「国旗国歌法」が平成11年8月9日参議院本会議で可決され、13日に公布・施行となった。
今までも何度となく取り組まれ議論された問題であるが、「帝国主義の象徴、軍国主義の再来」等と訳の分からない輩の妨害により有耶無耶にされて来た。
しかし今年に入り広島県の学校長自殺や、埼玉県での卒業式騒動等、ショッキングな事件が表面化した事により、有識者の努力にも拍車が掛かり、反対派の輩も真剣に考え直さなければならなくなった結果と言える。
そもそも国旗・国歌とは何であろうか?
国旗の歴史
国旗とは国の印でもあり、象徴でもあることは勿論であるが、民族の伝統、建国の由来等が表され、その国の目的・理想・思想等を表すものである。
日本では、文武天皇元年(697)正月の儀式に当たって、大極殿の前に掲げられた事が初めて記録に記されている。
皇室で日章旗(日の丸)が重んじられたのは、皇祖神である天照御大神がその御神徳(寛大・温和・公平無私・広大無辺)から「太陽神」と崇められたからだと考えられる。
その後、平安末期源平の頃になると武士が台頭し、盛んに日の丸の扇等を使用した。
那須与一が射落とした扇も日の丸であったらしい。
南北朝時代には、後醍醐天皇が武将に日の丸を下賜された記録もある。この頃より、紅い日の丸が使用された様だ。
※ 以前は様々な図柄や色が使われたため、日の丸と日章旗(紅い日の丸)を区分している。
秀吉は朝鮮半島出兵の折、船に日の丸を掲げたとも言われている。
江戸時代なると、幕府が船に日の丸を使用した。1854年7月11日、日米和親条約締結の折、徳川斉昭・島津斉彬等の提案により国旗として日章旗が「日本総船印」と決定した。
※この後は日章旗(紅い日の丸)のみとなる
また1861年に作られた「官許新刊輿地全図」(世界地図)には、各国の国旗や王室旗や軍隊旗等が並べられており、「日章旗」の上に、「大日本国旗」と書かれている。
正式に色・寸法等を含む国旗が制定されたのは、明治3年1月27日の太政官布告57号によってである。この事により以後、「日章旗」は国内外でも日本の国旗だと認識されてきた。
君が代について
国歌「君が代」の原形は、延喜5年(905)醍醐天皇の勅令により、編集された「古今和歌集」の中に詠み人知らずとして
我が君は 千代に八千代に 細れ石の
巌となりて 苔のむすまで
とある。
この「我が君」が「君が代」へ変化したのは諸説有るが、何れも「天皇」の弥栄、延いては国家国民の発展を祈念する歌と解釈される。また薩摩藩に伝わる、「蓬莱山」という薩摩琵琶歌の中に
「・・君が代は千代に八千代に細れ石の
巌となりて苔のむすまで命ながらへ・・」
とある。
これは薩摩藩だけには留まらず、琵琶法師によって、全国に伝えられたと考えられる。
明治3年旧薩摩藩士によって、この歌詞が提案され英国人の作曲によって、最初の君が代が演奏された。その後、明治13年現在の「君が代」が完成した。
日本の国体をあらわす国旗と国歌
現在でも天皇制反対を唱える輩がいるが、「天皇」は日本国憲法第一条で定められた国民の象徴である。
日本の天皇陛下は、諸外国の国王や王室と違い、神武天皇以来125代万世一系のスメラミコトとして、国をそして国民を御お護りいただいている。
その「天皇」が一番にお望みになられる事は、「御世の泰平」つまり「国民一人一人が健康で、我が国の末永い繁栄と、世界の平和」である。
その大御心を体現したものが、国旗・国歌である。
全国の神社では、境内に国旗を掲げ、大神様の御守護の元、日々国家の隆昌と皇室の安泰、国民の弥栄、世界平和を祈念している。その最も崇高な司祭者が天皇陛下であらせられる。
大東亜戦争敗戦後、昭和陛下は、自分の御身をお捨てになる御覚悟で、日本を連合国からお護り下さった。
また、全国津々浦々まで御巡幸を遊ばされ、我々国民を励まし先頭になってお導きを戴いた。
昭和21年の御製
「戦の わざはいうけし 国民(くにたみ)を
おもうこころに いでたちてきぬ」
「わざはいを わすれてわれを 出むかふる
民の心を うれしとぞ思ふ」
その日本は見事に再生し、世界に誇る経済大国へと成長した。
しかし様々な大切な物を置き忘れてしまった。
今一度この機会に人間らしさ、日本人らしさを考え、素晴らしい国家で有りたい。
『祝日には国旗を掲げ、国歌を斉唱しましょう』
