協働コーディネーター養成講座修了者の活躍する現場から シリーズ4 
第1回 公共事業を「協働」でおこなう ゆとりとやすらぎをもとめた ある「むら」の挑戦〜
吉岡幸彦( 姫路市都市整備局別所地区整備課 街なみ環境整備事業担当係長 )

  特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは協働コーディネーターを養成する、協働コーディネーター養成講座を開催してきました。その成果として、協働コーディネーターとして各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、協働コーディネーターとして活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。
  シリーズ4では、兵庫県姫路市別所町北宿での公共事業を‘協働'にて行った経験を紹介します。この事業を通して協働コーディネーターの役割やその重要性を知ってください。

キーワード・・・  住民の願いの的確な把握、陳情からの脱皮、実現可能な方法の模索

  田んぼの中の小さな「むら」。車も入らない細い路地が生活道路であるこの集落は、典型的な高齢化と過疎化が進む地域であった。しかし行政と地区住民が協力して住環境の整備に取り組んだ結果、「むら」は安全で快適な環境を得ることが出来、しかも過疎化に一定の歯止めがかかりはじめた。このことは地区住民はもとより、行政にとっても大きな喜びと自信となっていった。
  全国のどこにでもあるようなこの「むら」で、いったい何が行われたのであろうか?
  ‘シリーズ4'ではNPOの立場としてではなく、行政の立場から「協働コーディネーター養成講座」で学び、現場で行った実践を通してまちづくりの取り組みを 4 回に分けて紹介していきたいと思う。
  第 1 回は事業を実施することになった背景から話しを進めていく。

1.姫路市別所町北宿とは
  兵庫県姫路市、読者の中には世界文化遺産姫路城に登城した人も多いことであろう。ハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地として一躍有名になった書写山円教寺(武蔵坊弁慶の修行寺でもある)など観光都市として、また、新日鉄広畑をはじめとする鉄の町としてのイメージが先行する姫路市であるが、播磨平野の中心として良好な耕作地帯でもあり、農業産出額は年間60億円にものぼる。

  別所町北宿地区は姫路市の東端にあり、古くは山陽街道の宿場があったといわれ、その歴史は古い。集落は背後の丘陵地に抱かれた平地に4つのため池と田畑に囲まれた塊集型状の集落で、山麓の社寺とともに落ち着いた田園居住地景観を形成している。昔から、ほとんど風景は変わっていないと思われ、もちろん部外からの転入などは皆無に等しく、住民たちは田の真ん中で肩を寄せ合うように密集している住宅地につつましく暮らしていた。

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2. 周辺地域の開発
  この北宿地区も例外ではなく、既存の旧集落特有の課題である生活道路の狭さには、地区住民も閉口するしかなかった。ほとんどの道が一間から一間半(1.8 m 〜2.7m)しかないのである。これでは車の進入はほとんど不可能といっても過言ではない。年号も昭和から平成になり、時代はバブルの絶頂期。地区に住んでいた若者はこの不便な生活環境から逃げるように飛び出していってしまった。「むら」は高齢者が取り残され、空き家も目立つようになってきた。

  「わしらの代がいなくなれば、いったいこの村はどうなってしまうのだろう」
  地区住民たちは不安と寂しさで、ため息まじりにこう語っていた。

  そんな時期に、北宿の一部の田畑も区域に含めた広い地域で、大規模な区画整理事業が始まった。田畑の真ん中に広い道路が縦横に建設され、今まで細い畦道をたどって通っていた田畑に、車で乗りつけることが出来るようになった。人々はその便利さに喜んだ。しかしそれもつかの間、ふっと我に返ってこう言った。
  「人の住んでいない田や畑ばかり便利になっているが、自分達が住んでいる住宅地区はひとつも便利になっていない。集落内の道路こそ広げるべきじゃないのか。火災が発生したらそれこそ大変だ」

  しかし、100軒以上の家が密集している中、道を広げていくことは至難の業である。全ての道を幅員4m以上にすることは「むら」の人々にとっては夢のまた夢の話であった。

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3. 要望や陳情からの脱皮
 当時の北宿地区区長が、北宿の地域の課題を住民にアンケートしたところ、90%以上の人々が道路拡幅整備を望んでいることがわかった。

 「これだけのたくさん人が道路整備を望んでいる。これはなんとかしていかなければならない」
区長はさっそく市役所に出向き道路の整備を要望した。しかし市役所の反応は鈍かった。整備するためには、家屋が密集しているため、物件移転に莫大な費用がかかる。まして、道路が整備されても、一番奥の集落であるため、その道路の利用者は基本的にはその地区の人に限られていることなどから、費用対効果を考えると、直ちに了解できるような内容では到底なかったのである。

 市役所からの帰り道、区長はため息をつきながら思った。
 「これは市役所を頼りにしていてはダメだ。まずは自分たちで出来ることから始めよう」
 そして、さっそく行動を開始した。
 「むら」の集会はもちろん、道で住民と顔を合わせば、「あんたの所の土地、道路広げるために少し提供してほしいんじゃ」と訴え続けた。しかし、アンケートで賛成した人も総論賛成、各論反対という人が多く、いっこうに話は前に進まなかった。

 区長は粘り強く対話を続けていった。
 「孫子の代の人から‘わしらのおじぃちゃんたちはいいことしてくれたなあ'と喜んでもらえるようなことをしようや」
 「まちづくりは100年の大計、100年先に出来上がったらいい、あせりは禁物」
 これが区長の口癖であった。

 そんな中、一部の住民が自分の家のブロック塀を取り壊して、部分的に道路を広げていくという行動に出た。自力で拡幅整備を実行する人が出てきたのである。

 そういう機運が高まってきた平成5年の春、ついに北宿自治会は集落の将来像を示す「北宿町長期基本計画」を制定し、特に集落内道路については 「家の立替時には建築基準法を守り、道路中心線から2mの幅員は道路敷として確保し、将来はむらの中の道を4m幅員にすること」 という事項が「むら」の総会において可決されることとなった。

 平成5年 4 月17日のことである。

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4.行政側の対応
 自治会の様子を見守っていた行政側も、せっかくまちづくりの機運が高まっているこの北宿地区を、なんとかバックアップできないものかと模索していた。しかし、状況は極めて厳しいものであった。一般的に高規格道路(いわゆる幹線道路)であれば国庫補助金が付く事業はたくさんあるけれど、生活道路については特殊な場合を除いて一般的には市の単独事業で行わなければならない。しかも集落内道路総延長1.5kmにはびっしりと家屋が張り付いているのである。100軒以上もある家屋の移転費用と用地買収費用及び道路整備工事費用を合わせると、工事費は20億円を超えると試算された。数字だけ見れば到底実現不可能である。市内全域に同条件の集落が無数にある中で、一集落に投資する額としては大きすぎる。従来の用地買収方式での事業化は断念せざるを得なかった。しかし、そういうことを言っていると既成の集落はいつまでたっても道路が広がらないままである。何かいい方策はないものであろうか。

 そんな中、調査を依頼していた、まちづくりコンサルタントから国の施策の中に面白いメニューがあるという報告を受けた。

 その施策は、自治会の総会の議決とほぼ同じ時期の平成5年4月1日に建設省(現在の国土交通省)住宅局において、新しく制定された街なみ環境整備事業というメニューだった。

 この事業は住宅が密集し、生活道路等の地区施設が未整備であり、住環境の整備改善をする必要のある区域において、ゆとりとうるおいのある住宅地区を形成するために実施する事業である。

 しかも住民間で「街づくり協定」を締結することを前提としており、住民にも費用の一部を負担してもらいながら、住民と行政が一体となって実施することになっている。

 まさに北宿にぴったり当てはまる。しかも事業費を試算すると、市費の持ち出し分が当初試算の約5分の1に当たる4億4千万円(補助金と合わせて8億8千万円)という結果が出た。住民の切実な願いを思えば、十分に財政部局との折衝も出来る範囲内である。まして、安全で安心なまちづくりを目指している当市の施策にも対応する事業となる。我々は早々事業導入に向けての検討に入った。

 住民の思い、それになんとか応えようとする行政、そしてその両者をうまく橋渡ししてきたコンサルタントが、それぞれの立場で力を発揮したことにより、いよいよ夢が現実に向かって動き始めた。

 住民の思いと行政の思いが一緒になって開始された街なみ環境整備事業。次回は事業の実施における住民の役割と行政の役割についてどう棲み分け、どのようにコーディネートしていったのか、お話したい。

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