1991年12月29日、スペインのバルセロナにやって来た高橋青年は、市内を観光していました。
ガウディのサグラダ・ファミリアに行き、ピカソ美術館を見学した後、ぶらぶらと旧市街を散策していると、広場で偶然、一人の日本人女性と出会いました。(ナンパか?)
それが山口あかねとの出会いでした。
下の写真は、山口あかねと一緒に居た人が写した、出会いの瞬間の写真です!
高橋青年は最初、山口あかねは日本からの観光客だと思っていました。
ところが話をしているうちに、実は山口あかねもフランスに留学中で、モンペリエというトゥールーズから程近い街に住んでいる事が判りました。
しかも、山口あかねは、高橋青年の故郷である京都の大学を休学中である事が判り、二人は大いに盛り上がりました。意気投合した二人は、2週間後、一緒に旅行に出かけました。(ん?展開が早すぎないか?)
それは、スペイン、ポルトガル、南フランス、北イタリアを回る、40日の大旅行でした。
マドリードでは高橋青年が黒人に襲われて2針縫う怪我をするなど、数々のエピソードがありました。
そして旅行の最後に、二人はパリにやって来ました。パリの街を歩きながら、高橋青年は思いました。
「この街のどこかに、グラッペリが住んでいる。フランス語も少し解るようになったので、そろそろパリに住んでチャンスをうかがってみたい。」
その事を山口あかねに話すと「私もパリでフランス語の勉強がしてみたい。」ということになり、二人はパリで暮らす事にしました。(マジかよ)3月の終わり頃、二人は部屋をさがすため、再びパリにやって来ました。
15区のカンブロンヌという所に無事アパルトマンを見つけ、帰りのTGV(フランスの新幹線)に乗るために駅まで来てみると、なんとストライキで電車が止まっていました。
仕方なく駅前のFNAC(巨大なCDショップ)で時間を潰していると、突然、高橋青年の目に、ステファン・グラッペリのポスターが飛び込んで来ました。
それは4日後に、パリで行われるコンサートの物でした。急遽、二人は滞在を伸ばし、コンサートに行く事にしました。