高橋青年のステファン・グラッペリ物語

3「マルシアック・ジャズ・フェスティバル」

 勢いにまかせて、はるばるフランスまでやって来た高橋青年でしたが、ステファン・グラッペリがどこに住んでいるかも分かりません。
 そこで取り敢えず、知人を頼って南フランスのトゥールーズという街に住み、フランス語の勉強をする事にしました。

 語学学校に通い始めてしばらくして、高橋青年は街角のポスターに「ステファン・グラッペリ」の名前を発見しました。
 それは「マルシアック・ジャズ・フェスティバル」という、トゥールーズ近郊の山の中で行われる、ジャズ・フェスティバルのポスターでした。

 「これは行くしかないでしょう!」と地図で調べてみましたが、マルシアックは電車も走って無いような、とんでもない山の中でした。
 それでも、高橋青年はあきらめず、バスに乗ったり、ヒッチハイクをしたりして、なんとか現地に辿り着きました。

 そして、感動のうちに、コンサートは終了。
 でも、日本からはるばるやって来て、このまま黙って帰る訳にはいきません。
 そこで、高橋青年は勇気を出して、冊を乗り越え、楽屋へと向かいました。

 ドキドキしながら、どんどん進んで行くと、プレハブの小屋があり、その中にコンサートが終了したばかりのステファン・グラッペリが座っていました。
 「うわー、グラッペリだ!!」
 すぐそこに高橋青年の憧れの人がいました。

 その時、奇跡が起こりました!
 小屋の前でうろうろしていた高橋青年を、何故か、マネージャーの人が中に入れてくれたのです!
 そして、すごく緊張していた高橋青年をグラッペリの隣に座らせ、肩に手を乗せて、一緒に写真を撮らせてくれました。


1991年、8月16日、マルシアックにて

 でも、あまりの緊張と語学力の無さで、高橋青年は殆ど話す事ができず、「日本から来た」というのが精一杯でした。(カッコわるー)
 そして、夢の様な初めての出合いは一瞬で終わり、グラッペリ一行は車で帰って行きました。

 その日以来、語学の必要性を痛感した高橋青年は、フランス語の勉強に明け暮れ、グラッペリとの再会を決意したのでした。

つづく

がらくた箱に戻る