IT技術を生かした社会参加 第3回  デジタル化するということ

                          
池内健治(理事、産能短大教授)
 2ヶ月間取材記事を中心にメルマガを書いてきました。クリエーターによる著作権シンポジウムの取材記事やメディアリテラシー(あるいはサイバーリテラシー)などについて来月以降書いていきます。今月は、最近感じていることをエッセー風にまとめました。そのため、です・ます調になっています。
  地上波TVのデジタル化、写真はデジタルカメラ、ビデオもテープからDVDへ、ずいぶん前ですがレコードがCDに。わたしたちの身近なものがすべてデジタル情報として蓄積される時代になりました。その意味を考えてみたいと思います。押尾守の攻殻機動隊、最近ボクが熱を入れていること、東京ファイティングキッズを読んでいて不安になったことの三部構成です。

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1. 押尾守の攻殻機動隊
  たしか1995年だと思いますが、「 GHOST IN THE SHELL/ 攻殻機動隊」というアニメーション映画が封切られました。電車でみた中吊り広告がとても印象的だった思い出があります。世界中にファンをもつ士郎正宗原作「攻殻機動隊」というマンガの劇場映画化だったのですが、超電脳化社会での公安9課という非公認の超法規特殊部隊とテロリストの戦いがモチーフでした。この部隊は通称「攻殻機動隊」、精鋭サイボーグで構成されていて、脳にプラグをさして電脳世界に入り込んでサイバーテロリスト(ハッカー)と戦うというストーリーでした。
 この1995年という年は、大きな転換点になる時です。ITの世界では、「 Windows95 」が発売され、夜中に盛大なイベントを開いてニュースになりました。パソコンが身近な道具箱に変身した瞬間です。ネットバブルと呼ばれるIT企業への投資が集中し始めた時期にあたります。
 この映画はキアヌ・リーブス主演、ウォシャウスキー兄弟監督の映画「マトリックス」に強い影響を与えています。プラグを脳に接続して電脳世界に入っていく。その中で、戦いが行われ、現実の世界と電脳世界をいったりきたりしながら物語が進行していくところは、同じ舞台をもとにしたマトリックスと攻殻機動隊の2つの物語が同時進行している錯覚を覚えました。
 その映画の続編、「攻殻機動隊/ STAND ALONE COMPLEX 」を最近深夜放送していましたが、その最後のシーンが印象的です。すべてのデータがデジタル化した電脳社会にあって、巨大な図書館が最後の舞台。ロボットが行き交って書籍を整理する中に、元サイバーテロリストの少年が書籍の整理の仕事に残るというものでした。叩けば埃が舞いそうな書籍、誰も読もうとしない書籍、古色蒼然たる広大な図書館に座り込む元電脳テロリスト。とても印象的なエンディングでしたでした。
 あの書籍ってなんだったのでしょうか?

劇場映画スチール写真はこちら http://www.production-ig.co.jp/anime/gits/

サンプル視聴はこちら http://www.so-net.ne.jp/bandai/ghost/movie.html

本年度のテレビ放映シリーズ「攻殻機動隊/ STAND ALONE COMPLEX 」の情報はこちら
http://www.kokaku-s.com/root.html
http://www.ntv.co.jp/kokaku-s/

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2. 最近ボクが熱心に取り組んでいること
 実は「池内スタディールーム電脳化計画」なのです。仕事場や自宅などに散在するあらゆる情報をデジタル化しようという超弩級の作業です。論文、草稿、記事、雑誌、メモ、取材写真、近年写真、チラシ、マンション管理組合の会報、制作ビデオ・・・。紙やアナログメディアに記録された山のような情報をすべてデジタル化。
 ぼくのもっている情報をすべてデジタル化したらどうなるか。実験の意味も兼ねて総ての情報をデジタル情報として小さな電脳箱(コンピュータ)にぶちこむ、1人だけのプロジェクトです。ボクは経営情報を専門にしている「研究者」なので、人体実験のつもりでやっています。
 このプロジェクト、富士通 PFU の Scan Snap! というスキャナに出会ったことがきっかけ。それまで使っていたスキャナは手間がかかって、こんな苦行を重ねるのならば電脳社会なんていらないっていうものだったのです。ところが、この Scan Snap! 。優れものなのです。紙をセットすると、コピー機のように次々と自動紙送りをして、 PDF という形式のファイルをハードディスクに作っていきます(メーカーから販売促進のリベートをもらっているわけではないので、正直な感想ですよ)。
 文書にあったファイル名を変え、キーワードをつけておくと検索がものすご〜く簡単。カラーとモノクロも自動認識、両面のスキャンもできてしまう。研究室と自宅に1台ずつおいてあらゆる紙情報をデジタル化しています。名刺はもっと便利。氏名、住所、勤務先、電話番号、メールアドレスなどなどを自動認識し、名刺画像をつけて名簿を作る。一連の作業を自動的にやってくれます。手紙、はがき、年賀状もすべてデジタル化しています。受信、発信のフォルダにためていた手紙もすべてハードディスクの中。家族の写真から仕事で撮影した写真まで一瞬のうちに検索して表示できる。ムムム、これはすごい。
 そして、今までもっていた紙はすべて廃棄箱へ、あぁ、すっきりした。きれいなオフィス、まるでコクヨのショールームみたいな生活感のない仕事場となりつつあるのです。なんせ、書類が多くてこの偉大な作業も途中なのですが、ずいぶん研究室がすっきり整理できています。すっきり整理、なかなか見つからなかったデータもすぐに検索、快適快適と思ったのですが。 ちょっと、不安が。
 なんとなく、居心地の悪さを感じています。マンションのショールームで一生過ごす居心地の悪さといえばよいか・・・ ! ?
Scan Snap! の情報はこちら
http://scansnap.fujitsu.com/jp/concept/index.html    

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3. 「東京ファイティングキッズ」を読んでいて、ふと・・・
 話を中断しますが、内田樹・平川克美さんの往復書簡集 「東京ファイティングキッズ」 を読んでいて、ボクの居心地悪さに関連することを気づいたのでそのことを書きます。この本は非常に示唆に富んでいて、今回のスペースではとても語り尽くせません。いずれこの本の紹介をかねてメルマガで書いてみたいと思っています。ぼくの偉大な文書庫デジタル化実践計画の居心地悪さに、「これってこのこと」とヒントを与えてくれた部分に触れます。
 著者は「自分探し」ということばが好きでないとしたあとで、「自分探しをするのは、探している自分は変わらないということが前提にあるからだ」と指摘しています。この変化しないもの、これがデジタル化した情報の本質なのです。また、1995年以降進行したのは、物語の時代からデータの時代に変化したこととしています。本書では、養老孟司の情報に関する主張、脳化する社会という主張につながる考え方です。
 書類は皺がつき、折れ目があり、書き込みがなされ、読んでいる時にこぼしたコーヒーのシミがつきます。臭いがして、少しずつ色褪せていきます。そこに、書類を読んだ人の息づかいが残され、書いた人物の面影が投影されます。色褪せることで時間の経過を知ることができます。
 ぼくの自宅の近くにあるいわさきちひろ美術館に彼女の書斎が飾られています。同様に、グスタフ・モロー美術館にも彼のアトリエがあり、夏目漱石もしかり。そこに入ることで彼女や彼の姿を身体で感じることができるのです。彼が読んだ本を手にすることで、その重みとともに彼が読んだときを想像できます。
 変化すること、崩れること、色褪せることに価値があるのです。ブックオフでは、色褪せた本は安く買いたたかれます。ブックオフに象徴される今の価値観では、崩れること、色褪せること、シミがつくこと、くしゃくしゃになること、これはすべて価値がないことなのです。
 デジタル化に対する希望はここに原点があります。デジタル化した書類には、もちろんシミも忠実に記録します。だが、デジタル化したとたん変化を止めるのです。デジタル化はおぼろげになる情報を固定化し、その後の劣化を防ぎ、変化することを止めます。デジタル化した書類を細分化すると最終的に1と0に還元されるのです。デジタル化した世界は、隅から隅まで明るい、それ以上明るくもならなければ暗くもならない世界。すべてが均等に明るい世界とたとえることができます。陰翳がない。また、デジタル化するということは、食品でいえば冷凍することと同じです。
 なんだか、薄っぺらい世界だと思いませんか。
 「池内スタディールーム電脳化計画」に戻ります。ぼくの周りを埋め尽くす情報を総てデジタル化時、その情報を結びつけるのは、ボクの付与したキーワードやインデックス、タイトルだけ。ボクの記憶がもっとも重要な関係づけの道具なのです。では、ボクが死んでしまったあと、デジタル書斎を誰かが訪れてどんなふうに感じるのだろう。
 モデルルームみたいな部屋、整理されたデータ。まるで冷凍庫みたいじゃないですか。 HDD にたまったデータなんて誰も覗こうとしない。使われない1と0の固まり。山積みの書類、書きかけのメモ、埃のたまった色褪せた書籍、部屋の主のやり方で整理された書類群。ここに、人の存在が残されているのではないでしょうか。
 情報とは変化しないものです。1は1、2は2を表示します。変化するのはそれを読み取る人間の側です。現在、短期大学で正確に情報を収集すること、正確に意図を表現することなどなどを指導していますが、それだけでよいのでしょうか。誤解こそ創造の可能性を含んでいるのかもしれません。「東京ファイティングキッズ」には、ディベートなんて何の意味もない。著者は、対話によって自分が変わり、そこから新しいものがうまれると主張しています。
 不変性に対する信仰は、ぼくたちが変化するものだからでしょう。デジタル化主義の奥底には、そんな情報(データ)の不変性に対する信仰があるのではないでしょうか。
 もちろん、デジタル化の生み出す価値は大きく、それを否定するものではありません。ぼくの「池内スタディールーム電脳化計画」のような過度のデジタル化は、問題を含んでいるということです。われわれが、デジタル化の本質をしっかりととらえておく必要が今あります。
 「攻殻機動隊/ STAND ALONE COMPLEX 」の最後のシーン。電脳社会で訪れる人もいない巨大な図書館。現代の社会に対する大きな皮肉を含んでいるように思えます。しかも、そこを守るのが電脳社会を駈けめぐってきた世界で一級のハッカー、サイバーテロリストである点が深く心に残りました。
 デジタルは簡単で、分かりやすく、単純化した、均等な光の世界。対してアナログはあいまいで、分かりにくく、複雑で、陰翳に富む世界。この相反する2つの世界を使いこなすことが、人間の役目だと思います。
 マトリックスの世界のように、電脳世界に入ったまま出てこられなくならないように。
 内田先生の「東京ファイティングキッズ」のサイトはこちら
 http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/
 このような、問題意識を根底においてメディアリテラシーを考えていきたいと思います。

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