4.初めて使われた「首相の権力」 小泉首相が総選挙の争点を郵政民営化一本に絞り、医療・年金など社会保障制度の改革や財政健全化、外交などの問題を棚上げにして総選挙に臨んだのは確かだ。というより、郵政民営化法案が参院で否決され、衆院解散を決めた直後の記者会見で自ら「郵政解散です」と言い切ったように、最初から郵政問題のみで戦い通すことを決めていたのは間違いない。一部のマスコミが小泉戦略に載せられて「郵政解散」という用語を使ってしまったように、最初から小泉戦略はマスコミ受けを狙い、その意味では成功していたことになる。
キャリアのある美人女性を前面に出した‘刺客作戦'も当たった。特に週刊誌やテレビで話題をさらい、「劇場型選挙」という言葉が繰り返し語られるようになった。一方、自民党内の抵抗グループをばっさりと切り捨てる小泉首相の政治手法に批判が集まった。「非情な首相大統領」という言葉が紙面に登場し、中には日本の政治情勢を「ファシズム前夜」と言い切るアナクロな評論家が新聞に登場するまでにいたった。熱狂的な小泉人気が日本を戦争に駆り立てた戦前の日本社会とそっくりであり、ファシズム前夜には大衆は「強い指導者」を求めるのだそうだ。だが、これは明らかに自民党の党内闘争と議会制民主主義の否定を混同した間違った見方だ。小泉首相は戦後日本の議院内閣制の中で普通に首相が持っている「権限=権力」を行使したにすぎない。森前首相までの歴代首相が行使しなかったか、行使できなかっただけの話だ。
日本の首相(内閣総理大臣)というポストは戦前、憲法上の規定がなかった。首班として内閣を統一し、内閣を代表する立場にはあったが、他の国務大臣に対する指揮命令権などはなかった。だから閣内不一致で総辞職する例もあった。ところが戦後、憲法は内閣総理大臣を内閣のトップとし権限を強化した。国務大臣の任命権、議案の国会への提出権、行政各部の指揮監督権、閣議の主宰権などを首相の権限として規定した。
衆院解散については憲法7条で、「天皇の国事行為に属し、内閣の助言と承認によって行われる」と規定されている。天皇の国事行為というのは形式的なものなので、衆院解散について内閣が決定権を持っていることになる。内閣は憲法上の制約を受けずに、いつでも自由に衆院を解散できる。参院での否決後、小泉首相は閣議を招集し、解散に反対する閣僚を罷免して内閣の意思として衆院解散に持ち込んだ。だから、解散にいたる過程はすべて議院内閣制のルールに則っていたことになる。ファシズム前夜という批判は当を得ていない。
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