1.デリダの死
昨年10月、哲学者ジャック・デリダが死去したとき、日本のメディアはデリダの哲学的業績について報道したが、NGO「ATTAC」のスーザン・ジョージらが進めるオルター・グローバリゼーション運動を支持していたことを一行も伝えなかった。「もうひとつの世界は可能だ」とする国際市民運動を絶賛したデリダの発言は6、70年代のデリダの哲学的思索の必然的帰結だっただけに、その部分が欠落した新聞記事を読んで不思議な印象を受けた。
2.日本の報道
各紙を見ると、どこも、デリダが10月8日、すい臓がんのため死去したことを定型記事で伝えている。いくつかの記事からは、デリダについて「1930年7月アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人」「『脱構築』という独特な思考スタイルを持ち続けたポストモダニズムの哲学者」「主著は『エクリチュールと差異』『声と現象』」――などが分かる。
こうした訃報記事の他、朝日新聞と東京新聞はデリダ研究者による追悼文を載せた。朝日新聞の記事は高橋哲哉氏の「ジャック・デリダの『死後の生』 読みを待つテクスト群」(10月12日)。ここで「死後の生」といっているのは、著者が死んでも作品は生き残り、著者を超えた普遍性を持ち続けるということのようだ。
「このデリダのいない世界、デリダがその『死』によって『不在』であるような世界に、どこか見覚えはないだろうか。デリダの思考は、そもそもの初めから、デリダが『不在』であるような世界でデリダのテクストを読むこと、著者デリダが『つねにすでに』死んでいるかのようにして彼の著作を読み、考えることを、私たちに促していたのではなかったか」
一方、東京新聞が掲載した鵜飼哲氏の「〈友〉なるデリダ」(10月29日)は書き出しからこうだ。「誰かについて、その誰かのいない場で、その誰かに理解できない言葉で語ること、それはすでに、その誰かを裏切ることではないか?…」。これは「友愛のアポリア(困難)」という典型的なデリダの問いの焼き直しだ。この問いを引き合いに「彼自身の死という出来事のさなか、彼の友は誰も、このアポリアの前にいる」と述べ、鵜飼氏の母の病状を気遣ってくれたというデリダ氏の思い出話を披瀝している。そしてこう続けている。
「デリダの友であったと過去形で語ることを彼の思想は許さない。彼の友であることは、いつまでも来るべき経験であるだろう。彼の死は終わらざる出来事であるだろう。そのようにして彼は生き続け、考えることを教え続けるだろう」
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