高橋青年のステファン・グラッペリ物語

14「さよならグラッペリ」

 翌年の6月、グラッペリは5度目の来日をしました。
 足がかなり悪いようで、ステージは、車椅子に乗ったままでの演奏でした。

 その日、コンサートを聴きながら、高橋青年は何度も涙を流しました。
 グラッペリが、そのまま消えて無くなりそうな気がしました。
 演奏を聴いているというよりは、エネルギーを浴びているという感じのする、不思議なコンサートでした。

 コンサート終了後の楽屋で、高橋青年と山口あかねは、少しだけグラッペリと話をすることができました。
 そしてそれが、グラッペリとの最後の別れになりました。

 ステファン・グラッペリは、次の年(1997年)の12月1日、89歳でその生涯を閉じました。

 さよならグラッペリ。

 あとがき

 遠く地球の裏側の老人が演奏した音楽が、CDやレコードという形になって国境を越え、違う国の若者に生きるエネルギーを与える。
 それって、本当に素晴らしい事だと思います。
 そして、自分も音楽を演奏する者のひとりとして、そういったエネルギーを何らかの形で伝えていきたいと思います。
 ステファン・グラッペリという素晴らしい人物と、少しでも同じ時代を生きれた事、そして幸運にも直接会って、その人格にふれる事ができた事に感謝します。
 ありがとうグラッペリ。
 僕も頑張ります。

 最後に、グラッペリが4度目の来日をした時のエピソードを少しだけ、、、

 コンサート終了後の楽屋に、バイオリンを持った一人の男性が現われ、グラッペリに「弟子にして欲しい」と言いました。
 それは、ずっと僕が言いたかった言葉であり、どうしても言い出せなかった言葉でもありました。
 すると、マネージャーのジョゼフさんが、その男性に言いました。
 「グラッペリはこれまでに、一人の師匠も居なければ、一人の弟子も居ません。コンサートこそが彼のレッスンなのです。学びたければコンサートに来て下さい。そこに彼の全てがあります。」
 それを聴いて僕は思いました。

 「という事は、もしかして、グラッペリのレッスンを一番多く受けた日本人は俺かな?」

2005年7月20日

シエスタ 高橋じゅん

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