3.開国か鎖国か?
読売新聞と朝日新聞の社説はあたかも「鎖国派」と「開国派」との論争にようにも見える。明治維新以降の日本史は「開国欧化」と「鎖国国粋」の間で振幅を重ねてきた。明治時代に使われた国粋は「ナショナリティ」の翻訳語である。開国とは国際社会に関心を持ち、国際社会から学ぼうとする開かれた姿勢のことである。鎖国とはアジアにおける日本の地域的な位置付けと歴史性を忘れ、国際社会から学ぼうとしない排外的な姿勢のことである。
読売新聞の論調は首相の靖国神社参拝、改憲といった「鎖国政策」を後押しするものでしかない。一方、朝日新聞の論調はただ単に改造内閣の「鎖国政策」に対する不審感を表明しているに過ぎない。評論家の加藤周一氏は「日本人の世界像」という評論の中で、「近代日本の外部との関係は、外部に対抗するために外部から学ぶというこの『対して』と『から』の逆説的で二重の関心の構造からはじまったといえるだろう」(註1)と書いている。
さらに1930年から45年にいたる15年戦争の時期を次のように述べている。「日本の外部との関係は軍事的冒険主義以外の何ものでもなく、外部からの影響はこのとき全くあとを断つようになる。 日本は世界を今や純粋に軍事的な観点だけから眺める。しかし国際情勢が軍事的条件だけによって左右されないことはいうまでもない。軍事的観点からだけ組み立てられた世界像は、抽象的であり、一面的であって、複雑な国際情勢を説明するのに足りない」(註2)。
加藤氏によれば、日中戦争から太平洋戦争にいたる時期は、国際社会に対抗しようとする意思が国際社会から学ぼうとする意思を凌駕した時代だったことになる。「対外的関心の『対して』と『から』の二重構造が破れ、一方が他方を圧倒したとき、世界の現実は、日本の理解を超えるものとなってしまった」(註3)。
日中戦争から太平洋戦争にいたる日本の歴史はまさに鎖国の歴史だった。戦後、開国派が優勢となり、欧米型民主主義が根付いたかに見えた。しかし、実際は、戦前同様、日本民族の優越性を信奉する排外的な価値観が脈々と生き続けてきた。ネオ・ナショナリストたちが改憲を強行し、戦後日本の財産とも言える「戦争・戦力の放棄」という平和主義の神髄をかなぐり捨てるとき、日本は再び鎖国時代の暗闇へと舞い戻ることになるに違いない。
改造内閣がアジア以外の国からどう見られているのかについて考える際、読売も朝日も加藤氏のいうところの「二重の関心」については全く思いいたってはいない。ル・フィガロやリベラシオンが日本の将来に対して抱いている不安はアジア外交に止まっている訳ではない。日本のナショナリストたちが改憲によって軍事的プレザンスを正当化する道を選択することにも注目していることを忘れるべきではない。靖国参拝と、その結果としてのアジアでの孤立は、日本の対外政策の方向転換や改憲と軌を一にしている。日米同盟に依拠したネオ・ナショナリストの愚かな鎖国政策を打破するためにも、近代日本の歴史を再検討し、日本の国家像について本質的な論議を巻き起こすことこそが求められている。
註1)加藤周一著作集「近代日本の文明史的位置」P365
註2)同・P369
註3)同・P370
|