コメント 今年は国際マイクロ・クレジット年だという。マイクロ・クレジットは開発のツールのひとつではあるが、それが打ち出の小槌ではないという自覚が必要である。マイクロ・クレジットがすべてを解決するわけではない。むしろ、ニュー・デリーからのニュースにあるように、問題の根本的な解決、社会システムの再構築から目をそらすために使われる場合もあるのかもしれない。
今回マイクロ・クレジットの記事を紹介するにあたって、私と一緒にアフリカ関係のNGOを運営している友人たちと話をした。一人は西アフリカの村での調査をするなかで、マイクロ・クレジットの導入によって、それまでそこにあった自給自足の生活が破壊されてしまったこと、換金作物 ( 例えば綿花 ) づくりに追われてしまい、お金を返さなければならないのでそれをやめるわけにはいけない状況になっているという話。お金を返すために、結局他から借りて返しているような、ローン地獄に陥っている人も出てきていることなどの話をしてくれた。もう一人は、インフレがすごいジンバブウェではマイクロ・クレジットを行なう団体がインフレによって貸し続けていかないといけない状況に陥ってしまっているという。
私たちが話をしている中で、マイクロ・クレジットを全面否定はしないが、どこでも使える万能な開発ツールではないということ。マイクロ・クレジットの成果が返済率で測られるが、本来はその地域の人たちの生活がどのくらい向上したかで測られるべきではないのか。地域の状況が異なる中で、その地域にあった開発の手法を地域の人たちと一緒に開発していくことが大切だということ。他の地域で成功した手法を導入する前に、その地域の人たちの力量形成が優先されるということ。開発は地域の人の声を聞きながら進めるべきであって、開発が国際機関で働く人たちの職として彼らの意思で持って左右されてはならないということなどの意見が出てきた。
貧困に苦しむ人たちが、小規模金融によって自立どころか、返済に苦しめられることのないように、社会システムの改革も必要なのではないだろうか。
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