'94年に日本のインタビュー・マガジン「Cut」が行った、映画「エリザ」の撮影に入る前の、ニューヨークにいるヴァネッサとの電話によるインタビュー。

-まず、日本のツアーがキャンセルになったいきさつからお訊きしたいんですけど。というのも、あなたは日本ですごく人気がある上に、若い女の子の憧れとして一種偶像化されてしまった感があるんですよ。それだけに今回ライブでようやく生の姿が観られるとあって、みんな期待していたわけなんですが。
わたしもとっても残念だったわ。だってなんといってもこれがわたしにとっての最初のツアーだったし、他のメンバーもわたしとまわるのはこれが初めてだったんだもの。準備しているときからツアー・スケジュールがきつかったから、みんな健康管理には十分気をつかってたの。だけどいざツアーが始まってみると、やっぱりいろんなアクシデントがあったりしてリズムをキープするのがすごく難しくなってきたのね。それでも最初の頃はライブ自体新鮮で面白いし、メンバー全員エキサイトしていてなんとか調子を保ってたんだけど、だんだん疲れがたまってきて、そのうちツアーを続けたいと思っても体がいうことをきかなくなっていったわけ。わたしとしても本当に日本の観客の前に立ちたかったんだけど、このまま続けてたら体のほうがボロボロになっちゃうと思って、それでキャンセルせざるをえなくなったの。
-ビデオなどでライブの様子を観ると、本当にあなた自身いきいきとして、ライブを楽しんでるように見えますね。
そう見えた?本当に楽しかったわ!初めてのツアーっていうのもあるけど、ライブをやるってことはいわば自分のすべてを晒け出すことじゃない?わたしの場合、14歳でアルバムを出してから6年の間ライブをやりたいやりたいと思っていたのに、ずっと叶えることができなかったの。アルバムを買ってくれた人も、その間ずっとアルバムを聴いたりテレビを観てわたしの非現実的なイメージを作り上げたりするだけで、等身大のわたしを目にすることはできなかったわけでしょう?それが今回初めてツアーが実現して、ある瞬間なにか強いものをオーディエンスと分かちあうことができた。なにか自分のまわりを長いこと囲っていたバリアのようなものが一挙に解けたって感じだったの。
-日本でもあなたは、ゴージャスなシャネルのイメージ・モデルを始めとして、やたらミステリアスなグラビアの美少女的イメージばかりが先行してしまっているんですが。もともとはシンガーとしてキャリアを積んできているわけなんですよね。
そうなの。だってそもそも14歳でデビュー・アルバムを出したのがわたしのキャリアの出発点だったんだもの。それ以来、いつライブをやっても恥ずかしくないように、ずっとシンガーとしても努力してきたのよ。だからほんとうは、もっとそうした面でのわたし自身の姿を見てもらいたいのよね。
-今回のツアーで「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を取り上げてますが、これはあなた自身の提案なんですか。
ああ、あのミック・ジャガーの曲ね。そう、わたしの大好きな曲なの。星が目の前に広がっている野外の会場で、アンコールにこの曲をみんなと歌ったときはすごく感動したわ。
-あの曲はもともとミック・ジャガーがマリアンヌ・フェイスフルに捧げた歌ですが…。
えっ、誰?
-あのー、マリアンヌ・フェイスフル。
あら、そう
-彼女はあの曲でデビューしてから何十年たった今でもあれを歌い続けていますが、そうした彼女の生き方などに共鳴するものがあったのかな、と思ったのですが。
べつに彼女に特に感心があるわけじゃないの。魅力的だし、才能のあるシンガーだと思うけど。
-マリアンヌは、ミック・ジャガーに捧げられたあの曲によって一躍'60年代のポップ・アイドルとなったわけですよね。あなたの場合もレニー・クラヴィッツと出会い「ビー・マイ・ベイビー」を作ったことでシンガーとしてひと皮むけたという感じがするのですが。
(笑っているだけでなにも答えない)
-…あなたがレニー・クラヴィッツから受けた影響も相当なものですよね。
ええ(笑)、たしかにいろいろな影響を受けたわ。彼とはいい友達。いまもときどき会ったりするし。
-次のアルバムでも彼と組むという可能性は?
それはまだなにも決まってないわ。
-去年パリからニューヨークに移ったのは、アメリカのマーケットを対象にもっと積極的に仕事をしていこうという意思の表われだったんですか。
ううん、引っ越したのは仕事が理由じゃないの。まずニューヨークが世界中で一番好きな街だったから。ワイルドでテンションが高い所でしょ?もうひとつの理由はパリにいるのがとても息苦しくなったから。仕事を始めてから7年の間にものすごいスピードでいろんなことが起きて、自分がなんなのか考える時間がなかったし、自分を表現しているはずなのに、逆になにかに押し潰されそうになっているような気がしていたの。でもニューヨークに移ってアパートを借りてからは、パリにいた頃みたいにいつも誰かに付きまとわれたり、ドアのずっと鳴らされ続けたりしなくなった。ひとりでなんでもできて、散歩したり買い物したり、レストランに行ったりできるようになったのが楽しくてしかたないの。だからニューヨークに住んで、ときどき、そうね、2ヶ月に一遍ぐらいパリに戻って両親や友だちに会うぐらいがちょうどいいわ。そうやっていれば、パリのこともずっと好きでいられると思う。
-でもニューヨークだってあなたのことをじろじろ見たりする人はいるでしょう?
ええ、たまにね。でもなんか違うのよ。たぶんフランスにいると、わたしがあの国に属したみんなと100パーセント同じ人間でないと許されないのかもしれない。でもニューヨクだと、わたしに気づいても違う文化の国の人として、もっとクールにわたしのことを眺めてくれている気がするの。
-なるほど。ヨーロッパでは、以前から一貫して小悪魔的とか、ファム・ファタルといったあなたのイメージばかりが強調されていましたよね。フランスに住んでいるときはそういったレッテルを貼られていろいろな形でマスコミに取り上げられていましたが、自分ではどう思っていたんですか。
わたしのことをよく知りもしない人たちがあれこれあることないこと書き立てるわけだから、気分いいわけないわよね(笑)。でも、7年間ずっとそうだったからもう慣れたわ。わたしがやってるこの仕事では、個人的な生活っていうのはありえなくて、わたしの生活イコール他の人たちの生活なの。意味わかる?わたしの抱えてる感情や問題とかはすべて無視されて、とにかくみんなにプライベートも含めたすべてを要求されるわけ。そういった場合、自分を守る方法を自分で身につけていくしかないでしょう?でないと、いつも誰かが来てわたしの一部分をちょっとだけ持っていって、また別の誰かが来て今度は別の部分をを持っていこうとする。つねにそれに抵抗していかなくちゃならないもの。まあ、そういったネガティブな要素はいっぱいあるけど、それでもこの職業はすばらしいと思う。だって20歳かそこらの女の子がこんなにいろんな人たちと出会えて一緒に仕事ができるなんてこと、ふつうじゃあり得ないでしょ。
-まさに、あなたはセルジュ・ゲンズブールやジャン-ポール・グードなど、とても優れた人たちと仕事をしてきましたよね。アルバムにしてもなんにしても、いつもプロデューサーに絶妙な人選をしますが、つねに自分自身で次は誰と仕事をしたいといったようなことを考えているんですか。
そうね、そういうことを考えるのも仕事の一部だから。でもいままでのケースでは、わたしが憧れていた人がたまたまわたしと仕事したいと言ってくれて、話がスムーズにまとまったことがほとんど。運がいいとしか言いようがないわ。
-次の仕事の予定などは決まっているんですか。
映画に出るの。ジャン・ベッケル(「殺意の夏」)っていう監督のね。
-ニューヨークで撮影?
いえ、パリで。今年の5月からよ。
-映画のほうはずっと御無沙汰だったので、もう女優はやりたくないのかと思っていたんですが。
そんなことないわ。ずっとやりたいものが来るまで待っていただけ。この映画の脚本はわたしのために書かれてて、とてもすばらしい役なの。早く撮影に入りたくてウズウズしてる(笑)。
-どんな役柄なんですか。
それはまだヒミツ(笑)。
-そうですか(笑)。あなたは16歳のときに「白い婚礼」でかなり年上の教師と恋に落ちるティーンエイジャーを演じましたよね。あれから4年たったわけですが、もしあの映画を作り直すとしたら、あなたはあのキャラクターを4年前と同じように演ると思いますか。それとも、いまだったらもうちょっとこういうふうに演じられるのに、というような思いはありますか。
…一回演った役をもう一度演ることなんて考えたくないわ。
-「白い婚礼」は映画としてあまり気に入ってないとか?
映画としてというより監督とうまくいかなかったから、あまりいい思い出がないの。だからあの映画についてはあんまり話したくない…。
-それでは最後の質問ですが、去年あなたはインタビューで、母親になりたい、子供が欲しいと言ってましたよね。その思いはいまでも変わってないんですか。
それは本当に変わってない!ずっといつか叶えたいと思ってる夢なの。だけど、わたしぐらいの若い女の子が子供を生むとなったら、自分がほんとにその子を育てられる状況なのかどうかを見極めてからでないといけないでしょ。特にいまのわたしみたいに安定した生活が送れない場合は、子供がかわいそうだし…。だからそうしたタイミングみたいなものを見つけなきゃと思ってるの。でも、まわりの人なんかを見てると、いきなり子供ができちゃってもなんとかやってるから…そうね、大変そうだけど、いざとなったらわたしにもできるかもしれないわね(笑)。

〜Cut 1994.5月号より転載