忠誠の指輪11

01.12.16



 時空を超えたオスカーの呼びかけは、あやまたずジュリアスに届いた。
(そうだ、宇宙のために。)
 大切な人を犠牲にし。
 たった一人の友と決別し。
 今また、恋を失おうとも。
(かけがえのない、この宇宙のために。)
 私は、自分の時代に戻らなければならないのだ――ジュリアスは心を決めて、
 声のする方へ向き直った。
 時空の門に向かって進むジュリアスに、守護聖たちが走り寄ってくる。
「行くのか、ジュリアス。」
「はい。」
 皆さま、どうかお元気で。そう言うと、ジュリアスは光の守護聖の威厳に
 満ちた足取りで、そのまま時空の門の向こうへ去って行こうとした。
「ジュリアス、私たちの愛し子。」
 駆け寄ってきた水の守護聖スユが、そのままジュリアスの首に腕を回して
 引き寄せた。不意を突かれたジュリアスを、スユはそのまま胸元で抱きしめる。
「元気で、どうか元気で。あなたの行く手に幸多からんことを。」
「スユ様…。」
 大股で近づいてきた緑の守護聖イェシルが、スユとジュリアスの両方の肩を
 腕を大きく広げて抱きかかえた。
「俺たちは、みんなお前のことを愛しているよ、ジュリアス。」
「どうして…?
 私は、お二人にあのようなことをしたのですよ?」
 驚いたジュリアスを見て、スユとイェシルは顔を見合わせ苦笑した。
「だからなんだと言うんだ? お前は正しいことをしたんだろう?」
「私はあなたのことを誇りに思いますよ、ジュリアス。
 よくここまで成長してくれました。」
 半分笑い、半分泣きながら、水の守護聖は見上げるような姿勢で
 ジュリアスを頬ずりする。
「スユ様…イェシル様…。」
「お前が、誤解したまま行ってしまうのは、困る。」
 後ろで、口べたな鋼の守護聖デミルが言葉をつまらせながら言う。
「忘れるなよ。この先何があろうと、俺たちはお前のことを大切に思っている。
 ここにいないアテシュやリューヤもみんな、な。」
「女王陛下と神鳥の祝福を、ジュリアス。」


 守護聖たちに見送られて、ジュリアスは時空の門の中に一歩足を踏み入れた。
 その時、地の守護聖トプラキがジュリアスの手を取った。
「リュズギャルが命がけで守った宇宙をどうか守って下さい、ジュリアス。
 宇宙の行く末をあなたに託します。」
 トプラキは、顔を歪めて頼み込んだ。
 ジュリアスは、かけがえのない対の存在を失った地の守護聖の手を強く握り返した。
「確かに。」
 その一言がどれほどの意味を持つか。そこにいるすべての守護聖が分かっていた。
 ジュリアスはトプラキの手を離し、自分のいた痕跡を拭い去るように
 ゆっくりと手を振った。
「さようなら、皆さま。」
(お別れです、セラフィン様…!)


 ジュリアスは、時空を貫く光を頼りに一気に時を駆け抜けた。
(我々のもとへお戻り下さい、ジュリアス様。)
 オスカーの呼びかける声が、次第に大きくなっていく。
 軽い衝撃を感じた刹那、彼は自分がとある時空の門にたどり着いたことに気が付いた。
 首座の帰還を出迎えるようにオスカーが手を差し伸べている。
 ジュリアスは、誘われるまま彼に手を差し出した。
 オスカーはジュリアスの手を取ると、虚空に浮かぶ彼をぐっと引き寄せた。


 ジュリアスはオスカーの手に導かれ、時空の門にふわりと着地した。
 床に足をつけるが早いか、ジュリアスの身体は再び重みを取り戻し、
 たなびいていた黄金色の髪、純白の正装もふぁさっという音を立てて元に戻った。
「状況はどうなっている?」
 ありふれた視察から帰ってきたかのごとく、ジュリアスは尋ねた。
「特に大きな問題は起きていません。」
 オスカーもまた、日常の執務をこなしている時のように答えた。
「ただ、光のサクリアに対する需要が全般的に増大しています。」
「資料を、ここに。」
「疲れてはいませんか、ジュリアス?」
 古びた書類挟みを差し出しながら、ルヴァがジュリアスに尋ねる。
「いや、大したことはない。」
 ジュリアスは、ルヴァから受け取った革製の書類挟みを何気なく開こうとし、
 ふと気付いて改めて見つめ直した。書類挟みの表に縫いつけられた紋章は、
 古び、かすれてよく見えなくなっているが、紛れもなく風の守護聖リュズギャルの
 紋章。ジュリアスは、自分にとっては見たばかりの光景を思い出した。
 あの時、リュズギャルは肩章を手ずから切り取ってトプラキに形見に与えた。
 おそらく、それをトプラキが後に縫い止めたものに違いない。
 宇宙とサクリアに関する案件には、リュズギャルの思い出の品が常に関わっていたのだ。
 だが、動揺は一瞬のことだけであった。
 ジュリアスは感傷を振り払い、報告書の内容を理解することに集中する。
 報告書を読み進めるつれ、彼の眉根はすっと寄っていった。
「これは、取り急ぎ対処せねばならぬな。」
 ジュリアスは衣の裾を翻して、仲間である守護聖たちを振り返った。
「皆に迷惑をかけたようで、済まなかった。留守中、ご苦労であった。」
 彼は、すでに完璧な首座の守護聖の顔に戻っていた。
 事後の処理は私が行うので、各自よく休養をとるように、とジュリアスは申し渡す。
 ざわっ、という不満の色を帯びた声が守護聖たちの間からあがり、
 なんとも言えない空気がそこに漂った。
「迷惑ってね、あんた。私たちが心配しなかったとでも、思っているわけ?」
 夢の守護聖が腰に手をあてて、ジュリアスを睨む。
「そうか。皆の気をわずらわせたことを遺憾に思う。」
 皆、よくやってくれた、と彼なりにねぎらいの言葉をかける光の守護聖。
「そうじゃなくて!」
 オリヴィエは苛立ったように声をあげた。
 見えないガラスの壁に阻まれたようもどかしさ、割り切れなさ。
 おそらく、ジュリアス以外の誰もが感じたそれに、だがジュリアスは
 気付かなかった。
 そして、この心のすれ違いをジュリアスの方では気にも留めていないのだ。
 雲行きがあやしくなる前にオスカーが、すかさず間に割って入る。
「いずれにせよ、ご無事でお戻りになられてよかった。」
「そうだな。」
 オスカーの言葉に、ジュリアスはようやく顔をほころばせた。
「そなたは、待っていてくれると思っていた。」
 ジュリアスの笑顔は、心からのものだった。
「今回の件で予定外の仕事まで回ってきたであろう。すまなかった。」
「いえ。大したことではありませんでした。」
 オスカーも笑顔を返したが、彼の笑顔は苦い物を含んで、どこか寂しげだった。
「我々がどれほどご帰還をお待ちしていたか、おわかりですか?」
 こんな突発事件でジュリアス様を失うはずがないと確信はしていましたが、
 とオスカーは言葉を続けた。
「必然だったのだ、この入れ替わりは。」
 ジュリアスは、オスカーに答えるともなくそう言った。


「それで、全部済まそうって気じゃねーだろうな。」
 噛みつくような声が背後からあがった。
 ジュリアスが振り向くと、そこには目を怒らせているゼフェルの顔があった。
「おめーは、いつもけじめ、けじめってうるせーくせに。
 なんでこんな時ばっか、うやむやにしちまうんだよ。」
 鋼の守護聖の、どこか途方にくれたようなふくれっ面。
「その口のきき方は何だ!
 あれだけご迷惑をかけておきながら、まだ言うか。」
 オスカーはゼフェルの方へずいと一歩踏みだしかけたが、
 ジュリアスはオスカーを制して言葉を続けた。
「これは、定められていたことなのだ。」
 ジュリアスは、刷毛で掃いたようなうっすらとした微笑みを浮かべた。
 以前オリヴィエが幼いジュリアスについて語ったとおり、
 「笑顔」に似ているがどこかそれとは違った表情。
「今ならば分かる。なぜ、私があの時代に飛ばされたのか。
 幼い私自身が願ったからだ。
『星々をすくうために、もっと力がほしい。』と。」
 時空の因果律は考えられているよりも確かに弱いが、
 時として時の流れすら変えてしまうほど強靱なのだ
 と言いさして、ジュリアスはルヴァに視線を向けて言葉を促した。
 ルヴァは、軽くうなずいて前へ進み出た。
「惑星セミラミスの時空の歪みは、ジュリアスの帰還と共に消滅しました。」
 ルヴァが、研究院から新たに上がってきた資料を掲げて見せた。
「これで、時空を巡る因果の輪は閉じたようです。」
 ジュリアスの顔に満足げな笑みが広がった。
「私はなすべきことをなし、こうして再び戻ってきた。」
 自分に責任のないことを、いたずらに気に病んでも始まらぬ。
 それよりは、守護聖らしく宇宙の摂理について考えてみるがよい。
 そう言って純白の衣を翻したジュリアスの姿は、まごう方なき守護聖の長であった。
 オスカーが、その後に続いた。


 オスカーとジュリアスは、肩を並べて歩き出した。
「それにしても、よくお戻りになられましたね。」
 さすがはジュリアス様です、と言葉を続けるオスカーに、
 ジュリアスは困ったような微苦笑を浮かべ、時空を超える体験をしたとはいえ
 それ自体は大したことではなかったのだ、とやや早口になって反論した。
「実を言うと、私をここまで導く光があったのだ。」
「ああ。では、おそらくこれのおかげでしょう。」
 オスカーは二つの指輪をジュリアスの前に取り出して見せた。
 オスカーの掌の中で寄り添っている「忠誠の指輪」と「友誼の指輪」。
 その瞬間、ジュリアスたちにかけられていた女王の封印が解けた。


 ジュリアスは立ち止まった。
 出し抜けに、奔流のように押し寄せてくる幼い頃の記憶。
 遠い日の思い出が、まるで昨日のごとく鮮やかにジュリアスの脳裏に蘇ってくる。
 過去の時代に帰還し、エストレ星域の状況が一通り収束したあと、幼いジュリアスは
 クラヴィスとともに女王セラフィンのもとに呼ばれた。
 ジュリアスのまぶたの裏に映る、幼い日の光景。
 あれは確か謁見の間――。
 女王セラフィンと、幼いクラヴィス、そしてジュリアスの三人がそこにいた。


(「陛下、私は見ました。私たちの宇宙がほろびかかっているところを。」
 過去へ戻ったジュリアスは、女王セラフィンの前に
 ひざまづき、自分の見たことを包み隠さず報告していた。
 彼の横には、クラヴィスが共にひざまづいていた。
「私は、最後の光の守護聖となるかもしれない。
 ですが、私はあきらめません。」
「そう。思った通り
 あなたは、これからとても重いものを背負うことになるのね。」
 女王セラフィンはうなずいた。
「だけど、どうしたらほろびの運命に勝てるのか。
 私には、わからないんです…。」
 途方にくれてうつむいてしまうジュリアス。
 幼いクラヴィスが心配そうに肩に手をかけて、彼の顔をのぞき込む。
 クラヴィスの闇のサクリアははぎとられたまま、まだ回復していなかった。
 当時の彼は、戻ってきたジュリアスになぜ闇のサクリアがそんなひどい状態に
 なっているのかについて、堅く口をつぐんでいた。
「それには、新しい女王が必要だわ。若く力に溢れた強い女王が。」
 幼いジュリアスの奏上を聞いたセラフィンは重々しく、だが即座に回答した。
「これは女王の勅命です。二人ともよく聞きなさい。」
 セラフィンは二つの指輪を取り出し、一つをジュリアスに、
 一つをクラヴィスに与えた。
「ジュール、あなたは、あなたの女王のため全力を尽くして。」
「クーリィ、あなたは、どこまでもジュールを支えていって。」
 はい。はい陛下、と返事をして、二人の幼い守護聖は女王から指輪を受け取った。
「ちかいます。僕は、どこまでもジュールと一緒です。」
 これから先、どんなに悲しいことがあっても、とクラヴィスは一生懸命に答えた。
 一方のジュリアスはひざまづいて、しっかりした口調で誓いを述べた。
「みことのり、確かにうけたまわりました。
 あらためて、女王陛下に終生、忠誠をおちかいいたします。」
 その時、女王セラフィンはやおら立ち上がり、十歳のジュリアスを抱きしめた。
「ジュリアス。あなたは時の先でもう一度私にめぐり逢うの…。」
 黄金の巻き毛がかかるほっそりした首筋に顔を埋め、セラフィンは震えていた。
「陛下? お泣きになっているのですか? どうして?」
「いいえ。なんでもないのよ、ジュリアス…。
 ただ、あなたのこれからを見守ってあげられないのが、つらくて。
 あなたを一人で送り出す私をどうか許して。」
 いつかこの指輪を見て、思い出して。
 セラフィンは、いつもあなたのことを思っていたと。)


 ああ、あれは幼い私に託された遙かな別れの言葉。
 二度と会えない恋人への伝言。


 セラフィン様は、おいでにならない。もう、どこにもおいでにならない。
(セラフィン様! セラフィン様! セラフィン様…っ!!!)
 ジュリアスは圧倒的な喪失感に襲われた。彼の胸に走った激しい痛み。
 嘆きのあまり息が詰まりそうだった。彼は顔を歪め、胸を押さえた。
 彼の動揺と共に、光のサクリアが大きく乱れた。
「どうなさいました、ジュリアス様?」


 それまで物陰に隠れるように立っていたクラヴィスが、すっと現れた。
「時空移動を行ったのだ。身体に負担もかかろう…。」
 キン、という高い金属音と共に、乱れた光のサクリアの波長が元通りになる。
 対となる闇のサクリアが光のサクリアをすかさず同調させたのだ。
「…そなたも、思い出したのか?」
「ああ…。」
 クラヴィスはうなずくと、そのままきびすを返して元の位置に戻り
 また暗がりに溶け込んでいった。
 ジュリアスは再び昂然と頭を上げ、オスカーから「忠誠の指輪」を受け取った。
 燦然と輝く指輪は、愛する人からの形見。
 愛よりも宇宙を選び取った、女王と守護聖の決断の証。
(あなたに宇宙と、未来と、そして私の心を託すわ。)
 天空の濃藍、黄金の象眼。ジュリアスをかたどったような「忠誠の指輪」。
 現世の愛を諦め、自分のすべてを、あますところなく宇宙に捧げるという
 決意を込めて、光の守護聖は「忠誠の指輪」を左の薬指にはめた。


 再び歩き出したジュリアスは、ふと思い出したようにゼフェルの方を振り返った。
「時間があれば、チェスの続きをやろうではないか、ゼフェル。
 今度は負けぬぞ。」
 そう言って、ジュリアスは鮮やかな笑みをみせた。
 ゼフェルがあっ、と叫ぶ間に、ジュリアスはそこを立ち去っていた。


 ジュリアスとオスカーは、長い廊下を歩き続けた。
「私は、そなたとの約束を果たしに戻ってきたのだ。」
 オスカーは、まっすぐな視線をジュリアスに返してきた。
「行くぞ、オスカー。我々がせねばならぬことは多い。
 これから、忙しくなるぞ。
 そなたと相談しなければならぬことは、山ほどある。」
 オスカーは、ジュリアスの言葉の言外の意味をただちに察した。
 炎の守護聖の氷青色の瞳が、ひときわ輝きを帯びる。
「ええ。宇宙のために。」
 オスカーから即座に返ってきた力強い返答。
「そうだ。宇宙のために。」
 宇宙を滅びの運命から救うために。
 ジュリアスとオスカーは、並んで歩き出した。
 宇宙の命運を背負い、遠く遙かな道を歩き続けるために。

(続)




「忠誠の指輪12」に進む


「忠誠の指輪10」に戻る


「書庫」に戻る