの人命の喪失と廃墟の中で、 そして加害者であったことを認識することによって、 戦争について深く反省した。日本はすべての在外資産を売却し、賠償としてそれらを提供すると共に、日本の軍事行為が二度と決して再発することがないよう、そして世界の人々がそのような心配をする必要がないよう、「公式に、そして法的にも」、武力行使を放棄すると共に、武力をもつこと自体も放棄することによって、『謝罪』を行なったのである。

 その真摯な姿勢を見て、1951年にサンフランシスコで49ヶ国の署名を得て平和条約を調印した(同時にその他15ヶ国と別途平和条約を締結)。ここに日本は再び国家として主権を回復することになった。各国は戦後の日本の真摯な反省を信頼して賠償を放棄し、平和条約に調印したのである。

 つまり、九条はその謝罪の核心部分であり、日本人自身が戦争という歴史から学んだ深い哲学的結論部分であった。従って、九条の破棄は謝罪の放棄を意味し、日本が歴史から学んで造り上げた日本のビジョンの喪失を意味する。

(2)九条は「アジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台となってきた」
 「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」(GPPAC/ジーパック)という国際NGOネットワークがある。国連のアナン事務総長の報告書に触発された国際NGOネットワークである。ピースボートが日本事務局となっている。このネットワークには各国のNGO、団体、研究所等が参加しており、地域別に討議し取りまとめた報告書に『平和を構築する人々:暴力紛争予防のための世界行動提言』がある。その中にコラム掲示で次のように記されている。

 「世界には、規範的・法的誓約が地域の安定を促進し信頼を増進させるための重要な役割を果たしている地域がある。例えば日本国憲法9条は、紛争解決の手段としての戦争を放棄すると共に、その目的で戦力の保持を放棄している。これはアジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台となってきた」 (注6)

 すなわち、九条の放棄はアジアの安全保障体制の根幹を崩壊させることになる。日本は、九条2項を廃棄した後のアジアの安全保障の安定に責任をもてるだろうか。歴史の教訓と謝罪を放棄し、日本はアジアの軍事大国として、パンドラの箱を開けてしまうことになるだろう。九条2項の破棄は、日本とアジアの安全保障にとって『脅威』そのものとなる。日本の軍事大国への道に歯止めをなくし、アジアの安全保障を脅威に陥れ、経済安全保障をも脅かすものとなるであろう。

 このように九条とくに2項の放棄は、日本の安全保障を脅威に陥る。九条は実態として、日本だけの問題ではなく、国際的意味をもっているのである。これまでもそうであったし、これからもそうである。

6.むすび――九条がますます先駆的意味をもつ時代となっている
 日本国憲法第九条は、21世紀の先駆的ビジョンとして、ますます重要、かつ実質的な意味をもつようになってきていると思う。その理由・背景として、とくに以下の点を強調しておきたい。

(1)経済的相互依存
 戦後の国際的な経済的相互依存の深化が、戦争抑止要因として機能するようになっている。戦後を取り巻く安全保障体制からみると、経済的な相互依存の深化によって、経済的繁栄を追求する国にとっては戦争を遂行する意味を著しく低くしている。戦争は経済的貧困に陥る恐れを意味するからである。

 この10年間のアジアにおける地域紛争要因は著しく緩和されてきている。いうまでもなく最も重要な要因は域内の経済開発の進展による経済的相互依存の深化によるものである。

 自国の競争力あるものを他国に輸出し、 自国が不足するものを他国から輸入する。 そうした貿易が相互依存を深化させてきた。

 各国の経済は世界への輸出によって支えられ、自国が必要とするものを世界からの輸入に依存するようになっているが故に、他国への侵略は世界各国からの貿易のボイコットなどの規制を生じやすくしており、そうなれば自国への経済的打撃として強烈に返ってくる。ましてや現在急速に経済開発が進展している中国などアジアの国々にとっては、武力衝突、戦争はもっとも避けたい事態である。

 また、経済発展は貧困を削減する。 開発途上国の多くは「開発独裁」的な国が多いが、経済発展は中産階級の形成をもたらし、民主化を求める圧力グループとなり、民主化を要求し、民主化を達成していく。地域の国防・安全保障には経済の成長と安定こそ必須なのである。

 こうしてアジア地域の不安定要因は歴史的に最も緩和してきており、今後も景気動向によって影響をうけるだろうが、この方向は本質的動向として進展していくであろう。

(2)欧州が行なってきたこと
 EUの形成は、20世紀における2度の大戦が欧州で起こったことの反省から誕生してきたものである。戦後欧州は、『鉄は国家なり』といわれた軍需産業の基幹をなす鉄鋼と石炭産業を共同管理にする仕組み(ECSC)をまずつくった。そして欧州の相互依存を高めるための仕組みとして関税を引き下げ、貿易を自由化する仕組みとしてEC(欧州共同体)をつくり、さらにそれを深化させたものとしてEU(欧州連合)をつくった。

 EUでは通貨主権を放棄して共通通貨ユーロをつくり上げた。 近代国家においては、 通貨こそ自国の国王や誇るべき歴史モニュメントや人物などを表現するナショナリズムの象徴であったのだが、 欧州はそれを消去してしまった。さらに、EU議会をつくり、国家を超越する地域全体の議会システムを構築した。

 このように欧州は、20世紀の2度の世界大戦への強烈な反省から、戦後新しいシステムの構築を決意し、それを揺るがせることなく確固としてその思いを継続し、近代国家シテスムを超近代国家システムへ変容させ続ける作業を行なってきているのである。超国家システムを意味する象徴的なものの一つは、域内の紛争処理システムを創出したことである。欧州は、経済的統合(貿易の自由化から通貨統合)から民主主義の共有(欧州議会等) へと向かってきた。 そして、共通対外政策の策定等により、欧州の統合の進展がEU域内の紛争を未然に防いでいる。それだけではなく、地域統合の意味は、域内紛争は域内で処理するという域内紛争処理システムを導入し、具体的に域内紛争を処理してきていることである。

 戦後の欧州は、かつて国家システムの元となった『ヘントの和平条約』 (注7) をつくり上げてきた土地柄らしく、戦後このように「近代国家」を「超近代国家」へ組み換えるプロセスを不断に続けているのである。

(3) 人を殺す国になることが「普通の国」になることか
 九条が現代の日本人に投げかけている最大の貢献は、日本は九条の存在故に、60年間軍事行動によって戦争で人を殺していないという事実があることである。私たちはこれが永遠にそうでありたいと願っている。当面の目標としてこれから40年、つまり1世紀間はそうした国であり続けたいと願う。しかし、イラクで日本の自衛隊がイラク人を実態的な軍事行動において殺す事態が起こる恐れの中に私たちは陥っている。

 しかし、九条が放棄されることによって、日本は人を殺すことを公認・合法化する国へ逆戻りすることになる。戦争すなわち国家による殺人を合法化することが「普通の国」になることなのだろうか。

 九条があったから日本は安全であり、経済立国が可能となり、今日の繁栄が可能となった。九条がなくなったなら、外的要因が急変し、日本はまったく別の国に変質してしまう道を辿ることになるだろう。

 ベトナム戦争では米軍側は5万5000人、ベトナム側は300万人が死んだ。イラク戦争での米国人の死者数は大々的に発表され、ある数に達すると喪に服する記念式典が行なわれる(米軍の死者数は約2100人)。しかし、 イラク人の死者数は発表されてこなかった 。ブッシュ大統領はつい最近( 12月12日)になって、イラク民間人の死者数は「3万人前後」とメディア報道からの推計として発表した。米国の人々だけではなく、イラクの人々も、親から名前をつけてもらった人間の一人一人である。そう思考できる「倫理のグローバリゼーション」の時代に私たちは生きている。

 90年代、世界が大きく構造変化を起こした時、日本はそこから孤立し、世界の構造変化と無縁に、米国のみをパートナーとして優先する内向き思考となり、結果として無益なナショナリズムを復活させてしまっている。

 九条を放棄すべしと論じている人々の話しを聞いていると、戦争とは映画を見ているような感じなのだろうと思うことがある。映画の中の戦争は最後には必ず勝利し、どんなに激しい戦闘があっても、そして多くの人々が死んでも、現実には結局誰も死なない。戦争によって死ぬ一人一人を実感できないPCゲームのような感覚に陥っているのではないか。

注1:日本国憲法第九条〔戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認〕
  日本の国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行  使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の威力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

注 2:本稿の中で、日本の軍隊の位置づけなど軍事力の状況については、江畑謙介氏の講演(IBM伊豆会議議報告書2004年 『現代軍事力とX』、日本アイ・ビー・エム(株)、2004年から引用・参照させていただいた。

注 3:『映画日本国憲法読本』(シグロ製作)2005年

注 4: チャーマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国の悲劇』村上和久訳、文藝春秋社、2004年/同『アメリカ帝国への報復』鈴木主税訳、集英社。
 また、インターネットでは『基地帝国としてのアメリカ帝国主義』
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/us-empire_study1.htm

注 5:「平和基本法」の制定案、自衛隊を「国土警備隊」「災害救助隊」「国際緊急援助隊」の3分割する案など。古関彰一、前田哲男、山口二郎、和田春樹「憲法9条のもとで、いかなる安全保障政策が可能か」『世界』2005年6月号。

注6:GPPAC(武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ)『平和を築く人々:暴力紛争予防のための世界行動提言』 p.20、 2005年6月、翻訳ピースボート。

注 7:ヘントの和平条約と九条の意味については、前回(その1)を参照。

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