「メディアの読み方」講座 第10回 首相の権力とは ? (上)
土田修(ジャーナリスト)

 

 キーワード・・・ 小泉劇場、リベラル・ポピュリスト、国民投票、ネオ・リベラリズム

 「9・11総選挙」 は自民党の歴史的大勝利に終わった。どのマスコミも予想できなかったことだ。 「民主主義は死んだ」 と書いた夕刊紙もあった。 だが問題は選挙結果ではなく、日本の政治を変えた首相の権力だ。マスコミはなぜ真実を書こうとしないのか?

1.総選挙当日の社説
 総選挙当日の9月11日、各紙は社説で独自性を発揮しようと、さまざまな論点を提起した。おおむね、小泉首相が郵政民営化を総選挙の唯一最大の争点にしたことについて批判的な論調が目立った。「小泉首相は郵政民営化関連法案への賛否を問う国民投票だと位置付けた。…しかし、国政の重要課題は郵政民営化だけではない」(読売新聞)というのが一致した見解だ。他の課題が争点にならなかったことを残念がる意見もあった。「ここ(総選挙)で勝った政党は、郵政に限らずあらゆる政策と課題を担う。たとえば靖国神社参拝、憲法改正、中国や韓国との関係、米軍基地の再編、自衛隊のイラク派遣、財政再建や景気の問題はもちろんだし、福祉や年金、教育など暮らしに直結する話もある」(朝日新聞)。

 解散から選挙にいたるプロセスの‘異例さ ' に言及したのは毎日新聞だ。 「その特徴をよく表す言葉は、各メディアが多用した『劇場型』政治ではないか。小泉劇場を自作自演した首相は、野党と対決するだけにとどまらず、それまで同じ政党に属していた人まで敵と味方に分け、対立候補を送り込んだ」と、小泉首相の仕掛けた‘刺客騒動' とテレビ受けする派手なパフォーマンスを揶揄している。

  「劇場型」という指摘は投票前日の読売新聞と産経新聞の社説にも見られた。読売新聞は「(小泉首相は)郵政民営化法案に反対した議員を公認せず、首相主導で女性や官僚など対抗馬をぶつけた。派手な‘刺客' 擁立は劇場型の政治効果を生んで、衆院選への有権者の関心を高めた」 と指摘した。 有権者の関心が集まり、投票率アップにつながった要因として、産経新聞は「劇場型政治の効果もあるが、政治がわかりやすくなったためだ」 と説明する。だが、政治は本当に分かりやすくなったのだろうか? 小泉首相の言葉が分かりやすかったということなのか? だとすれば、どの部分が分かりやすく、元々、どの部分がわかりにくかったということなのだろうか?   

2.マスコミが踊った「小泉劇場」
 参院で郵政法案が否決され衆院が解散された時点で、 各紙とも自民党の分裂選挙になり、民主党への政権交代もありうると書き立てた。 それが一転、小泉首相がガリレオ ・ ガリレイを引き合いに、強い政治決断を示し、女性候補を動員した ‘刺客作戦' が明らかになるにいたって、テレビ・週刊誌を含めたマスコミはこぞって小泉首相の手の中で裸踊りを始めてしまった。こうした「ワイドショー政治」ともいわれる状況を生み出したのは、小泉首相の作戦だったとしても、マスコミの側にも責任がある。小泉首相を賛美し、国民の側に「強い指導者を求める空気」が充満している、と書いた新聞もあった。が、参院での否決後、両院議員総会開催を一蹴、解散を決める臨時閣議でも署名を渋る閣僚を罷免し、正面突破で解散・総選挙を目指した小泉首相の方がそうした空気を作り上げたのだとも言える。

 総選挙は首相官邸の戦略通り、または、それ以上に自民党に大勝利を呼び込んだ。「自公で300議席」を予測した新聞もあるにはあったが、それをはるかに上回る勝利をどのマスコミも予想できなかった。その理由は、小泉路線をテレビ映りの良い「小泉劇場」といった表面的な見方で片づけてしまったマスコミの姿勢にあるのではないか。造反議員を含めた多くの政治家と同じように、大半のマスコミは「郵政法案が否決されても小泉首相に解散など出来るはずがない」と分析していた。自民党分裂の危機を冒してまで小泉首相が政治的決断を下すはずはないと決めつけていたからだ。

 マスコミはこぞって首相の持つ権力を軽視していた。造反議員や郵政族のドンを含む自民党守旧派も同じだった。従来の首相が党や派閥の力学の中で自らの権力を行使できなかったように、小泉首相も自民分裂を避けるため腰砕けになるものと思っていた。「野党転落の恐れがあるので解散はない」というのが造反議員らの見立てだった。ところが、小泉首相は速攻で衆院解散を決断した。このとき、マスコミ内部では的はずれな「自爆テロ」という言葉さえささやかれた。2002年1月に小泉首相が田中真紀子外相を更迭した後も、マスコミは劇場型「改革政権」(*註)の崩壊を書き立てた。このように一貫してステレオタイプなマスコミの反応は小泉政治の本質を見誤らせると同時に、「小泉劇場」に荷担し、「政治が分かりやすくなった」と自画自賛する結果をも招いたのではないか。

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3.小泉首相はリベラル・ポピュリスト?
 フランスのルモンド紙やリベラシオン紙、ヌーベル・オプセルバトゥール誌は小泉首相を「リベラル・ポピュリスト」と呼んでいる。日本の総選挙に関する記事を読む限り、欧州でも小泉人気に対する関心が高いことがよく分かる。ルモンド紙は、「自民党の内紛が反逆者に対するあだ討ちによって特徴づけられる」とした上で、「地元の支持を得ないまま自民党公認を決定するという思いもよらぬ立候補者選定の方法が日本の政治風土における斬新さを表現している」(8月30日付ルモンド紙)と報じた。また同紙は「(郵政問題は)国民の重大な関心事からはほど遠い」とも指摘している。

 ヌーベル・オプセルバトゥール誌は「リベラル・ポピュリストの小泉首相は国民の声のお陰で総選挙を郵政改革の国民投票にすることを望んでいる」(9月9日付ネット版)と指摘。リベラシオン紙は「マスコミ受けとテレビ映りの良い小泉首相は総選挙を郵政改革の国民投票にするだけでなく、自分の政策と人格についての国民投票にすることにも成功するであろう」(9月10日付)と見ている。

 その上で、ルモンド紙は「小泉首相が自民党内の反乱を口実に、郵政以外の問題について、国民に『白紙委任状』を求めている」と批判している。白紙委任について言及したマスコミは国内にもいくつかあった。しかし、欧州からは小泉首相が郵政民営化以外に何をしようとしているのかまったく見えない、ということなのだ。欧州の言論は日本の指導者が自らの政治的信念や国家の未来像について何も語らず、説明しないことに大きな不安を感じている。言論を大切にするといった文化や伝統が日本にはない、民主主義さえ根付いていない、だから「劇場型」選挙や政治が成立するのだ、と揶揄しているのに等しい。

4.初めて使われた「首相の権力」
 小泉首相が総選挙の争点を郵政民営化一本に絞り、医療・年金など社会保障制度の改革や財政健全化、外交などの問題を棚上げにして総選挙に臨んだのは確かだ。というより、郵政民営化法案が参院で否決され、衆院解散を決めた直後の記者会見で自ら「郵政解散です」と言い切ったように、最初から郵政問題のみで戦い通すことを決めていたのは間違いない。一部のマスコミが小泉戦略に載せられて「郵政解散」という用語を使ってしまったように、最初から小泉戦略はマスコミ受けを狙い、その意味では成功していたことになる。

 キャリアのある美人女性を前面に出した‘刺客作戦'も当たった。特に週刊誌やテレビで話題をさらい、「劇場型選挙」という言葉が繰り返し語られるようになった。一方、自民党内の抵抗グループをばっさりと切り捨てる小泉首相の政治手法に批判が集まった。「非情な首相大統領」という言葉が紙面に登場し、中には日本の政治情勢を「ファシズム前夜」と言い切るアナクロな評論家が新聞に登場するまでにいたった。熱狂的な小泉人気が日本を戦争に駆り立てた戦前の日本社会とそっくりであり、ファシズム前夜には大衆は「強い指導者」を求めるのだそうだ。だが、これは明らかに自民党の党内闘争と議会制民主主義の否定を混同した間違った見方だ。小泉首相は戦後日本の議院内閣制の中で普通に首相が持っている「権限=権力」を行使したにすぎない。森前首相までの歴代首相が行使しなかったか、行使できなかっただけの話だ。

 日本の首相(内閣総理大臣)というポストは戦前、憲法上の規定がなかった。首班として内閣を統一し、内閣を代表する立場にはあったが、他の国務大臣に対する指揮命令権などはなかった。だから閣内不一致で総辞職する例もあった。ところが戦後、憲法は内閣総理大臣を内閣のトップとし権限を強化した。国務大臣の任命権、議案の国会への提出権、行政各部の指揮監督権、閣議の主宰権などを首相の権限として規定した。

 衆院解散については憲法7条で、「天皇の国事行為に属し、内閣の助言と承認によって行われる」と規定されている。天皇の国事行為というのは形式的なものなので、衆院解散について内閣が決定権を持っていることになる。内閣は憲法上の制約を受けずに、いつでも自由に衆院を解散できる。参院での否決後、小泉首相は閣議を招集し、解散に反対する閣僚を罷免して内閣の意思として衆院解散に持ち込んだ。だから、解散にいたる過程はすべて議院内閣制のルールに則っていたことになる。ファシズム前夜という批判は当を得ていない。

5.議院内閣制の首相
 小泉首相は自民党の総裁でもある。 だから選挙では候補者を選定し公認する権限をもっている。 今回の総選挙で自民党が擁立した新人候補は小選挙区85人、比例代表39人の計124人だった。候補者の大半は派閥に相談することもなく、地方の合意を得ることもなく党本部で進められた。この結果、所属派閥が確定している候補者は3分の1にとどまっている。特に‘刺客候補' は小泉直属部隊なので当選後も無派閥で通す可能性が強い。

 小泉首相は解散権と公認候補決定権という総理・総裁が持っている権力をフルに発揮し、造反議員の追放と派閥解消、その結果として自民大勝利という一石三鳥の離れ業をやってのけた。 実は90年代から選挙制度改革や省庁再編に伴う行政改革などで、党首や首相の権力は増大していた。 待鳥聡史・京大大学院法学研究科助教授は 「政策決定でも橋本政権以降の行革で、内閣の機能が強化されている。族議員らが党内で決めたことを政府に上げていくボトムアップではなく、首相が経済財政諮問会議などで政策の方向性を決めて、党や省庁に下ろしていくトップダウンになった。議院内閣制の中でも党首や首相に強い権力と責任を与えるタイプに移行させる、という政治改革の狙いが実現しつつある」(9月1日付朝日新聞)と述べている。派閥を離れ、「自民党をぶっ壊す」と豪語した小泉首相の戦略とその構造の一端が垣間見えてくるような指摘だ。さらに、待鳥氏は「森首相も強い権力を持っていたのでしょうか?」というインタビュアーの的はずれな質問に、「森さんは使う気がなかったのではないか。小泉さんは強くなった権力基盤をうまく使い、新しい権力構造をつくった。その意味で、政策の評価は別にして、議院内閣制の中での首相らしい首相だ」と答えている。

 こうした小泉首相の政治手法は 「劇場型」 という表面的なとらえ方で済む話なのだろうか? また、世界的な政治の潮流の中でどう位置付けられるのか? 小泉首相は権力を行使することで党内守旧派を切り捨て、従来の合意協調路線を覆した。 ルモンド紙が書いたように党内反乱を口実に総選挙を国民投票にすることで強いリーダーシップを発揮したということだ。しかも議院内閣制のルールに則ったオーソドックスな手法で戦後日本を 「議会制民主主義」 のステージに初めて送り込んだ。それでは、一体、小泉首相の強い指導力によって日本はどこへ向かおうとしているのか? 

(続)

*註)02年8月号の「世界」は「権力の暴走と迷走」をテーマにした政治部記者匿名座談会で「小泉首相は自民党を壊す気はもうない。普通の政権に戻った」「小泉政権ができたこと自体がイベントだった」「自民党政治は賞味期限切れ」などと小泉‘ワイドショー内閣'の終焉を嘲笑している。

 

 

 



 

 

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