失った恋に薬があるのなら、苦しまないで
すむのかもしれない
そんな特効薬などありはしない
だが、楽になる方法はある


失恋にもレベルというものがある。
年齢にもよれば、心の関係、体の関係もある。
そして、どんな別れをしたのかにもよる。

恋とは形がないだけに、厄介な代物ではあるが
人間の「
張り」として大きな活力であることは、いとめない。
その「張り」がなくなってしまうのだから、大変だ。

失恋は想いの深さによって、与えられる苦しみが異なる。
憧れから始まり、親しい関係、心が通った付き合い
そして、体を許した付き合い
どれも人によっては切なく、悲しいかもしれない
経験の多い人は、上手く進んで行けるかも知れない
経験が多くとも、想いの深さで苦しむかも知れない

だが、失恋をした後には
法則のようなものがある
どんな法則なのだろう?

時に死を選んでしまう人もいる。
未遂で終わる人もいる。
それ程、人の想いとは厄介なものだ
厄介だけれども、大切なものだ
絶望して、死を選択しようとする人は
あまりに弱すぎる人か、思いこみの激しい人だと思う。
実際には、人というものは強いものだ
自分が弱いと思っている人が、弱いのであり
実際には人は、なかなか したたかな強さを持っている
「あの人がいないと生きて行けない」
よくそんなことを言う人がいるが
そう言う人が果たして全て別れによって
死んでしまっただろうか?
そうなれば、世の中死人が増えて、仕方がない
別れを前にして、人は弱気になる。
だが、その時期を過ぎれば
「ああっ、そんなこともあったなぁ」と
想い出にしてしまうことが出来る。
人は間違いなく、強いものなのです

想い出にする為に、人は過程を通過しなければならない
どんな過程を踏まなければならないのか?

まず、別れることが信じられなかったり、再び
上手く行くのでは、と思ってしまいがちである。
こういうと時は、真実や事実が見えないし
見たくはないだろう。
だが、現実は結果として現れているのだから
それを直視する勇気を持たなければならない。
悲しみの真っ最中は、それが難しいだろう。
時間が必要だ。百の言葉より、心の落ち着く時間が
必要だ。
それからでなくては、現実を把握することは難しい。
原因と結果を反芻し、納得するのはそれからだ

落ち着いたなら、別れが現実ということが納得出来る
まだここでは、心は癒されていない
別れが現実であることが分かっただけである

自分にとって、相手が必要であっても
相手にとって自分というものが、必要ではない場合がある
そういうパターンでは、心にけじめをつけなければ
ならない。
必要としない人が、いつまでも傍にいるのは辛いし
答えることが出来ないから、気は重くなってしまう。
そういう相手の心が分かれば、いつまでも想い続けることは
相手の重荷になるし、自分にとっても時間の無駄遣いになる。
相手の心が分からない人が、いつまでも纏わりついたり
思いつづけてしまう。

人間というのは、生きている限り
情報というものが入ってくる
必ず、情報は入ってくる
小さな情報が無数にあり、生きていれば
それらの情報に接しなければならない
それは、気持ちが他に向かうということだ
はじめは相手のことを四六時中、想っているだろう
その想いは、数々の情報と過ぎ行く時間によって
思い出す度合いの間隔を少しずつ長くしてくれる
情報と時間が、人を癒してくれる
情報の中には、必ず
がある。
その光を早く見つけることだ
                     つづく