IT技術を生かした社会参加 第5回  メディア・リテラシー教育

                          
池内健治(産能短大教授)
  前回は、メディア・リテラシー、情報リテラシー、サイバーリテラシーといった用語の整理とガイダンスとしての情報提供を行った。今回はメディア・リテラシー教育の現状を考えてみたい。
キーワード・・・ 批判的( Critical )、インタラクティブ

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1. メディア・リテラシー
  メディア・リテラシーは、イギリス、カナダ、アメリカなど欧米の教育の中でその必要性が指摘された。テレビや新聞などのマスメディアが発達して、私たちが特定のマスメディアを通じて情報収集をして影響を強く受けていることにその必要性がある。

 日本の新聞社の販売部数は読売新聞1007万部、朝日新聞825万部、毎日新聞395万部、日本経済新聞301万部と非常に大きな数になっている。全世帯数4983万世帯のそれぞれ20.13 % 、16.45 % 、7.89 % 、5.59 % を占めている。全国紙4紙で50.06 % の普及率である。(「 新聞発行社レポート 半期・普及率」2004年1〜6月平均 )
 おおざっぱに言えば日本国民の2人に1人はこの4紙を通じて情報を得ているわけである。多くの地方紙は通信社から情報を購入して報道している。どの新聞を読んでも同じ記事が報道されているように感じるのは情報源が限られているせいである。テレビについても同様の状況である。

  メディア・リテラシーは情報収集の基礎的な能力であり、子供時代のごく初期にこの能力を習得することが必要とされている。メディアを通じてさまざまな情報を受け取っているが、それを無批判にすべて吸収することの弊害が指摘されたからである。1980年代には、初等教育でメディアからの適切な情報収集のあり方を学ぶ教育方法を開発された。

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2. メディア・リテラシーのニーズ
  メディアの情報提供にはどのような傾向があり、どのような問題を含んでいるのだろう。第1に、メディアは政治的圧力によって偏向した情報発信をする危険性があることである。例えば、「湾岸戦争における石油まみれの黒い鳥」の写真がこれにあたる。特定の画面を切り取って報道することで、湾岸戦争への支持を集める意図が隠されていた。

 第2に、メディアはスポンサーである企業の経済的な圧力から自由であるとはいえない点である。テレビのニュース編集会議でニュースを選択する場合、スポンサー企業の不利になるニュースに対して何らかの力が働かないとも言い切れない。

 第3に、メディアで流れる情報には意図しなくても偏向した価値観を反映する危険性である。男性は仕事、女性は家庭といった価値観で制作されたドラマが多く、それが女性の社会進出を阻害しているという指摘がなされている。

 第4に、広告などは特定の意図をもって情報を流しているという点である。そもそも広告は私たちの購買行動に影響を与えるために制作されるものである。広告はどのように社会の価値観に影響を与えているか理解することが大切である。たとえば、タバコの広告は爽快感を訴求する広告が多く、タバコを吸うことによって爽快な気分になるというメッセージを与えている。映画の喫煙シーンによって青少年の喫煙を誘発したと脚本家自身が告白している。

 最後に、メディアを通じて伝達されるドラマやアニメにおけるシーンが子供に与える影響が強いことである。暴力シーンが多いドラマは子供の暴力的な行動に影響があるという指摘である。‘北斗の拳'というアニメーションがヒットしたが、暴力シーンが多く社会的な批判が多かった。

 このような、メディアからの情報収集にはさまざまな問題を含んでいる。そこに、メディア・リテラシー教育のニーズがある。

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3. メディア・リテラシー教育
  メディア・リテラシー教育の基本原則は、能動的参加と対話であり、体験学習と呼ぶこともできる。メディアの特徴やメディアの産業構造を知識として習得することが目的ではない。スキルとしてメディア・リテラシーを習得することが目的なので能動的な学習でしか習得できないものである。実際に報道された記事、広告、映画、テレビ番組などを分析すること、自分の手で番組を制作することなどさまざまな学習方法がある。

 具体的には、次のような学習方法がある。
・マスメディアの産業構造を知り、マスメディアがどのような圧力を受ける危険性があるのか知識として理解する。
・記事を分析してレイアウトや見出し、写真などの編集にどのような特徴があるのか分析をする。
・テレビ番組や広告などを視聴してその背後に隠された意図、価値観、視聴者に与える影響などを討議する。
・学習者自身がメディアを制作し、そのときに自分の意図や価値観がどのように紙面や番組などに影響を及ぼすのかを確認する

 学習のプロセスに注目すると次のようになる。 ビデオや写真の教材。視聴前の討議、視聴、視聴後の討議によってメディアから適切に情報収集するポイントを学び取ろうとするものである。視聴前の討議、視聴、視聴後の討議からなっている。
 たとえば、広告の分析を行う場合、視聴前に広告の目的は何か、広告している商品やサービスは購入者にとってどのような価値があるのか。広告が影響を与える価値観の変化はどのようなものか討議する。広告は視聴者に、どのようなイメージを与え、視聴者の気持ちにどんな影響を与えようとしているかなどを討議する。
 視聴しながら広告のイメージ、広告が与える聞き手にどのような変化を起こすのか記録する。写真の与える影響は何か、そしてそれはなぜなのかを議論する。報道写真や記事についても討議することで、いろいろな視点から検証することができる。記事が書かれた背景、広告をしている企業の情報および競争環境などを調査することで浮き彫りになるので、調査も重要な学習項目となる。

 最も役立つのは、自分で広告や番組、新聞記事などを制作する経験をすることである。発信者として何らかの意図をもって編集を行い、受信者に呼んでもらう体験を通じて、編集者の意図がどのように反映されるのかを理解できるからである。送り手の立場に立って制作し、受け手からのフィードバックを得ることで自分の意図が伝わったか、受け手がどのように情報を受け取る傾向があるのかを理解できる。

4.メディア・リテラシーと文化
  私たちが何気なく読んでいる新聞や視聴しているニュース、テレビ番組や映画が与える影響は非常に強いものがある。新聞のレイアウトをみても分かるが、ある意図をもって記事が配置されている。活版印刷で紙面構成をしている時代は版を作成するコストと時間が大きかった。電子組み版が実現したのは、いろいろなシミュレーションをして最適な紙面構成を制作できるようになっている。記事の入れ替えや変更が柔軟にできる。これによって、読者心理に沿って魅力的なレイアウトや紙面構成を作ることができるようになった。

 魅力的な紙面構成という点では読者にメリットがある。一方、読者の心理を利用して紙面構成で情報操作する余地も生まれてきた。たとえば、「女性によるプロジェクトで魅力的な玩具の新製品というA社の記事」と「リストラの玩具B社の記事が」同じ紙面に載る。この場合、A社は○、B社は×と単純に受け止めてしまう読者もいる。
 個々の情報をつなげて理解する時に、短絡的にこれは正しく、これは間違っているという白黒の判断をすることは危険である。少ない情報の中で判断する場合、個々の情報がより結論に短絡することが多い。

 テレビを見ていて、何か疑問が頭の中に生まれ、直後に番組で回答の映像が流れるといった経験はないだろうか。たとえば、中南米のある家庭を訪問したとき日本茶が出てきて、おやっと思っていると、次の場面で日本茶が世界各地でブームになっているといった場面が出るといった具合である。元来ドラマはこのような番組作りを行っている。問題がおこって、その解決プロセスがドラマで展開されるというサイクルの繰り返しである。

 ところが、ドキュメンタリー番組もこれと同じような方法で編集されている。おやっと思ったことが、次の場面で解決、次におやっと思って、さらに次で解決。このパターンは、受け手にとっては心地よく、無批判に情報を受け取りやすくなる。そこに情報操作の危険性が潜んでいる。

 これは「問題提起」と「問題解決」というパターンである。問題提起とは情報収集のニーズを生み出すことであり、問題解決とは解決に必要な情報を提供することである。このパターンで情報が提供されると、解決したというすっきり感が残り、私たちは情報そのものが適切かどうかという検証をしなくなる傾向がある。現実の問題はそのように白黒がすっきり割り切れるものではなく、必ずグレーゾーンのあることが本来である。さまざまな立場、さまざまな意図がからみあっているので、それを読み解いていく能力を私たちが身につけていかなければならない。これは、個人が一人で獲得できる能力ではなく、さまざまな人との対話を通じて獲得できるものなのである。

 メディア・リテラシー教育で、作り手の立場で情報を提供してみるという経験はとても貴重な経験の一つとなる。この場合、経験するだけではなく、その経験を振り返ることを通じて学んでいくものである。複数の人がかかわって分析することで、見方が広がり、新しい見方を獲得できるわけである。

 このように情報を批判的に分析するという行動がメディア・リテラシーの基本にある。私たちは批判的という言葉から、否定的、あら探しをするという印象をもつ。この場合、批判的とはさまざまな立場や情報から判断するということである。英語では critical thinking ということになるが、この“critical”という言葉のニュアンスを保ったまま日本語に置き換える適切な言葉がない。日本の文化のなかにこの言葉を受け入れる素地がないことが原因であろう。

 メディア・リテラシーはこれまでの日本にない文化を新たにつくっていくことを私たちに要求しているのである。メディア・リテラシーの獲得とは私たちの文化そのものの変質をともなうもので、より根源的な情報収集のあり方を問っている。ともすると表面的なテクニックととらえられがちであるが、より本質的な能力のことを意味するのである。欧米では、初等中等教育でメディア・リテラシー教育を実践しているが、このようなより本質的な能力であるからこそ初等中等教育に焦点があたっているのであろう。
 これまで述べた文脈から、市民社会にとってメディア・リテラシーは欠かせない能力であることが分かる。市民としての態度を形成することがとりもなおさずメディア・リテラシーの出発点なのだ。

5.インタラクティブな対話が育てるリテラシー能力
  マスメディアは一方通行の情報伝達手段であり、1対多の伝達に特徴がある。メディア・リテラシー教育はその欠陥を双方向の情報交換によって補おうとすることにほかならない。つまり、ある意図をもって情報を発信し、それを受け取った受信者から受け取った結果のフィードバックを受ける。それを通じて、発信者の意図がどのように伝わり、受信者はどのような情報理解の傾向を持つかが理解できる。

 誤解はどのように生まれ、それを意図的に活用する場合どのような活用方法があるか、実体験として理解することに意味がある。これは、まさに対話の機能であり、以前は対話によってメディア・リテラシー能力を獲得できていたわけである。近代になってマスメディアが登場し、1対多の情報伝達が発達するにしたがって、対話ではなく一方的な情報の受容になっていった。失われた対話による情報収集能力を復活することがメディア・リテラシー教育の意味するところである。

 市民社会の基盤は対話によって生まれるといえるが、メディア・リテラシーと市民社会( Media LiteracyとCitizenship)とが並べて使われていることが多い。メディア・リテラシー教育は政府主導というよりも、市民主導で実践されてきている。実際に、メディア・リテラシー教材(Material Resource)を提供する団体も草の根的な中間法人が担っていることが多い。
 市民社会を確立するにあたって個々人が自分自身の視点を確立するための基本的な能力としてメディア・リテラシーの獲得が注目されている。

 今回はマスメディアを中心にメディア・リテラシーについて考えているので、インターネットのようなインタラクティブで多対多のメディアではない。インターネットをはじめとする情報リテラシーあるいはネットワークリテラシーを次回は考えてみたい。

参考情報  ------------------------------------------------------------------
■ Center for Media Literacy :メディア・リテラシー教育の団体として情報提供、教材開発、セミナーなどを行っている。この組織に Web にメディア・リテラシー専門家のテンプル大学の Hobbs 氏がメディア・リテラシーに関する議論として次の7項目をあげている。
http://www.medialit.org/reading_room/article2.html

The Seven Great Debates in the Media Literacy Movement -- Circa 2001

・ Should Media Literacy Education Aim To Protect Children And Young People From Negative Media Influences?
メディア・リテラシー教育は子供たちや若者をネガティブなメディアの影響から守ることを目的にしたものか?

・ Should Media Production Be An Essential Feature Of Media Literacy Education?
メディアを制作してみることはメディア・リテラシー教育の必須の点なのか?

・ Should Media Literacy Focus On Popular Culture Texts?
メディア・リテラシーはポップカルチャーのテキストに焦点を置くべきか?

・ Should Media Literacy Have A More Explicit Political And/Or Ideological Agenda?
メディア・リテラシーは、明らかに政治的な政策なのか、それともイデオロギー上の課題なのか?

・ Should Media Literacy Be Focused On School-Based K-12 Educational Environments?
メディア・リテラシーは学校教育の初中等教育環境に焦点を絞るべきか?

・ Should Media Literacy Be Taught As A Specialist Subject Or Integrated Within The Context Of Existing Subjects?
メディア・リテラシーは特別な科目として教えるべきか、既存の科目の流れのなかに組み込んで教えるべきか?

・ Should Media Literacy Initiatives Be Supported Financially By Media Organizations?
メディア・リテラシーの推進者はメディア組織によって資金的な支援を受けるべきか? 

By Renee Hobbs 、 EdD/ Temple University “The Seven Great Debates in the Media Literacy Movement -- Circa 2001”

(日本語訳は池内)

■関連サイト
メディア・リテラシー教育に関するサイト(米国)
http://www.medialit.org/default.html

メディア・リテラシー教育に関するサイト(日本)
http://www.mlpj.org/

日本におけるリンク集
http://www.mlpj.org/linkor-j.html

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