「メディアの読み方」講座 第11回 首相の権力とは ? (下)
土田修(ジャーナリスト)

 

 キーワード・・・ 憲法9条改正、GPPAC、日中韓NGO/NPO交流、普通ではない国、市民社会の対抗軸

  9月11日は将来「戦後政治が終わった日」として歴史に刻印されるに違いない。既に驚くべき反応が始まっている。一部メディアを挙げての憲法改正の大合唱が起きていることだ。狙いは9条改正にある。国民は本当に改憲を望んでいるのだろうか?

1.憲法改正のための練習問題
 小泉首相は10月17日、靖国参拝を強行した。「私的参拝」「公的参拝」をめぐって解釈の違いはあるものの、国の最高権力者である首相が憲法違反の疑いを持たれる行為に及ぶことにこそ問題がある。少なくとも国務大臣や国会議員、裁判官、その他公務員の憲法擁護義務を規定している憲法99条に違反しているのは間違いない。

 首相は「信教の自由と国の宗教活動の禁止」を定めた憲法20条に果敢に挑戦しているかのようだ。2001年4月の就任記者会見で首相は集団的自衛権の行使に言及し、「憲法改正が望ましい」と明言している。その後、イラク特措法を成立させ、陸上自衛隊をイラクへ派遣する道を開いたのも首相だ。在任中の4年半、首相は公然と憲法に立ち向かい、憲法を有名無実の骸にする道を突き進んできたともいえる。

 そもそも与党圧勝を招いた今回の衆院解散にいたるプロセスについても憲法違反との指摘がある。元来、法案が参院で否決された場合、衆院に戻し、3分の2以上の多数で可決しなければ廃案になる(憲法59条)。首相は59条を無視し、衆院解散を強行した。さらに衆院解散は内閣の助言と承認に基づいて行われる天皇の国事行為である(同7条)。ところが首相は衆院解散について内閣の同意を得ることができなかった。このため首相は自らの権力を発動し、閣僚を罷免しなければならなかった。

 戦後日本の基軸だった「立憲主義法の支配」の概念を、小泉首相は軽々と飛び越えようとしている。小泉首相が一貫して仕掛けてきたものは、憲法改正のための練習問題だったのかも知れない。今回の総選挙で国民は首相の練習問題に「与党圧勝」という解答を出した。この結果はマスコミと国民を根底から揺さぶり始めている。

2.勢いを増す改憲論
 9月11日に行われた総選挙の結果を受けて、まず産経新聞が9月14日付朝刊1面トップで「巨大与党 憲法改正に弾み」「新議員7割超が9条改正容認」と打ち上げた。衆院選での自民圧勝で巨大与党が出現し、「憲法改正の流れが勢いを増した」というのが記事の趣旨だ。

 その後も産経は改憲の動きを後押しする記事を主張や正論などで繰り返すのだが、こうした地ならし的な報道に続いて、読売新聞が9月22日の社説で「憲法と安保 現実的議論の環境が整ってきた」と書いた。続いて24日の社説では「憲法特別委 国民投票法の早期成立を図れ」と政府・与党を後押しする論評を載せている。

 22日の読売社説は民主党の前原代表就任に言及。憲法や安全保障について与野党が同じ枠組みで推進する環境ができたことを手放しで歓迎している。自民党は11月に新憲法草案を発表するが、懸案の9条改正案については、1項は変えないが、9条2項を削除し、自衛軍の保持を盛り込む−といった内容が予想されている。集団的自衛権の行使について明文化される可能性もある。前原氏も改憲について積極論者であることから、読売新聞は前原氏に指導力を発揮してもらい、党内の旧社会党勢力を切り捨てて、自民党の改憲案に協力するよう求めている。

 さらに24日の社説。衆院の憲法調査特別委員会について与党と民主党は常任委員会設置で合意していた。それが、公明党の横やりで潰され、特別委員会に格下げされた。社説はこれにかなりの憤りを示している。まず、憲法論議にブレーキをかける公明党を「責任政党の責務に反する」と切って捨てた。次いで、憲法改正に慎重な立場を堅持している河野議長と横路副議長を「職務を逸脱するもの」と叱りとばしている。

 新聞が政策提言し、世論形成を図るといったアドボカシー・ジャーナリズムはありうるだろう。しかし、その場合、新聞が公器であり、大きく紙面を使って報道する以上、幅の広い論議の場を提供することで合意形成を進めることが必要なはずだ。異論を認めず、反対勢力を排除する恣意的な報道はファシズムの言説でしかない。

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3.新聞社の改憲試案
 読売新聞は93年に憲法問題の研究会を社内に設置した。1994年に最初の試案を発表し、それを手直ししたものが2004年に「憲法改正 読売試案」(中央公論新社)として出版されている。

 読売の改憲論の狙いはもちろん、9条改正にある。戦力の不保持を明記した9条2項を削除し、自衛のための軍隊保持を明記すること、集団的自衛権の行使を集団安全保障の基礎として位置付けること、国際的軍事活動への参加を明文化すること――などを骨子とする(註1)改憲の理由は「国内外の情勢の変化に、憲法が対応しきれなくなっている」(註2)と説明している。憲法が制定から半世紀以上たったので「時代遅れになった」と言っているのだが、なぜ他の法律・法令ではなく、憲法の改正が必要なのかについて十分説明しているとは思えない。

 その代わり、生命倫理条項、環境権、個人情報を守る権利(プライバシー権)、知的財産権といった新たな人権を付け加えている。だが、むしろ、それは国民に受けの良いフレーズで厚化粧することで9条改憲という本来の意図を隠そうとしているように見える。

 さらに、もう一つ、読売試案の問題点を指摘しておきたい。17条で、国の安全・公の秩序・その他の公共の利益との調和を図ることを国民に義務付けていることだ。背景には、国際テロの横行で国内の治安が悪化する中、「国の安全」や「公の秩序」が保たれていなければ、基本的人権が保証できないという考えがある。それを「行き過ぎた個人主義への歯止め」と説明している(註3)が、「国の安全」が保てないほどの国際テロの横行とは国内のどの事件のことを言っているのか? 行き過ぎた個人主義とは具体的には何を指しているのか? 

 試案は国民に公共概念のパラダイム転換と個人に立脚する公共の概念の否定を迫っている。公共とは本来、社会一般のことだったはずなのに、「公共=国家」と規定した試案は国家の価値観に基づく国民統治を国民に押しつけ、社会的公平性を構築するための「立憲主義=法の支配」を一方的に覆そうとしている。

4.9条は日本のプライド
 試案は自民党新憲法起草委員会(委員長・森喜朗元首相)が10月12日に提示した新憲法草案の第2次案にほぼそのまま受け継がれている。内容もさることながら、試案が憲法改正の強力なプロモーターになっているのはまぎれもない事実だ。毎日新聞の世論調査(10月5日付)によると、憲法改正に「賛成」と回答した人が58%と、「反対」の34%を大きく上回った。他のメディアの世論調査を見ても国民の間で改憲支持が広まっているという結果が出ている。このことは二人三脚で改憲を進める巨大メディアと巨大与党の影響力がいかに大きいかを示している。

 ただ、特筆すべきことは、毎日新聞の世論調査で、戦争放棄と戦力不保持を規定した9条の改正について62%が「反対」と答えていることだ。しかも憲法9条が戦後日本の平和維持に役立ったと思っている人が、「かなり役立った」(32%)、「ある程度役立った」 (48%)――と80%に達している。他の新聞 ・テレビの調査でも9条改正について限定すれば似通った結果が出ている。自衛隊の海外派遣を抑制し、武器使用にも制限を加え、政府を「解釈改憲」という隘路に陥らせたのは9条の存在だった。多くの日本人は9条が北東アジア地域の平和維持に大きな役割を果たしてきたことを知っており、それを高く評価してきた。戦後、9条は日本人の国民意識の象徴であり、日本人のプライドでもあった。

5.9条の理念が国連へ
 今年7月、ニューヨークの国連本部で「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」(ジーパック=GPPAC)の世界大会が開かれ、世界行動提言が採択された。この世界行動提言に「憲法9条はアジア太平洋地域全体の集団安全保障の土台となった」という文章が盛り込まれた。日本国内では絶滅の危機に瀕している憲法9条が国際舞台で真に正当な評価を得たのだ。

 ジーパックは2001年に国連事務総長コフィ ・アナン氏の呼びかけで発足した国際NGOプログラムで、戦争や紛争の予防について市民社会の役割を議論してきた。世界を15の地域に分けて、各地域にイニシアチブ ・ リーダーを置き、地域ごとの議論を取りまとめている。東北アジア地域 (事務局 ・ピースボート)には東京、名古屋、ソウル、平壌、北京、台北、ウランバートルなどの市民 ・NGOが参加している。国境を越えた市民レベルの交流が国家の在り方を問い直し、政府や国連に対して新たなポテンシアルとして存在感を増している。 ジーパック東北アジア地域に参加する日本のNGOにはピースボートや日本国際ボランティアセンターなどがある。一方、北京からは中国NGO/NPO研究の草分け的存在である王名氏が所長を務める清華大学NGO研究所、ソウルからは韓国全土を揺るがした腐敗議員の落選運動で知られるNGO参与連帯が加わっている。王名氏、それに参与連帯の事務所長として落選運動を主導した朴元淳氏は長年、日中韓NGO/NPO交流を続けてきたキーパーソンでもある(註4)。

 世界大会の前、今年2月に都内の国連大学で東北アジア地域会議が開かれ、地域行動提言(東京アジェンダ)が採択されている。その前文は憲法9条を「地域的平和を促進するための不可欠な要素」 「地域の民衆の安全を確実なものにするための規範」と規定した。だからこそ、戦争を放棄し、戦力の不保持を明記した9条は国際社会において普遍的価値を持っており、「東北アジアの平和の基盤として活用されるべきもの」と位置付けられた。そしてこの9条の理念は世界行動提言でも採択され、世界中が求めている普遍的価値として国連に提案された。

6.もう一つの国の在り方
 日本人の国民意識であり、唯一の誇りともいえる9条はアジア・太平洋地域だけでなく、テロや紛争に悩まされている世界にこそ通用する普遍的価値であった。国連の軍縮大使を務めた猪口邦子氏は2000年5月、国会の憲法調査会で憲法9条の明文改憲に慎重な姿勢を示し「日本の軍縮の主張が聞き入れられるのは、日本が被爆国であるだけでなく、戦後、憲法を誠実に生かしてきたからだ」と発言をしている。猪口氏は自著の中で国連の総合安全保障体制として、戦争を未然に防ぐ予防外交(パックス・ディプロマティカ)▽社会的不正義の是正▽平和醸成活動(ピース・ビルディング・オペレーション)――など複数の段階があることを指摘している(註5)。

 安全保障とはアメリカの要請で海外に軍隊を出すことだけではない。「普通の国」にこだわる政治家や一部マスコミによって9条は「時代遅れの産物」として葬り去られるべきものではない。むしろ9条はNGO/政府/企業によるパートナーシップやEUといった地域連合の拡大によって、もはや 「普通の国」ではいられなくなったネイション・ステイトがこの先、生き残るためのロードマップなのだ。日本の市民社会の中に9条改憲阻止の対抗軸を作り出すためには、党利党略や思想・信条、宗教その他から離れた、つまり「9条」の一点に絞った市民運動を創出し、「もう一つの国普通ではない国」の在り方を論議する場を作り出すことこそ必要だ。

(註1)「憲法改正 読売試案」第11、12条「安全補償」、第13、14、15条「国際協力」
(註2)同P25
(註3)同P107
(註4)2003年・北陸中日新聞新春特集「日中韓NPOを語る――東アジア型市民社会へ、国を超えた『変革の波』」を参照。「北東アジア日中韓NPOを語る」の見出しでインターネット検索可能
(註5)「戦争と平和」(東京大学出版会)

 

 

 



 

 

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