翌年の6月、グラッペリは5度目の来日をしました。
足がかなり悪いようで、ステージは、車椅子に乗ったままでの演奏でした。その日、コンサートを聴きながら、高橋青年は何度も涙を流しました。
グラッペリが、そのまま消えて無くなりそうな気がしました。
演奏を聴いているというよりは、エネルギーを浴びているという感じのする、不思議なコンサートでした。コンサート終了後の楽屋で、高橋青年と山口あかねは、少しだけグラッペリと話をすることができました。
そしてそれが、グラッペリとの最後の別れになりました。ステファン・グラッペリは、次の年(1997年)の12月1日、89歳でその生涯を閉じました。
さよならグラッペリ。
完 あとがき
遠く地球の裏側の老人が演奏した音楽が、CDやレコードという形になって国境を越え、違う国の若者に生きるエネルギーを与える。
それって、本当に素晴らしい事だと思います。
そして、自分も音楽を演奏する者のひとりとして、そういったエネルギーを何らかの形で伝えていきたいと思います。
ステファン・グラッペリという素晴らしい人物と、少しでも同じ時代を生きれた事、そして幸運にも直接会って、その人格にふれる事ができた事に感謝します。
ありがとうグラッペリ。
僕も頑張ります。最後に、グラッペリが4度目の来日をした時のエピソードを少しだけ、、、
コンサート終了後の楽屋に、バイオリンを持った一人の男性が現われ、グラッペリに「弟子にして欲しい」と言いました。
それは、ずっと僕が言いたかった言葉であり、どうしても言い出せなかった言葉でもありました。
すると、マネージャーのジョゼフさんが、その男性に言いました。
「グラッペリはこれまでに、一人の師匠も居なければ、一人の弟子も居ません。コンサートこそが彼のレッスンなのです。学びたければコンサートに来て下さい。そこに彼の全てがあります。」
それを聴いて僕は思いました。「という事は、もしかして、グラッペリのレッスンを一番多く受けた日本人は俺かな?」
2005年7月20日
シエスタ 高橋じゅん