「メディアの読み方」講座 第5回  日本では報道されなかった世界社会フォーラム
土田修(ジャーナリスト)

 キーワード・・・   ポルトアレグレ、世界社会フォーラム(WSF)、ダボス会議、ルラ大統領

 1月下旬、「もうひとつの世界は可能だ」をスローガンに、ブラジルの港湾都市ポルトアレグレで「世界社会フォーラム」(WSF)が開かれた。WSFには世界中のNGO関係者や市民運動家ら12万人が参集し、現代の“帝国”アメリカの単独行動主義と経済グローバリゼーションを批判した。が、日本のマスコミはWSFについてたったの1行も報道しなかった。

 WSFは同時期にスイスのダボスで開かれている 「世界経済フォーラム」 へのアンチ・テーゼ(否定的主張)として2001年に始まった。ダボスには、世界貿易機関(WTO)、世界通貨基金(IMF)、世界銀行、経済協力開発機構(OECD)、G7、EUといった世界を事実上支配し、経済グローバリゼーションを推進する政治・経済界の首脳が多数集まる。ダボス会議のたびに世界のNGO関係者が周辺で反対行動を起こしたが、それが2001年からは、「真実の対抗勢力」になることを目指して、ポルトアレグレに結集するようになった。日本のマスコミはダボスに特派員を派遣して世界の首脳にぶらさがり、会議の詳細を取材し、報道した。しかし、ダボスとはコインの裏表の関係にあるWSFについては全く無視した。

 なぜ、ポルトアレグレなのか? 少し古いが、フランスの月刊紙 「ル・モンド・ディプロマティック」 (2001年1月号)を見てみよう。編集長のイグナシオ・ラモネ氏の記事「ポルトアレグレ」には、こう書かれている。「では、なぜここ(ポルトアレグレ)なのか? それは、ポルトアレグレが数年前から象徴的な都市になったからだ。ブラジル最南部のリオ・グランデ・ド・スル州の州都で、アルゼンチンとウルグアイの国境に面しているポルトアレグレは、世界中のオブザーバーがある種の魅力をもって注視する、社会実験場のようなものである」

 ブラジル南部の港湾都市ポルトアレグレは労働党(PT)を中心とする左翼連合による「革新市政」が敷かれている。公共交通や病院、環境行政、教育、低所得者向け住宅など様々な分野で「住民参加型予算」が組まれている。市民が予算の配分先を決め、公金の流用や権利の濫用は不可能な施策がとられている。

 もちろん右翼野党との激しい対立や大新聞・テレビの敵対的報道は続いているが、2000年の市長選ではPT候補が63%の得票を得て再選されている。理想主義的な民主主義が花開いたこの都市で、世界中の一般市民が集まるWSFが開催されるのも自然な成り行きだったのだ。

 ポルトアレグレと同様に、新自由主義的なグローバリゼーションに異議を唱え、戦争に反対し、あらゆる不平等・不公平に抗議する世界変革運動として開催されているWSFは、一種の「社会実験場」ともいえる。というのもWSFには代表者も、議長も存在しない。全体を統括するような宣言や決定も行わない。しかも第1回から第3回まではポルトアレグレで開かれた後、昨年の第4回はインドのムンバイに会場を移した。戦争と経済グローバリゼーションに異議を唱える世界運動は南米から海を渡り、一挙にアジア大陸に飛び火した。

 ムンバイでの開催については、インドの活動家ジャイ・セン氏が「もうひとつの世界への道のり」(註)の中で書いている。「インドでの世界社会フォーラム・プロセスは、インド人ではなく、ブラジル組織委員会(BOC)や国際評議会(IC)の何人かの構成員の提唱によって、2001年12月に始まった。……ブラジル人は、インドがブラジルと同様に、市民運動・政治運動について力強い活気に満ちた伝統ある大国であることから、インドを選択したと思われる」

 2004年開催という時期については、 「04年度のインド総選挙を見通して、民主的 ・世俗的価値観を支持するもっと広範な市民的プロセスが建設される重要な舞台に、 フォーラムがなりうると考えたからである。 (フォーラム開催についての全国協議会は)世界社会フォーラムをイベントではなくプロセスと見るよう、国際評議会を促した」と書いている。

 しかし、インドのWSFは広範囲な市民的プロセス構築に貢献できなかった。左翼系の団体や労働組合、一部のNGOによって支配されてしまい、 「開かれた空間」という理念は影を潜めてしまった。 ひいていえば、カースト制度や家父長制度など社会的・宗教的な根強い利害対立のあるインドが、国際的に歴史的転換を遂げるチャンスを失ったことになる。とはいえ「開かれた議論の場」としてのWSFが存在意義を失った訳ではなかった。 2002年から2004年にかけてアフリカ、アジア、ヨーロッパ、ラテン・アメリカで大陸規模や国規模、都市規模、州規模の会議が開かれ、経済グローバリゼーションや戦争の問題に 「オルタナティブ」な立場から関心を寄せる人々が増えている。同時にダボス会議に対するアンチ・テーゼとしての意義も国際的理解を得るようになった。

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 そして今年1月、ポルトアレグレに戻ってきた第5回WSFには日本からもATTAC  J apanを含めNGO関係者・市民グループらの参加があった。しかし、日本のメディアはWSFの模様を一切伝えようとしない。フランスでは日刊紙のル・モンドやリベラシオンが特派員を送ったほか、中道左派の週刊誌ヌーベル・オプセルバトゥールも特派員を送り込み、リベラシオン紙は「オルターグローバリズム、政治のUFOが着陸した」(1月26日付)、「ポルトアレグレは理念の見本市」(同)など多数の分析・論説記事を、ル・モンド紙も「ポルトアレグレでルラ大統領は極左の不満と直面している」(1月28日付)といった記事を掲載した。

 ル・モンド紙の記事は、WSF内部の政治的対立や組織の在り方について批判的な書き方をしている。「ルラ大統領は極左抗議に遭って闘士の熱情を取り戻した。貧困に対する行動アピールは、WSFの公平無私をばっさり切り捨て政治集会に変えてしまった」(1月28日付)

 確かに、WSFに出席したブラジルのルラ大統領はラテン・アメリカ諸国と和解し、自分の提案を擁護するためダボス経済会議に行くことを選択した。つまりWSFとダボス経済会議との対話を進めようというのだ。また、29日には、ノーベル文学賞受賞者のポルトガルのホセ・サルマゴ氏やATTACのベルナール・カッセン氏、エジプトの経済学者サミール・アミン氏ら19人の知識人が▽開発途上国の債務帳消し▽タックス・ヘブンの廃止▽外国軍基地撤廃▽環境破壊防止――など12項目についてのマニフェストを発表している。これに対してタイのNGO関係者らからは「開かれた空間であるだけでは不十分だ」とし、「もっと政治的な立場を明確にするべきだ」という主張も出た。こうした様々な政治的駆け引きや軋轢がWSFの性格に影響を与えないはずはないであろう。

 しかし、「多様な運動体による運動」が現に地球規模で進められているという事実に変わりはない。リベラシオン紙などはWSFを「NGOと社会運動の国際連合」とまで評している。少なくともWSFで何が議論され、何が問題になっているのかを伝える価値は十分にあるであろう。WSFとともに広がる地球規模の連帯の動きを無視する日本の新聞には驚きしか感じない。ちなみにリベラシオン紙によれば、WSFの06、07年度の開催国の候補としてベネズエラ、モロッコ、南アフリカなどとともに、韓国が上がっている。将来、日本もアジアの候補国としてノミネートされる日が来ることを期待したい。

註) 「世界社会フォーラム 帝国への挑戦」(作品社)

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