ABOUT US シエスタについて(かなりの長文です)

 

「演奏、コマ撮り、時々カフェ」

 
 
●僕は、バイオリンを弾く父親の影響で、幼少の頃からバイオリンを弾いてきました。
そして、二十歳の頃、故郷・京都の中古レコード屋で一枚のレコードと出会った事で人生が大きく動き始めました。 

それはフランスが生んだ偉大なジャズ・バイオリニスト、ステファン・グラッペリのレコードでした。
そのレコードを聴き、僕はとても強い衝撃を受けました。
そしてどんどん彼の音楽世界に引き込まれていきました。


その後しばらくして、ステファン・グラッペリは81歳で初来日します。
僕はもちろんコンサートに行き、初めて触れた彼の生演奏に、もの凄く、心の底から、感動しました。 

翌年、ステファン・グラッペリは再来日しますが、高齢のため最後の来日になるという発表がされました。 

「もう、日本に居ても、グラッペリには会えないのか。。。」と思った僕は、彼に一目会いたい一心で、フランスに行く決心をしました。
そして、お金を貯め、大学を卒業して、1991年6月、バイオリンを抱えフランスに渡りました。

最初に出会ったレコード

 

●当時は今と違って、スマホも無ければインターネットも無く、情報がほとんど手に入らない時代でした。
分かっていたのは、ステファン・グラッペリはフランス人という事だけで、どこに住んでいるかも分かりません(笑)

そこで、取り敢えず、知人を頼って、南フランスのトゥールーズという街に住み、語学学校に通い始めました。

しばらくして、僕は街角のポスターにステファン・グラッペリの名前を見つけました。
それは「JAZZ IN MARCIAC」というトゥールーズ近郊の山中で行われるジャズ・フェスティバルの物で、ステファン・グラッペリも出演するようでした。


会場は電車もバスも走って無いような山中なので、僕はヒッチハイクをしてなんとか現地に辿り着き、コンサートを鑑賞しました。
3度目のステファン・グラッペリのコンサートでした。

コンサート終了後、せっかく日本から来たんだからと気合を入れ、フェンスをよじ登り、バックヤードに突入しました。

そして、野外イベント用のプレハブの楽屋の前でウロウロしていると、マネージャーのジョゼフさんが僕に気付いて中に入れてくれました。

こうして僕は、憧れの人との初対面を果たしたのですが、極度の緊張と、フランスに来てまだ一ヶ月弱で、ほとんどフランス語が話せなかったので、ニコニコして一緒に写真を撮ってもらうのが精一杯でした(笑)

「JAZZ IN MARCIAC」にて

 

●夢にまで見た初対面は、あまりにもあっけなく終わり、語学の必要性を痛感した僕は、その後、一生懸命語学学校に通い、フランス語の習得に励みました。

やがて語学学校が冬季休暇に入り、旅行でスペインのバルセロナを訪れた時、旧市街の街角で、偶然あかねと出会いました。1991年12月29日の事でした。

当時あかねは、京都の大学を休学して、フランス語習得のために、南フランス・モンペリエの大学に留学中で、同じく休暇でバルセロナを訪れていました。

同じ南フランスに住んでいる事や、僕の故郷・京都の大学に通っている事など共通項が多く、意気投合した二人は、やがて、ステファン・グラッペリが住んでいるに違いないパリに移り住む事にしました。


出会いから数ヶ月後、二人は住む家を探しにパリにやって来ました。

無事にアパルトマンを見つけ、南仏に戻るためモンパルナス駅までやって来たところ、残念ながら、TGV(フランスの新幹線)がストライキで止まっていました(フランスではよくある事です)。

仕方がないので、駅前のFNAC(本やCDを売っている店)で時間を潰していると、またまたステファン・グラッペリのコンサートのポスターが僕の目に飛び込んできました。

それは4日後にパリの郊外で行われるコンサートの物でした。
二人はすぐにチケットを取り、パリでの滞在を延ばし、コンサートに行く事にしました。

そして、コンサート終了後、またしても楽屋に突入!(笑)

すると今度は、マネージャーのジョゼフさんが僕の事を覚えていてくださり、グラッペリに紹介してくれました。 

2度目の対面でした。
僕は特訓したフランス語で一生懸命話しました。
あかねも助けてくれたので、今回は会話も随分とスムーズに進み、
「私達来月からパリに住むんです!」と伝えると、「パリに来たら連絡しなさい」と言って名刺をくださいました! 

こうして、僕はようやくステファン・グラッペリの連絡先を手に入れました。
やはり、グラッペリはパリに住んでいました。
そして、家はモンマルトル丘のふもとにありました。

バルセロナ旧市街

 

 

 

 

ステファン・グラッペリ宅

 

1992年春、二人はパリで暮らし始めました。

ある日、アパルトマンの近所を散歩していると、楽器屋のウィンドーに、一台の真っ赤なアコーディオンが置いてありました。
そのあまりの可愛さに、あかねの目は釘付けになりました。
それはボタン式アコーディオンというタイプの物で、鍵盤の代わりに、キラキラと光る綺麗なボタンがいっぱい付いていました。

当時、パリでは「PARIS MUSETTE」というCDがフランスの音楽賞を取り、アコーディオンのリバイバル・ブームのようなものが起きていました。
テレビを付けると、アコーディオンを持ったおじさんが演奏しているのをよく見かけました。

「MUSETTE」というのは今から100年ぐらい前の古い音楽なのですが、それにジャズなどの要素を取り入れて現代流にアレンジしたのが「PARIS MUSETTE」で、その中心的な楽器があかねが出会ったボタン式アコーディオンでした。

その日以来、あかねは寝ても覚めてもアコーディオンの事で頭がいっぱいになりました。
バイオリンとアコーディオンで演奏ができたらどんなに素敵な事でしょう!

そして遂に、1992年8月4、あかねは清水の舞台から飛び降りるような気持ちでその楽器を購入します。
今思うと、それがSIESTA結成の日でした。

アコーディオンを買った日

 

●同じ頃、僕は、ステファン・グラッペリに全身全霊を込めて長い手紙を書きました。
日本で初めてグラッペリを聴いて感動した事、お金を貯めてフランスにやって来た事、マルシアックでの初対面の事、パリでのコンサートの事など、フランス語で便箋6枚にも及ぶ、それはそれは暑苦しいラブ・レターの様な手紙でした。

あまりに気合いを入れて書いたため、投函後、体調を崩して3日間寝込んでしまう程でした(笑) 

そして、手紙を出してから一週間がたったある日、アパルトマンに一本の電話がかかって来ました。
電話に出ると、電話の相手は、なんとステファン・グラッペリでした。

「今、演奏旅行から帰って来て、君の手紙を読んだよ。またすぐカンヌまで行くんだけど、水曜日には帰るから、よかったら木曜日に僕の家に来ないか?」 そう言って、グラッペリは二人を自宅に招待してくれたのでした。

そして遂に、8月27日、二人はステファン・グラッペリのご自宅を訪問しました。


約2時間ほど楽しくお話しをさせていただき、帰ろうとした時、 グラッペリが「そう言えば、11月に日本に行くよ」と言いました。

「えっ?もう日本には来ないんじゃ。。。?」と思いながら、翌月には帰国する事が決まっていた二人は、日本での再会を約束して、グラッペリ家を後にしました。


結局、その後、ステファン・グラッペリは3回来日しました(笑)

そして、89歳で亡くなられるまでの約5年間、来日された時はもちろんのこと、我々がフランスに行った時にお会いしたりと、大変仲良くしていただきました。

マネージャーのジョゼフさんとは、今でも親交があります。
詳しい話は、「高橋青年のステファン・グラッペリ物語」としてまとめてあるので、そちらも是非お読みくださいませ。

ステファン・グラッペリ宅にて

 

1992年秋、約一年半のフランス滞在を終え京都に戻った僕の周りでは、
「すごい先生の所で修行して、アコーディオニストを連れて帰って来た」という間違った情報が飛び交っていました(笑)

「それなら、一回演奏してもらおう!」と演奏依頼が殺到しました。

あかねは依頼に応えるべく、泣きながら練習しました。
幸い、幼少時からずっとピアノを演奏をしていたので音楽の素養があり、楽器に慣れていくにつれて、どんどんと上達していきました。

そして、あかねの大学卒業を期に、上京して本格的に音楽活動を始める事にしました。
ユニット名は、二人が暮らした南ヨーロッパのゆったりしたライフ・スタイルを象徴する言葉「SIESTA」と名付けました。

やがて、我々がパリに住んでいた時に流行っていた「PARIS MUSETTE」が、数年遅れで日本にも上陸し、日本でもちょっとしたアコーディオン・ブームのような物が起こりました。
当時はまだボタン式アコーディオンを演奏する人も少なかった事もあり、たくさんの演奏する機会に恵まれました。

SIESTA結成当時

 

●こうして始まったSIESTAの演奏活動ですが、パリであかねがアコーディオンを買った時は、まさかその後プロになって、30年経った今でも演奏している事になるなんて夢にも思いませんでした。人生って不思議ですね。

30年間、「空間と音楽」をコンセプトに、本当に様々な生活空間で演奏してきましたが、やはり「パリの街角」の雰囲気を演出するような仕事が多かったです。

フレンチ・レストランでの結婚式では星の数ほど演奏しましたし、日本各地のイベントにも数多く呼んでいただきました。

東京湾を巡るレストラン・シップ「ヴァンテアン・クルーズ」には10年ぐらい、西新宿のホテル「パークハイアット東京」には5年ぐらい出演していました。

そして、パリの老舗カフェ「ドゥ・マゴ・パリ」の日本直営店で毎夏行われる「Bunkamura ドゥ マゴ パリ祭」には、2007年から15年間出演させていただき、約400ステージ、延べ3000曲以上を演奏してきました。

そうこうしている内に、あっという間に30年が経ちました。
今や、日本の「パリの街角」界では、すっかり第一人者になったのではないでしょうか?

果たして、そんなジャンルがあるかは知りませんが。。。(笑)

「Bunkamura ドゥ マゴ パリ祭」

 

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●我々は物を作る事が好きで、演奏活動のかたわら、時間があると色々な物を作って遊んでいました。

あかねは小さな頃から手芸が得意で、よくちまちまと何かを作っていました。 たいていはあかねの頭から生み出される、ちょっと不思議なキャラクターの人形でした。

僕はやはり、音楽を作る事が多かったです。

ヤン・ティエルセン、パスカル・コムラード、カルロス・ダレッシオなど、多重録音を駆使した音楽に強く影響を受けた事もあり、カセットMTRやハードディスク・レコーダーなどを使って音楽を作る、いわゆる「宅録」という事をやっていました。(今はMacでProToolsですが)

あかね初期の作品

 

2007年、SIESTAの結成15周年記念に「ス・ネ・パ・グラーヴ」というオリジナル曲だけを集めたCDを発表しました。

そして、そのCDを売るためにプロモーション・ビデオを作る事になり、「ス・ネ・パ・グラーヴ」のオリジナル曲と、あかねの人形でコマ撮りアニメーションを作り、当時誕生したばかりの「YouTube」にUPして遊んでいました。

そんな中、演奏で山陰地方に行く機会がありました。
「ス・ネ・パ・グラーヴ」のプロモーションを兼ねていたので、コンサートではオリジナル曲をたくさん演奏したのですが、誰も聴いた事の無いはずのオリジナル曲を既に「YouTube」で知っている人がたくさん居て、CDだけじゃなく一緒に持って行った人形まで飛ぶように売れました。
とても面白い体験でした。
何か新しい音楽表現の形を見たような気がしました。

そんな事もあり、どんどんコマ撮りアニメーションの制作に没頭していきました。

「ス・ネ・パ・グラーヴ」

 

●やがて2010年に発表した「ブーシュカのおにぎり屋」という作品が、その年の「YouTube ビデオ・アワード」にノミネートされるという快挙(?)が起こりました。

そしてその後、信じられない事に、その作品を見た方からテレビCMの制作依頼が来たのです。
クレラップでおにぎりを握ろうというCMで、全国で流れたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか?

その後、コマ撮りアニメーションの制作を依頼していただく機会が増えたので、「ATELIER SIESTA」という名前で本格的に活動を始めました。

オリジナル音楽とオリジナル人形で生み出されるコマ撮りアニメーション作品を、我々は「SIESTANIMATION」(シエスタニメーション)と名付けました。

そして、「ス・ネ・パ・グラーヴ」から15年が経ち、気が付けば、制作してきたコマ撮り作品は100本を超えています。

「ブーシュカのおにぎり屋」

 

●この度、SIESTA30周年の記念に、これまでシエスタニメーションのために制作してきた楽曲を集めたレコード「ATELIER SIESTA SONGBOOK」を制作する事にしました。(もちろんCDも・笑)

そして、ジャケットのデザインは、ここ10年ほどシエスタニメーションを制作させていただいてきた京都のブランド「SOU・SOU」さんのテキスタイル・デザイナー、脇阪克二さんにお願いしました。

とても可愛い作品に仕上がったので、もしレコード・プレイヤーが無くても、お部屋の飾りにいかがでしょうか?(笑)

他に、手ぬぐいや、レコードが入るエコバックなどの記念グッズも作りました。 この機会に是非お求めくださいませ。

「ATELIER SIESTA SONGBOOK」

 

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●最後に。我々は、横浜市郊外にある「CAFE SIESTA」というアトリエ兼カフェを拠点に活動しています。
閉店したバーを手作りでリニューアルしました。
1999年のオープンなので、もう23年目になります。

演奏のリハーサルをしたり、コンサートをしたりはもちろんの事、カフェの片隅にはミシンが置いてあり、あかねはそこで人形を作っています。

コマ撮りアニメーションも「CAFE SIESTA」で制作します。
作曲や録音、アニメーションの撮影・編集も行います。

そして、週末になると、それらを片付けてカフェとして営業しています。
演奏の仕事で出かけている時は閉まっているので、あまり開いてないカフェですが。。。(笑)


「CAFE SIESTA」には、我々が影響を受けた数々の音楽家のレコードやCDがたくさん置いてあります。
本や写真集、マンガなどもたくさんあります。

そんな「人類の叡智」とも言える作品達からたくさんの事を吸収して産み出された我々の作品が、少しでも「人類の叡智」を前に進める力になればと、心の底から願っています。

機会があれば、是非一度ご来店くださいませ。
かなりゆったりとした時間が過ごせますよ。
ただし、いらっしゃる時は必ず、H.P.でスケジュールをチェックしてくださいね。
あまり開いてない店なので。。。(笑)

2022年秋
SIESTA Jun et Akane

「CAFE SIESTA」