高橋青年のステファン・グラッペリ物語

9「グラッペリへの手紙」


シエスタ結成当時 1992年8月 PARIS

 1992年8月、高橋青年は焦っていました。
 気が付けば、フランスでの生活も既に一年以上が経過し、日本で貯めた滞在費が残りあと僅かになっていたからです。
 どう計算してみても、フランスには、あと2ヶ月ぐらいしか居れませんでした。

 当初の目的通り、なんとかステファン・グラッペリに会う事はできたのですが、コンサート終了後の楽屋で2回会っただけで、とても満足いくものではありませんでした。
 「このままで日本に帰る訳にはいかない」と思った高橋青年は、最後の願いを込めて、ステファン・グラッペリに手紙を書く事にしました。

 高橋青年は、全身全霊を込めて書きました。
 日本で初めてグラッペリを聴いて感動した事、お金を貯めてフランスにやって来た事、マルシアックでの初対面の事、パリでのコンサートの事、モントルー・ジャズ・フェスティバルの事など、フランス語で便箋6枚にも及ぶ、それはそれは暑苦しいラブ・レターの様な手紙でした。
 あまりに気合いを入れて書いたため、投函後、高橋青年は体調を崩して3日間寝込んでしまう程でした。

 そして、手紙を出してから一週間がたったある日、高橋青年のアパルトマンに一本の電話がかかって来ました。
 高橋青年が電話に出ると、電話の相手は、なんとステファン・グラッペリでした。

 「今、演奏旅行から帰って来て、君の手紙を読んだよ。またすぐカンヌまで行くんだけど、水曜日には帰るから、よかったら木曜日に僕の家に来ないか?」
 そう言って、グラッペリは高橋青年を家に招待してくれたのでした。
 高橋青年は、涙が出る程感動しました。

 そして遂に、8月27日午後5時半、高橋青年と山口あかねは、夢にまで見たステファン・グラッペリのアパルトマンを訪問したのでした。

つづく

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