2.
コンパクト成立の背景
イギリスの ボランタリー・コミュニティ・セクター は1970年代までは市民からの寄附、行政セクターからの補助金をもとに独自に活動を展開していた。
しかし、 1979年に誕生したサッチャー保守党政権は、新自由主義を政策理念として掲げ、規制緩和と市場原理に基づいた“小さな政府"の実現をめざした。
例えば、従来の国民保険サービス法を改正し、在宅医療・福祉に転換すると同時に保健・医療関連の権限および財源を地方政府に移管し、ボランタリー組織が地方政府と委託契約を結びサービス提供を行う形に転換した。
特に医療、福祉の分野でのボランタリー組織への委託が急速に進んだこと、保守党政権の過度な市場原理の導入によって、杜会的弱者に対するケアの不足、コミュニティの崩壌という地域杜会で大きな問題を生み出す結果となった。
行政との委託契約方式の加速によって ボランタリー・コミュニティ・セクターは行政の下請け化することに対して、行政とのパートナーシップのあり方を見直す必要、自らの自発性、自立性に対する危機感を抱くようになり、行政との関係を文書化する必要性が提唱されはじめた。
1997年にブレア労働党政権の誕生は、政府のボランタリー・コミュニティ・セクター施策の大きな転換となった。
ブレア政権はサッチャー政権の行き過ぎた市場主義を批判し、「効率」と「社会的公正」を同時に達成しようとする、有名な「第三の道」を打ち出した。
「第三の道」は、コミュニティの重視の政策でもある。ブレア政権は公共政策を行政セクターとボランタリー・セクターとのパートナーシップ型へと転換し、『コンパクト』の誕生に至っている。
先に述べたように1998年には政府とボランタリー・セクターの代表者との間で、『コンパクト』が締結され、1999年には地方自治体と各地方のボランタリー・セクターとの間で『ローカル・コンパクト』が成立している。
英国政府はその後すべての地方自治体が各地方のボランタリー・セクターとの間で「ローカル・コンパクト」を締結するという目標を掲げて進めているが、締結のスピードは遅れているのが現状だ。 |