1989年5月20日、ステファン・グラッペリは、本当に日本にやって来ました。
81歳の初来日です。高橋青年はもちろん、コンサートに行きました。
席は、前から4列目。
すぐそこで、夢にまで見た憧れの人が演奏していました。コンサートの前半は、バイオリン、ギター、ベースのトリオでの演奏。
後半は、「ヤング・ジャンゴ」にも参加していたギタリスト、ラリー・コリエルが加わり4名に。それはそれは素晴らしいコンサートでした。
高橋青年は、頭をハンマーで叩かれた様な強い衝撃を受け、コンサート終了後も、しばらく席から立ち上がれませんでした。翌年、ステファン・グラッペリは再び日本にやって来ました。
二度目の来日は、フランスのジャズ・アコーディオニスト、マルセル・アゾーラがゲストでした。
この時の模様は「Stephane Grappelli in Tokyo」として、CD化されています。(上の写真)二度の来日公演を目の当りにして、頭の中がステファン・グラッペリ一色になっていた高橋青年でしたが、ある時、雑誌を読んでいて、とても残念な記事を発見し愕然としました。
それは「ステファン・グラッペリは高齢のため、今後の公演はヨーロッパのみで行う」という物でした。「もう、日本に居ても、グラッペリには会えないのか。」
そう思うと、いてもたっても居られなくなった高橋青年は、ある決断をしました。
「よし、それならフランスへ行ってやる!」その日以来、高橋青年はお金を貯めるため、アルバイトに明け暮れました。
一生懸命働いて、なんとか一年分の滞在費と渡航費を貯め、どうにか大学も卒業。
そして遂に、1991年6月、ステファン・グラッペリの待つフランスに旅立ったのでした。(アホちゃうか)つづく