高橋青年のステファン・グラッペリ物語

11「帰国」

 感動のグラッペリ家訪問から3週間後、高橋青年は約1年半のフランス滞在を終え、無事帰国しました。

 京都に戻った高橋青年の周囲では、メチャクチャな噂が飛び交っていました。
 「なんか、フランスのすごい先生の所で修行して来たみたいやで。しかもアコーディオン奏者の彼女を連れて帰って来てるらしいで!」
 「それなら、一回演奏してもらおう!」

 そんな感じで、高橋青年の元には、演奏依頼が殺到しました。
 アコーディオンを買ったばかりで、まだまともに演奏ができなかった山口あかねは、死ぬ気で練習しました。
 シエスタの記念すべき最初の仕事は「ボジョレー・ヌーボー」の解禁パーティーでの演奏でした。

 1992年11月、モンマルトルでの約束通り、ステファン・グラッペリは日本にやって来ました。
 3度目の来日でした。
 高橋青年と山口あかねはコンサートに行きました。
 楽屋では、グラッペリが、二人の写真を机の上に並べて、待っていてくれました。
 感動の再会でした。


3度目の来日 1992年11月

 そして、帰国から半年後の1993年4月、二人は上京し、東京で本格的に音楽活動を始めることにしました。

つづく

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