運命の風吹き抜けるその日に 

 
金の髪の女王候補、アンジェリーク。紫の髪の女王候補、ロザリア。
2人の少女の、宇宙の女王になる試験がこの度、飛空都市にて行われ
アンジェリークが156代女王に決定した。
アンジェリークはロザリアを補佐官に指名し、新しい宇宙の風が吹き始めた。
 
 
新女王として即位し、ようやく宇宙の安定に采配を振るうことにも、女王としてのサクリアを司る事にも慣れた頃。
アンジェリークはひとり、物思いにふけってテラスに佇んでいた。
 
テラスには涼やかな風が涼を運び、日差しの眩しい昼下がりのひとときを快適に演出していた。
―確か…初めて飛空都市に来たあの日も、こんな風に風が吹いていたっけ。
期待と、沢山の不安を抱えて踏み込んだ飛空都市。
そして、初めて出会ったあの人。
 
 
聖地からの使者に連れられて、常人には決して開かれる事のない、大きな扉をくぐる。
空気の香りからして違うような気がした。なにか、こう…涼やかな香り。
緑も空の青も、鮮やかで生き生きとしていた。
その景色の中を歩いていると、不安で一杯だった心がいつしか期待に満ちていたっけ。
そしてあっという間に宮殿の前に到着した。大きな大きな、立派な建物。
「女王陛下に謁見する。」
そう言われて、期待の中にもちょっぴり緊張が走ったっけ。
その時、もうひとりの女王候補、ロザリアに出会った。
 
 
沢山の出会いが自分を待っていた。
ロザリア、そして9人の守護聖。
 
 
 
飛空都市に来た日…試験が始まる前夜、不安でたまらずそっと部屋を抜け出した。
 
 
飛空都市にある公園は、昼間は賑わいを見せていたのにもかかわらず、夜はしんと静まり返っていた。
はじめて来た飛空都市の夜。そんな時に出歩くなんて、今考えてみれば随分と度胸のいい話だが
その時には、あの部屋でじっとしている事の方が自分には耐えがたかった。
ひとりで居れば、色々と考えてしまう。今後の人生を左右する、そんな時であるからこそ…。
見知らぬ飛空都市に、1秒でも早く慣れたくて。
 
静かだった。
大宇宙に満ちるあらゆる力が肌に触れるような気がする。
―これがサクリアなの?
そう感じながら、サクリアが染み透るような空気の中を歩く。
大きく深呼吸。これが飛空都市の…ここの匂い。
昼間案内してもらった記憶を頼りに、ゆっくりと公園の中へと進む。正面の噴水。奥にある女王陛下の像。
昼間、謁見の為に訪れた聖地。宮殿に向かう途中にあった庭園でちらりと見たものと、ここの公園はとてもよく似ていた。
噴水の水音が唯一、公園内の静けさに彩りを添えていたのだが、その水音が一瞬止まった時に…
どこからともなく、小さな歌声が聞こえてきた。
とても繊細で綺麗な声。
恐怖心は不思議と起こらなかった。その声があまりに優しかった所為かもしれない。
再び噴水の水音が歌声をかき消した。
―逢いたい。逢ってみたい。
今の声の主にひとめ逢ってみたくて、思わず公園の奥へと進む。
いささか急ぎ足で。
ふと視線が公園の奥まった所にあるドーム状の休息所に釘付けになった。
休息所の手すりにもたれて、こちらに背を向けて立っている人の姿が見える。
夜風に衣服の裾がそよそよとはためく。
―この人だ。
直感が自分に囁きかける。さっきの歌声は、きっとこの人のものだ。
自然に足がその人の方に向かっていた。
ようやく、かすかに歌声が聞こえる距離まで近づいた時、歌声は止んだ。
くるりと振り返ったその人は…昼間謁見の間で顔を合わせた、守護聖の内のひとりだった。
 
 
 
女王の装束をまとったアンジェリークは、そこまで記憶を思い巡らした所で、ホッと溜息をついた。
―あの時は…色んな可能性を持っていた。
 女王にならない結末だって、沢山抱えていた。
 別に、女王になりたくなかった訳じゃない。
 
 
 
中央の小島に大陸の民が建物を建てた。
アンジェリークの導いた大陸の民が。
自分の、女王としての即位がその時決まった。
即位の日の前夜。再びそっと部屋を抜け出して、公園に向かった。
沢山の想い出の場所。なかでも、やはり同じ様に夜に部屋を抜け出した、あの夜が鮮明に記憶に浮かび上がる。
その日も、あの夜と同じ風が吹いていた。
涼やかな、静かな空気。
噴水の向こうに人影を探す。あの時と同じ人を…
ドームの中には、願い通りに彼の人が居た。
あの時と同じ歌を歌っていた…
「リュミエール様。」
あの時と違うのは、彼の人の名前を自分が呼んだ事。
リュミエールはためらいがちに振り返った。
「…こんばんわ。アンジェリーク。」
リュミエールが差し出す手をとり、隣に並んで手すりにもたれる。
ここなら、月の輝きを思う存分浴びる事が出来る。
リュミエールは、それ以上何も言わなかった。
まるで初めて逢ったあの夜を反芻しているかのように。
アンジェリークも、黙って寄り添っていた。何か喋れば、きっと明日の自分は女王ではなくなってしまいそうだったから。
リュミエールの優しい歌声をずっと聞いていた。
白い朝が訪れるまで…
 
 
 
「…陛下。」
気遣うようなロザリアの声に、アンジェリークは我を取り戻した。
「ごめん、ロザリア。もう執務室に戻ります。」
元気のない自分を承知しているかのように、ロザリアは寄り添って歩いてくれる。
「今日はもういいですわ。そんな弱気な女王のサクリアは、宇宙では要らなくってよ。」
そういうと、ロザリアは悪戯っぽく笑ってアンジェリークの手を強く引っ張る。
「こちらですわ。突然の思いつきでジュリアスを説得するのは、大変だったんですからね。」
あれよあれよと言う間に、宮殿の中庭に連れ出されたアンジェリークは、そこに9人の守護聖が集っているのに驚いた。
普段は、女王は緊急の伝達等がない限りは守護聖と顔を合わすこともないのだ。
女王陛下の登場に、守護聖達は立ち上がり順番にご機嫌伺いをはじめる。
お返事を返しながら、アンジェリークはロザリアに、1番上座へと案内された。
「今日は、陛下ご招宴のお茶会です。みなさま、こころゆくまで陛下とのお喋りを楽しんで下さいね。」
なんの事かとドギマギするアンジェリークを尻目に、ロザリアはそう言うとアンジェリークに向かって楽しそうにウインクした。
視界の隅に水の守護聖の姿が見える。いつも、宮殿の最上階の自分の執務室から眺めるだけの彼の人の姿が間近に。
思わず、手に取ろうとしたフォークを取り落とす。
「陛下ったら〜。」
「あらあら、大丈夫ですかー。」
口々に自分に話しかける守護聖達の言葉を聞きながら、リュミエールの声がしない事に気がついたアンジェリークは、
フォークを拾ってもらった瞬間、そっとリュミエールに視線を走らせた。
目が合った瞬間。心配そうなリュミエールの表情が一瞬、笑顔に変わった。
 
“女王への即位が決まってから、アンジェリークは、その特徴とも言うべき元気をなくしてしまった。”
これは、ロザリアをはじめ、9人の守護聖の間で常に懸念されている事だった。
むろん、その身を削って9つのサクリアを調整し、自らもサクリアを使う女王の激務になれるまでは元気にしている場合ではない。
しかし、そろそろその職務にも慣れはじめた頃。
それなのに一向に元気な表情を見せないアンジェリークの様子に気がついたロザリアは、
女王の片腕としての職務の傍ら、陛下の様子を観察していた。
アンジェリークが、水の守護聖と親しい事は、女王候補時代からよく知っていた。
試験開始直後から親しくしていた事に、驚きと悔しさを感じたことも今では懐かしい思い出。
だけど、所詮相手は守護聖。試験の結果がどう転ぶとしても、結ばれる相手ではないと割りきっていたロザリアには、
アンジェリークの、水の守護聖に対するお熱の入れようには正直驚かされた。
9人の守護聖とまんべんなくお付き合い出来る事こそが女王の資質と疑わなかったロザリアにとって、
いつもリュミエールを最優先にするアンジェリークの態度は、不思議としか言えなかった。
もちろん、元気いっぱいのアンジェリークは誰とでも仲良く出来たので、育成には何の差支えもなかった。
そして…。
アンジェリークが女王に即位してしまった。
本人も驚いていた様だが、イチバン驚いたのはロザリアだった。
アンジェリークは、リュミエールと結ばれて聖地に残るものだと思っていたのに。
そうなれば女王である自分の補佐官には指名できないまでも、お茶のみ友達としてアンジェリークと一緒に居られる、と。
実際アンジェリークが女王になるなら、自分は立派な補佐官として2人で宇宙を支えて行く。それでもいいとロザリアは思った。
しかし、それだからこそ、今のしょんぼりアンジェリークでは困るのだ。
 
歓談の和やかな雰囲気に、久し振りにアンジェリークは笑顔を取り戻していた。
常に宇宙を支える女王の激務。こんなに和やかにみなと過ごす時間が存在していた事すらも忘れかけていた…。
そう。今、ここにはリュミエールが居る。
リュミエールがこちらを見ている事に気が付いたアンジェリークは、そっと席を立って中庭の片隅にある木陰に行く。
案の定、リュミエールはそっと後に従って来た。
暗黙の了解。他の誰も、それを邪魔しようとはしなかった。
くるりと振り返ると、リュミエールがほんの傍まで来ていた。一瞬眩しくて視線がさまよう。
「アンジェリーク。」
優しい声音で。本当に久し振りに名前を呼ばれた気がした。
「リュミエール様。」
そっと、愛しい人のケープに手を触れた。
2人の時間は、彼女の女王候補時代に遡っていた。アンジェリークには今、そんな時間が必要だった。
それを、リュミエールは痛いほど承知していた。
優しい歌がアンジェリークを包む。他の誰にも聞こえないように、リュミエールは小さく想い出の歌を口ずさむ。
アンジェリークは、リュミエールのケープに顔を埋めて泣いた。
小さな肩をそっと抱きしめたくて、でもほんの少しの躊躇がリュミエールの手を止めさせた。
あの夜、何も言わなかった自分に、今彼女を抱き止める権利はないのだから…
 
「わたくしは、いつでもあなたの傍にいるじゃありませんか。何を悲しんでいるのです。」
泣き続ける自分の耳元に、優しい声が囁く。
そっと顔を上げてリュミエールを見つめる。優しい瞳。悲しげに曇って見えるのは、恐らく自分の涙の所為だろう。
「水のサクリアは、毎夜女王陛下の元へ届けられています。わたくしの忠誠も、女王陛下に永遠に捧げられています。
 わたくしの…この心までもが、あなたに何時でも語りかけているのです。」
「わたしは…わたしは…。」
アンジェリークが途切れ途切れに何か言おうとした、その唇を、リュミエールはそっと人差し指で塞いだ。
「…わたくしの手紙の精霊を、女王陛下の膝元へ遣わす無礼をお許し戴けますか?」
胸の鼓動が高鳴る。痛くて、心臓が張り裂けてしまいそう。
女王陛下は、その全ての伝達を、複数の守護聖に対し謁見の間で直接伝えるか、補佐官を通して伝えるものとされている。
例え守護聖と言えど、女王陛下と個人的に連絡を取り合う事はご法度とされていた。
リュミエールの今の発言が、だから何を意味しているのかアンジェリークにはよく判った。
「はい。」
涙で濡れたままの瞳が嬉しそうに微笑む。アンジェリークは大きく頷いてから涙をぬぐった。
「では、行きましょうか。」
2人は、今日から始まる二人だけの秘密を抱えて、みなの待つお茶会の場へと戻って行った。
 
 
 
 
NEXT   -comming soon-