「メディアの読み方」講座 第7回  寛容性をめぐる試練(下)
土田修(ジャーナリスト)

 キーワード・・・ 寛容性の王国、ナントの勅令、キリスト教的根源、オリエンタリズム

  オランダの映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム急進主義者に殺害された事件について、ル・モンド・ディプロマティク紙はマリクレール・セシリア氏の「イスラムに耐えるオランダの寛容性」(3月号)という記事を掲載した。

1.寛容性の王国
 セシリア氏は「『寛容性の王国』とみられてきたオランダで起きた殺人事件はオランダ国内の共同体間に緊張を生じさせた。だが、イスラムの排斥か擁護かという議論に終始するならば、移民をトラブルや不安定要素としてみるだけで、彼らが不公平な社会システムの犠牲者であるという点を見落とす恐れがある」と指摘する。

 現在、オランダの人口約1600万人のうち、5.7%に当たる92万人がイスラム教徒で、その過半数がトルコ系とモロッコ系だという。元来、オランダは19世紀にカトリック教徒、ユダヤ教徒、カルヴァン派以外のプロテスタントなどマイノリティの自由を認めることで、平和的共存を実現したヨーロッパでは類のない国だ。だからイスラム教徒もオランダの「柱状化」と呼ばれる、国家と教会の多元主義的なモデルの中に組み込まれてきた。マイノリティの存在や行動を許容するオランダが「寛容性の王国」といわれるのも当然だった。

 そもそも寛容性とは、ヨーロッパでは宗教や政治の側面で語られてきた。ヨーロッパで寛容政策が制度として認められたのは、フランス国王アンリ4世が1598年に発布したナントの勅令が最初だ。フランスの新教徒ユグノー(カルヴァン派新教徒)に信仰の自由を認めたもので、これによって新教徒と旧教徒が32年にわたって戦ってきた宗教戦争(ユグノー戦争)は決着した。こうした宗教的寛容性の歴史が近代国家における信仰の自由の思想的基盤をなしているといえる。

 宗教的寛容性や信仰の自由が実現していく過程は、同時に、国民の政治的権利の獲得をも意味し、宗派や個人の権利、平等、自由といった民主主義国家の原理が形成されていく過程でもあった。17世紀にはイギリスのロックが、18世紀にはフランスのヴォルテールが「寛容論」を書いている。ヴォルテールの寛容論とは、一言で言えば、どんなに賛成できない意見や立場であろうが、それを発言し、表明する自由は決して奪わない、というものだ。ロックも何らかの見解の公表を禁じること、何らかの見解を否認したり、撤回するように強いることを非寛容の実例として挙げ、「強制は人の心を変えることはできない。」と述べている

 日本では明治以前には宗教的寛容性が問題になることはなかった。わずかにキリシタンが勢力を得ようとしたが、徹底した弾圧によってほぼ絶滅してしまっている。明治憲法は信仰の自由を認めたと言われるが、実際には国家神道を前提にしており、国家体制に抵触するような新興宗教などは弾圧されている。戦後の憲法では確かに、思想、信仰の自由が明文化されている。だが、現在でさえ、思想的な寛容性が日本で真面目に受けとめられているとは思えない。

 イラクで人質になった日本人が非寛容で無能な政治家や一部のマスコミ、それに2チャンネル好きの無責任な国民に批判されたことがあった。また、自分たちと考え方が違うという理由で番組内容の改編を求めた与党幹部もいた。『自己責任論』をめぐって、フランスのメディアは「死刑制度の残る奇妙な国の政治家」の発言を一笑に付した。番組改編問題ではその奇妙な国の政治家たちによる「検閲」とはっきり書いた。そのうえで「NHKはBBCになれるのか?」と揶揄した。

2.オランダ・モデルと『外来者』
 日本の話が長くなってしまった。

 セシリア氏によれば、オランダ政府は早い時期に非オランダ系住民に司法的、社会的、政治的権利を拡大している。5年以上オランダに住んでいる移民は市町村議会の選挙権と被選挙権を持つ。現在、200人以上のイスラム教系の市町村議員がいるほか、下院や州議会にもかなりの人数の移民出身者、イスラム教徒の議員がいる。

 ところが、このオランダでも、移民やイスラム教徒が増加した時期に、『外来者』という言葉がささやかれるようになり、専門性の低い労働市場で職を取り合うことを懸念するオランダ人も現れたという。1991年には前欧州委員のフリッツ・ボルケンスタインが「イスラム教の規範や価値観は、自由主義、寛容性といったオランダ社会の統合モデルと相いれない」と主張した。90年代後半には「多文化社会」という「オランダ・モデル」を考え直すべきだという政治家や知識人が増え、そうした世論が高まりを見せたそうだ。

 こうした中で、イスラム原理主義を攻撃の的にしてきたテオ・ファン・ゴッホが殺害される事件が起きた。この結果、 「イスラム教はオランダの統合モデルを妨げる要因だ」 といった見方が勢いを増している。だからこそセシリア氏はイスラム教または 『外来者』の統合にかかわる基本データに目を向けるように求めている。「外来者」の多くが専門性の低い低賃金労働に就いており、失業率も高い。 『外来者』の集中地区はあからさまに差別され、教育の低下を心配して子どもを 『白人校』に転校させる親も多い。こうした現状に対し、セシリア氏は、単純このうえないプロパガンダや民族主義的なネオ・ポピュリズムの誘惑に流れず、対話と協議というオランダの伝統を回復することを提案している。

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3.EU憲法第一条
 欧州連合(EU)憲法の是非を問うフランスの国民投票が5月29日に迫っている。極右や共産党、社会党の一部などがEU憲法の「自由競争原理導入」を理由に反対しており、フランス世論も3月末には、反対が賛成を上回った。オランダの前欧州委員ボルケンスタイン氏が米中の経済に対抗するためEU総生産の7割を占めるサービス業の統合が不可欠だ、と主張したことも背景にある。ホテル、通信、医療など全サービス業界にEU東欧諸国から安い労働力が流れ込み、仏独など先進国の労働市場が脅かされるからだ。

 イスラム教徒の多いトルコのEU加盟に反対する声が強いこともEU憲法批准に反対する要因の一つになっている。元々、フランス国内にはトルコのEU加盟をめぐり、ジスカール・デスタン氏らのように、文化や宗教の違いを理由に反対する意見があった。先月ローマ法王に就任したばかりのベネディクト16世もトルコ加盟反対派の有力メンバーの1人だ。法王就任後、早速、「トルコの加盟は間違いだ」と表明し、さらに「EUはキリスト教的根源を守るべきだ」とまで言い切った。

 ユグノー戦争、30年戦争という宗教戦争を経験したヨーロッパは、寛容性という知恵を編み出すことで、宗教対立を乗り切ってきた。9・11以降、「帝国」の支配者や一部の宗教家たちの間で「非寛容性」の思想が勢いを増しつつあるようだ。EU憲法第一条は「多様性の中の結合」という文言を明文化している。EU統合が壮大な実験であるとすれば、そこで試されているのは多文化主義という「寛容性」そのものだ。あいまいでステレオタイプな日本のメディアは、EU憲法批准の背景にある本質に目を向けようともせず、シラク大統領やオランド社会党書記長らの反対派説得工作ばかりを報道している。

 エドワード・W・サイードも「オリエンタリズム」の中で「異文化とは何か。一つのはっきりした文化という概念は有益なものであるのか。それは常に自己賛美か、敵意と攻撃に巻き込まれるものではないのか」と、‘思考様式'としてのオリエンタリズムの持つ「非寛容性」を鋭く批判している。

 世界最大のテロ国家であるアメリカは武力を背景に、厚顔無恥にも「テロ支援国家」なるものを名指し、世界をより一層危険なものにしてしまっている。日本では、民意を反映しているとは言い難い一部の政治家たちの手で日中・日韓関係がギクシャクしたものになりつつある。こうした現状下で、宗教や民族や文化の差異を超えた共通の価値としての「寛容性」が重要なキーワードになるのは間違いない。
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