協働コーディネーター養成講座修了者の活躍する現場から シリーズ3 
第1回  市公共施設の市民による管理運営プロジェクト   協働を学ぶ
吉田栄治(特定非営利活動法人はづちを 理事・事務局代表)

特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは協働コーディネーターを養成する、協働コーディネーター養成講座を開催してきました。その成果として、協働コーディネーターとして各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、協働コーディネーターとして活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。
シリーズ3では、石川県加賀市の山代温泉で、市公共施設の市民による管理運営を実践する中での「協働コーディネーター」としての役割や取り組みを紹介していきます。

  北陸、石川県加賀市山代温泉の中心街に「高齢者の生き甲斐づくり」と「温泉中心街の賑わいづくり」の二つの目的で建設された施設、「はづちを楽堂」の2年半の管理運営を通し、その経緯、そこでの事例と「協働コーディネーター」養成講座で学び現場で行った実践、今後の課題を今回より3回に分けて紹介させていただく。

1. はじまりは青年団と施設の建設
 はじめに、報告者及び組織と事業の背景について紹介する。
 今から10年前、公共施設の建設が持ち上がるずっと以前より、山代温泉の青年団は若者たちによる祭礼の執行機関として機能し、地域の人のつながりを密にしていた。そのような中、新たな祭りが山代温泉に誕生。それは『大田楽』(狂言師、総合芸術家の故 野村万之丞氏が中世日本の幻の芸能『田楽』を現代にアレンジして蘇らせた祭り)。この祭りを通し、呑んで騒ぐだけであった私を含む地域の若者が、野村氏から『大田楽』をまちづくり事業のツールとして、マネジメントを学ぶ塾のようなものができた。ここでよく言われたことは『先輩、地域、企業、行政へのおごられ体質からの脱却と自立』だった。また『祭りの出演者からアシスタントディレクターへ、そしてディレクター、プロデューサーへと成長しなさい』ともいわれ、これまでと違った視点で地域を見ようとする仲間がそこに育っていった。
 平成13年1月に温泉中心街に放置された廃業旅館を市が買い取り、「高齢者の生き甲斐づくり」、「温泉中心街の賑わいづくり」の二つの目的での施設建設計画が持ち上がり、旅館経営者、商店主、その他各種団体、近隣住民など、地域で活動してきた若手約20名が市と町内調整機関により選抜招集され、その計画への要望意見を提案し検討を行う委員会が設置された。これまでの地域への課題意識が認められたのか、この中の半数以上が私を含む野村氏に学んだ仲間であった。
 施設建設計画の概要は廃業した旅館を取り壊し、敷地1,490uに使途目的の施設を新築するというもので、事業予算は土地の取得も含めて、厚生労働省からの平成13年度高齢者介護予防拠点施設設置費9,500万円と市の一般財源1億4,200万円合わせて約2億3,700万円だった。
 それ以外は市側の計画は全くの白紙であった。後は地元住民の意見尊重で計画を行うということ。ただし、平成13年度の事業のため、翌年度中に予算執行を行わなければならず、平成14年4月には施設が建設されていなければならない。運営主体は地元組織によること。そのために具体的な提案を作り上げるという過密なスケジュールであった。   

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2. 拠点づくりからの出発
 町がこうあって欲しいという願いやつぶやきをカタチにしたいと、検討のための委員会がはじめにしたことは、様々な場へ足を運び、様々な人と会い自分たちの手本となる事例や情報をさがしたことだ。そのころより私は、資料をまとめたり委員に連絡を取ったりと、事務局的な役割を担うようになった。
 多くの情報を仕入れて検討委員会として意見を作ってはみるのだが、建設計画は期限があるため、提示されていた事業スケジュールに合わせ問題が発生していった。

(1)施設の設計図を作らなくてはいけない。
 これまで検討してきた内容を市と調整し、図面に落とし込み、設計者と意見交換をしたが、十分な意見集約は出来なかった。
(2)施設の建設を行わなくてはいけない。
 期限に向けて、否応なしに施設の建設がはじまり、具体的な施設の運用を考えた機能や備品の話などを決めなくてはならない。検討のための委員会ではそこまでの事を決められない。
(3)施設の運営主体を決めなくてはいけない。
 町内会は単年度制で多年度事業の受け皿には成り得ず、地元観光協会は高齢者介護予防拠点施設としての事業まで受け入れられない、また、施設での収益事業に縛りがあるとして運営主体が決まらなかった。

 残念ながら、今にして思うと市との施設建設に関する意見交換は行政主導であり、この時点では市と検討委員会との協働事業と呼ぶにはふさわしくない、市民と行政のやりとりが繰り返されていた。そのような中、検討委員会のメンバーが要望したのではないが、地域が陳情というカタチで地元要望を行い、税金を投入し建設する施設なのだから、地域がキチンと担わなければ無責任だとの思いと、どのようなカタチであれ市民による活動の拠点を得られれば、まちをより良く変えられるきっかけが出来るのでは? との考えから検討委員会のメンバーが一人二人と手をあげ委員会自体が運営主体へと変化していった。
 その運営主体をどういったカタチで立ち上げるか、有限会社、株式会社、 NPO 法人、組合など様々なスタイルを検討したが、私たちが最初に選んだものは NPO 型任意団体(人格のない社団)によるものであった。

   ※団体名「非営利活動市民団体はづちを」施設名「はづちを楽堂」は町内にある神社に祀られている機織りの
    神様「アメノ ハヅチヲノカミ」からいただいた名前で地域を見守ってきた氏神様に恥ずかしくないよう活動して
    いこうという思いを込め、雅楽、猿楽、田楽など芸能文化を意味する「楽」に「楽しい」をかけ合わせ人が集う
    お堂のような場所になって欲しいと願い、野村万之丞氏に命名をしていただいた。

 「協働コーディネーター」という職能を知る前に、「 NPO って何だろう?」からの出発であった。
 幸いなことに平成14年から15年にかけては全国的に地方でも NPO が草の根的に広がっており、県や各種団体による基礎的な NPO 講座や講演会にはじまり、行政職員と市民が共に学ぶスキルアップ講座などが頻繁に開催された。私自身、 NPO の事務局として必要なスキルを求め、多くの場へ出かけ、多くの方達と知りあっていった。
  そのような中で、ある NPO 講演会の会場で(特非) NPO 研修・情報センター(以下 TRC とする)の発行する、 TRC ブックレット4「コミュニティ・レストランを創ろう」を手にした。ちょうど施設での飲食事業計画に課題を抱えていたころで、これは凄いと感じ、代表理事の世古一穂氏の名前が頭に刻まれた。そのわずか2カ月後、石川県内で TRC の世古氏を講師とする「協働コーディネーター養成講座」(初級クラス)が開催された。  
  

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3. 目的と使命を果たすために必要な力
  「協働コーディネーター養成講座」(初級クラス)に参加したのは言うまでもない。その時はじめて「協働コーディネーター」という職能の存在を知った。「協働コーディネーター」に関する講義や参加者一人ひとりのつぶやきをカタチにしていくワークショップを通し、自分たち検討委員会での合意形成や目的共有能力の不足、行政と市民相互の対等な関係作りへの認識不足、自分たちの組織や自治体のみならず市民への共益公益に対してのアカウンタビリティの必要性など、青年団の事務局程度の能力では『地域が好き! 皆が幸せになるまちづくりをしたい!』という熱い思いのみでやり遂げる事業に限界があり、これから NPO 活動をはじめようとする私にとって、まさしく「協働コーディネーター」の職能は目的と使命を果たすために必要な力にみえた。そして、この講座で出会った世古氏と「協働コーディネーター」を志す受講生との出会いが、その後の市公共施設の管理運営事業に大きな変化を与えることとなっていきました。

次号では、施設開設後、管理運営にともない生じた課題を解決するためにはじめた「コミュニティ・レストラン R 」を通して「協働コーディネーター」として実践で学んだことなどを紹介していく。
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