ある日突然、思い悩んでいたことに はっ と気付くことがある
また、ほんの些細なことでも、そうだったのか!と気付くことがある
頭で分かっていること
いろいろな書物を読み、たくさんの意見を聞き、自分なりに考え
全てが分かったつもりでいる。
まず、分かることは良いのだが、それをどう生かすか?
何の為の知識なのか?
人間、頭で分かっているだけでは何の役にも立たない。
マスターベーションに浸っているだけでは、己のみの世界でしかない。
わかっていることを伝えてこそ、実を結ぶ。行動してこそ、世界は広がる。
偉〜い坊さんは知識を広める為に行動した。キリストとて、身を呈して発見を伝えた。
偉人になろうとは思わないが、せめて少しでも伝えることで
他人が「はっ」と気付いて好い方向へ進んでゆけば気持ちがいいし
相手も気持ちがいいことだろう♪
何かの本で読んだけれど、人間は知識を得て賢くなるのは良いが
それを形として顕わさないことが、良くないとあった。
反って何も知らない人の方が、良いそうな。
何となく分かる気がする。
自分の状態
人というのは今自分がどのような状態にあるのかが
なかなか分からないものである。
自分では良いつもりでも、他人から見れば
大きく偏っていたり、反感を買うこともしばしばある。
ある程度出来ている人間でも、感情の昂ぶりがあったり
一途に信じているものがある場合、正常な判断が
出来なくなってしまう。
「人の見た自分」が正しい場合が多々ある。
勿論、偏見を持っていたり、良い感情を持って
いない人が見れば、当然のこと乍ら「良くない人」と
なってしまう。
自分が今、どのような状態であるかを知るには
やはり、第三者の目で自分を見ることが大切である。
第三者の目とは、自分の感情を一切排除して
自己の心を客観視する、ということである。
それを出来る人が、困難を困難でなくすることが出来る。
例えば、人と喧嘩をしたとしよう。
その時は、感情が昂ぶり、冷静な判断が出来ない。
心の中は、怒りと批判がうごめいている。
時間が経たないと難しいが、そこで自分を冷静に
見つめる必要がある。
何が原因なのか?
自分に非はないのか?
相手はどう受け止めているのか?
一つずつ、一切の感情を省き、原因を追求し
出来事の根源を探る。
きっと原因ははっきりと姿を顕わし
それに大しての対処法もおのずと分かってくる筈だ。
ただ、原因と対処法がわかっても
実際に行動しなければ、折角考え気付いたことが無に
なってしまう。
即ち、即行動する!ということである。
冷静な判断と行動は、もう一人の冷たい自分を
作ることで実行できるのである。