知の有効性を拓くーE.W.サイードのテキストを通して― 第1回
土田修(正会員・ジャーナリスト)

T はじめに
(1)最後の知識人
9月下旬、エドワード.W.サイードの死が伝えられた後、多数の言論人が新聞や雑誌で追悼文を書いている。中でも東京大学社会情報研究所の姜尚中教授は「サイードについて語るとしたら、彼が紛れもなく一貫して知識人としてその生涯を生き抜いたことにあるのではないか。チョムスキーを別にすれば、サイードこそ、現代アメリカの最後の知識人といえる」(註1)と評した。

1980年代にアメリカでは、大学や学界と関係のない非アカデミックな知識人は完全に消滅し、専門用語を駆使するだけの大学教員だけが残ったといわれる(註2)。また9・11同時テロ以降のアメリカ国内の大政翼賛的な論調をみると、歴史や真実に目を向けようとする最低限の知的努力がアメリカの言論界では放棄された感がある。「正義の戦争」を遂行するブッシュ政権の国家政策を追認し戦争の一翼を担う米メディアに抗し、イデオロギー批判を続けたのはチョムスキーとサイードだけだった。確かに知識人を、権力や体制に迎合せず批判的精神を忘れない社会変革者のことだとすれば、比較文学の研究者でありながらパレスチナ解放闘争に加わったこともあるサイードこそ、行動する最後の知識人だったといえよう。

対テロ戦争に便乗して殺戮と略奪、破壊、人権侵害を続けるイスラエル国家に対する容認。アメリカの政策に反対したフランスを「反米主義」と決めつける感情的な反発。何より「イスラムの脅威」を煽り立て「パレスチナ人=テロ容疑者」と一括りにする感情的な反発。このような自己の論理を無媒介に正当化する一次元的思考(註3)に満ち溢れた米言論界を前に、サイードの知性は、ある時は激しい怒りを、ある時は絶望的なため息を伴いながら、管理され抑圧された社会事象のベールを剥がし虚偽や欺瞞を暴き続ける批判的視座を見失うことはなかった。

「メディアは戦争体制の一翼を担うものになってしまった。テレビからは、首尾一貫した反対の声が、それに少しでも近いようなものも含めて完全に姿を消している。すべての主要チャンネルはいまや、退役軍司令官、元CIA工作員、テロリズム専門家、周知の新保守主義者たちを顧問として雇うようになっている」「アメリカ人は、メディアが基本的に一握りの男たちに支配され、政府に対する懸念や不安を少しでも引き起こしそうなものはひとつ残らず削除しているため、正しい情報を与えられていない。自分だけのファンタジーの世界から戦争について語る扇動家や従順な知識人について言えば、ムスリムやアラブであるというだけで何百万という人々を不幸に陥れるようなことを黙認する権利を、いったい誰が彼らに与えたというのか」(註4)


(2)批判的方法論
イギリス委任統治下のエルサレムで生まれたサイードは15歳で渡米し、プリンストン大学とハーバード大学で学位を取得した。「エドワード」という英国風の名前と「サイード」というアラブ風の姓を併せ持つサイードは、イスラム教徒ではなくプロテスタントだった。サイードはまさに身をもって宗教的・文化的両義性を生きたといえる。サイードの著作の翻訳で知られる東京大学の大橋洋一教授(英文学)は「異邦の異邦人としての生涯をつらぬいたサイード氏の声をいかに文字から読み取ってゆくか、それがこれからの私たちの課題だろう」(註5)と指摘している。


確かにサイードは「異邦の異邦人」としての生涯を生きた。だからこそサイードは「オリエンタリズム」を西洋と東洋という対立構造としてではなく、ヨーロッパの文明・文化の一構成部分として見いだすことができた。「オリエンタリズムは、この内なる構成部分としてオリエントを、文化的にも、イデオロギー的にもひとつの態様をもった言説(註6)として、しかも諸制度、語彙、学識、形象、信条、さらには植民地官僚制と植民地様式とに支えられたものとして、表現し、表象する」(註7)。


サイードの思想は、イスラムへの敵意を露わにし西洋とイスラムとの対立を煽る「文明の衝突」論や、冷戦終了時に「自由民主主義の勝利のうちにヘーゲル的な意味で歴史は終わった」と早々とアメリカ的自由主義インターナショナルの勝利を宣言した「歴史の終焉」論などと対局をなしている。アメリカの民主主義を世界に広めることが善であり、イラク戦争を「正義の戦争」だと繰り返す米メディアのナレーションから遠く離れ、サイードの言葉に耳を傾けることは有意義なことだ。ただ、この論考ではサイードの声を文字として「読み取る」ことはしない。サイードの著作を読破し全体像を理解することや、サイードの思想を信奉し絶対視することが目的ではないからだ。サイード自身が知識人についてこう語っている。「マイノリティ集団など社会的弱者の立場に立つ者」「安易な公式見解を拒み、権力側の語りを無条件に追認しない者」「積極的に批判を公的な場で口にする者」(註8)。サイードの思想を本当に継承するのならば、我々の課題はサイードの言葉を読み取ることではなく、我々自身が正当な批判者に徹することでしかない。この論考では、サイードの「オリエンタリズム」「イスラム報道」「文化と帝国主義」などの著作を通して、サイードが政治的言説の虚偽や欺瞞を暴き出すカギとして示した批判的方法論を明らかにするとともに、それを実践したい。それがサイードの思想に近づく一歩であると信じている。(続)
  

(註1)10月3日東京新聞朝刊
(註2)ラッセル・ジャコビー「最後の知識人」
(註3)「一次元的思考は、政治を作り出す人びと、および大量情報を調達するかれらの御用商人たちによって組織的に助長される。その言説の世界は、自己証明的な仮説――たえず独占的にくりかえされることによって、催眠的な定義もしくは命令となる仮説――に満ちている」(H・マルクーゼ「一次元的人間」河出書房新社)
(註4)E・W・サイード「裏切られた民主主義」(みすず書房)
(註5)9月29日朝日新聞夕刊
(註6)言説(ディスクール)について、サイードは「オリエントを支配し、再構築し、権力を持つための西洋のスタイルとしてのオリエンタリズム。それが何であるかを知る上で、ミシェル・フーコーが述べている言説の概念を援用することが有意義であることを発見した」(Vintage版
Orientalism)と書いている。フーコーの言説は、社会的な文脈の中で語られた発語(エノンセ)の集合体と考えられる。サイードを理解する上で重要な言葉の一つ。
(註7)Vintage版Orientalism
(註8)E・W・サイード「知識人とは何か」(平凡社)
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