協働コーディネーター養成講座修了者の活躍する現場から シリーズ4 
第2回 公共事業を「協働」でおこなう ゆとりとやすらぎをもとめた ある「むら」の挑戦〜

                     「公共事業は市民が主役」

吉岡幸彦( 姫路市建設局建設総務部建設総務課係長

  特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは協働コーディネーターを養成する、協働コーディネーター養成講座を開催してきました。その成果として、協働コーディネーターとして各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、協働コーディネーターとして活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。
  シリーズ4では、兵庫県姫路市別所町北宿での公共事業を‘協働'にて行った経験を紹介します。この事業を通して協働コーディネーターの役割やその重要性を知ってください。

キーワード・・・委員の選定方法、官の役割・民の役割、まちづくりと時間

  田んぼの中の小さな「むら」。典型的な高齢化と過疎化が進む地域であったこの地区が、行政と住民が協力して住環境の整備に取り組んだ結果、「むら」は安全で快適な環境を得ることが出来、しかも過疎化に一定の歯止めがかかり始めた。このことは地区住民はもとより、行政にとっても大きな喜びと自信となっていった。
 前回は事業の開始までを述べてきたが、今回はこのまちづくりの核として活躍している「まちづくり協議会」と行政がどのように役割分担して事業を実施していったのか述べてみたい。

1.まちづくり協議会の発足
 行政側からの事業決定の通知を受けて北宿自治会は、街なみ環境整備事業の実施に向けて、「まちづくり協議会」を設置することを自治会の総会において議決した。平成7年4月8日のことである。
 役員の選定については、地縁を優先し、従来からある各種団体からの推薦は最小限にした。

 区長の考えはこうであった。
 「各種団体の役員は任期があり、そこから選定された委員だと、その団体の任期が切れるとまちづくり協議会の委員もやめる可能性が強いのです。まちづくりは長い年月続くものであるから、やっぱり最初から最後まで努めていただける人が役員になってほしかったのです。だから、整備を要する道路に番号を付けて、その番号の道路毎に2名ずつ役員を選定してもらいました。選定方法は路線毎にまちまちでしたが、それは各々に任せました」

 そうして総会から一月半後の5月20日に全役員が決定した。決定までには少々時間はかかったが、この人選方法は後々大きな力を発揮することとなる。

 まちづくり協議会の会長には、今まで音頭をとってきた区長が就任した。

 まちづくり協議会が発足して半年後に区長の改選があった。今まで3期務めていた区長は周囲から 4 選目を望まれていたのであるが、 4 選を固辞した。会長の意見はこうであった。
 「区長は自治会全体の面倒をみなければならない。まちづくりとはおのずと一線を引いておく必要がある。区長とまちづくりの会長を兼任してしまうと、自分はいったいどちらの立場で動いているのかわからなくなる」

 こうして、会長の他6路線からの選出委員12名と学識経験者として北宿在住の土地家屋調査士 1 名、そして自治会選出委員4名の18名の体制でまちづくり協議会が発足した。

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2. 難航した宅地境界
 協議会が発足して、まず最初に行ったことは民地境界の決定である。それを集落全体で実施する必要があった。全ての住民が再度自分の敷地の境界を確認、再確定するのである。しかし、歴代住み続けている家屋ばかりである。現在のように境界がはっきり確定されているということはない。昔からの言い伝えを頼りに民地界を決定していくのである。

 「この境界石は我が家のものだと聞いている」
 「いや違う。その石はうちの石だと爺さんが言っていた」
 路線の担当役員:「それでは中を取って、石の中心を境界ということにしてはいかがでしょう」
 このように利害関係者と路線担当役員2名が公平に判断しながら、境界を確定していった。

 しかし、隣地同士で民地境界を争っている家屋がどこの路線でも 1箇所や2箇所はあった。そういう時は会長が出向いて地権者達にこう説得したという。
 「お互いの言い分はよくわかりました。しかし、先祖代々のこの紛争をあなた方はまだこれから孫子の代にまで残していくのですか? せっかくの機会ですから、今この問題を解決して、お互い孫子が困らないように整理してみてはどうでしょう」

 会長やまちづくり協議会役員達の活躍で秋風が吹くころにはほぼ全筆の境界が確定した。
 こうして道路拡幅整備がいつ実施されてもいい状況ができあがっていった。

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3. 行政内部のコーディネート
 行政側は事業実施に向けての大詰めに来て、法という壁が大きく立ち塞っていた。

 道路事業、河川事業、区画整理事業などの公共事業は各法律が制定されていて、その法律に基づいて事業を実施すれば何の問題もないのであるが、街なみ環境整備事業は建設省の要綱に基づく事業であるから、他の公共事業のように法律が制定されていないのである。よって法律に縛られることは無いが、法律に基づいて事業を実施することも出来ない。事業を実施しようと思っても、実施するためにお金を支出するための法的根拠がないのである。ご存知のように行政は法的根拠の無い公金は1円たりとも支出することはできない。根拠がなければ、支出が出来るように法的根拠を作成する必要がある。

 我々はまず、地区住民が家屋をセットバックするためにかかる費用の全部または一部を助成することが出来るように、「要綱」づくりから始めなければならなかった。

 助成金交付要綱を作成するために法制部局はもちろんのこと財務部局、道路部局、管財部局と幾度となく協議を重ねる必要があった。行政内部での粘り強い折衝を経て、ようやく平成8年11月28日に「街なみ環境整備事業助成金交付要綱」が制定されるに至った。新しい制度であるがゆえに事業担当者はかなり苦労を要したが、住民の思いを実現させたいという熱意がこの要綱制定に大きく寄与したことは言うまでもない。

 この要綱が出来たことによって家屋の移設時に助成金の交付が可能となり、北宿の道路整備の実施が現実のものとなった。
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4.事業の開始
 行政側の事業化の手続きが完了し、地区住民も境界の確定が完了した。夢にまで見た道路整備の事業に取りかかることが出来ることになった訳であるが、事態はそう簡単には進まなかった。

 街なみ環境整備事業は事業の趣旨としては住みよい街にしたいという地区住民の思いを行政側はお手伝いしていくという性格の事業である。あくまでも主体は住民なのである。よって道路拡張のための家屋のセットバックにしても、かかった費用の一部を行政が補助していくということであるから、行政が用地買収を行いながら強制的に道路用地を確保していく、いわゆる収用事業ではない。あくまでも原則、土地は無償提供であり、なおかつ、セットバック費用の一部もしくは大部分を個人が負担しなければならない。住民にとっては非常に厳しい内容であるが、自力で道路拡幅することを思うと遥かに安くつく。このような思いで地区住民達はこの事業の実施に踏み切った訳である。しかし、その問題に直面し、実際やるとなるとみんな尻込みしてしまう。

 「自分は用地提供することは賛成だけれども、自分が先行してセットバックして、もし後に誰も続いてセットバックしてくれなかったら、自分だけがバカを見ることになる。みんながやれば自分もやる。なにも一番初めに道路拡幅に協力することはない」
 誰もが様子見をしている状況であった。まだまだ地区住民達はこの事業を実際本当にやるのかどうか半信半疑であった。

 この状態に痺れを切らせた会長は役員達にこう言った。
 「まず我々から見本を示そうじゃないか。ちょうど各路線毎に2名ずつ役員がいるわけだから、この2件が最初にセットバックしよう。 そうしないと我々がいくらセットバックしてほしいと頼みに行っても、 説得力に欠ける。役員自らやれば、住民達にも本気でやる気なのだと思わせることが出来る。 まず模範を示して、 後はどの路線が一番早く道路拡幅出来るか、みんなで競争しようや!」

 こうして事業は実施された。

 人々が道路整備を模索し始めた平成2年からすでに6年、自治会の総会での議決から3年という年月が経っていた。ようやく「むら」の人々の夢が現実に向けて動き始めた。

5.まちづくり協議会と行政との連携
 まちづくり協議会と行政は月一回の例会で必ず意見交換を行うことになっている。これは協議会発足の平成7年からずっと継続していることで、この場で事業の計画や実施方法の検討を行っている。協議会委員は地区内において道路整備のための啓蒙活動をあらゆる機会を利用して実施し、その中で一人ずつ整備に協力する人を増やしていった。

 行政側はそういう情報を受けて、移転時に道路整備がスムーズに実施出来るように、事業の調整を行うようにした。だから、毎年夏までには協議会役員達の協力のもと、地区住民の次年度における移転協力を取り付けた上で、次年度の移転実施計画を作成し、事業費の予算を確保するようにした。常にネットワークを地区内に張りめぐらせて、協議会と行政が情報を共有することで、 2〜3年先までの家屋の移転計画の情報を入手することが出来た。そのことにより、事業を全体的にとらえながらの年次計画が立てやすくなった。

 最初はポツポツと庭などのセットバックが始まり、徐々にセットバックが完了した道路が目立ち始めると、地区住民はセットバックに掛かる費用を念頭に資金計画を考えるようになった。
 「今年は年回りが悪いから、もう一年待ってくれるか」
 「定期の満期がもうすぐやから、それまで待ってほしい」
 地区内に道づくりに協力しなければならないという空気が充満し始めたのである。

 しかし、どうしても反対であるという人も中にはいた。そういう場合、会長始め協議会のメンバーは解決を急ぐことはしなかった。まず外堀から埋めていこうという訳である。

 こんなエピソードがある。
 ある老人がどうしても土地の提供に反対していた。先祖代々伝わる土地を手放したくないというわけだ。手前までは道路が整備されていたにもかかわらずである。その老人が急に家の中で倒れて救急車のお世話になった。道路が家の手前まで拡幅されていたので、緊急車両の進入が可能で、老人は家の玄関からすぐに救急車に乗ることが出来、迅速に病院に運ばれていった。
 道路整備の有り難さを身をもって体験した老人が、早速土地を道路拡幅に提供したことは言うまでもない。

 このような逸話がもはや過去の話となるほど、むらの中の道路拡幅整備は予想以上の速さで進んでいった。まちづくり協議会の役員達の、日ごろからの地域住民とのコミュニケーションがこのような結果を生んだのであろう。地域が明らかに変わろうとしていた。

 シリーズ第二回は道路整備に関して、まちづくり協議会と行政の役割と連携についてお話しました。次回はこのようなまちづくりに目覚めた住民達が公園づくりに挑戦します。第三回は筆者がコーディネーターを務めた「自分たちの公園をつくろう」にご期待ください。

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