2.
拠点づくりからの出発
町がこうあって欲しいという願いやつぶやきをカタチにしたいと、検討のための委員会がはじめにしたことは、様々な場へ足を運び、様々な人と会い自分たちの手本となる事例や情報をさがしたことだ。そのころより私は、資料をまとめたり委員に連絡を取ったりと、事務局的な役割を担うようになった。
多くの情報を仕入れて検討委員会として意見を作ってはみるのだが、建設計画は期限があるため、提示されていた事業スケジュールに合わせ問題が発生していった。
(1)施設の設計図を作らなくてはいけない。
これまで検討してきた内容を市と調整し、図面に落とし込み、設計者と意見交換をしたが、十分な意見集約は出来なかった。
(2)施設の建設を行わなくてはいけない。
期限に向けて、否応なしに施設の建設がはじまり、具体的な施設の運用を考えた機能や備品の話などを決めなくてはならない。検討のための委員会ではそこまでの事を決められない。
(3)施設の運営主体を決めなくてはいけない。
町内会は単年度制で多年度事業の受け皿には成り得ず、地元観光協会は高齢者介護予防拠点施設としての事業まで受け入れられない、また、施設での収益事業に縛りがあるとして運営主体が決まらなかった。
残念ながら、今にして思うと市との施設建設に関する意見交換は行政主導であり、この時点では市と検討委員会との協働事業と呼ぶにはふさわしくない、市民と行政のやりとりが繰り返されていた。そのような中、検討委員会のメンバーが要望したのではないが、地域が陳情というカタチで地元要望を行い、税金を投入し建設する施設なのだから、地域がキチンと担わなければ無責任だとの思いと、どのようなカタチであれ市民による活動の拠点を得られれば、まちをより良く変えられるきっかけが出来るのでは? との考えから検討委員会のメンバーが一人二人と手をあげ委員会自体が運営主体へと変化していった。
その運営主体をどういったカタチで立ち上げるか、有限会社、株式会社、 NPO 法人、組合など様々なスタイルを検討したが、私たちが最初に選んだものは NPO 型任意団体(人格のない社団)によるものであった。
※団体名「非営利活動市民団体はづちを」施設名「はづちを楽堂」は町内にある神社に祀られている機織りの
神様「アメノ ハヅチヲノカミ」からいただいた名前で地域を見守ってきた氏神様に恥ずかしくないよう活動して
いこうという思いを込め、雅楽、猿楽、田楽など芸能文化を意味する「楽」に「楽しい」をかけ合わせ人が集う
お堂のような場所になって欲しいと願い、野村万之丞氏に命名をしていただいた。
「協働コーディネーター」という職能を知る前に、「 NPO って何だろう?」からの出発であった。
幸いなことに平成14年から15年にかけては全国的に地方でも NPO が草の根的に広がっており、県や各種団体による基礎的な NPO 講座や講演会にはじまり、行政職員と市民が共に学ぶスキルアップ講座などが頻繁に開催された。私自身、 NPO の事務局として必要なスキルを求め、多くの場へ出かけ、多くの方達と知りあっていった。
そのような中で、ある NPO 講演会の会場で(特非) NPO 研修・情報センター(以下 TRC とする)の発行する、 TRC ブックレット4「コミュニティ・レストランを創ろう」を手にした。ちょうど施設での飲食事業計画に課題を抱えていたころで、これは凄いと感じ、代表理事の世古一穂氏の名前が頭に刻まれた。そのわずか2カ月後、石川県内で TRC の世古氏を講師とする「協働コーディネーター養成講座」(初級クラス)が開催された。
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