1.公演                

 プログラムが次々と消化され、館内は異常な熱気に
包まれている。
激しいギターの音色の中、スペイン衣装を身に纏った女たちは
観客のいることも忘れて、踊りに陶酔しているようだ。
感情の赴くまま、踊り狂う炎の様にも見える。
 パリージョの連続した音が小刻みに重なり合い鼓膜に張り付く。

パリージョとはスペイン語であり、カスタネットを意味する。
パンフレットのスペイン語に、それぞれの注゚がある。
もちろん伊月はフラメンコを見るのは、初めてである。
フラメンコに限らず、舞踏というものとは、無縁であった。

 5年振りに彼女から連絡があったのは、10月の半ばである。
長い年月を経てはいるが、彼女の声はすぐさま分かった。

「こんにちわ。ご無沙汰しています。公演会のチケットを
送りました。時間の都合がつけば、是非いらして下さい」

三十代ではあるが、まだ幼さの残る喋り方は昔のままだ。
伊月は突然の電話に呆然とし、聞き手に回る他、術はなかった。

「ごめんなさいね、急に電話して。やっと貴方との約束が
果たせそうです。きっと憶えていてくれていると思います。
私も頑張ったんですよ」

もちろん憶えている。あの約束があったからこそ
今の伊月がいると言っても、過言ではない。

伊月は地方ではあるが、出版社を経営している。
大学時代、大手の出版社でアルバイトをしたことが
きっかけである。
4年の間にノウハウを学び、一時はその出版社に就職を考えたが
その会社の欠点も見えていた。
もともと洞察力に優れていたのかも知れない。
その欠点を是正することで更に業績が伸びることを
伊月は見抜いていた。
元来、自己主張が強く、他人に使われることを好まない伊月は
経営者への道を選んだ

実家は地方では中堅に入る印刷会社であり
何かと便利な面もある。
両親を説き伏せるには苦労したが、小さいながら
会社を持つことができた。
資本金を出世払にしてくれた両親には、今でも感謝している。
その両親も他界して、印刷会社は弟の伊織が後を継いだ。

伊月の経営する「敬翔社」は設立当初、伊月の思惑が
当たり、経常利益は順調な伸びを示していた。
ところが、9年目にして業績が横這いとなり
10年目には利益が出なくなってしまった。
この業界で9年間、業績を伸ばしたこと自体が
驚異ではあったが、伊月自身のうぬぼれも
あったのかも知れない。
28人の従業員を抱え、伊月の苦悩の日々は続いた。