IT技術を生かした社会参加 第7回  著作権

                          
池内健治(産能短大教授)
キーワード・・・ 情報倫理、公共財、著作権、著作人格権、知的財産権、工業所有権、 パロディー

.情報倫理ネチケットガイドライン
 前回のサイバー・リテラシーでは電子ネットワークを活用する個人が理解しておくべき情報収集のあり方について述べた。情報収集と情報発信を含めデジタル・ネットワークを活用する上でわきまえておくべき行動規範を情報倫理という。前回のメルマガ記事は情報倫理の中の情報収集のスキルに注目した記事であった。より積極的に情報ネットワークを活用するときの行動規範について考えてみたい。

 デジタル・ネットワーク時代にはいって、これまで一部の人しか発信していなかった情報が、自由に発信できるようになったところに大きな変化がある。個人は単に情報の受け手の立場にとどまらず、情報を創造し、編集し、発信することが容易に出来るようになったのである。同時に、情報を簡単に複製することもできるようになってきた。

 デジタル化の影響を受けて、個人の権利が侵害されたり、言論の自由が妨げられたり、個人情報が漏洩するといった事件も起こってきた。インターネットで発信された情報を簡単に複製できるので、利用している人が知らないうちに著作権を侵害してしまったといったことも起こっている。

 情報を扱う上でのモラルに関する領域のカバーする範囲は広い。まず、マナーやルール、これについてはネチケットなどでこのメルマガでも触れた。次に情報リテラシー。情報機器を操作する基礎的なスキルとともに、情報機器の使用に関する知識やモラルがこれにあたる。さらにコンピュータを扱うときのセキュリティの問題などで、自分だけではなくネットワークを活用する他人にも大きな影響を与える。

 これら以外の問題として、情報を取り扱う上でのモラルに関係あることとして、個人情報の取り扱うときのプライバシーに関することと知的財産権に関することを配慮する必要がある。今回の記事では著作権などの知的財産権に焦点を絞って考えてみる。

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2.そもそも、情報は‘ただ'(公共的な財産)だという考え方
 ぼくは埼玉県所沢市に住んでいる。いまの家を誰かに売り渡したら、自分の家を退去する必要がある。1つの財産を誰かが占有したら他の人は使えないことが原則だからだ。ところが、知的財産である情報の場合は少し具合が違っている。

 知的財産は自分だけで占有することがきわめて難しい財産なのである。「明日の天気予報」という情報をぼくが知っている(所有している)として、その情報をお隣の青井さんに教えても、ぼくは天気予報を忘れる義務があるわけではない。青井さんがさらに赤井さんに伝えても、ぼくは情報を所有しつづけることができる。これが続くと、情報はみんなが同時に所有することができる財産ということになってしまう。逆に1軒を日本中の人が共有することなんてできない。

 唯一みんなで使うことができる施設は公共施設だ。情報という知的財産は、こと所有ということについていうならば公共施設と同じ性質をもつものだということだ。 そもそも知的財産である情報は、ほっておくと皆のもの(公共財)、つまり使用するのは‘ただ'ということになる。特定の個人が占有できないことを経済学用語では「非排他性」という。経済学者は難しい言葉を使うもんだね。

 つまり、これはぼくのものという主張をしにくい財産が知的財産なんだ。しかしながら、情報はみんなのもの、という考え方に立つと、問題が起こってくる。情報が‘ただ'ならば、その情報を創り出す人がいなくなるという点だ。そこで、創り出した知的財産に対して権利を保障して、情報を生産する人がそれなりに報われる制度をつくろうとしたのが、知的財産権という権利なのだ。著作権は著作者が死亡してから50年たつと皆のものにして自由に使えるようになっている。

 現在、青空文庫というWebサイトがあるのだが、そこでは著作権のきれた著作物をデジタル化して公開する活動を行なっている。森鴎外や夏目漱石をはじめ数多くの著作物がすでにアップされていて、誰でも活用できる。源氏物語だって読める。

 本屋で夏目漱石の全集が二束三文で売られているのをみたことはないだろうか。夏目漱石全集をもつのが教養の象徴だった時代があった。おそらく、所有者が死亡したときに大量に当時の高価な書籍が売りに出されたのだと思う。

 著作権がきれた図書は貴重な知的な資源であるが、それが死蔵されるのではもったいない。改めて出版するとコストがかかってしまう。デジタル技術を使うことによって、このような貴重な社会的資源が広く誰でも活用でき、文化の充実や社会の発展のために役立てることができる。

 このような意味で、著作者の死後50年を経た著作物を改めて公的な知的資源として活用することは大きな意味をもつ。情報の本来的な公共的な財産として皆で活用することができるのである。

 より積極的に、情報資源はすべてフリーなのだという主張をするグループもある。フリーソフトの普及を積極的に進めている米国FSF( Free Software Foundation)が代表格に当たる。「コンピュータで使うソフトウエアは無償で広く普及させるべき」という考え方に基づき、UNIXで動作するソフト中心にさまざまなフリーソフトウエアが開発されている。開発したソフトの著作権は同協会にあり配布方法に規定はあるが、無料で他人にコピーを渡すことを認めている。

3.デジタル・ネットワーク時代の知的財産権の保護
 知的財産権の保護にあたってポイントは2つある。知的財産は活用しなければ、価値を生まない。たとえば、発明や情報コンテンツなどは活用されなければ富を生むことがない。次第に、陳腐化しその価値も次第に低下するものが多い。保護することと普及することを両立することが鍵になる。

 次に知的財産は複製が容易である点である。紙に印刷された情報をコピーし、さらにそれをコピーするというように複製を繰り返すと、質が劣化して最終的には情報を判別できなくなる。ところが、デジタル化された情報はコピーを繰り返しても、原本と全く同じものを簡単に作り出せる。

 はじめの1つをつくるのに多大なコストがかかるが、 2つめ以降はほとんど製作には費用がかからないという性質が特徴である。つまり、デジタル時代はオリジナルを創り出すことに大きな価値を生む時代なのである。複写に大きなコストがかかる時代であれば、複写自体にも価値を認めることができる。デジタル化以前の時代でもオリジナル性は重視されてきたが、デジタル化によりその価値が大きくなったわけである。

 だれでも簡単に複製できるということは、プロの作り手だけが著作権に関係するだけではない。わたしたちの身近な法として著作権や知的財産権に関する法をとらえる必要がある。自動車に乗るために交通法規を学習するように、デジタル機器を使いこなすためには著作権や知的財産権に関する法を学習する必要がある。

 最後に、デジタル化によって知的財産をさまざまに加工することができることである。たとえば、まとまった曲に著作権が生じることは容易に理解できる。1つの曲のフレーズを使って自分の曲を作ることは盗作である。盗作の話題にはことかかない。ところが、これをサンプリングという方法を使って、さらに細分化する。それをモザイクのように組み合わせて曲を作ったときに、果たしてそれが盗作になるかどうか判断が難しくなる。どこまでが盗作で、どこからが創作なのか。同様に、パロディーと盗作の違いも明確な線があるわけではない。

4.クリエーター(著者)にとって著作権とは
 知的財産権とは、人の知的創作活動によって生み出された発明や表現などを保護するための財産権のことで、知的所有権とも称せられる。大きく分けると著作権と工業所有権に大別できる。

 著作権は、学術的または芸術的な表現 (著作物) を保護する権利で、著作権のほか、 楽曲の演奏や演劇などなどを対象とした著作隣接権 (上演権、上映権、公衆送信権など)がある。工業所有権は、特許や実用新案などの工業技術、意匠(デザイン)、商標やサービスマークなどの識別標識の発明や考案を保護する権利である。

 ここからは、私たちに特に関係の深い著作権に焦点を絞って話を進める。イラストや写真・映像・ゲーム・本などを制作するクリエーターは、元来模倣されることに対して否定的ではなかった時代がある。自分の創り出したスタイルを他の作家が模倣して流行となる。自分のスタイルが普及して××派といった制作者集団ができあがるといった場合である。同様に、習作として模倣することで技術を習得することも重視されてきた。

 そもそも、著作などは何もないところから生まれてきたわけではない。先立つ著作や発明を土台にして新しい創作や研究がなされるのである。その意味から、クリエーターは誰かの模倣をし、影響を受けながら自分のスタイルを作り上げていくものである。

 クリエーターが不快感をもつ模倣の仕方とは、どのようなものであろうか。2つのケースがある。1つは自分の制作物が改ざんされたり、著者の意図を無視して引用されたりといった場合である。著作物は、著者の感情や思想の表現なので、使用の仕方によっては著作者の社会的評価や感情を害することもある。

 もう1つは、自分の制作物が勝手に複製され流通することで経済的な不利益を被る場合である。コンピュータソフトを勝手に複製して販売する、あるいは貸し出すといったことがこれにあたる。

 前者を著作者人格権、後者を財産権としての著作権という。ヨーロッパの国々は著作者人格権を重視する立場をとり、アメリカは財産権を重視する立場をとっている。クリエーターが訴訟を起こす場合は人格権を侵害されたケースが多く、企業が訴訟を起こす場合は財産権を侵害されたケースが多いようである。

 自分の山岳写真に巨大なタイヤが重ねられた山岳写真家がパロディー作家を訴えた訴訟などが有名である。後者は、マイクロソフトが学校の無断コピーに対して訴訟を起こしたケースなどがある。

 前述の通り、著作権でがんじがらめにすることが文化を創造に寄与することにはならない。私の立場は、社会的な価値を高めていくために著作権が重視されるべきであり、著作権を乱用することによって社会における価値創造の力を削ぐものであってはならないというものだ。

 クリエーターが模倣されて「おぬしやるな」といった気持ちになる創造力の発露ならば摩擦は起こらない。実際に、クリエーターにとって自分のスタイルをいい意味で模倣される(模範になる)ことは気分のよいことでもあるからだ。

 最後に、著作権は工業所有権とは違って、アイデアや頭の中の考えを守る法律ではない。あくまでも、目に見える形・耳で聞こえる形になった表現物や制作物に対する権利である。目に見えない財産( intangible assets)である情報財は、あくまでも財産であり、それを守る法律であることにご注意を願いたい。

参考 -----------------------------------------------------------------------

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/

Project Gutenberg http://www.gutenberg.org/

The Free Software Foundation (FSF)   http://www.gnu.org/home.html

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